ジゴワットレポート

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藤林聖子さんの預言、最高傑作は『someday somewhere』だと思うの

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「ねとらぼ」にて連載中のコラム、今月分が公開されています。言わずと知れた名作詞家・藤林聖子さんについて、仮面ライダーの主題歌を軸にその「預言」の謎(謎?)に迫る、という内容です。

 

nlab.itmedia.co.jp

 

人様に納める記事という手前、自分の庭であるブログより、普遍的な内容を意識しがちです。こればっかりはお仕事ですから、当然ですね。藤林さん作詞だと『鎧武』の挿入歌『E-X-A (Exciting × Attitude)』が狂おしいほど好きでラスサビ前の「花が咲き散って果実が実るように」の一節だけで数千字は書きたいところですが、そういう訳にもいかず。あえて番組主題歌に絞って構成した次第です。

 

とはいえ。これは以前にも同じことを書いたのですが、性懲りもなくまた書かせてほしい、『someday somewhere』の話。いやマジで、これですよ。これなんですよ。これぞ藤林さん預言の実績、その最高峰だと信じて疑いません。本当はこれを「ねとらぼ」に書きたかったが、流石にわきまえた!

 

引用:https://avex.jp/rider_sound/discography/detail.php?id=1018244

 

someday somewhere

someday somewhere

  • TAKEHARA TOMOAKI
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

橘さんが歌う『rebirth』のカップリングで、リリースは2004年7月22日。この頃の平成ライダーの音楽展開、「キャストが歌う訳ではない」「本編でも流れない」「純粋なイメージソング」がごろごろしていて味があるのですが、『someday somewhere』もそのひとつ。もちろん、本編では一秒も流れない。

 

『剣』の最終回は2005年1月23日放送。つまりその半年も前の楽曲制作ですが、これが恐ろしいほどに「最終回後の剣崎と始の歌」なんですよ。いやマジでこれどうなってるの。ミラクルが過ぎるよほんとに。

 

いつかどこか遠い場所で 君の笑顔 出逢えるなら

涙さえも隠して歩けるよ 今の自分迷わず

 

鋭利〜〜〜!これね、素晴らしいのは「今の自分」。ジョーカーに変わった今の自分を肯定し前を向いて生きていきたい剣崎、そんな彼が「いつかどこか遠い場所で」始に会えたら、と願う。世界のどこかで空を見上げるような情景すら浮かぶんですよ。

 

永遠って言葉は 時間の意味じゃなくて

何か証明する 心の強さのこと

 

ジョーカーになった剣崎は当然死ねない肉体になったので、まるで『火の鳥』のような、「死ねない恐怖」と一生付き合っていかなきゃいけない。呪いのような永遠、しかし、その永遠こそが彼が願った平和を維持することになる。後の「心に剣」にも繋がるような、「心の強さ」というワードセンス。シンプルながら、実に剣崎である。

 

変わらないため 変わることを

これでも受け入れてる

 

変わらないため変わる!変わらないため変わる!こんな!THE 剣崎な歌詞が!なんで7月時点で!世に出てるんですか!!!!?!! 「これでも受け入れてる」という、ほんのり後悔を滲ませるような、でもそれ以上の納得を感じさせる言い回し、またこれがグッとくるんですよね。自分の体のことを「これでも受け入れてる」って言い放つ剣崎、脳内再生が余裕じゃないですか?

 

痛みさえも 抱きしめたままで

風の向こうへ 空の果てへも行くよ

 

『剣』って、ファーストカットもエンドカットも、バイクで失踪するブレイドなんですよ。果てもない荒野を走り去る仮面ライダー。そこはかと香るロンリーな哀愁。そういったスケールや物悲しさを感じさせる、「風の向こう」「空の果て」。ジャックフォームになったら飛べるとかそういう物理的な納得もありますが、それよりもこう…… 人間を超越した存在に「なってしまった」剣崎が、風とか、空とか、大自然を観念的に捉えてるようで好きなんですよね。仙人になっていくような。

 

いや、もちろん。この時点で結末を分かっていて作詞されたなんてことは絶対にあるはずがなく。リリースタイミングやカップリングから察するに、実のところ「橘さんと小夜子さんの詩」と見るのが濃厚なんじゃないか、と。自らの弱さが招いてしまった小夜子さんの死、それを胸に抱きながら戦い続ける橘さん。その視点で歌詞を読み直すと、これまたストンと落ちるんですね。

 

だから、「最終回後の剣崎と始の歌」なんて解釈は一介のファンの妄言の域を出ないとわきまえています。それでも。やはりこれは、藤林さんが『剣』というドラマになにを見い出したか、そこにある哀愁と喪失と希望をどのようなバランスで解釈したか、その妙義が導いた奇跡なんじゃないかと。そう思わずにはいられないのだ。

 

20年以上経っても。『剣』の思い出、その衝撃、壮絶な幕切れは、ずっと心の底に打ち込まれている気がする。なお、ドラマCDもその余韻を増幅させてくれる名作なので、おすすめです。