結論 → 「『仮面ライダーギーツ』の物語の組み立てはすごく好きなタイプで、成功している面も沢山あるけれど、だからこそのモヤモヤも沢山あるよ。でも足し引きの結果、自分としてはちょいプラスです」。以下、本編。
『ギーツ』の詳細が発表された際、最初に抱いたのは「手堅いな」という感想であった。
『オーズ』『鎧武』を手掛けた武部直美プロデューサーがタクトを振る。メインでメガホンを握るのは中澤祥次郎監督、そして脚本は高橋悠也氏と、ここは『エグゼイド』のコンビ。『龍騎』みたく多人数ライダーが入り乱れる群像劇で、『イカゲーム』などの流行を押さえた「生き残りゲーム」もの。ベルトのバックルそのものが高単価のコレクションアイテムとなり、素のスーツに換装が可能。音楽には『電王』『ジオウ』の佐橋俊彦氏。ダメ押しで、主題歌に倖田來未×湘南乃風のコラボときた。
なんというか、バチバチに組み上がっている。「これは一体どうなるんだろう、ワクワク」というより、「ああいうのとか、こういうのとか、そういうのが観られそうだな!」のタイプ。
そして蓋を開けてみると、第一話がいきなり「このゲームの最終回」となる展開で、いわゆる「ループもの」のフレーバーを効かせた組み立てだったことが分かる。
主人公が仰々しい衣装に身を包んでいたり、初回タイトルに「F」の文字が入っていたりと(観た後だとファイナル=最終回だったことが分かる)、そういった仕掛けが発動するタイプの魅せ方であった。立て続けにライダーが参戦し、次々と脱落していく。そして物語が進行するにつれ、この繰り返されるデザイアグランプリが中継型のリアリティショーだったことが判明する。ハッタリと仕掛けを繰り返す、びっくり箱を取りそろえるような展開は、高橋脚本の得意とするところだろう。
あえて躊躇なく言ってしまうと、『ギーツ』の面白さは「ジャンルもの」の集合体、その組み立てそのものにある。
先に『イカゲーム』のタイトルを挙げたが、雑誌のスタッフインタビューでは『賭博黙示録カイジ』の文字も。ゲーム性を盛り込んだ「デスゲームもの」の区分でいけば、例えば山田悠介原作『リアル鬼ごっこ』から、このジャンルのひとつの金字塔である『GANTZ』、『王様ゲーム』や『神さまの言うとおり』など。グランプリの設定やギミックはまるで『フォートナイト』。デザスターを疑い合う構図は言うまでもなく『人狼ゲーム』。若い男女が共同生活を送る様子がショーと化す『テラスハウス』、インタビューを挟みながら参加者を絞っていく段取りは『バチェラー』、バラエティ然とした演出の数々は『ザ・マスクド・シンガー』あたりも挙げられるだろうか。
……と、まあ、取りあえずさらっと挙げてみたが、『ギーツ』はこれらにあるような要素を抽出し、仮面ライダーという作品の枠組みに押し込むことで、面白さを発揮させている。
流行を臆面もなく追いかけるのは東映のいつもの所業なので、それ自体は毎度おなじみ。『鎧武』当時も、多人数ライダーで争い合う構図は、AKBなどの大人数アイドルやスポーツチームへの応援の機運が高い時期にあったからだと、武部プロデューサーは当時から語っていた。
このような前提を踏まえて『ギーツ』を観ると、それはもう、非常に味わい深い。面白い。いわゆる「ジャンルもの」の魅力をあらゆる角度から輸入しているので、やはりそこには、一定の「見応え」が発現する。
ルール説明と見せしめのために初回でさくっと脱落するシロー。まず脱落者を出してゲームのシビアさを演出するのは、無くてはならないパターンだ。そして、次々と参戦してくる新しいライダーたち。加えて、バックルによる武装は換装可能である。これにより、ほぼ毎週のように「新しい組み合わせ」を堪能することができる。キャラクターと物量で新鮮味をゴリ押しし、とにかく続き続きに引っ張っていく方法論も、これまた様式美だ。
皆で一致団結すればすぐにクリアできるのに、キャラのクセともつれた因縁がそれを阻む。そうそう、それそれ。冒頭に上下黒帯で前回の様子が流れ、キャストの個別インタビューに切り替わり、画面の端にはロゴマークが躍る。そうそう、それそれ。ゲームマスターを相手取り、仕掛けた罠でハメて逆転する。そうそう、それそれ。スポンサーやプロデューサーの横槍がゲームのルールをアンバランスに変えていく。そうそう、それそれ。犯人捜しにおいて指令カードを手にしていたからといってその人が犯人とは断言できない。そうそう、それそれ。
「ジャンルもの」それぞれの良さを躊躇なくぶち込み、バランスを取りつつ物語に馴染ませていく。だからこそ、当然と言ってしまってはそれまでだが、しっかりと「面白さ」に繋がるのだ。
超人然&ミステリアスな雰囲気で常勝していく主役、極度のお人よしだからこそ何かを得ていく主人公、猫のように気ままに動きトリッキーな立ち位置も兼ねるヒロイン、自己中心的だがその非情さで他を圧倒するライバル。“いかにも” なキャラクターたちが織り成す、「ループもの」で「デスゲームもの」な「仮面ライダー」は、エンターテインメントの美味しいとこ取りをしたような旨味を持つ。
たまに、これに鬼の首を取ったように「パクリだ~!」などと叫ぶ人がいるが、私は微塵もそんなことは思っていない。そんな人は東映の作品をあと10年分くらい観てからもう一度考えたらいいんじゃないっスかね。(悪いオタクの発言)
とはいえ。「ジャンルもの」の利点を取り込んでいるのが よ~~く 分かるからこそ、不満点も抱いてしまう。『ギーツ』の面白い点は「ジャンルもの」にあるが、不満点もまた、「ジャンルもの」にあるのだ。
第一に。この手の物語の組み立てであれば、参加者(プレイヤー)それぞれの目的や理想が、上手い具合に食い違う必要がある。Aというキャラクターの動機を構成するドラマがあり、しかしBにも負けられない理由があり、Cにも死に物狂いとなる背景がある。AもBもCも、誰にも負けてほしくないが、全員は勝てない。その無情なバランスと煮え切らない感情こそが、尾を引き余韻を生むのだ。
しかしどうだろう。英寿の目的は依然として不明で、彼をどう応援するべきかいまいち分からない(それ自体が縦軸なのは重々承知の上で)。祢音の「愛が欲しい」は家庭環境によるものだとは分かるが、明確にどういった形を望んでいるのかが不透明。道長の「仮面ライダーをぶっ潰す」はただの逆恨みに近い。唯一、景和の「退場者の復活」がポピュラーで最も分かりやすいかな? ……という感じ。動機が交錯してこその「デスゲームもの」なのに、その動機の多くが抽象的なのだ。もう少し具体的に、立ち位置を明確にするようなものが、観たい。
第二に。ゲームのルール設定が、物語に紐づけきれていない。第一クールの「邂逅編」に至っては、どうにも後出しでゲームのルールが開示されるので、物語の盛り上がりと納得感が重ならない。「脱落」の要件や「退場」との違いは緊張感を保つ上で非常に重要なはずだが、それらの理屈を精密には説明しない。デザスターは生き残ってさえいれば勝ち残れる隠密の刺客のはずだが、それとは別に個別にミッションが与えられており、その意義やペナルティはよく分からない。
この手のジャンルであれば、まずルールの説明が視聴者に対してもフェアに開示され、その上で登場人物が応用したり裏をかいたりするのが見どころとなるだろう。しかし、「それっぽい」魅せ方を優先するあまりか、その「フェアな開示」が所々でおざなりになっており、「あ~!なるほど!」より先に「え?そうなの?」が浮かぶことも多々……。非常に惜しい。
第三に。ゲームの攻略に関して、ギミック的な面白さに欠ける。あくまで子供向けのドラマだから複雑にはできない、と言ってしまえばそれまでだが……。もう少し、戦略の末のゲームクリアで知的快感を満たしてみたいものである。せっかく、レイズバックルという様々な効能を持つアイテムがあるのだ。「強力なブーストバックルは一度のゲームで一度しか使えない」という、魅せ方によっては相当面白くなりそうな制限の設定も、なんだか忘れ去られたようである(ブーストの使いどころや争奪でもっと盛り上がらないのか!?)。「邂逅編」の最終回、モンスターバックルのお披露目なのは分かるが、あまりにもあっさりとラスボスを倒してしまいカタルシスには繋がらない。キーアイテムのように登場するその時その時の新規バックルも、単に「ただ強い」がほとんど。
ゲームの展開で話を引っ張るからには、攻略法にもう少しこだわって欲しい。そう願うのは、高望みだろうか。
これらの不満点により、全体的にどこか緊張感に欠け、予定調和が醸されてしまう。そしてその雰囲気は、本来これらのジャンルとは最も遠いところにあるはずなのだ。
しかしまあ、「邂逅編」でゆっくりと時間をかけてルール説明やキャラクター説明を終わらせたからか、続く「謀略編」でじわじわと、そして「乖離編」では更にハネるように、物語や登場人物の動きに柔軟さが感じられるようになってきた。序盤に比べると、私の視聴モチベーションはぐんと上がっている。直近ではジャマト農園だのプロデューサーだのスポンサーだのと新規要素が立て続けに出てくるので、それこそ「新鮮さの物量作戦」がある程度は成功していると感じる。
「それっぽさ」の組み合わせ。「あるある」の集合体。あえて意地悪に言ってしまえば、『ギーツ』はそういう番組である。しかし、それを仮面ライダーでやると、なんだか予想以上に新鮮味を覚える。
究極のところ、面白ければなんでも良いのだ。仮面ライダーが次々と出てきて、ガンガン換装して、凌ぎを削り合う。そりゃあ、楽しいんだよ。俺の好きなやつなんだよ。ぶっちゃけ、「デスゲームもの」の漫画や小説って、あんまり新鮮味がなかったとしても無性に続きが気になっちゃうものなんだよ(『ギーツ』がそうという話ではなく、ジャンルとしてこういう強みがある、という話)。もちろん「それをやるならもうちょっとさぁ~」という惜しさも数えきれないほどあるけれど、足し引きで加点が上回る。私は『ギーツ』にそんな印象を抱いている。
さて、物語は折り返し地点。まずは現行の「乖離編」が如何なるファイナルを迎えるのか。脳の思考リソースを食い潰すことに定評のある『ドンブラザーズ』が終われば、今よりもっと『ギーツ』にハマり込んでいけるのか。 “乞うご期待” 、である。
(※あと『ギーツ』とは全然関係ないのですが、先日、自主制作した同人音楽をサブスク配信したので、よかったら聴いてやってください)
▼サブスク
https://linkco.re/q6ZsGgYH
▼YouTube
https://youtu.be/j68o0TPFYdo