ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

感想『テン・ゴーカイジャー』 10年ぶりの「ゴーカイジャーはなぜ面白かったのか」にしてやられる幸せ

「やるのか!?」という驚きが、初報へのリアクションだった。「やったー!」や「うわあああ!」もあったが、何よりもまず、「やるのか!?」と。適度な緊張感と、ほんのりこわばる体。それ程までに、『海賊戦隊ゴーカイジャー』はやはり特別な作品なのだ。

 

もちろん、本編終了後も劇場版や後続番組で彼らは何度も復活してきた。とはいえ今回は、『ゴーカイジャー』の冠がつく正真正銘の正統続編なのだ。来年に公開を控える『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』も同様に、時が経ってからの続編は間違いなく「戦争」である。「ありがとう、もう感謝しかありません」と両手を重ねて祈りのポーズを取るのか。はたまた、「なぜ作ってしまったんだ・・・」と森羅万象を恨むのか。それは、エンドロールの最後の最後まで分からない。ファンの数だけ、解釈の数だけ、この「戦争」の勝敗は存在する。

 

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出典:https://twitter.com/gokaiger_10/status/1445660106247393286

 

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宇宙からやってきた、とにかくド派手なヤツら。死ぬまで忘れることはないだろう、2011年2月13日7時30分。監督は中澤祥次郎氏、脚本は荒川稔久氏。親の顔より見知った「いつもの土地」に集う、歴戦のスーパー戦隊たち。

 

「ブラックコンドルがいる!?」という不安や焦燥の感情は、圧倒的な興奮で塗り潰されていく。ゴセイジャーを先頭に彼らはポーズを取り、無数のザンギャック兵士を目がけて駆ける。背中に刀を回して攻撃を受け止めるシンケンレッド、掌から炎を発するギンガレッド、リュウレンジャーとゲキレッドの拳法コンビ、色鮮やかな影が舞うカクレンジャーとハリケンジャーのドリームチーム。そして、アカレンジャーの号令による特攻。どれだけ、録画を繰り返して観ただろうか。当時はまだ、サブスクなんて一般的ではなかった。中古のHDDプレイヤーに録った第1話を、寝ても覚めても何度も何度も、繰り返し鑑賞した。あの興奮を忘れることは、死ぬまでないだろう。

 

宇宙海賊現る

宇宙海賊現る

  • 小澤亮太,山田裕貴,市道真央,清水一希,小池唯,池田純矢,田村ゆかり,関智一
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しかし『海賊戦隊ゴーカイジャー』が真に素晴らしいのは、その強烈な「レジェンド要素」に決して全身を預けなかった点にある。

 

当時、2006年の『ウルトラマンメビウス』、続く2009年の『仮面ライダーディケイド』と、過去作をピックアップしたアニバーサリー作品の波が国内3大ヒーロー特撮界に吹き荒れていた。『メビウス』はウルトラ兄弟の設定を巧みに引用しつつ未熟で経験の浅いウルトラマンが先輩戦士の背中に学ぶ物語を、『ディケイド』は自シリーズが積み上げてきた荒唐無稽さを多角的に再演するリ・イマジネーションという荒業で過去ライダーの商業コンテンツ化を、それぞれ異なるアプローチでシリーズへの賛歌を達成した。では、続く『ゴーカイジャー』にはどのようなアプローチがあったのか。

 

まずは、東映サイドのプロデューサーが宇都宮孝明氏であることから触れていきたい。それ以前には『侍戦隊シンケンジャー』、後年は『烈車戦隊トッキュウジャー』『動物戦隊ジュウオウジャー』『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』と、作風のイメージとして割と「カチっと」した作品を手掛けられる印象が強い。白倉伸一郎イズムの、いわゆる「ライブ感」な属性とは対極にあると言えるだろう。『ゴーカイジャー』においては、イエローやピンクがゴーカイチェンジした際に元が男性ヒーローだとわざわざ新造のスカートが着くといった、深いこだわりが見え隠れする。ビジュアル的には、むしろスカートが無い方が「正規」なのだ。しかしこれは、レジェンド本人ではなくあくまで「仮(借り)の姿」=ゴーカイチェンジ 。そういった設定への「カチっと」した(むしろやや生真面目な)姿勢が、宇都宮氏が手掛けられた作品の何よりの魅力だと感じている。

 

その最たるポイントとして、『ゴーカイジャー』がそれ単体として尋常でなく「魅力的な戦隊」である、ここを強く主張しておきたい。

 

マーベラスを始めとする5人の宇宙人と1人の地球人。その計6名のキャラクターが、とにかく魅力的なのだ。『ゴーカイジャー』の一年間が、なぜああも熱狂的に我々を魅了したか。それは、「ゴーカイチェンジでレジェンド戦隊がまた戦う」だけではなく、「レジェンドキャストが多数出演する」だけでもなく、「海賊戦隊ゴーカイジャーがそれ単体で十二分に “イカす” 戦隊だった」からなのだ。派手な出物の数々が迷彩となるが、『ゴーカイジャー』の芯は間違いなくここである。

 

それぞれのキャラクターとしての強度はもはや言うまでもない。全員が剣と銃を操る無双っぷりもさることながら、その武器を特定の相手と交換するという「お決まりのパターン」が何より印象深い。二丁拳銃で腕を雑に動かすゴーカイグリーンも、ワイヤーで縦横無尽に剣を操るゴーカイイエローも、メリハリのある動きの二刀流で敵を斬って捨てるゴーカイブルーも、円形に銃を乱射して鮮やかに撃破を繰り返すゴーカイピンクも、それはもしかしたらゴーカイチェンジの活躍以上に我々の脳裏に焼き付いているのである。加えての、ファイナルウェーブ。全員が横一列になって放つ例の必殺技は、毎回必ずと言っていいほどにゴーカイチェンジを解除し、律儀にゴーカイジャーの元の姿で放たれる。トドメを刺すのは、「スーパー戦隊」ではなく「ゴーカイジャー」なのだ。

 

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お隣同士である仮面ライダーとスーパー戦隊の、何が違うか。それは、作品ごとのアプローチや差異のバリエーションにある。

 

『クウガ』以降の仮面ライダーは原則として作品世界観がリセットされ、仮面ライダーの見た目も、戦い方も、操る武器も、動機も、作品ごとに多彩なオリジナリティが込められる。一方のスーパー戦隊には偉大なる型があるため、全身タイツで煌びやかなチームが、個人武器を操ってから合体技を放ち、巨大化した怪人をロボットで迎撃する。だからこそ、スーパー戦隊は「個性」が浮き彫りになりやすい。仮面ライダーは(相対的な)自由度が高い「個性そのもの」だが、スーパー戦隊は同じ土台の上に異なる「個性」が乗っかっているのだ。

 

だからこそ、『ゴーカイジャー』として都合34の戦隊を振り返った際に、それぞれの戦隊の「個性」をしっかりと拾い上げ、一覧にし、それらを「ゴーカイジャーの個性」で正面から迎え撃つ必要があった。宇都宮プロデューサーの私の言うところの「カチっと」した姿勢は、まさにここである。

 

34の偉大なるレジェンドに、必要以上に頭を下げることもなく、必要以上に対立することもない。34の個性に匹敵する、35番目の個性がそこには必要だった。だからこそ、キャラクターは印象深く濃い味付けで、チェンジする前の戦闘スタイルもしっかりパターンが作り込まれており、ファイナルウェーブは絶対に自分たちで放つ。「34のレジェンド戦隊を取り扱う」ということは、つまり、「35番目のレジェンドで在る」ことなのである。

 

・・・という、当ブログお馴染みの3,000字ほどの前置きを経て、『テン・ゴーカイジャー』本編の話である。多くの人に観ていただきたいのであえてネタバレを避けて書くが、まさにこの長ったらしい前置きを要約したかのような映画であった。つまるところ、「『ゴーカイジャー』って面白かったよな!」、である。

 

『ゴーカイジャー』という作品は、決して「レジェンド頼り」ではなかった。その決定的な事実、あるいは実績を、10年越しに痛感したのである。『ゴーカイジャー』はなぜあんなにも面白かったのか。なぜどうしようもなく魅力的だったのか。それは、「地球にお宝探しに来ただけの無法者たちが」「地球を守り続けてきた34の戦隊と触れ合うことで」「この星に守る勝ちを見い出し」「35番目のレジェンドとして自己を確立させる」という、絶対的な縦筋がシリーズ構成に流れていたからだ。これにより、34のレジェンド戦隊は(あえてこう書くが)無条件に神格化されるため、旧来のファンは、そりゃあもう嬉しくなってしまう。ウハウハである。それを軸とした「継承」の物語。う~ん、揺るぎない。垂涎の物語設定。

 

だからこそ、『テン・ゴーカイジャー』はそれを丁寧に再演していく。「地球に守る価値があるのか」という10年前のシリーズ構成が持っていた主題を、今度は「過去に守った側」が改めて自分らに問い直す構成に。レジェンドの要素を沢山登場させつつ、それらをあえて脇に置き、本筋はメイン6人で回す構成に。もはや「神格化される側」に属した現ゴーカイジャーの面々が、どんな登場をしたらかっこよくて、どんな活躍をしたらかっこよくて、どんな台詞を言えばかっこいいのか、それらを全部ちゃんと把握してくれているスタッフ陣が、ひとつひとつ丁寧に実現させていく。「継承」もしっかり盛り込む。いやぁ、まさかの配役とまさかの話運びですよ。(前日に『ゴーカイジャー』の序盤数話を観ておいて本当に良かった・・・。)

 

10年前、レジェンドというお祭り騒ぎの狂乱の中に、ゴーカイジャーという「芯」が確かにあったのだと。むしろ、レジェンドに匹敵するそれ単体で魅力的な「芯」があったからこそ、お祭りがあれほど楽しかったのだと。『テン・ゴーカイジャー』を咀嚼すればするほどに、10年前の『ゴーカイジャー』が持っていた作品のバランス、レジェンドとの距離の取り方や向き合い方に、改めて舌を巻くことになるのだ。中澤祥次郎監督と、荒川稔久氏の脚本。2011年2月13日に我々の度肝を抜いたこの座組みに、またしてもしてやられたのである。それはもう、見事に。

 

もちろん、「スーパー戦隊ダービーコロッセオ」という設定がそもそもどうなんだとか、そういうモヤる感覚も無くはない。アイツらとか、絶対レンジャーキー貸さないだろうと、想像も難くない。しかしこれらも、「過去に34の個性バラバラな戦隊が一致団結して敵を迎え撃った」「10年前にもレジェンド傀儡が沢山登場して敵になった」という、動かしようのない実績が巧妙に先回りしてくるのだ。「昔これがあったんだから」「あの時この展開を受け入れたんだから」。そういう、ギリギリの線を突くような設定。この辺りのクレバーな感覚も、「ゴーカイジャーらしさ」のひとつと言えるのかもしれない。

 

10年前の『ゴーカイジャー』にありがとう。2021年の『テン・ゴーカイジャー』にありがとう。あなたたちの後輩で、ちなみに45番目の個性なんですけど、その個性が変態的に強すぎてえらいことになってますよ・・・。

 

 

 

感想『ホワット・イフ…?』 「もしも」の解釈戦争と、MCUが挑まざるを得ない課題への自己言及

MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)初のアニメーション作品として、2021年8月よりDisney+にて配信された『ホワット・イフ…?』。全9話で構成された本作は、タイトル通り「もしもあのシーンで○○が××だったら」というIF(もしも)の展開を軸に、MCUがMCUに深い自己言及を繰り返していくという、ある種「公式二次創作」なシリーズである。

 

何より、アニメーション自体が非常に完成度が高かった。実在の俳優を再現しながらしっかりと二次元として造形されたヒーローたちが、時に実写アクションのように縦横無尽に、時にアニメだからこそケレン味たっぷりに、様々な動きで魅せてくれる。とにかくストーリーが肝かつ目玉のシリーズではあるが、それはそれとして、シンプルに「映像が良い」というのは特筆すべき点だろう。個人的にはライティングの設計が何より好きでした。

 

The Absolute Point

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アメコミがひとつの特殊な文化であることは、今更語るまでもない。

 

ひとりのヒーローの連作はもちろんのこと、様々な「バース」や「設定」により、横に横に枝分かれしていく作品群。多面的であること、多様性であること、日本のカルチャーで言えば「パラレルであること」を大きく許容する土壌。だからこそ、『スパイダーバース』のような作品が「成立」してしまえる、その解釈の幅広さが強みなのだ。

 

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『ホワット・イフ…?』も、まさにその土壌の上に成立する作品である。様々なパラレルや解釈を許容できる文化だからこそ、こういったフルパワーの「お遊び」がしっかり地に足を着ける。そこに、ウォッチャーという語り部を設定し、マルチバースという概念を持ち込むことで、「お遊び」を「本筋の端にあるもの」として置いてみせる。シンプルに、お見事である。コンセプトと、それを成立させるための手順や配慮に隙が無い。

 

(超~ッ厳密には、「我々の知るMCUとも言うべきひとつの正史=タイムライン」と『ホワット・イフ…?』内の物語が、同一マルチバースの出来事であるという明言はされていないが、むしろこれまでMCUは「同じ世界観である」ことを原理原則として前提に置いてきたので、逆に「違う」という明言が無い限りは「同一」とみなすべきだろう、というのが私の理解である。)(こういうことを一々言い出すからオタクは面倒臭い。)

 

MCUに限らず、ひとつの作品にのめり込み、俗にいう「ファン」になっていくにつれ、「解釈」との付き合いは避けられない。

 

「あそこで○○が××するのがいい。なぜなら……」「○○だったキャラが~~~を経て▲▲になるから感動する」。受け手のそれぞれが、作品・物語・キャラクター・設定・演出、その他諸々に無数の「解釈」を加えていく。作品の感想は決してひとつでは無く、受け取った人の数だけ存在する。つまり、観た・読んだ・体感した人の数だけ、そこには「解釈」が生まれるのである。

 

『ホワット・イフ…?』は、全世界のMCUファンが持つ個々の「解釈」と、絶対神・マーベルとの、仁義なき戦いであった。「解釈」が無数に存在するからこそ、ファンフィクション、つまり二次創作が生まれ出る訳で、マーベルスタジオはその無限ともいえる「解釈」に真っ向から挑む格好になる。展開が違っても、出会いが違っても、イベントが違っても、「あのキャラクターならこんなふうに行動するのではないだろうか」。そういった「解釈」戦争において、『ホワット・イフ…?』は、非常に秀逸な立ち回りを見せたのではないだろうか。

 

超人にならなくても祖国のために高潔さと勇気で活躍するスティーブ・ロジャース。一歩違えばその発明でもって凶行に及んでいたハンク・ピム。シチュエーションが変わっても復讐心と実行力が全くブレないキルモンガー。マーベル公式による様々な「解釈」の披露は、全世界にいる多くのファンが頷くものばかりだったと言えるだろう。

 

もちろん、「そうじゃない!○○はそんなこと言わない!」という人もいただろうが、そういった人には「マルチバースの別世界のことなのであまり気にしないで」と設定面でガス抜きを用意する。二重にも、三重にも、公式が「解釈」の一例を示すことに自覚的な作りであった。

 

綿密に組み上げられた物語というのは、さながら、ジェンガのようなものである。全てが見事に、綺麗に、隙間なく組み上がっているからこそ、「そこ」がズレれば、当然のように「あっち」もズレる。押し出されり、崩れ落ちたり。反対に、「そっち」に新しく積み上げたとすれば、続けて「こっち」にも伸びていくだろう。

 

MCUの作品は平均的なクオリティが非常に高く、それは主に脚本面での練り込み=ブラッシュアップの成果だと思われるが、そのパズルとしての精度の高さが、『ホワット・イフ…?』のアプローチを何倍も面白くしている。多くのファンは、「解釈」の末に辿り着き、すでに「MCUのジェンガ」をよ~~く知っているのである。形を他人に説明できるほどに。だから、そのジェンガのどこがズレたらどんな影響が出るのか、条件反射のように脳内で二次創作が走り出す。それ程までに、マーベルスタジオに魅了され、調教された人が、全世界にどれだけいるのだろうか。

 

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ソーが一作目と同じイベントを経なければ、当然、お調子者のボンクラ王子のままなのだろう。そして地球に遊びに来る。あり得る。ロキとも仲違いしていない。あり得る。地球が事実上ピンチになるので、キャプテン・マーベルが飛来して阻止しに来る。う~~ん、"あり得る" !

 

知っているはずのジェンガが形を変えた時、それは、我々ファンとマーベルスタジオとの、「解釈」知恵比べ合戦の火ぶたが切って落とされることを意味するのだ。そしてその勝負は、あろうことか、毎度鮮やかに公式が白星を飾る。「あり得そう」の総量とその深さに感服し、こちらは笑顔で負ける。そう、『ホワット・イフ…?』は、笑顔で負けるのが楽しいのである。「公式~~~~~!!!!お前ってやつは!!!!!」と、嘆き、匙を投げ、胸が躍る。「公式が最大手」という言い回しがあるが、これがドンピシャ当てはまる作品だったと言えるだろう。

 

これの何がすごいかと言うと、ここまで巨大に膨れ上がったユニバースにおいて、MCUの公式自身が自分たちの作品にしっかりとした理解を深めていることである。「作りっ放しになっていない」ことが、『ホワット・イフ…?』を通してよくよく実感できる。その作品で何をテーマとし、キャラクターに役割を与え、展開を紡いだのか。そういった自覚の果てに、『ホワット・イフ…?』が成立する。それそれの結末をいじくり回し、ネームドキャラが死屍累々にも関わらず、公式から作品への深い愛を感じることができるのだ。そういった意味で、「究極の二次創作」であり、「公式が最大手」であり、「至高のファンサービス」でもあった。本当に、ありがとうございました。

 

また、物語の展開上においても、『ホワット・イフ…?』はMCU自身に非常に自覚的であった。つまり、「MCUは何が面白いのか」という、根幹の部分である。

 

MCUはこれまで、それぞれのヒーローに既存のジャンルを掛け合わせる形で、そのジャンルの持つ強さと自社ヒーローの特性をマッチアップさせてきた歴史がある。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は言うまでもないスペースオペラのど真ん中を往き、『アントマン』はファミリームービーの面白さをしっかりと汲んでみせた。『スパイダーマン:ホームカミング』ではハイスクールものを、『シャン・チー / テン・リングスの伝説』ではカンフー映画を。自社ヒーローと何かのジャンルにタッグを組ませ、そのジャンルが旧来より持っている強さや特性をしっかりとキャラクターに馴染ませ、反映し、物語を展開させる。だから、味が違ってもどれも面白い。

 

そんなMCUは、一体「何が面白いのか」。それは、「異なる世界観で生きたヒーローたちが」「有事の際に作品の垣根を超えて出会い」「まさかのドリームチームを組む」、だから面白いのである。

 

つまるところ『ホワット・イフ…?』は、「スター・ロード × スペースオペラ」や「アントマン × ファミリームービー」の図式で言うならば、「MCU × MCU」なのである。MCUのキャラクターにジャンル名「MCU」をマッチアップさせる。「異なる世界観で生きたヒーローたちが」「有事の際に作品の垣根を超えて出会い」「まさかのドリームチームを組む」、といったMCUが創ったジャンルを、MCU自身でやる。「もしも」で生まれたヒーローたちが、マルチバース全体の危機に集い、急造チームでウルトロンに立ち向かう。なんと面白く、燃えて、そして「見知った」展開だろうか。

 

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しかしこれは、むしろ、今後のMCUの避けられない課題とも言えてしまえる。

 

MCUは巨大になりすぎたからこそ、MCU自身を決して無視することが出来なくなってきた。公開を控える『エターナルズ』では、わざわざ、「彼らの敵はあくまでディヴィアンツなのでサノス関連には関りを持たなかった」という「言い訳」(あえてこう表現する)を用い、ニューヒーローをMCUに参戦させている。『シャン・チー』にも、そういった構造上の「言い訳」が若干感じられたところである。

 

今後のMCUには、こういった「MCUに自己言及しながら一応の整合性や理屈を担保しつつMCUを拡大させる」という、ある種ヘンテコな課題をエンタメパワーでぶち破っていく姿勢が求められるのだろう。

 

すでに、相当綺麗な形でジェンガが組み上げられている。そこに新しいピースを加えるのだから、当然、「加えた瞬間」は歪になる。それを、時に先回りしながら、時に後付けしながら、また別の形での「綺麗」に持って行かなければならない。これまでもその傾向はあったが、サノスという全世界に未曾有の影響が出たイベントを経て、いよいよそれは絶対的な命題にのし上がってしまった。

 

下手を打てば、こだわりすぎたが故の窮屈さにも繋がってしまうこの課題。そこに本格的に踏み出していく第一歩として、「公式が最大手として『解釈』を披露する」という精神的な「仕切り直し」として、『ホワット・イフ…?』はとても有意義なシリーズだったのではないだろうか。MCUの「MCU自己言及っぷり」は、このシリーズが過去最高に振り切っていただろうから。

 

 

感想『映画トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!』 救いきれない「トロプリ概念キラー」との出逢い

娘の成長と共に『アンパンマン』映画館デビューを果たしたのが、2019年7月のこと。そこから更に2年、この2021年に『プリキュア』映画館デビューを無事に完遂。鑑賞前夜から遠足以上の盛り上がりを見せた娘は、当日早朝、誰よりも早起きして着替えを済ませていた・・・。にも関わらず、映画館に向かう車中で見事な爆睡である。守りたい、この寝顔。

 

『アンパンマン』を2作品、そして『クレヨンしんちゃん』に続き、今回の『プリキュア』で娘を映画館に連れて行くのも4度目。映画館に通う趣味を持って久しいが、そんな見知った環境であっても、親子連れで出向くと様々な気付きを得られる。座高を上げるためのクッションの使用や、鑑賞マナーを呼びかける館内CMへの我が子の反応。トイレのためにあえて通路側を確保する家族もいれば、限界いっぱいの最前列に満面の笑みで座っている子もいる。物販コーナーでは(おそらく子供の目の高さに合わせて)プリキュアのグッズは最下段に置かれているし、スタッフの皆さんは娘相手にわざわざ腰を落として消毒と検温を促してくれる。コロナ禍も相まってか、「家族で映画館に行く」というナンデモナイ行為にやけに価値を感じてしまう。

 

そんなこんなで、封切り2日目に映画館に駆けつけた『映画トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!』。公開ギリギリのタイミングで「入場者特典で(限定ハートクルリングに加えて)イヤリングも貰える!」と周知され、先着順とのことで少しドキドキしたものの、無事にそれらもセットでゲット。館内が明るい内に娘の指にリングをはめ、いざ開演である。

 

『映画トロピカル~ジュ! プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪! 』主題歌シングル (CD+DVD盤) (特典なし)

 

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今作は、『トロピカル~ジュ!プリキュア』初の単独映画に、2010年放送の『ハートキャッチプリキュア!』がゲストで参戦する形式。

 

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前回の記事の通り、私は娘きっかけでトロプリを観たのが事実上「人生初のプリキュア」にあたるので、ハトプリのことはさっぱり分からない始末。しかし、物心ついた頃から(これはプリキュアに限らず)「ゲスト出演する過去作キャラクターの登場作品は可能な限り予習しておきたい」という病を患っているため、急いでハトプリの勉強を開始。

 

さすがにTVシリーズ全話は追いつけなかったので(無念!)、メイン2人のコンビ結成から立ち上がりの本編5話までと、単独映画『映画 ハートキャッチプリキュア!花の都でファッションショー…ですか!?』を鑑賞。主要キャラクターのおよその役割と、作品のテーマについては、一通りさらえたかな・・・と。というか、シンプルにめちゃくちゃ面白くてびっくりです。その人気は伝え聞いていたが、なるほど頷ける。

 

 

予習の甲斐もあってか(あってか?)、『雪のプリンセスと奇跡の指輪!』、ハトプリのメンバーが面白いくらいに本筋に絡んでくる。ライダー・戦隊映画における春映画文脈のような「ぬるっとなんとなく出てくるレジェンド」の域には、全く留まらない。

 

むしろ今作、トロプリのメインテーマにいつもと全く違う方向からアプローチしている意欲作なのだが、その「トロプリらしさ」と「いつもと異なるアプローチ」の間に立って器用に緩衝材として機能していたのが、ハトプリの面々、果てはハトプリという作品が持つテーマ性であった。例によって他のプリキュア作品は分からないのだけど、割と理想的なレジェンド出演だったのではなかろうか。

 

以下、ネタバレ込みで本作の感想を記す。

 

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トロプリの概念として作品内で繰り返し語られるのは、極めて刹那的な「今やりたいことをやる」、である。これは作品テーマの擬人化ともいえる夏海まなつの座右の銘であり、敵ラスボスが「あとまわしも魔女」と設定されていることからも、その対立軸は明白だ。ヤラネーダは人々のやる気を奪い、「今やりたいことをやれない」ステータスに貶める。それを奪還し、市民に返還、果てにヤラネーダを撃破することで、「やりたいことがあるならやる!」という心情や信条を防衛する。人々のやる気を守り、結果的に行動を促すことが、彼女らの使命とも言えるだろう。

 

プリキュアをやるのも、部活を立ち上げるのも、何の代償も支払わずに人魚が足を獲得するのも、仲間に感化されて変わっていくのも、それは彼女たちが「そうしたい」と願ったから。トロプリは、常に「やりたいことをやる」を促し、変化を賛歌してきた。学校行事や部活といった一見すると「繰り返される日常」と言えるサイクルにこそ、「変化」が映える。もちろん、「変化」は怖い。勇気が要る。だからこそ、メイクでアゲて己を奮い立たせる。そういった、驚くほどパワーに満ちた前向きな姿勢を、日曜朝に継続して体現してきたのである。

 

そんな彼女らが相対したのは、雪の王国・シャンティアのプリンセス、シャロン。ローラと同じ次世代の女王かと思いきや、その実態は壮絶であった。はるか太古の彗星衝突により王国はとっくに壊滅。シャロンは彗星のパワーで疑似的に生き永らえながら、幻の王国を再建していたのである。トロプリメンバーを始めとするゲストで誘致した面々を彗星パワーで隷属し、シャンティアの新たな国民に仕立てあげようとしていた。結果として、その野望はダブルプリキュアチームにより挫かれ、鎮魂の後にシャロンは消滅。言うまでもなく、シャンティアの再建は叶わぬ夢と終わるのである。

 

トロプリらしからぬ、非常にしっとりとしたお話。ローラを軸に歌と鎮魂のフォローは設けられているものの、本質的には「救えない」構造。本編がコメディ要素満載、溢れる元気なオーラで突っ走る物語なので、単独映画でもそういった「陽」の雰囲気を期待した人は少なくなかっただろう。お話の温度だけで捉えると、正直、これほどに「トロプリらしくない」物語もない。

 

しかし前述のように、アプローチの角度が真逆という話であり、本質的には間違いなく「今やりたいことをやる」、なのだ。つまり、「今やりたいことをやる」トロピカる部 VS 「今やりたいことが失われた」シャロン、という構造。父や母の背中を追い、笑顔溢れる国を治め、皆に慕われる女王となる。間違いなく、これがシャロンの「やりたいこと」であった。しかし、無残にも天災によって可能性を奪われた結果(人為的ではなくあくまで天災というのがまたむごい)、「やりたいこと」が絶対的に叶わなくなってしまった。

 

「あなたの今やりたいことは何!?」と、まなつは常に問いかけてきた。自分にも、仲間にも、そして躊躇いなく敵にもそう問いかけるのだろう。そこに、「やりたいことはある。が、もう絶対に叶わない」という存在をぶつける。雪の王国や彗星といったファンタジー要素で着飾ってはいるが、実態としては、「陸上選手を目指していたのに事故で両脚を失った」「何よりもバイオリンを奏でたいのに指が動かなくなった」といった、とても残酷なステータスである。仮にそのような人々に、夏海まなつが出会ったら。『トロピカル~ジュ!プリキュア』が出会ったら。「今やりたいことをやろう!」などと、圧倒的な「陽」の表情で接せるだろうか。

 

そういった意味で、シャロンは強烈な「反トロプリ概念」、あるいは「トロプリ概念キラー」と言えてしまうだろう。物語自体が最も大切にしてきた、そして訴え続けてきた、コアの部分。それが絶対的に通用しない存在。構造として、真っすぐに救うことは出来ない。肉体は勿論、王国再建という意味でも救済は叶わない。トロピカる道筋を完全に断たれた相手に、どのような答えを示すことができるのか。

 

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・・・といった作品テーマの構造に対し、本作は主にふたつの案内を用意し、シャロンを鎮魂というゴールに導いていく。

 

ひとつは、次期女王という同じ目標を持つローラの存在。彼女の背景をギミックに、シャロンの半生に誰よりも感情移入できる存在を設定する。ダメ押しで「仲間の攻撃からシャロンを庇って倒れる」という物理的なダメージまで用意することで、シャロンに対する「理解」と「同情」を積み重ねていく。彼女は既に死んでおり、王国再建も無理なのだから、後はどれだけその心にアプローチできるか、である。近い境遇にあるローラを実質的な主人公に据えることで、シャロンの精神性に手を差し伸べる。

 

そしてもうひとつ、ここでハトプリの面々が活躍する。映像(バトル)としての活躍もそうだが、何より作品の概念として、トロプリの面々に「魂の救済」という選択肢を与えるのである。「今やりたいことをやる」のがトロプリであれば、「枯れそうな心の花を救済する」のがハトプリ。トロプリとシャロンという、水と油のような正反対な概念のぶつかり合いに、緩衝材としてハトプリが機能する。つまり、トロプリ単体ならおそらく辿り着けない「相手の『今やれない』を認め諭す」「だからこそせめて魂は救う」という "譲歩" のスタイルを、見事に引き出しているのである。そう、本作は、世にも珍しい、「トロプリ概念の妥協案」に着地していくのだ。

 

こういった作劇としての手順を踏み、その果てに、トロプリの面々は「繰り返される日常」に戻っていく。雪の王国でも、グランオーシャンでもない、ショッピングモールの簡易ステージという「日常の象徴」のような舞台で、シャンティアの歌を披露する。シャロンの「今やりたいことがやれない」という結果を受け止めた彼女達は、そこに生きた精神性を汲み、歌い継がれる「歌」という手段で「日常」に永遠性を投げかけるのだ。「今やりたいことをやる」という極めて刹那的な概念が、相反する「永遠」を知る。それが、この映画の着地点だったのではないだろうか。

 

シャンティア~しあわせのくに~ エンディング主題歌Ver.(映画サイズ)

シャンティア~しあわせのくに~ エンディング主題歌Ver.(映画サイズ)

  • キュアサマー(CV:ファイルーズあい), キュアコーラル(CV:花守ゆみり), キュアパパイア(CV:石川由依) & キュアフラミンゴ(CV:瀬戸麻沙美)
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そしてこれは同時に、本筋であるTVシリーズのクライマックスを示唆するものであると、どうしても考えがそこに及んでしまう。

 

映画にて、救いきれない「トロプリ概念キラー」が登場し、先輩プリキュアのテーマを輸入することでその課題と向き合ったのだから、やはりTVシリーズでは「自力で突破」が期待されるところである。つまり、「あとまわしの魔女!あなたの今やりたいことは何!?」、のパターンだ。

 

激闘の果てに、キュアサマーがそう啖呵を切る。あとまわしの魔女がトロプリの概念に感化され、「変化」し、新しい「日常」に踏み出す。良い意味での「陽」オーラでの妥協なし&ゴリ押しこそを、どうしても拝みたいと思ってしまうのだ。むしろこういった方向性は、作品テーマが顕在化しやすい単独劇場版でこそ展開されると思っていたのだが、そうならなかった以上、大本命のTVシリーズでやってくれるのかなぁ、と。(とはいえ仮にどんな展開になったとしもおそらく拍手しているだろう程に同作への信頼は既に強固な訳ですが)

 

話は戻って映画の話。前述のように、とても「トロプリらしくない」のに「間違いなくトロプリのテーマを扱っている」本作。その重要なポジションに立つローラとペアで活躍する、キュアサマーことまなつ。クライマックスでは、シャロンの慟哭を受け止めんとするローラの腕を無言で掴むという「最強彼氏ムーブ」が披露された訳だが、物語がこのふたりにフォーカスする前振りとして、しっかりハトプリの要素が下敷きにあるのが上手い。序盤、些細な喧嘩の後に、まなつに向かって「自分にはつぼみがいたから」と語ってみせるえりか。ふたりはプリキュア、ならぬペアの尊さをここで一度描写してからの、ローラにリップを塗るサマー、そして「最強彼氏ムーブ」。そつがない。

 

そもそも、劇中ではしっかりとは語られていないが、ハトプリの面々がどうしてシャンティアの戴冠式に招かれていたのか。序盤の招待状のシーンを参照すればその背景は明らかなのだが、だからこそ彼女達の精神性がトロプリを引き立てるという構造に無駄がない。重ね重ね、かなり理想的なレジェンド出演である。オタクは、「ただ出る」より「作品テーマや概念を引っ提げて演(で)る」に弱い。

 

他にも、変身バンクがフル尺でめちゃくちゃ長かったけどメンバー毎に恒例BGMがアレンジされていたのが聴き応えあったとか、あの聡明なキュアムーンライトをギャグの前振りに使ってしまうくるるんの圧倒的なマスコットパワーとか、ナチュラルにまなつを珍獣扱いするあすか先輩とか(「寒いって知ってるか?」!!!!)、限定スタイルにチェンジした際のパパイアのロングヘア―が眩しいとか、ちゃんとクライマックスの必殺技がハトプリのパワーを受けたフォルテッシモ女神だったりとか(正式名称が分からない)、ひとりで転がって雪玉化するまなつの安定の異常性とか、語りたいトピックが多い映画であった。

 

とはいえ、娘は「期待していたもの」とはやや違ったようで、終わったあとは少ししょんぼりとしていた。分かる分かるよ君の気持ち。もっとこう、笑顔で「楽しかったッ!!!」と言い放てるようなやつを、期待していたんだよね。でも、帰りの車の中で、早くも覚えたのか何度か『シャンティア〜しあわせのくに〜』のメロディを口ずさんでいたから、何か心に残るものがあったのなら、お父さんは嬉しいんだよ。

 

そういうお父さんはね、その曲の『エンディング主題歌Ver.』のラスサビ、水樹奈々さんによるハイクオリティ歌唱力の圧を帯びた「芽ェぶゥくゥゥーーー春ッ!!」からのファイルーズあいさんがまなつボイスで歌うあのすっとぼけたような「マナツノタイヨ~~っ!!!」の温度差がクセになってたまらんのだよ。

 

 

漫画・アニメ実写化の「成功」とはなにか

何かと、良い意味でも悪い意味でも盛り上がる「実写化」。主に漫画やアニメからの実写映像化を指すが、2021年1月にこれを語るのならば、まずは2020年末に放送されSNS等で話題沸騰となったNHK制作『岸辺露伴は動かない』に触れねばならないだろう。

 

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・引用 https://twitter.com/nhk_dramas/status/1316259949366964224

 

『ジョジョの奇妙な冒険』の実写映像化には、2017年公開の映画『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』がある。当時の感想ブログにも書いたが、私はこの作品が非常に気に入っており、ストーリーを整理しながら一本の映画にまとめる手順としては、かなり真摯な作りだったと記憶している。興収が10億を割っていたり、メインキャストの逮捕だったりで、続編が望み薄なのが非常に哀しい・・・。

 

 

そんな前提を経ての「再度の4部実写化」だったこともあり、発表後も、様々な期待と不安の声が飛び交っていた。しかし結果として、「理想の実写化」のひとつの形を力強く示すような作りになっており、端的にこの上なく面白かったのだ。

 

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そもそも、『岸辺露伴は動かない』シリーズは、荒木先生が過去何度も描いてきた奇怪・ホラー短編の文脈にあり、そこに岸辺露伴という語り部を設けることで「ジョジョのスピンオフ」という性格を付与→シリーズ化したものだ。なので、原則として露伴は「動かず」に、奇妙な物語を観測する立場として登場する(が、その初期コンセプトは後に音を立てて崩壊し、露伴は潜ったり走ったりする)

 

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つまり、「オムニバス」「短編集」という土壌に岸辺露伴が追加されている構造なので、これをどのように連続ドラマとして映像化するのか、と。何を削り、どこを膨らませるのか。どのように連続性を設けるのか。

 

お出しされたのは、「スタンドは発動するけど『スタンド』の概念やビジュアルは出さない」「原作ではドラマより出番の少ない女性編集者をワトソン役に据えて物語を進行させる」「3話連続で登場するキャストを設けて一貫性を演出する」等々、「ジョジョの映像化」という課題に対してこの上なく解像度の高いアプローチの数々であった。第1話の冒頭で原作にはない強盗シーンを追加し、岸辺露伴のキャラクターを視聴者に説明する。第3話では原作のストーリーを大幅に改変しながら「血脈の物語」というジョジョには欠かせないテーマに視線を送る。心の底から続編を期待してしまう、そんな映像化に仕上がっていた。

 

令和にもなって「実写化」の一報だけで脊髄反射に怒り狂う方々には、私はもう心の底から決別を表明しているのだが、じゃあその次のステップとして、どうやったら実写化は「成功」するのか、というレイヤーが存在する。まあ、そんなの分かるはずもなく、分かっていたら私がとっくにプロデューサー業で食っていけている訳で、当然のようにそこに絶対的な公式は存在しない。そもそも、この場合の「成功」とは何なのだろう。「売れた」ことなのか。「面白かった」ことなのか。「原作ファンが喜んだ」ことなのか。「新規ファンを獲得した」ことなのか。

 

もっと「そもそも論」に踏み込むと、「なぜわざわざ実写化するのか」という問いが存在する訳だが、これが『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』の作者・赤坂アカ先生の2019年当時のツイートが分かりやすい。

 

 

 

オタクとして生活していると忘れそうになるが、「漫画を読まない人」「アニメを観ない人」というは、当然存在するのである。というより、もしかしたらそちらの方がマスなのかもしれない。生身の人間が演じていて、知っている俳優が演じていて、そうして初めて「触れる」段階に至る。「漫画の連載を100年やっても読まないだろうなっていう遠い層」は、すぐ近くに沢山いるのだ。(念のため補足すると、これは単に生息地の違いの話なので、どちらが上とか下とかそういう馬鹿なことを言うつもりは毛頭ない)

 

そういった人たちに向けて実写化することで、作品が届く。何より「認知」の分母は大切だ。普段は漫画を読まないけれど、これをきっかけにちょっくら手に取ってみるかもしれない。そうして、実写版が公開されるタイミングで、原作漫画は書店で平積みになる。漫画アプリで無料公開話数が増えてプッシュされる。完全版や番外編や新作読切が出たりもする。作品の「成功」が判断できる前段階で、「実写化」における目的の大部分は、すでに達成されているのかもしれない。あるいは、「実写化は実写化が決まった時点で成功」という、禅問答のような話か・・・。

 

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よく、「原作への理解度が高い」ことが、実写化の成功要件として叫ばれることがある。これもまた非常にふわふわした表現だが、言いたいことはよく分かる。要は、上っ面だけを模倣するのではなく、その作品の根幹の部分、あるいは魂を、映像に真摯に翻訳して欲しい、と。こういった話の際に、「(このクリエイターは)原作を読んでいないのか?」という怒号が飛ぶことがあるが、まあ、主要スタッフ全員が原作を全く参照していないなんてことは、常識的にあり得ないだろう。製作費がいくらだと思ってるんだ、という話である。

 

ただ、前述の赤坂アカ先生のツイートが皮肉にも告げているように、「実写化のメインの客層は原作ファンではない」という、残酷な事実がここにある。だから、原作ファンを手厚く接待する必要は無く(あるいはそこは「切り捨てても構わない配慮」に数えられ)、出演俳優にオイシイ構造にしてみたり、一本の映画の尺に収めるために唐突な切り貼りをしてみたり、そういったテクニックが発生してしまう。でもそれは、作り手とメインの客層にとっては十二分な「成功」かもしれなくて、「失敗」判定をしているのはマイノリティである一部の原作ファンだけ、なのかもしれない。何とも、世知辛い話である。

 

「honto」が実施した2018年の「漫画の実写映画化に関する調査」がある。これによると、「Q2.好きな漫画が実写映画化されたときに、映画館まで見に行ったことはある?」の問いに対し、男性の「ある」は45.5%、女性の「ある」は46.0%だ。つまり、原作ファンの4割以上は、実写映画を観に行っているのだ。これだけでも、「成功」の背景が見て取れる。ただ単にオリジナルの作品をこしらえて映画化するより、原作がある作品を選んだ方が、「原作ファンの4割」というほぼ確約された興収が見込めるのだ。やっぱり、「実写化は実写化が決まった時点で成功」なのかもしれない。

 

話を元に戻す。「原作への理解度が高い」とはよく言ったもので、つまりはオタク用語でいうところの「解釈」だ。原作ファンの、原作への「解釈」。この作品のポイントはどこで、絶対に外せないシーンはあそこで、こういったテーマが通底しているべきだ、という「解釈」。対する、作り手の「解釈」。この原作を使って、どう改変すれば面白くなるのか。キャストの演技との相乗効果はどの程度見込めるのか。適切な宣伝の切り口は何か。そういった、ビジネスの視点をが中心となる「解釈」。それら双方の「解釈」が奇跡的に一致した時、もしかしたら、そこに理想郷が生まれるのかもしれない。

 

例えば。私が「実写化の成功例は?」と問われたら、一番に挙げるのは『帝一の國』だろう。これは、原作ファンが同作を読んで楽しんだ「エキセントリックなキャラクターたちの群像劇」「昭和を舞台としたピカレスクロマン」「ブロマンスとコメディの絶妙なバランス感覚」といった「解釈」が、作り手による「売れ線のイケメンを揃えた超話題作」「原作終盤の展開を巧妙に引用してまとめ上げる改変」「渡邊崇によるスリリングかつ雄大な音楽」等の「解釈」と、見事に一致した好例ではないだろうか。未見の人がいたら強くオススメしておきたい、大好きな一作である。

 

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また、「成功例」としてよくタイトルが挙がる『るろうに剣心』。これは実は、原作における和月伸宏先生特有の、アメコミ文化に影響を受けたコミック活劇としての要素はかなり大胆に削られている。「るろうに剣心らしさ」は、実はめちゃくちゃスポイルされているのだ。

 

その代わりに持ち込まれたのは、大河ドラマ『龍馬伝』を作り上げた大友啓史監督の世界観や技術。徹底した美術の作り込みと、「汚し」を主体とした衣装にメイク。幻影的で美しいライティングとひりつく空気感。そういった世界観に、更に、谷垣健治氏による緻密なアクションが加わる。「少年漫画らしく必殺技でドカン!」という原作のパターンを捨て、柔術を織り交ぜた手数の多い高速アクションを披露する。

 

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するとどうだろう。「るろうに剣心らしさ」は実はごっそり無くなっているのに、この実写版の「明治剣客浪漫譚」はアリだぞ、と。そう思わされてしまう。原作の少年漫画然とした面白さの中にも、確かに、この殺伐とした空気や時代感は流れていたのだと、改めて気付かされるような・・・。作り手の、作品を「当てる」ための座組みやアプローチといった「解釈」が、ともすれば、原作ファンが持っていた「解釈」をやや力業で引き寄せる。そういった「成功」パターンも、あるのかもしれない。

 

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つまるところ、「解釈」の数だけ「成功」も「失敗」も存在する。

 

原作ファンといっても、十人十色なのだ。原作キャラクターの容姿を髪の色や服装までばっちり真似ると「コスプレ大会だ!」と揶揄され、実写映像向きに全体の色を押さえた見てくれにすると「誰?」「こんなのは○○じゃない」と揶揄される。原作通りの話運びにすると「知った展開すぎてツマラナイ」と文句を言われ、原作から足したり引いたりすると「なぜ改変したんだ!?」と文句を言われる。オタクの「解釈」は一種の宗教戦争なので、その構図がそっくりそのまま実写化の舞台にも持ち込まれる。どうしようもない。『帝一の國』や『るろうに剣心』を心の底から忌み嫌う原作ファンだって、きっと、いや絶対に、いるのである。

 

その点、NHKドラマ『岸辺露伴は動かない』については、無数の「解釈」がかなりの割合で同じ枠の中に集うことができたのではないか。作り手の、「ドラマ『カルテット』での癖のある演技が忘れられない高橋一生を主演に迎える」「同作のアニメにも参加した小林靖子女史をスタッフに加える」といった、この度の実写化に対する「解釈」は、おそらく多くの原作ファンが持つ「解釈」に肉薄していた。

 

一方で、「解釈違い」が起きそうなポイントはしっかりと認識し、避ける。同作の土橋圭介プロデューサーは、インタビューで「とてもNHKでVFXバリバリでスタンドを表現する予算は組めない」と述べているのだ。無理にやるくらいなら、むしろやらない方が「解釈」の解像度が増すパターン。そして、「江戸川乱歩や横溝正史に通じるミステリーやホラーのような雰囲気」「心理戦や知恵くらべみたいな要素」を軸に勝算を見込んだという。おいおいおいおいおいおいおい。それはまさに、ジョジョの、特に4部が持つ大切なポイントじゃあないか!

 

・・・といった経験も踏まえつつ、仮に自分の中で「失敗」に数えられる実写化作品と出会ってしまった時は、それはひとつの「解釈違い」であり、誰かにとってはきっと「成功」だったのだと、そんな「not for me 精神」を忘れずに構えていきたいものである。

 

藤原竜也主演『DEATH NOTE』はオリジナルの結末がスリリングだけどあのタイミングで月がLの死亡を確実に確認しないのはやっぱりどうしてもおかしいし、山田涼介主演『鋼の錬金術師』はクライマックスで兄弟がろくに活躍しないのが大問題だけど兄弟喧嘩のシーンでは思わず涙してしまったし、小栗旬主演『銀魂』は確かにめっちゃ爆笑したけど原作とアニメが作り上げた悪ノリ大正義の文脈と福田雄一監督の趣味に依存しすぎだったりと、私ひとりの中でも「解釈一致」と「解釈違い」が細かく戦争を起こしているのである。こんなの、片がつくはずがない。

 

 

TENETくんと僕

僕「クリストファー・ノーラン監督の最新作!『TENET』!楽しみだなあ」

 

TENET「こんちわ。予告、観る?」

 

僕「もう何度も観たよ。予告だけじゃストーリーが全然分からないけど」

 

TENET「映像すごいっしょ?」

 

僕「相変わらず抜群の雰囲気があるよね」

 

TENET「実際に観る感じ?」

 

僕「観る観る!こうして公開日のレイトショーに来てるぞ!」

 

TENET「楽しんでくれよな」

 

僕「サンキュー、TENETくん!」

 

TENET「それでさ、開幕、取り急ぎテロ起きるから」

 

僕「取り急ぎテロ!?」

 

TENET「まずはテロが起きる感じなんすよ」

 

僕「これは誰がどういう意図で起こしたテロなんだろう。主人公の立ち位置は・・・。何かを奪い合ってるのか? 奪還作戦? いや、要人の逃がし? まあ、観ていればそのうち理解できるでしょう」

 

TENET「いや、感じて」

 

僕「え?」

 

TENET「感じて」

 

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僕「しかし流石のノーラン監督だよな。オペラのシーン、エキストラがすごい。爆破もかなり大規模だ」

 

TENET「感じた?」

 

僕「いや、まあ、感じた。取りあえず感じたよ」

 

TENET「見て!なんとなく偉い人が出てきたよ!」

 

僕「お、出た!なんとなく偉い人!ここ予告でも観た船のシーンだ!タイトルの単語が出てくるシーン!」

 

僕・TENET「「"TENET"」」

 

僕「ふぅ~~!!これあれでしょ!これ以降、事あるごとにTENETが会話の中に出てきて、お話の推進力になるやつでしょ!」

 

TENET「もうあんまり出ないよ」

 

僕「え?」

 

TENET「ほら、次いくから」

 

僕「うん」

 

TENET「ちゃんと説明聞いてね。弾が銃に戻るんだよ」

 

僕「うん、ちょっと待って。あのさ、エントロピーってなんだっけ」

 

TENET「弾が戻るの!」

 

僕「いやだから」

 

TENET「戻るの!!」

 

僕「はい」

 

TENET「ちゃんと説明聞いてる? こっちが原因、こっちが結果。はい、リピートアフタミー」

 

僕「げんいん・けっか・げんいん・けっか・・・」

 

TENET「ね? だから戻るんだよ」

 

僕「え?」

 

TENET「戻るの!!」

 

僕「はい」

 

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TENET「よし、裏社会の人に会いに行こう!」

 

僕「待って待って。その人は何をしている人だって? 武器商人? う、うん、なるほど。いきなり話が進むけどまだ大丈夫。続けて」

 

TENET「バディのイケメン、お出ししとくね」

 

僕「バディのイケメンだ」

 

TENET「かっこいいスパイアクションを見て!!」

 

僕「おっ、すげぇ。スタントマンじゃなくてガチやんけ。バンジーのシーン、照明もすごくいい感じ」

 

TENET「かっこいいスパイアクションを見て!!」

 

僕「ぶっちゃけ今何のために侵入しているのか100%理解できてないっぽいけど、まあ、まあ」

 

TENET「かっこいいスパイアクションを見て!!」

 

僕「観てる観てる。分かったから」

 

TENET「この辺りで、色々と説明していくね」

 

僕「うん。頑張って聞くから。よろしく頼むよ」

 

TENET「アルゴリズムっていうのが重要なんだよ」

 

僕「アルゴリズムって、あのアルゴリズムのこと?」

 

TENET「いや、アルゴリズムじゃない。でも、アルゴリズム」

 

僕「え?」

 

TENET「ほら、プルトニウムも重要だから!これは要チェック!」

 

僕「プルトニウムって、あのプルトニウム!?」

 

TENET「いや、プルトニウムじゃない。でもプルトニウム」

 

僕「え?」

 

TENET「アルゴリズムとプルトニウム。分かった?」

 

僕「いやだから、アルゴリズムとプルトニウムなんでしょ?」

 

TENET「違う!アルゴリズムとプルトニウムじゃない!いい加減にして!アルゴリズムとプルトニウムだから!」

 

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僕「うお!エリザベス・デビッキ!出た!身長高っ!!!!!すっご!!!!」

 

TENET「スパイ映画には幸薄そうな美人が似合うよね」

 

僕「わかるが」

 

TENET「とりま空港行こうね」

 

僕「絵を処分するんだろ? 分かるよ」

 

TENET「とりま飛行機を倉庫に突っ込ませるわ」

 

僕「え?」

 

TENET「だって気を逸らさないと」

 

僕「グリーンバック撮影?」

 

TENET「いや、1/1飛行機」

 

僕「え?」

 

TENET「飛行機」

 

僕「マジかよこれ・・・・・・」

 

TENET「ガチいくぞ~~~~~~」

 

僕「(思わず爆笑している)

 

TENET「はいドーーン!!」

 

僕「嘘だろ・・・やっば・・・」

 

TENET「はいここで逆行敵の出現!!アクション!!」

 

僕「え、誰? 敵!? え?」

 

TENET「感じて!アクション見て!」

 

僕「相手これ逆行してるじゃん!うわ!動きキッモ!すっご!うっわ!」

 

TENET「見て!ほら!感じて!」

 

僕「うん!理屈はちょっとよく分からないけどアクションすごい!」

 

TENET「え? 理解できてないの?」

 

僕「え?」

 

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TENET「飛行機すごかったでしょ?」

 

僕「うん、すごかった」

 

TENET「でも絵は処分できてませ~~~ん!!ざんね~~~~ん!!」

 

僕「嘘だろ・・・」

 

TENET「とりま海行くぞ」

 

僕「うん」

 

TENET「セイターが話してるの全部大事だから聞いててね」

 

僕「・・・もう少し親切に語ってくれると助かるんだけど」

 

TENET「え? じゃあ感じて」

 

僕「はい」

 

TENET「次は高速道路!」

 

僕「何のために高速道路でアクションが発生するのか完璧には理解できてないけど!」

 

TENET「いいから!」

 

僕「おけ!」

 

TENET「見て!高速道路を長期間封鎖して撮ったカーアクション!見て!」

 

僕「すげぇな。車を四方から挟むの、画がすごすぎる」

 

TENET「でしょ~~~?」

 

僕「うわ!なんか逆行してる車!」

 

TENET「ここよく見てて!」

 

僕「おけ!」

 

TENET「セイターきたよ!カーアクション頑張ったよ!」

 

僕「おけ!」

 

TENET「そしてここから逆行の扉を通るね!」

 

僕「え?」

 

TENET「まず向こうで拷問してるでしょ? あっちが赤で、こっちは青だから。ほら、分かった?」

 

僕「え? ちょ」

 

TENET「実はね~~~~、現在と未来の挟撃作戦だったんだよ!!!じゃじゃ~~~ん!!!!」

 

僕「え?」

 

TENET「よーし、扉を通るぞ!逆行だ!あ、マスクつけてね」

 

僕「う、うん。まあ、うん」

 

TENET「はい逆行~~~~!!見せ場連続っしょ!すごいっしょ!?」

 

僕「逆行して酸素が吸えないのは分かるんだけどさ」

 

TENET「ん?」

 

僕「例えばさ、気圧とかも逆になったらさ、そもそも体が存在できなかったりしないっけ? 何がどこまで逆行するルールなんだっけ? あれ、これ見当違いな疑問?」

 

TENET「感じて!!!」

 

僕「え?」

 

TENET「感じて!!!」

 

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TENET「見て見て~~~!あの逆行していたシルバーの車は~~~!主人公の車でした~~~!!!!」

 

僕「おけ。まあ、おけ」

 

TENET「はい!燃えたから凍ります!」

 

僕「ちょ待」

 

TENET「え?」

 

僕「いや、まあ、分からない訳じゃないけど。流石にそうはならんやろ」

 

TENET「なってるでしょ?」

 

僕「ならんでしょ」

 

TENET「なってるじゃん」

 

僕「ひぇ~~~~」

 

TENET「ほら、イケメンが色々説明するから!」

 

僕「TENETくん、僕、頑張るよ!イケメンの説明聞くよ!」

 

TENET「ちゃんと聞いて!ほら!」

 

僕「で、でた~~~~~ 肝心な説明が欲しい時にいい感じの雰囲気の比喩~~~~~」

 

TENET「ほら、感じた?」

 

僕「感じた・・・のか・・・?」

 

TENET「感じたね? ほら、もう一回空港行くよ!」

 

僕「うん。分かった。これアレでしょ。空港で襲ってきた逆行敵は、自分たちなんでしょ!」

 

TENET「ご名答~~」

 

僕「いいぞいいぞ。映画のシーン構成までもが逆行していく感じ!『インセプション』で浸らせてくれた物語の構造と映画の作りがリンクしていく感じ!これはもしや!クライマックスの舞台はオペラでのテロか!!そうなんだな!!!」

 

TENET「いや、もうオペラは行かない」

 

僕「行かない?」

 

TENET「行かない」

 

僕「行かないのか~~」

 

TENET「そういうのいいから。ほら、見て!逆行アクション!今度はさっきと視点を変えて撮ってるよ!」

 

僕「銃が手元に戻るの、そうはならん感じがあるけど、いいカットだよね」

 

TENET「なってるじゃん!」

 

僕「なってるんだよなぁ~~~」

 

TENET「理解できてきた?」

 

僕「細部はもう置いておくわ。主人公たちは、今、逆行状態のまま過去に行ってるんだよね」

 

TENET「過去という概念を捨てて!時間の方向は」

 

僕「いや、便宜上の表現の過去ね。多分ざっくりは分かってるから」

 

TENET「分かってんじゃん。じゃあここでもう一回、扉入るから」

 

僕「ん? 逆行世界でまた逆行するの? ちょっと待って一旦整理したい」

 

TENET「さっき分かってたじゃん」

 

僕「いや、分かって・・・分かって・・・分かってたのか・・・? 僕は分かっていたのか・・・?」

 

TENET「もういい!感じて!」

 

僕「はい」

 

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TENET「そしてスタルスク12に行きます!」

 

僕「スタルスク12」

 

TENET「赤チームと青チームに分かれます!」

 

僕「赤チームと青チーム。ちなみにこれは」

 

TENET「いいから!分かれるの!!!」

 

僕「はい」

 

TENET「ビルどーーん!ぎゅるぎゅる~~ どーーん!」

 

僕「映像すごいな」

 

TENET「理解できた?」

 

僕「ほんとごめん、若干眠い」

 

TENET「ダメ。見てほら」

 

僕「くっそ、映像良すぎるな・・・」

 

TENET「起きた?」

 

僕「ごめん眠い。公開日金曜にするなよ。仕事終わりのノーランはきついって」

 

TENET「ダメ。見て、イケメンの儚い見せ場!」

 

僕「イケメンの儚い見せ場だ」

 

TENET「ね? 理解できたでしょ? こういうことだったんだよ」

 

僕「つまり、どういうことだってばよ」

 

TENET「こういうことだから。ね?」

 

僕「うん」

 

TENET「楽しかった?」

 

僕「うん」

 

TENET「理解できた?」

 

僕「・・・・・・いや・・・」

 

TENET「楽しかった?」

 

僕「うん」

 

TENET「どうやって死にたい?」

 

僕「老衰」

 

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