2026年が明けた。今からちょうど1ヶ月前、12月あたりから「こっち」の身の振り方を考えていた。「こっち」とはつまり、実生活とは異なる、インターネットでの人格。私はこの有象無象の電子の海で、これからなにができるのだろう、と。
端々で書いてきたが、いよいよ実生活が忙しい。これぞまさに働き盛りか。嬉しいことに立場も上がってきたし、量も質も責任も、加速度的に増してきた。手を動かすことはやや減ったが、思考、段取り、根回し、傾聴、説得、縁を作る作業にリソースを割くようになった。プライベートでも、子が2人。休日は子供と過ごすため本の一冊も読めない。このままいけば順調に、インターネットからも趣味からも、ゆるやかにフェードアウトしそうな予感がある。
だからこそ。「こっち」も、「あっち」も、2026年はその融合を始める年にしたい。
インターネット老人会の末席に名を連ねているため、インターネットで実名をバラすことは死を意味する。この思考がベースにあり、「リアルの自分」と「インターネットの自分」は、完全な別人格として運用してきた。それを全く疑ってこなかったし、そうするべきだと思っていた。基本はこれからも変わらない。
しかしながら、ふたつの自分が「働き盛り」と「衰退の予感」に差し掛かっているこのターン、もっと抜本的に、自分を推し進めたいと感じてきた。アラフォーなので、最低限の経験値は溜まっている。「あっち」の自分は、今の社内の人脈と経験値でどうやら食っていけそうだ。「こっち」の自分も、嬉しいことにブログもSNSもそれなりに見てくださる人がいるので、今の活動スタイルをぼちぼち継続することになんら支障はない。が、それで本当に良いのだろうか。もっと変化し、前進し、時には失敗する必要があるのではないか。
あのスーパー戦隊シリーズだって、休止なのだ。そうして新しいチャレンジに挑む。歓迎も、批判も、色々と巻き起こることは目に見えているのに、すでにある程度担保されている土壌を一旦オミットする。その決断をした。見習わねばならない。
「あっち」の、実生活の自分は、もっと汎用性を持たせられるのではないか。私がインターネットで過ごした数十年間、さまざまな情報への感度と収集、ブログやSNSを運用する中で体感した企画や反響やライティングの知見。そういったものを一種の技術と捉え、構造やアプローチを翻訳すれば、仕事にもっともっと活かせるのではないか。
「こっち」の、インターネットの自分も同様だ。リアルなビジネスで得たスキルや人脈、人の上に立つことの難しさと面白さ、働くことの意義、働き方もDX化も組織改革も、急先鋒を自称し地雷原を走り抜けてきたあらゆるエクスペリエンス。それらをもうひとつの人格にもインストールすれば、もっと面白くはならないだろうか。
名義をがっちゃんこするとか、そういう「見え」の問題ではなく。過去と未来の蒲田がひとつに……。それぞれ別々に存在してきた私の人格を、もっと意識してリンクさせれば、どちらもブーストできるのではないか。
そんなことを、この年の瀬に考えていた。具体的になにか、ということではなく。ここから先の50歳に向かっていく約10年を、どういう歩幅と姿勢で歩くか、というマインドセットの話だ。
あえて、書こう。「あっち」の自分はちゃんとやっている。家族を養い、家のローンを返し、自家用車を持っている。休日には子を連れて出かけ、パートナーには感謝を忘れない。勤める会社の業績が伸びている、その一端を担っている自負がある。そして「こっち」の自分もある程度はやっている。このブログの累計PVも間もなく1,300万超え、Twitterのフォロワーも1万超え、今も執筆の仕事をこなしている。ほら、どちらも「やっている」。「やっている」ぞ。このふたりがコラボしたら、もっとシナジーが生まれそうじゃないか。
2026年からこっち。私は、「生々しさ」の価値がぐんぐん増してくると予感している。コロナ禍で世の中のデジタル耐性が一気に鍛えられ、その揺り戻しから続く流れだ。AIがなんでも答え、なんでも作り、なんでも誘導してくれる生活。だからこそ、「人間が」「汗と血を感じさせながら」「なにかをやる」ことの価値、ドキュメンタリーが人の胸を打つ確度は、相対的に高まっていくだろう。
平たく言えば「人間力」のようなもの。「綺麗な」「丁寧な」「精度の高い」「博識な」ものだけでなく、これらを時に超えていくような「人間臭い」もの。そこをしっかり熟成し、アウトプットすることに、よりリソースを割いていきたい。
だからこそ、だ。私の中にある人格たちよ、一致団結の時じゃなかろうか。君と君がひとつになれば、私はもっと「人間臭く」なれるかもしれない。生々しい人間というのは、1に経験、2に経験、3に経験が作り上げる。おめでとう、私は人生をふたつ並行してきた。
もっと仕事に励み、家族と過ごし、生き方を充実させる。もっと映画を観て、本を読み、発生した思考の言語化を研ぐ。そうしてそのふたつがクロスオーバーする。
そんな人間を標榜したいと、ぼんやり考えた2026年の元旦でした。これが人生、私の人生、嗚呼、鱈腹味わいたい。
皆さま、本年もどうぞよろしくお願いします。


