ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

ブログにGoogleアドセンスを貼って1年が経ったので色々と正直に書く

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ブログにGoogleアドセンスを導入して、1年が経った。2018年の2月からなので、正確には1年と2ヶ月ほど。導入後の感想みたいなものを改めてしっかり書いたことがなかったので、先月無事に確定申告も終わったし、ざっくばらんに吐き出してみようと思う。

 

結果と背景

 

まず、前提となる数字の話。

 

2018年の1年間でいくと、このブログの総PVは400万ほど。月平均で33万PV。Googleアドセンスにおける収益は7桁にギリギリで届いた。ブログに関連する収益だと、Amazonアソシエイトの紹介料や、依頼をいただいて執筆したものに関する原稿料等があるけれど、総収益に占める割合としては、やはりGoogleアドセンスが抜きん出ている状態。

 

元々ブログは学生の頃からやっていて、約10年ほどだろうか。クオリティはともかく、文章を書くのが好き。一昔前までは、ブログで収益を発生させることに抵抗感すらあったのだけど、結婚し、子供も生まれ、趣味に好き勝手お金をかけることが出来なくなってきて・・・。加えて、いつかの新車、いつかの一軒家、もしものための保険。歳を取れば取るほど恐ろしいほどに出費が増えていくので、自分の趣味のお金くらいは自分で調達しないといけなくなった。

 

考えた結果、「ブログに広告を貼る」を選択。会社との副業の絡みもクリアした上で、昨年2月から広告を貼り始めた。

 

なので、スタンスとしては、「収益を出すためにブログを作った」ではなく、「既存のブログに収益を出す仕組みを導入した」という感覚。詳しくは後述するが、前者だとおそらく恐ろしいまでの覚悟と根気と胆力が必要になる。中には「そんなのは詭弁だ!ネットでお金を儲けるな!このアフィカスが!」みたいな石を投げてくる人もいるけれど、じゃあ片道2時間かけて最寄りの映画館に通っている私の車のガソリン代をお前が払ってくれるのか、という話である。限界田舎のオタクを舐めるな。

 

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ネット経験値と広告のクリック

 

おかげさまで、1年の間で、何度も記事がバズった。TwitterやFacebookでの拡散、GoogleやYahooからの検索流入の増加、Chromeのアプリ側でのピックアップ、インフルエンサーからの言及、スマートニュース等々への誘爆、はてなブックマークでの3桁を超えるブクマ。初動からバズへの流れ、どの程度でその勢いが弱まるのか、誘爆するように転載していくサイトにはどのようなものがあるのか。一通りのパターンは経験できたと思う。

 

なので、何らかの記事がどこかでバズり、PVが増加したとして、それがアドセンスの収益にどのように影響するかも、経験値として積み重なってきた。率直に答えを言ってしまうと、これはもう当たり前のことではあるが、検索がとにかく強い。順を追って説明する。

 

まず、ネットに触れる時間が常日頃長い人、もしくは、5ちゃんやSNSやはてブに張り付くような生活を送っている人を、仮に「ネット経験値が高い人」とする。この経験値が高い人は、例えば効率的なググり方を体感で習得しているし、目的の情報を得るためにはどこをどう探せば良いかという「嗅覚」のようなものが備わっていたり、日常生活でネットミームやその手の構文が脳内を駆け巡ったりする。

 

対する「ネット経験値が低い人」は、例えば検索にはGoogleよりYahooを重宝したり(偏見)、インターネットとIEが同じ意味だと思っていたり(偏見)、5ちゃんは誹謗中傷が行き交う犯罪者予備軍の巣窟だと思っていたり(偏見)、はてブなんて存在すら全く知らなかったりする(ここはガチ)

 

私が言いたいのは、この「ネット経験値」の高低における良し悪しではない。Googleアドセンスに絞って言うならば、経験値の高い人は圧倒的に広告をクリックしない、ということである。

 

どういうことかというと、仮に同じPVを記録するバズでも、より「ネット経験値」が低い層が多いフィールドでバズった方が、収益に直結するのである。その高低でいくと、低い順に、まずは検索流入。これはそもそもの分母の大きさもあるが、逆に経験値が高い人は野生のキュレーションサイトや個人のブログから積極的に情報を得る機会そのものが相対的に少ない。次点で、スマートニュース等のウェブメディア。続いてSNS。最後に、はてなブックマーク。はてブで3桁以上のブクマを獲得しても、それ自体はあまり収益を記録しないとみている。

 

ただ、はてブの優秀なポイントは、それ自体が情報のハブとして機能することにある。はてブでバズると、誘爆の確率が上がるので、SNSでのシェアも当然増えるし、被リンクを獲得することで検索にも瞬間風速的な評価を貰える。直接のはてブユーザーはその経験値の高さから広告を積極的にクリックしないが、そこをハブとした先のポイントでクリックされることが多い。だから、記事の内容によってははてブ「だけ」でバズることもあるが、この場合のアドセンス収益は微増に終わることがほとんどである。

 

つまりは相対的に、検索評価を狙って記事を書く方が、アドセンス収益を上げやすい、ということになる。「どこでバズらせるか」というのもポイントで、SNSでウケる記事と、はてブでウケる記事は、アプローチを変えることである程度狙い撃ちが可能なのだが、それはまた別の話。

 

記事を加工するという考え方

 

では、検索にウケるように書くには、どうしたら良いか。これを極端に優先すると、「ゴミを量産するな」「検索を汚染するなクズ」と石が飛んでくるサイトが出来上がる。常に流行りの言葉をチョイスし、可燃性の高いワードで着飾る。そうすれば、自ずとある程度の数字は集まるだろう。ただし、それはあまり健康的な数字ではない。

 

前述のように、私は前提として、収益を目的にブログを始めた訳ではない。好きに文章を書いていたのが、気付けば長く続いているし、おかげさまでそれなりに読んでもらえるようになったので、それに広告を貼ったら収益を出せるのではないか、という流れである。なので、選択肢はひとつ。これまで通りの「好きに書く」を、いかに「検索流入を獲得するように加工」できるか、というアプローチだ。あくまで、原材料はそのまま。

 

ここをあえて「アプローチ」と書いているのは、あくまでこれが工程の最後にくるもの、と捉えているからである。そもそも、本当に収益を第一目的としたかったら、「好きに書く」からして間違いだ。ただ黙々と、検索流入に強い記事を高頻度でリリースしていかなければならない。「収益を目的に記事をブラッシュアップする」とすると、またもや物好きが石を投げてくる場合が多いが、要は「より多く読まれるためにはどうしたら良いか」という話だ。

 

これはもう何度も過去記事に書いているが、検索で採択されやすいワードを探して盛り込んで、ちゃんと多くの人にとって読みやすいレイアウトに整え、そんな試行錯誤を何度も何度も何度も何度も続けることにある。断言するが、ここに近道はない。

 

www.jigowatt121.com

 

だからこそ、「好きに書く」という前提がないと、継続的に書き続けることは難しいと思われる。最初から収益を上げる目的でブログを開設した人がひと月も経たずに消えていく様子をよく目にするが、それは、「好きに書く」がそもそも備わっていないからであろう。

 

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検索を狙って検索を狙わない

 

重ねて書くが、Googleアドセンスで収益を上げることを第一目的としたかったら、「好きに書く」を破り捨て、「作業」に割り切ることが第一である。

 

ブログでもミニサイトでも良いのだけど、何らかの情報が網羅されたページを作り、そこに長い時間をかけて記事を突っ込んでいく必要がある。そのジャンルで何が流行っているか、常にアンテナを立て、サイト作りに活かし続ける。しかしそれすらも、Googleが検索のアルゴリズムを変更してしまったら、一瞬で無に帰す可能性がある。「ネットで儲ける」とは、そういうことなのだ。

 

だから、「ネットで儲ける」に簡単に夢を抱いてはいけない。サイトを作って収益を上げている人は、相当の情報収集と根気強さが備わっている人だ。稀に超天才的で幸運な人がいるのかもしれないが、そこに夢を見るくらいなら年末ジャンボを買った方が良いだろう。この点については、リーマン万歳、固定給万歳である。

 

Googleアドセンスは、あまりにも予測のつかない点が多い。その日のRPMがどれほどかは分からないし、クリック単価も変動が激しい。時期によって広告単価も変わっていくが、それもざっくりとした予測しか立てられない。アドセンスについて試行錯誤すればするほど、これを専業の収入源にする怖さが身に沁みてくる。とてもじゃないが、私にはできない。あまりにも流動的すぎるし、Googleの支配率が高すぎる。

 

だから、これは矛盾する物言いだが、「収益に繋がりやすい検索流入」を獲得するために、「収益に繋がりにくい固定読者」を獲得する必要がある。ネット経験値が低い人にアクセスしてもらうために、ネット経験値が高い人からのアクセスや被リンクを増やすのである。

 

これによって、Googleの完全支配から(ほんの)少しだけ逃れることができる。仮に検索のアルゴリズムが変わろうとも、固定読者の存在が極端なPV減少に歯止めをかけてくれるのだ。検索においては、ワードのチョイスも重要だが、「読まれている」というドメインの状態がある程度評価されるからである。「一番の近道は遠回りだった」。「遠回りこそが俺の最短の道だった」。

 

先に「検索に評価されやすいように加工する」と書いたが、順序でいくと、「固定読者」の獲得が先である。この場合の「加工」は、本の表紙のデザインや装丁に相当する。「固定読者」が読むのは、その中身だ。

 

「検索を狙う」ために「検索を狙わない」。そして、「検索を狙わない」、つまるところの「固定読者を増やす」ために、「好き」を発信し続ける。これは私自身もそうだが、定期的に足を運びたいブログは、「好き」がそこにちゃんとある場合が多い。何かを呪詛のように並べ続けているサイトもそれはそれで面白いのだが、それより私はやっぱり、自身の「好き」な物事(日常生活の小さなことでも構わない)について自らの言葉で紡いでいるブログが好きだ。自分は、そういうブログの「固定読者」でありたい。

 

・・・という分析を重ねながら、じゃあ自分のブログを「そういうブログ」にするためにはどうしたら良いのか、というのを、ここ1年、色々と考えながらやってきた。

 

つまりは、アドセンスを導入したことで、むしろ収益とは一見対極にある「好きに書くとはどういうことか?」の輪郭が加速度的に濃くなってきた。自分の観た映画の話、好きな番組の感想、読んだ本への気持ち、買った物のレビュー、その他諸々。「好き」なことと、それが結果的に生み出す「収益」。この両者に、いかに(自分にとって)健康的な距離を設けるか。

 

「収益」にだけ傾倒すれば、「好き」を評価してくれた読者は離れるだろう。ただ、その「好き」を他ならぬ私自身が摂取し続けるために、「収益」が必要になってきた。この、簡単には循環しないサイクルを、いかに健康的に回し続けるか。そこにあるバランスを考え続けた一年間だったな、と感じている。

 

などと一気に書いてしまったが、この記事、文字列だけ見ると胡散臭い情報商材の売り文句のようである。とはいえ、漫画『ブルーピリオド』の台詞を借りるなら、「理論は感性の後ろに出来る道」なのだ。だから、理論を語ろうとすると、ついつい感性の話になってしまう。「こうなりたい」「ああしたい」と湧き出た「感性」が走った後ろに、結果として「理論」が出来上がる。

 

結論

 

あくまで私の実体験における私見だが、「副業として」「そう時間をかけずに」「趣味のブログで」「Googleアドセンスの収益を上げたい」のであれば、「自分の書きたいことを好きに書き続ける」のが答えだと思う。感性の意味でも、理論の意味でも。この条件下では、決して、検索流入を直接的に狙う安易なキュレーションブログを作ってはいけない。

 

どうにも、この手のブログ運営に言及する記事を書くと、いつもこういう着地になってしまうのだが、不変の真実なので仕方がない。 

 

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

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