ジゴワットレポート

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『仮面ライダービルド』最終回における新世界創生・地球融合に関する考察

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『仮面ライダービルド』が最終回を迎えた。ビターエンドというか、メリーバッドエンドというか、シリーズでもかなり壮絶なクライマックスに着地した作品であった。

 

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当ブログでも、主に「戦争という題材を扱う意味」について記事を書いてきたので、思い出深い作品である。

一年間を総括する感想はまた後日更新したいが、取り急ぎ、最終回で描かれた「新世界創生・地球融合」に関する私見をまとめておきたい。(以下、言うまでもなくネタバレ注意です)

 

仮面ライダービルド TVオリジナルサウンドトラック(ALBUM2枚組)

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世界融合は事実上のテロなのでは、という疑念

 

『ビルド』の物語終盤で、いきなり持ち上がった新世界創生の可能性。白いパンドラボックスとロストボトルのパワーを使い、エボルトを動力として時空の裂け目(?)に投げ込むことで、世界A(ビルドの世界)と世界B(平行世界)を融合し、新たな世界Cを創るという。葛城忍が暗躍しながら目指していたその可能性を、息子である戦兎は遂に実行に移した。

 

「平行世界の融合」という案は、昨年末に公開された『平成ジェネレーションズFINAL』の敵・最上魁星が実行した計画と酷似している。しかし、最上の真の目的は別世界の自分と融合し不老不死と化すことだったので(その際にふたつの世界は衝突し消滅する)、戦兎が目指した平和実現のための融合とは趣旨が異なる。

 

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とはいえ、世界Bの人間にとっては「いきなり別世界と融合して創り変えられる」という状況が生まれてしまい、それは倫理的にどうなのか、という疑問があった。もちろん、世界Aの人間にとっても、同様である。それはもはや、事実上のテロのようなものではないか。

愛と平和、ラブ&ピースのためには、世界融合も止む無しなのか。その大義名分で足りるのか。戦兎が選択したその方法論にモヤモヤが残るままの、最終回鑑賞となった。

 

「惑星を簡単に消滅させる力を持つエボルトはもう倒せないので、世界融合の過程で消滅させる」。「倒す」というより、まるでTCGの「除去」のような概念をラスボスに適用するのは面白いのだが、エボルトは本当に倒しきれないのか(そこに納得がいくような描写があったのか)については、若干の惜しさが残るところである。

 

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新世界創生を過程とした過去改変

 

実際に最終回を鑑賞すると、それ以前に語られていたニュアンスとは異なる概念が提示された。つまり、融合して新たな世界を創るだけでなく、過去改変による究極の救済、という目的だ。パンドラパネルから創られたジーニアスボトルの力を使い、過去を改変する。それにより、エボルト襲来やスカイウォール出現によって命を失った人を救済する。それこそが、真の意味での「新世界創生」だと。

 

仮面ライダービルド DXジーニアスフルボトル

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そうなると、単純にふたつをひとつに足すのとでは話が変わってくる。実際に出来上がった新世界では幻徳や一海が生存しており、おそらくエボルトが虐殺していた一般市民も事実上の蘇生を果たしているのだろう。

 

ここに関する自分の解釈は、Twitterに呟いたものを引用したい。

 

 

例えるなら、いくつか穴が開いている紙Aと、穴が開いていない紙Bを重ねて、陽の光に透かしてみたとする。Aで穴が開いていた箇所はBがカバーし、それ以外の箇所はAとBが重なって色濃くなる。言うまでもなく、この場合の「穴」はエボルトによる死者や破壊された建物等を指し、およそそういうイメージで救済が果たされたのではないか、と思うのだ。

 

また、世界Aでの人間関係の変化が世界Cに影響を及ぼしていることが伺えるため(幻徳が父の部下として親子関係が良好っぽく働いている)、それらが前述の「重なった部分」に該当するのかもしれない。

 

 

この考えでいくならば、世界Bが何かしらの「犠牲」になったとは定義し辛く、あくまで「Aを踏まえてより善い方向に微修正された」と捉えることができる。世界Aについては、大量の死者が出て月まで破壊されていたので、その犠牲についてはもちろんBの諸々が適用されているのだろう。

 

つまり、世界Aと世界Bの融合は、「エボルト襲来により変化した歴史」(A)と「エボルトが襲来しなかった歴史」(B)の融合を意味し、それを実行した戦兎やジーニアスボトルの意思によって、基本ベースBが採用されながら美味しいところだけはAを加味させたのではないか、と考えられる。

 

もちろん、それが例え善い結果だったとしても、「勝手に改変された」という被害者意識がB側には残る(誰もそれを認知していないとはいえ)。世界Aでは過酷な国内戦争によって人間環境が複雑に変化したが、そこで生まれた愛や平和を願う思いだけがBに持ち込まれたと取ると、「代償を払うことなく精神的成長や気付きを得ることができた」のかもしれない。「過去改変」というニュアンスや、実際に出来上がったCをみると、戦兎に向けられていた事実上のテロ行為という疑念はかなりのレベルで解消できた。

 

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もしかしたら世界Aが世界Bだったかもしれない可能性

 

「過去改変」という要素が提示されたので、歴史の分岐点、といった考えが頭をよぎる。もしかしたら、世界Aこそが本来の地球から分岐したものだったのかもしれない、という妄想だ。

 

 

この仮説でいくと、「平行世界を融合させる」という計画は「分岐した時間軸をひとつにまとめ上げる」と捉えることも出来るので、幾分か飲み込みやすくなるのかもしれない。重ね重ね、もちろん単なる私の妄想なのだが。

 

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世界Bがエグゼイド以前の地球なのか問題

 

『ビルド』における平行世界(パラレルワールド)の概念は、本編で初めて提示されたものではない。前述のように、『平成ジェネレーションズFINAL』で引き合うふたつの地球のビジュアルが描かれ、「パラレルワールドが存在すること」はすでに明示されていた。

 

問題は、世界Bがエグゼイドやゴーストらが活躍する地球とイコールなのか、という部分だ。これについては、最終回でも全く明言されず、予想の域を出ることは無かった。もし世界Bがエグゼイド以前の世界であるならば、ビルドとエグゼイドの共演も容易になり、次作『仮面ライダージオウ』の世界観に繋げることも可能となる。

 

その場合、「ビルドとエグゼイドの『FINAL』での共闘」は上手い具合に記憶が修正され書き変わっているのか、または、最前線で惑星衝突未遂を目撃した仮面ライダーは特異点のようにその記憶を保持しているのか。

 

この答えは、『ジオウ』や『平成ジェネレーションズFOREVER』で描かれるのかもしれない。

 

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新世界Cに生きる葛城巧と佐藤太郎

 

新世界Cに到達して間もなく、戦兎の脳内に居た葛城巧は消滅した。これはおそらく、「CにはBで生存していた葛城巧が適用されているから」だと思われる(葛城巧がふたり存在してしまうのはパラドックスを意味する)。この世界の葛城巧は、父・忍と仲良く研究を行っているのかもしれない。いつの日か、戦兎と出会うこともあるのだろうか。

 

また、カフェでマスターが言っていたように、佐藤太郎も別に存在しているのだろう。これも、世界Bから適用されたものと推察される。「桐生戦兎」という人間は、葛城巧であって葛城巧でなく、佐藤太郎であって佐藤太郎でもなかったが、新世界に到達したことで遂に唯一無二の「桐生戦兎」として独立して存在することとなった。その結果、万丈以外の人々の記憶から自分が消えてしまったのは、なんとも皮肉な話である。

 

そう考えると、創られた仮初のヒーロー・桐生戦兎が、そのアイデンティティに迷いながら、ついに「個」を獲得するまでの物語が『仮面ライダービルド』だったのかもしれない。周囲の人間が戦兎を創り、戦兎は滅びゆく惑星を救って新世界を創る。

 

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とはいえ、「新たな世界に到達するオチ」「世界線や時間軸を越えた物語」というと、どうしても『ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン』や『シュタインズ・ゲート』が考えの基盤になりがちである。「桐生戦兎です」「え?」「桐生戦兎。僕の名前は…… 桐生戦兎です」。

 

ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン 17 (80)

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STEINS;GATE - PSVita

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「新たな世界に到達して死者も蘇るエンディング」というと、どうしてもシリーズ的に『仮面ライダー龍騎』を連想するところである。そんな『龍騎』は主人公までもが記憶を失い諸々をリセットしたのに対し、『ビルド』は主人公と万丈のみが記憶を保持し、「人々に忘れ去られた」という要素が付加された。

 

むしろ記憶があった方が不幸だな、という考えにも至るけれど、そこに「こいつさえいれば」成分がマシマシに盛り込まれているのは、随分『ビルド』らしいエンディングだったと言える。熱く厚いブロマンスこそが、『ビルド』だ。

 

仮面ライダービルド TV主題歌&挿入歌 ベストソングコレクション(ALBUM)

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