ジゴワットレポート

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感想『仮面ライダークローズ』 Vシネ展開は、原典作品とシリーズの幅との狭間で揺れる

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『ビルド』のスピンオフにあたる作品、『ビルド NEW WORLD 仮面ライダークローズ』をやっとこさ鑑賞した。限界田舎に住んでいるので、上映規模が小さい劇場公開のタイミングで観るのは非常にハードルが高い。そんな作品が平成の終わりにリリース。そして、鑑賞したのは令和の初日。『クローズ』が、私にとっての「初・令和ライダー」となった。

 

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平成ライダーにおけるVシネ(スピンオフ)展開は、明確には『ダブル』の頃からだろうか。それはもちろん、数年前の『電王』が大ヒットし、当初Vシネ枠で制作されていたが後に劇場公開された『クライマックス刑事』などが前段として存在している。平成ライダーというコンテンツの拡大化、その一翼を担ったのが、Vシネ展開と言えるだろう。初期作品の頃からは考えられない、度重なる「その後」の露出。

 

後に講談社からの小説版もコンスタントに発売されるようになり、平成ライダーの「その後」が描かれる機会は革命的に増えていった。驚くほど、幅が広がったのだ。

 

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以前、この記事でも近いことを書いたが、「続き」という物は、ファンにとってどうにも二律背反な代物である。「あの物語の続きが観られる嬉しさ」と、「あの物語があれで終わらないという喪失感」。そしてこれは、「あの物語」の幕引きが劇的で感動的であればあるほど、後者の威力が増していく。

 

平たく言えば、「続編が怖い」現象だ。続編となれば、一度降ろされたはずの幕がどうしようもなくもう一度上がってしまう。それが自分の琴線に触れなかった時、「降りていたはずの幕」を想っては、喪失感を味わってしまう。

 

先日私は「『トイ・ストーリー4』が怖い」という記事を書いたが、まさにこの現象である。あの感動的なフィナーレに、一体何を付け足すというのか。もちろん、それが自分の琴線に触れなかったのであれば、目をつぶって空を仰ぎ、記憶から緩やかにフェードアウトさせていけば良い。だが、しかし、そう簡単にいかないジレンマに悩まされているからこそ、こうしてブログに感想を書き散らすオタクをやっているのである。何かと目に余ったのでお別れを告げた恋人がいたとしても、その翌日には綺麗さっぱり忘れるなんて、そんなに都合よくはいかないのだ。

 

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さて、いつものように前置きが長くなったが、『仮面ライダークローズ』の話である。結論から言うと、「お話自体はコンパクトにまとまっていて面白い」が、「あのビルドの最終回後のストーリーとして(精神衛生的に)成立するのか」という論点が残る感想となった。

 

まず前者の部分。スピンオフ、もとい番外編として、本作は綺麗な起承転結がついていたと感じた。『ビルド』の特徴は戦争というテーマを扱ったことだが、本編では、「被害者がいつの間にか加害者になってしまう恐怖」「国同士の大義名分という名ののエゴの交錯」「命が消費されていく悲惨さ」等々がエピソードとして描かれた。今回の『クローズ』では、この延長線上にある「戦争という大きなスケールにおいては助けられない命がある」というプロットを採択。

 

クローズだけでなく、ビルドもグリスもローグも、日本のために懸命に戦ったが、全ての命を漏れなく救うことはできなかったはずだ(だからこそ世界融合における歴史改変という手段が最後にあったとも言える)。それは、「戦争」という状況であれば「仕方がない」のかもしれない。が、今回はその「仕方がない」が個として万丈に降りかかってくる。どうしようもなかった状況において、救えなかった命。しかし万丈は、それを面と向かって「仕方がなかった」などとは言わない。むしろ、自身の過去にあった余裕のなさや戦う意義と絡めて、未熟さと捉え、それを乗り越え成長するための要素として取り込んでいく。

 

万丈という底抜けに明るい男の、だからこその前向き一辺倒な眩しさ。それが上手く表現された印象であった。両親を殺したエボルトとまさかの呉越同舟に至るあたり、彼にしかできないよなあ、と。「筋肉バカ」だからこそ、難しいことは考えない。目の前の敵と、足元の自分に、常に素直に思うままに向き合う。それが万丈というキャラクターの良さであると、物語がそう描き直す様は、実に『ビルド』として見応えがあった。

 

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反面、「あのビルドの最終回後のストーリーとして(精神衛生的に)成立するのか」の部分は、やはり喉に引っかかったものが最後まで取れないポイントであった。その論点を切り分けて整理していくと、そもそもの「この物語に続きがあって良いのか」という部分にまで辿り着いてしまう。

 

つまりは、「①世界融合までして倒したはずのエボルトが易々と復活して良いのか」「②戦兎と万丈だけが互いを認識する新世界で他のキャラが記憶を取り戻して良いのか」「③愛と平和のために世界融合した後の世界でまた戦いが起きて良いのか」、の3点だ。

 

これは非常に難しい話だが、この①②③、「『ビルド』の続編を創る」ということが前提にある以上、覆されることはほぼ決定事項になってしまう。全ての諸悪の根源がエボルトなので、彼がいなければ何も起こりようがない。よって、何かしらの問題を起こすために、①に絡める必要がある(今回で言うキルバスの設定)。②は、キャラクター人気も高い『ビルド』において、続編を創るのであれば、グリスやローグを放っておく道理はない。復活させる必要がある。よって、③も明白。そもそも③の反証は続編皆無でしか叶わない。

 

つまり、今回の『クローズ』に引っかかってしまうポイントの大部分は、それ自体が「『ビルド』の続編」であることとイコールなのである。「『ビルド』の続編」を創ろうとしたら、どうしても、①②③を組み合わせていく必要がある。しかしこの①②③は、本編が約1年間かけて積み上げたあの最終回と、驚くほどに相性が悪い。エモーショナルで劇的な、犠牲を払ってまで創世した新世界において、①②③が展開されること自体が、先の最終回と哀しいまでに噛み合わないのである。この3点を最終回と綺麗に両立させるには、シナリオ制作における前人未到のウルトラCを決める必要があったと思われるが、本作がそこに届いたとは考え難い。

 

とはいえ、今や商業コンテンツとして膨れ上がった平成ライダーは、「続編」の枷から逃れることはできない。人気があれば続きが創られる。例えそれが、多少なりと、それ以前の内容と噛み合わせが悪くても。こればかりは、偉大なる『電王』が実証してきたことである。

 

平成ライダーという土壌の上で『ビルド』は生まれたのに、他でもない平成ライダーというコンテンツの幅が、あの最終回を緩やかに曲げてしまう。『クローズ』は言うならば、『ビルド』とそれが属する平成ライダーというシリーズの狭間に産み落とされてしまった、そんな作品なのである。

 

重ねて書くが、物語自体は好きなのだ。シンプルにまとまっているし、戦争というテーマの応用としても面白い。縦横を意識したアクションの組み立ても見応えがあったし、所々、目を見張るカットがあった。水の中を割って登場するスタークや、ブラックホールを生み出して瞬間移動するクローズなど、山口監督の創意工夫が至る所に観られた。メイキング映像にて、火薬爆発シーンがあったのも眼福である。

 

私はあまり、昨今よく見かける「公式との解釈違い」な言い回しは好んで使わないのだが、今回の『クローズ』でこの文字列が脳内を横切った人は少なくないのではないだろうか。あの「ふたりぼっち」な幕引きの尊さと、それを覆す続編。しかし、平成ライダーをずっと追ってきた者としては、大なり小なりこの感情は過去にも抱いており、毎度のように「続きが描かれる」意義を考え込んできた。

 

「続き」が制作される。それ自体が本当は、すこぶる幸せなことなのに。

 

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