ジゴワットレポート

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感想『仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER』 フィクションを愛してきた人に贈る、平成ライダー有終の美

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今回は、過去類を見ないほどに事前情報が少なかった。どのような内容なのか、分かるようで分からない予告やあらすじばかりが並び、それが一体どう繋がるのか、物語が何を描こうとしているのか、輪郭がぼやけたままの鑑賞となった。

 

『平成仮面ライダー20作記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER』、初日初回の映画館は、ほぼ満席。子供や親子連れも多いが、私と同じように、平成ライダーを長年見てきた世代もぎゅうぎゅうに入っていた。子供たちが自分の好きな仮面ライダーを喜々として語る、あの上映前の独特の空気。『クウガ』から約20年、ずっと平成仮面ライダーを観てきた自分にとっても、今回の映画は期待と不安の濃度がとても高かったのが本音である。

 

仮面ライダーは現実の存在じゃない

仮面ライダーは現実の存在じゃない

仮面ライダーは現実の存在じゃない

 

 

映画館を出たあとの感想は、Twitterから引用。ネタバレに配慮して書くとこんな感じ。というか、これくらいしか書けない。

 

 

以下、作品の内容に触れるネタバレがありますので、ご注意ください。

 

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今作を語るにおいて、平成仮面ライダーと自分の半生を思い返さずにはいられない。2000年に『仮面ライダークウガ』が放送を開始し、当時小学生だった私も漏れなく夢中になった。中学生の頃に友達と観た『龍騎』も、大学生になってテレビにかじりついていた『ディケイド』も、社会人になって玩具を買いまくっていた『鎧武』も、娘が主題歌で踊り出す『ビルド』も、ずっと観てきた。シリーズは現行の『ジオウ』で20作目となり、アニバーサリーな記念作を観て、毎週こうやってブログに感想を書いている。

 

EPISODE 1 復活

EPISODE 1 復活

 

 

そんな半生を送ってきた自分にとって、本作は非常に大切な作品となった。なんというか、一介のファンがこう言うのもおこがましいが、「記念碑」のような作品である。

 

物語は、ジオウの世界観から幕を開ける。ソウゴがなぜか普通に受験勉強を行う、歴史が改変された世界。彼は、TVシリーズ1話冒頭と同じように、ゲイツ仕様のタイムマジーンに追い掛け回される。やがて現れるアナザーデンライナーと、アナザー電王。歴史改変の謎を追いながら、ソウゴは「仮面ライダー」がフィクションとされる世界に迷い込む。

 

一方で、新世界をビルドした戦兎と万丈は、アナザーダブルに襲われる少年と出会う。そして、記憶を取り戻したかのような仲間との再開。しかしそれは、虚構であるフィクションから具現化された存在であった。

 

「メタフィクション」「歴史改変」「タイムトラベル」などの要素は、これまでの平成ライダーでも何度も用いられてきた。しかし今作が少し異なるのは、ここに「作中作」という切り口を加えているところにある。つまりは、我々の知っている戦兎やソウゴではなく、『仮面ライダービルド』の主人公である戦兎と、『仮面ライダージオウ』の主人公であるソウゴなのだ。彼ら、フィクションの中に存在するキャラクターが、その外に出ていく。仮面ライダーという番組を観ている、視聴者と出会う。

 

時系列順で物語を整理すると、まず、タイムジャッカーであるティードがクウガの遺跡に干渉し、平成ライダーの歴史をなかったことにしてしまう。クウガからジオウまでが共通の世界観で進行してきた、という、『ジオウ』における設定の根幹を断った訳である。しかし、特異点であるシンゴという少年の存在により、歴史は修復され、平成ライダーは復活してしまう。そのため、ティードはシンゴを封印しようと付け狙う。

 

そして、ティードにより平成ライダーが「なかったこと」になった結果として、それらはフィクションの産物に成り下がった。つまりは、我々現実世界と同じ、平成ライダーがテレビで放映されている世界である。クウガからの歴史がなくなることは、実際に存在していた仮面ライダーが「現実にはいない」=「虚構の存在」となることを意味していた。言うなれば、戦兎やソウゴは物語の中に押し込められてしまったのである。そして、フータロスの力で現実と虚構の境界が揺らぎ始める。結果、「仮面ライダーがテレビ放映されている世界で、物語の中から仮面ライダーが登場する」という舞台が用意された。

 

もうひとりのキーパーソンであるアタルは、18歳の仮面ライダーオタク。いい歳をして、部屋には仮面ライダーのおもちゃやグッズが溢れている。まさに、それこそ私のような、「平成ライダーをずっと観てきた人」だ。そんな彼は、「仮面ライダーなんてフィクションで、彼らは本当にはいない」と主張する。そんな分かりきったことを言いたくなるほどに、「フィクション性」を良くも悪くも痛感していた。仮面ライダーは、現実を救ってはくれない。

 

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フィクション作品を観るとは、どういうことか。仮面ライダーが本当に存在すると思って観ている人は、世の中にどれだけいるのだろうか。子どもたちも、本当に東京近郊では仮面ライダーが戦っていると思っているのだろうか。

 

仮面ライダーが本当は存在しないことは、すでに多くの人が知っている。知っていて、十二分にそれを納得していて、それでも、テレビの中で戦うヒーローを応援する。そして、それに何かしらのプラスの感情をもらう。勇気づけられたり、何かを学んだりする。「どうせそんなの作り物でしょ」と言われようが、その「作り物」の良さを噛み締めたいんだと、半ば開き直ったように傾倒していく。

 

仮面ライダーはフィクション。その現実に、同じく「作り物」としての運命を課せられた桐生戦兎が明確な答えを示す。「俺達はここにいる」。存在するから、存在するんだと。まるで禅問答のような話だが、つまりは、たとえそれが嘘っぱちの作り物でも、我々視聴者がテレビを観て抱いた感情は嘘じゃないし、ふとした時に思い出されるあのドラマもアクションも、嘘じゃないのだ。『ビルド』のテーマよろしく、「誰か」(視聴者)が「自分」(仮面ライダー)を創ってくれる。そして同時に、「自分」も「誰か」を創る。

 

戦兎の力強い「ここにいる」は、それこそ映画館のスクリーンをも意味している。フィクションでも、我々はこうやって映画館に作り物を見に行く。そして、「そこ」に確かに仮面ライダーはいるのだ。

 

Double-Action

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そんな戦兎と同じく、「ここにいる」ことをテーマとして扱ってきたのが、他でもない『仮面ライダー電王』である。

 

記憶が存在を創る。覚えてくれさえすれば、確かに「いる」のだと。ビッグサプライズ出演となったまさかの佐藤健本人が、良太郎としてそのテーマを語ってくれる。我々視聴者の記憶こそが、虚構である仮面ライダーをある意味の「本物」にするのだと、そういうメッセージをエモーショナルさたっぷりに突きつける。まさかの佐藤健の出演に会場がどよめいたあの瞬間を、私は一生忘れないだろう。映画館であそこまでの悲鳴が上がるとは。

 

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しかし、私が本当に感動したのは、今作の物語そのものにある。

 

いい歳して、いつになっても仮面ライダーが好きな自分。好きなものは好きだと誇りたいが、どうしても世間の目を気にしてしまう自分。小さい頃は素直に応援していたヒーローを、いつのまにかウンチクを語ってこねくりまわしながら観るようになった自分。

 

そんな約20年間、虚構を愛好してきた私のような人間に、今作は直球ストレートでお礼をぶつけてきた。「平成ライダーを応援してくれてありがとう」という文字列を、そっくりそのまま映像化した。そんな後半の展開に、思わず涙腺が緩む。そしてこれは、仮面ライダーに限らず、今後もフィクションを愛し続けていく子どもたちへのメッセージにもなっているのだ。

 

佐藤健の出演だけでなく、ディケイド・アギト・龍騎・ゴーストはそれぞれの主演キャストが声をあてる。更にはライブラリ音声をふんだんに使い、当時のキャストの声のまま戦線に駆けつける仮面ライダーたち(クウガの「おりゃァァ!」やカブトの「甘いな」には鳥肌が立った)。満を持して劇場版のメガホンをとる山口監督の、「当時そのまま+α」で仕上げられたアイデア豊富なアクションシーンの数々。あの構え、腕の動き、足さばき、重心移動。細かな箇所にまで配慮されたアクションシーンに、20年間の思い出が走馬灯のように駆け抜ける。更には、奇しくも『クウガ』『電王』『ジオウ』の全てを担当している佐橋俊彦氏の音楽が劇的な展開を彩る。

 

『平成仮面ライダーぴあ』のインタビューによれば、クウガのバイクアクションは当時と同じ方が担当されているらしく、あの独特の跳ねる動きには思わず胸が熱くなった。

 

平成仮面ライダーぴあ (ぴあMOOK)

平成仮面ライダーぴあ (ぴあMOOK)

 

 

電王やクウガなど、当時の作品内のテロップを再現する演出。地球の本棚やデンライナーなど、おなじみのSEや劇伴。随所に散りばめられたサービス精神に細かく頷きながら、スクリーンの向こうから届く「ありがとう」に、「ありがとう」を返し続ける。

 

龍騎のドラゴンライダーキックを俯瞰の視点で捉え、ウィザードとキバのキックがシンクロし、そしてクウガが、両手を広げたあの構えからキックを繰り出す。敵を倒し、少年が起き上がった時、煙の向こうには20人の虚構の存在が並んでいる。確かに作り物でも、嘘っぱちでも、フィクションでも、それでも我々はこのヒーローたちをずっと観て、応援してきた。その感動がジーンと胸にきて、最後にまた、泣いてしまったのである。

 

まあ、とはいえ。そもそもティードがなぜ平成ライダーを消したがっていたのか、改変して現実世界になったはずなのにイマジンが存在しているとか、場面転換と入れ子構造が重なりすぎて振り回される感じとか、「実は兄弟」の種明かしがもう明白なのにすごく引っ張るとか、ダブルまわりの扱いに心残りがあるとか、思うところが無い訳ではない。

 

しかし私の場合は、作品の持つ圧倒的な熱量、昨今流行りの表現を用いるなら「エモさ」が、それらを上回ってしまった。前述の「春映画と冬映画を足して割った感」が、まさにこのバランスを意味している。

 

仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER メドレー D.A. RE-BUILD MIX

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「仮面ライダー」の映画ではなく、「平成仮面ライダーの歴史とそれを観てきた人たち」の映画。こんな怪作に挑み、それが散らからずにある程度しっかり着地できているのは、平成ライダーの歴史においては稀有なことかもしれない。長年のファンへの感謝を謳いながら、「次の世代」に熱いメッセージを送るこの『FOREVER』は、奇しくも20作目で元号が変わるシリーズにおいて、有終の美であったと言えるだろう。

 

昨年の『FINAL』とはまた別角度の、しかし同じくらい熱い愛の塊。平成仮面ライダーをずっと観てきて、本当に良かった。ありがとうございました。