ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

感想『ウルトラマンブレーザー』第13話「スカードノクターン」 #俺が観る EP13 真実は雄弁に語る

前半戦折り返しの第13話。毎年恒例の総集編ではありますが、これまでの大筋を整理しつつ後半戦に向けた要素の整理、仄めかし、あるいは種蒔きがガッツリ行われるという、見逃し厳禁な回でした。

 

 

ちなみに「ノクターン」はフランス語で「夜を思わせる瞑想的な雰囲気をもつ、ロマン派の楽曲の表題」を指します。音楽のジャンルを示す用語で、この場合は「夜」のニュアンスを採用しても良いかもしれません。つまり、本筋に対する夜、本編における光が当たっていない陰の部分、物語の小休止。作中舞台が遅い時刻らしいのも関連して、中々にニヤリなネーミングです。音楽という意味では、間奏曲(劇や歌劇の幕間に演奏される音楽)みたいな捉え方もありかな。

 

そんなこんなで、いってみましょう、#俺が観る 第13話。

 

引用:https://twitter.com/ultraman_series/status/1710443586314264730

 

スカードの作戦指揮所に残り、これまでの戦闘記録を資料にまとめていたアンリ。ヤスノブやエミとともに、怪獣との交戦の記憶をたどる中で、話題は宇宙怪獣のとある共通点の話に。その一方、ゲントはテルアキから、ブレーザーについてどのように考えているのか問われて…。

ウルトラマンブレーザー – 円谷ステーション – ウルトラマン、円谷プロ公式サイト

 

2023/10/07 放送 監督:宮﨑龍太 脚本:足木淳一郎

 

今回は総集編ということもあり、本筋が進むことはあまり無かったのですが、後半に向けた色んな要素の段取りがありました。以下、ちょっといつもと構成を変えて、大きく2つの点について感想を残しておこうかと。

 

①1999年の隕石、バザンガ、ゲバルガの関連性

 

ぼんやり感じてはいましたが、まさかこの中盤で、ここにドカンと言及するとは思わなかった!やられた!いい意味で裏切られました。第1話に登場したバザンガには一部、赤と青のカラーリングが用いられていて、その配色は先般のゲバルガも同様。そして何より、我らがブレーザーも赤と青の生命体な訳です。いやはや、ここまでしっかり提示されてしまうと逆にミスリードを疑いたくもなるのですが、どうでしょう。素直に受け取るのであれば、この3体は同じ星から同じ軌道で地球にやってきたということになります。

 

もちろん、ブレーザーとバザンガ、そしてゲバルガは見てくれも生態も全く異なる訳ですが、それはそれこそ、人間とライオンとイルカの違いのようなもので。「じゃあこれまでブレーザーは同族殺しをしていたのか!?」という問題提起もあるかもしれませんが、これは突き詰めても仮面ライダーにしかならないし、人間がライオンやイルカを殺したとしても「同族殺しのジレンマ」は起きませんからね。

 

 

仮に1999年の隕石がブレーザーくんだとしたら、3年前の例の事故でゲントと一体化するまで、地球で何をどうしていたのか。その辺も気になるところです。

 

または違って、1999年の隕石はブレーザーくんではなく、地球にそのまま眠り続けていた、あるいは地球防衛隊が密かにその存在を隠蔽していた、ラスボス怪獣という線もあり得る。

 

引用:https://cocreco.kodansha.co.jp/telemaga/news/feature/blazar/dV19A

 

cocreco.kodansha.co.jp

 

こちら、制作発表時の怪獣お披露目の写真ですけど、この左上のところ……。まだ見ぬ赤と青の配色を持つ新怪獣がいるんですよね。大きな鎌を持っていて、いかにも強そうなヤツ。こいつが「1999年の隕石」の正体なのか、あるいは、「サード・ウェイブ」となるのか。

 

それにしても、初回のサブタイトルだった「ファースト・ウェイブ」が伏線のように機能する話運びは実に小気味いいですね。実は上層部が隠していた何らかの事象の名称だったというオチ。ガラモンが飛来してきた軌道がお話に絡んでいるのも細かい。また、1999年という西暦、そして新聞に記載されている「地球防衛隊が隕石を撃墜した7月」というのは、言うまでもなくノストラダムスの大予言な訳です。あと、ニュージェネレーション的な意味だと、『ウルトラマンガイア』も1999年に放送されていたり。

 

謎は深まるばかりですが、ここまで明確に真っすぐに「これが今後の縦筋です!」と言われると、下手に予想合戦するよりもノーガードで挑みたい感じはあります。

 

 

②エミ隊員の怪しさ

 

う~ん、やっぱりこれに触れずにはいられないでしょう。実は、定期購読している『宇宙船』を読んだ際に、田口監督×小柳さん(シリーズ構成・脚本)対談で、「ん、どういうことだ!?」となったテキストがありまして。それは、13話を観る前の話。

 

小柳 ● 言ってしまえば、変な勘繰りをする必要はないかもしれません。第12話まで描いてきたSKaRDに嘘はないです。みんな仲間だし、仲間のことを思っています。エミもそう。色々と情報収集をしているのは、徹頭徹尾SKaRDのためでしかない。そこは第12話までに描けていると思うので、信じてもらっていいはずです。好きになってもらったSKaRDが、これから大変なことに巻き込まれていくので、一緒に見守ってあげてください。
・ホビージャパン『宇宙船vol.182』P84

 

 

これを読んだ直後に13話を観たので、ああ~なるほど~~~、と。これ、エミ隊員が指摘したアンリ隊員のリップに何か睡眠薬のようなものが仕込んであって、彼女がまとめたデータを寝ている隙に消してしまったとか、そういうのもあり得るな、と。

 

つまり、エミ隊員はスパイの線が濃厚な訳です。彼女が潜入捜査員として非常に長けていることはこれまでも描かれてきましたが、工場の作業員の衣装も、OLの衣装も、SKaRDの隊服も、彼女がまとったコスチュームだったと。まあ、スパイというとちょっと言葉が強いですが(別に敵勢力に潜り込んでいる訳ではないので)、要はSKaRDよりもっと上層部の指示を受けていて、それをメンバーには隠している、隠密指令を受けている、ということですね。親父さんという背景も含めて。

 

エミ隊員とアンリ隊員の女子会のような会話、一見微笑ましいですが、彼女なりに仲間のことを情報収集していたと思うと若干のホラーっぽさがあって味わい深いです。これまた演じる搗宮姫奈さんのニュアンスが絶妙で、ざっくりとした朗らかさもありながら、どこか近寄り難いというか、ぶっきらぼうというか、自分の世界がある人のように見える。良い意味で目が笑っていない。が、同時に、「悪い人じゃない」。これなんですよ。

 

小柳さんが言うところの「第12話まで描いてきたSKaRDに嘘はない」って、つまりこの点なんだろうな、と。エミ隊員が事実上のスパイだったとしても、彼女がSKaRDの一員としてメンバー間でコミュニケーションを取ってきたことは決して嘘ではないし、ましてや敵に回ったりすることはないのだろうと安心できます。また、ゲント以下SKaRDの面々も、その事実が明らかになったからといって必要以上に疑心に駆られることはないんじゃないかな。「それ(隠密任務)はそれ」って感じで、そりゃあ全くショックが無いことは無いでしょうが、スッと割り切って「でも仲間だから」に進んでいけそうな気がします。

 

色んなインタビューを読むと、SKaRDの面々はそれぞれの役者さんの素に近いらしく。だからこそ現場の雰囲気も和やかだったと聞きます。画面越しにも、その呼吸のナチュラルさは何となく伝わってきますね。そういう意味で、エミ隊員を演じる搗宮姫奈さんは今年の8月に起業されてカフェの経営に携わられるらしく、まさしく己の行動力で進んでいく方なのです。下記のnoteを拝読しても、確実にご自分の世界があられる人。

 

note.com

 

田口   テルアキさんは本当にテルアキさんで、一番そのまんまじゃないかな。エミもそうで......まあ変な子なんですよ、搗宮姫奈は(笑)。

小柳   そうなんですね(笑)。

田口   彼女は話していて、「どこまで本音なんだろう?」「なんか変だな」と、興味を惹かれるんです。出演映画を観て度胸のある子だと思って、アクションもできるから目玉候補ではあったんですが、撮影する中で「やっぱりエミはこの子だったな」と強く実感していきました。本人としては迷いもあったようですが、ゲントとの関係性を役の上でも、俳優同士でもぶつかり合いながら表現し、だんだん最終回へ向かっていく姿が美しかったです。

・Animage編集部『アニメージュ 2023年11月号』P115

 

 

なので、エミ隊員のことは総じて「心配ない」というのが私の受け取りです。物語の縦筋としての波乱はあるでしょうが、おそらく、それを上回る「安心」が流れているだろう、と。少なくともこれまでの全13回で、『ウルトラマンブレーザー』へのそういう信頼は築けています。

 

といったところで、ちょっといつもよりボリュームが少なくなりましたが、総集編ということでご勘弁を。『ブレーザー』、いよいよ折り返しの後半戦に突入です。ブレーザーくんを含むキャラクターの造形・関係性も、物語の縦筋・要素の前振りも、ここまできっちり堅実にやってきた本作。ここからどう跳ねて、どう収斂するのか。期待が高まります。というか、終わってほしくないのであと3クール観たい。マジで。

 

◀ prev

www.jigowatt121.com

 

 

感想『ウルトラマンブレーザー』第12話「いくぞブレーザー!」 #俺が観る EP12 手にしたのは、雷をも断つ剣

すっかり肌寒くなって参りましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。私はといいますと、所用で遠出した際に寄ったデパートの玩具売り場で「DXブレーザーストーン」を発見し「よっしゃ!近所に入荷してなかったんだよ!まさかここで出逢えるとは!」とホクホクでレジに持って行き帰宅したところ、そもそも「DXブレーザーブレス 最強なりきりセット」を買っていたにも関わらず「DXブレーザーストーン02 ゼロvsベリアルセット」を買っていた…… つまりメダルが4枚ごっそり被ってしまったことに気付き、愕然とする日々を送っておりました。単なるうっかりなら良いのですが、これはもしや加齢による注意力の低下なのではと哀しい気持ちでございます。趣味領域でのこの手のミス、なんなら仕事のミスより痛恨ですからね。

 

 

そんなこんなで、今回もすっかり更新が滞っておりましたが……(すみません)。ブレーザー12話の #俺が観る 、どうぞよろしくお願いします。

 

引用:https://twitter.com/ultraman_series/status/1707906879383572786

 

ゲバルガによるネットワーク汚染が拡大する中、SKaRDは新たな作戦を立案。ゲントは、ゲバルガとの戦いでまたしても自身の意と反する行動をとったブレーザーに対し、不信感を覚え、ストーンを自身のロッカーに置いて作戦に挑むことに。そうしてSKaRDは、開発部や特殊部隊と協力した一大作戦を決行する。

ウルトラマンブレーザー – 円谷ステーション – ウルトラマン、円谷プロ公式サイト

 

2023/09/30 放送 監督:武居正能 脚本:足木淳一郎

 

ちょっと本筋とはずれるのですが、ここらでアースガロンについて触れておきたいな、と。

 

Twitter改めXを中心に『ブレーザー』の感想を眺めていると、「アースガロンが黒星ばかり」「アースガロンが不遇」という声がそこそこの割合で目に入ります。これ、自分としては「あっ、なるほど、そういう視点もあるのか」くらいの感覚でして。というのも、アースガロンはウルトラシリーズの文脈的に戦闘機の枠なので、番組構成上どうしてもウルトラマンに華を持たせる(怪獣を倒させる)必要がある以上、構造的に「勝てない」存在であることが最初から分かり切っているな、と。そういう認識だったんですね。だから、アースガロンが黒星を連発するのは当然というか、むしろアースガロンが勝っちゃうとウルトラマンの作劇としてちょっとしたエラーに該当してしまうのではないかと。

 

「ウルトラマンと戦闘機」、もっと俯瞰すると「ウルトラマンと人間」の関係性ですが、やはり私の理想はどこまでいっても「ぎりぎりまで頑張って。ぎりぎりまで踏ん張って。どうにも、こうにも、どうにもならない。そんな時、ウルトラマンがほしい!」なんですね。人間が(防衛隊員が)、戦闘機に乗って怪獣に立ち向かう。まずは人間の力だけでそれを倒そうとする。ウルトラマンに頼らずに挑戦し、ぎりぎりまで頑張って、ぎりぎりまで踏ん張って、それでも事態が打開できないときに、はじめてウルトラマンの助けが欲しい。人間とウルトラマンの関係性、あるいは距離感は、そのくらいのニュアンスであって欲しいな、って。

 

 

だから、私の認識におけるアースガロンの役割は、「ぎりぎりまで頑張ったり踏ん張ったりするロボット」なんですね。裏を返せば「勝ってはいけない」存在。つまり、アースガロンの華があるとすればそれはウルトラマンが出てくるまでの場を温めることであって、怪獣を倒して白星を飾ることではない、と。その上で「戦闘機をロボットに置き換える」という『Z』以降のこのギミック(発明)は、遠距離からビームを撃つ戦闘機等と違って、視覚的にめちゃくちゃ「ぎりぎりまで頑張ってる」感じが伝わるし、肉弾戦としてめちゃくちゃ「ぎりぎりまで踏ん張ってる」絵になる。従来のシリーズで戦闘機が担っていた作劇上の役割を、より明確に、視覚的に、強調することができるのだ。

 

あとはまぁ、これは愚痴。同じ特撮枠では仮面ライダーや戦隊でよく用いられますが、撃破数で競うような言い回しですね。「強化フォームなのに全然倒してない」とか、つまり「撃破数が多ければ多いほど活躍したとみなされる」の概念。まぁ、分かるんですけどね。でも、そのキャラクターやヒーローの印象深さって、何も撃破数だけで決まりはしないじゃないですか。そこに至るまでのシナリオだったり、演出だったり、エフェクトだったり、佇まいだったり、スーツアクトだったり、玩具的な面白さだったり、エトセトラ。白星の数はその数ある要素のひとつであって、魅力や印象って、もっと多角的に決まっていくと思うんですよね。そういう意味で、アースガロンは明確な白星こそ飾っていませんが、フェチに溢れた発進シークエンスだったり、泥臭い戦闘スタイルだったり、換装ギミックだったり、愛嬌あふれる表情や鳴き声だったりで、魅力はバリバリに立っているのではないか、と。というより、「勝てない」、この不憫さがむしろプラスだと、そう思いませんか!?!???

 

とはいえ、ね。「アースガロンが黒星ばかりで不遇」というのは、これまた裏を返せばアースガロンにも勝ってほしいという同情のニュアンスもあると感じていて、アースガロンのキャラクターがしっかり立っている証左でもあるんじゃないかと。物語としては、12話でも司令官から「アースガロン単独で怪獣を撃破したことがあるのか!?」と叱られていたように、「人間が勝てていない」「SKaRDが目立った実績を上げられていない」という前提は、シリーズ後半の展開への前振りにも思えるんですよね。実際、やろうと思えば何らかの再生怪獣を引っ張ってきてAパートでさくっとアースガロン白星とか、やってやれないことはないでしょうから。(『Z』のセブンガーはそういう見せ方だった訳で)

 

そんなこんなで、私としてはこれからも「善戦!しかし勝ちきれない!」を邁進していただきたいと、そう感じております。とはいえ、いざ白星をあげたらそれはそれで大喜びでしょうけど。仮にそうなら、シリーズ後半の盛り上げ所として機能するのかなぁ。

 

 

本題。12話、「いくぞブレーザー!」。まずこのタイトルがいいですよね~。ゲントとブレーザーの関係性の発展を思わせるフレーズなのは間違いないですし、OPテーマの歌詞にも「どこまでも行こう、ブレーカー」とニアーな文字列が並んでいる。

 

玩具的にも、チルソナイトソードを出現させるガラモンストーンをブレスに装填すると、ゲントの「いくぞブレーザー!」という台詞が聞ける訳ですよ。実に細かいというか、気が利いている。ちなみに、ニジカガチストーンを装填すると「ブレーザー頼む!力を貸してくれ!」が聞けて、言うまでもなくこれも劇中で発せられた台詞ですね。販促というとどうしても「玩具を操作する」とイコールで捉えられがちですが、こういう細かいアプローチで玩具と本編の親和性を少しでも高める工夫が散見されるのが、『ブレーザー』の妙のひとつ。

 

 

その点、チルソナイトソードもクレバーな工夫が見られる背景でした。田口監督は以前より、『ウルトラマンエックス』の後半でエクシードエックスの玩具まわりが自身の関知しないところで決まってしまい、その落とし込みや活かし方に苦心したとインタビュー等で述べられていて。そんな田口監督がシリーズ構成を兼任する『ブレーザー』ですが、前回のニジカガチストーンと同様に、「極力しっかり本筋に絡めて新アイテムを登場させる」というのは、本作のひとつのコンセプトなのだろうな、と。つまり、奇跡が起きて光の中から新アイテムが発生するとか、新フォームになったら手元に新しい武器が現出するとか、(もちろんそれが悪いという話ではなく)、あくまで『ブレーザー』ではそういう方向性から変えてみよう、と。物語の流れとリンクする前提で、ブレーザーがまるで狩猟民族や狩りゲームのように怪獣の要素から新アイテムを生成するのだと。新アイテムにもワンロジックを噛ませるんだと。

 

なので、今回いきなりチルソナイトスピアなるものが人間陣営発で出てきたのには、随分と驚かされました。もちろん、あのガラモン絡みでソードが生成されるのだろうと感じてはいましたが、まさかその素体が明確に人間サイドから用意されるとは。つまり、終わってみれば「人間サイドがスピアを用意しなければブレーザーは負けていたのかもしれない」という図式で、これまた人間とウルトラマンの一種の共闘だなぁ、と。材質はガラモンから、雷の属性はゲバルガから、という合体武器なのも楽しい。同時に、呼び寄せざるを得なかった侵略兵器の一部が地球を守るために機能したという点で、セミのおじさんも実に浮かばれる……!

 

 

ソードの演出でいくと、装填→発動時に鳴るSEがしっかり劇半にアレンジされていて、こういうのもすごく高い満足度に繋がっています。ブレーザーのメインテーマである、あの民族的な、エスニックかつケチャなテイストをベースに、不穏&雄大なストリングスがざくざくと音を刻んでいく。ガラモンの ジリリリリ という鳴き声がそのままソードの効果音になっていたり、この手の武器にしては珍しく「ちゃんと斬れそう」「割としっかり鋭利な造形」で、何よりその強力さに狂喜乱舞で飛び跳ねちゃうブレーザーくんが可愛いったらなんの。

 

新しい武器を手に入れてまずやることは、祈り。この辺りも、前述の狩猟民族らしさというか、敵の身体(命)を活用させていただくことへの敬意を感じさせて、最高にキャラ立ちしてますね。しかしまぁ、今やすっかり慣れましたけど。喋らない、唸る、吠える、猿のように飛び跳ねる、原始人のように祈る、そんなウルトラマンが格好良く見えてくるの、すごいことですよ。

 

ストーリー面では、ゲントがブレーザーの意志に近付くお話。ここ数話をかけて、「言語的なコミュニケーションが取れない相手といかに関係を築くか」、その難しさを提示してきた訳ですが、シリーズ中盤のここで一旦の到達点へ。それは、「他者の命を救いたい」というある程度の知能がある生物の根源的な感情、そこに同一性を見い出すこと。

 

 

ツイートにも書いたように、ぶち上げるようなカタルシスには繋がらなかったと思っているのですが、『ブレーザー』はあえてそうしていないところが強みだとも感じていて。そういう、SFのアプローチにおける「関係性の進展」に、ショートカットや嘘を用いない塩梅が実に真面目。もちろんこれは、人によっては作劇的なケレン味が足りないと映ってしまうかもしれませんが。『シン・ウルトラマン』にて、「人間よう知らんけどなんや面白い生き物やな!」に至ったリピアーくんが記憶に新しいですが、彼はもう少し次元が違うというか、やや高位の存在にも描かれていて。一方のブレーザーくんは、完全に未開の地の原始人というか。文明が発達しなかった山や森の奥深くでひっそりと生き残っていた民族が何かの手違いで都会に迷い込んでしまったような、そういうニュアンスを感じさせます。きっとその土地では、殺した動物を食べる前に骨を両手で持って祈っていたのかな、みたいな。

 

ゲント隊長のブレーザーくんへの認識、期せずして捕獲してしまった檻の中のオラウータンと飼育員みたいな感じになってきましたが、しかしオラウータンだって「仲間を助けたい」「命は大事」を思うんだ、と。そういうものの前では、文明の深度や知能の差なんて関係ないんだ、と。「関係性の進歩」というより、正確には「どう関係していくべきかの糸口が掴めた」ような、そんなお話でした。

 

人間サイドも総力戦!ブレーザーも新武器獲得!セカンドウェイブやら何やら不穏な空気も漂って…… というあたりで、ググっと盛り上がって次回、総集編。『ブレーザー』前半戦終了でございます。いやぁ、堅実。面白い。ウルトラシリーズの基本である「怪獣が主役」「毎話がバラエティに富んだ完結もの」というパターンをしっかり押さえており、リアリティも考証もやや高めに設定しているバランスが、非常に自分好みですね!

 

といったところで、次回、縦軸に迫る感想にてお会いしましょう。(同日更新します!)

 

next ▶

www.jigowatt121.com

 

◀ prev

www.jigowatt121.com

 

 

感想『ウルトラマンブレーザー』第11話「エスケープ」 #俺が観る EP11 隕石が開くとき、破滅が顔を覗かせる

予告まで含めると、「親と子」「エスケープ」「いくぞブレーザー!」までで三部作っぽい流れでしょうか。もちろん、監督・脚本のスタッフが切り替わっているので、あくまでシリーズ構成の域の話ですけどね。これまでSKaRD内部の人間関係、そこに発生するコミュニケーションを時に硬派に時にユニークに描いてきた訳ですが、ここにきて本筋of本筋、「ゲントとブレーザー」を扱うぞ!と。第12話ということでシリーズもいよいよ中盤戦です。

 

 

それでは第10話とセットでのアップとなりましたが、#俺が観る 第11回、よろしくお願いします!

 

引用:https://twitter.com/ultraman_series/status/1705370169516921132

 

デマーガとの闘いにおけるブレーザーの行動を受けて、ゲントは自らの身体に宿るもう一つの意思に戸惑いを隠せずにいた。その折、宇宙より飛来する隕石。防衛隊の迎撃をかいくぐり地球に降り立ち、怪獣ゲバルガへと姿を変える。アースガロンでの格闘は優勢に思われたが、ゲバルガには驚くべき能力が隠されていた。

ウルトラマンブレーザー – 円谷ステーション – ウルトラマン、円谷プロ公式サイト

 

2023/09/23 放送 監督:武居正能 脚本:足木淳一郎

 

前述の通り、第12話ということで、2クール作品としては中盤戦にあたる。

 

ちょっと振り返ってみると、昨年の『デッカー』ではテラフェイザーが完成し縦軸が進み始めたのが11話で、ダイナミックタイプ初登場が15話。『トリガー』は3000万年前が描かれグリッタートリガーエタニティが登場するのが11~12話、『Z』はハルキが怪獣に感情移入し戦えなくなってからそれを吹っ切るまでが11~14話、といったところ。いずれも、シリーズ構成の中腹として盛り上がるエピソードが用意されている。

 

近年の多くのウルトラマンが、人間と融合し基本的にはスムーズに共存していく中で、ブレーザーはその前提に「待った」をかけている。以前の感想でも書いたと思うけど、私はこの物語を「人間とウルトラマンがお馴染みの関係に行きつく『まで』のお話」だとぼんやり感じていて、最終的にゲント隊長がいかにもニュージェネ的に「ブレーザァァァァアァーーー!!!!!」って叫んで変身するシーンなんか妄想しちゃう訳だけど、要は「ゲントとブレーザーの関係性」が肝なんですよね。『ブレーザー』という作品は、ここをシリーズ構成の中腹に持ってきた。次回の「いくぞブレーザー!」というサブタイトルがあまりに良すぎて、期待が高まりすぎてしまうアレはありますが……。

 

その相手役として登場するのは、新規怪獣・ゲバルガ。ぱっと見はヒトデ型のフォルムで、古くはぺスター、あるいはマリキュラやアイアロンなども頭を過ぎりますが、印象値で「人が構えていない」のって、それだけで不気味ですよね。Gタイプの怪獣は一周して安心感すらありますから。あと、本編で観ると腹の目がめちゃくちゃ不気味。顔があるべき位置に顔が無く、目なんて無い位置に目がある。それも複数、まばらに。こういう意図的に整理的嫌悪感を覚えさせるデザイン、とっても秀逸です。人間の脳って、こういう違和感をスムーズに「きもっ!」に繋げるから面白い。

 

 

そんなゲバルガ、造形や特撮だけでなく、物語面でも非常に強敵に演出されている。

 

まずもって、「宇宙から飛来してくる」→「それを阻止せねば!」から描くのが良い。なによりコレですよ。こういうパターンって、いきなり飛来してきて「落下予測地点は〇〇です!」ドカーン!怪獣登場!緊急出動だ!でも構わないのに、あえてその前段階をじっくりやる。やばそう、やばそう、やっぱりやばいの重ねがけ。まずはこのドラマ構成が一本取られましたね。直接的に、という訳じゃないのですが、『シン・ゴジラ』以降この手の「直接戦闘ではない作戦行動の面白さ」をしっかり魅せる作劇、そのアベレージがじわじわ上がってきている印象があります。

 

SKaRD基地内での事前の会話。「ガラモンの侵入を許したことで上も焦ってる感じですね」をアンリに、「宇宙怪獣の侵入は地球の生態系にどんな影響を及ぼすか分からない」をテルアキ副隊長に言わせるの、めっちゃくっちゃ良くないですか……。素晴らしい。いやマジで、ここすっごく感動しますね。痛快。ガラモン回は実質アンリ回だったし、「宇宙からの怪獣の飛来」という流れはゲバルガと同じ。そして、そんな宇宙怪獣の地球生態系への影響や懸念を、「人間と怪獣以外にもこの地球には生命がいる」と横峯教授に語ったテルアキ副隊長に言わせる。農家出身だからこそ外来種だとかにアンテナの感度が高いのも解像度高杉晋作……!!!いい!!!こういうの!!!!俺はこういう気の利いた脚本をひたすら摂取したいんだ!!!!!!

 

その討伐の指揮をとる中央指揮所、壁一面に大きなスクリーン。これ、あとで合成でハメてると思うんですが、現場ではグリーンバックでも垂らしたかな、あるいはそれも無く実景に合成かな。一昔前なら、こういった場面ではいくつものディスプレイをこれでもかと並べて「それっぽさ」を演出した訳ですが、イマドキは確かにこっちの見せ方だよなぁ、青いライティングも「それっぽさ」あってすごく良い。工夫が見える。

 

「自分の中に別の奴がいるって分かったら、どうする?」。そんなゲントの悩みをよそに、ゲバルガは大気圏に突入。「プレッシャーかける訳じゃないけど、外すなよ」からの「しっかりプレッシャーかけていただいて、ありがとうございます」。このゲントとアンリのやり取り、いい~。これも実にいい。字面だけ見ると皮肉で返しているようにも取れるのですが、両キャストの細かな表情や声色の演技のおかげで、むしろ厚い信頼関係を感じさせるシーンになってる。素晴らしい。しかし、そんな渾身の攻撃を易々と躱すゲバルガ。怪獣の球体+湖といえば、言うまでもなくベムラーですね!殻が開く際にバギバギッのSEと共に光るのなんか、美味ですよ。様式美~~!!

 

作戦はフェーズ2、CQCモードに移行。ちなみにCQCは、Close-quarters Combat、そのまんま近接戦闘の意ですね。

 

ゲバルガとアースガロンの戦闘、いやぁ、実に見応えがある。これだけでメインの「ウルトラマンと怪獣のバトル」に匹敵する特撮ボリュームですよ。湖面に映る巨体というのも燃えますし、なによりそれぞれSEが良い。ゲバルガは奇妙な声?を上げるし、アースガロンはあの鉄板を打つような カァーン の起動音が非常にくすぐる。やっぱり、戦闘機をロボットに置き換えたセブンガーの発明、革命的なんですよねぇ。アースガロンの勝率という意味ではちょっと不憫なのですが、戦闘機の特撮の見せ方ってどうしてもバリエーションを出し辛くて。巨体同士が直接取っ組み合う方が、ファイトスタイルや両者の相性、怪獣の特徴や生態を含め、描写しやすい。「早くウルトラマン出てこないかなぁ」ではなく、目の前の「アースガロン頑張れ!」に感情が動く。

 

 

パルス状の電磁波、EMPによってミサイルの軌道を逸らすゲバルガ。 electromagnetic pulse、ですね。こういう専門用語をな~んの補足も説明もなくぶち込むのがまた良いんですよ。こういうのがいいんです。いまどき、気になる子はスマホですぐに調べられますからね。変に解説役の無知寄りな隊員や一般人なんか置かなくても、真っすぐに有能な面々のみを描ける。子供向けに変に忖度しないことが、子供への最上の忖度なのだ。

 

アースガロンちゃんは呆気なくすごい勢いで湖に落下、見事に強さを見せつけるゲバルガ。湖のそばで戦っていたロケーションで、実景をヒキで捉えると河口そばの街。この辺りも丁寧。そしてここのゲント隊長の変身、前髪が垂れて顔にかかっているのがバチクソかっこいい。ハードな雰囲気がよく出ている。

 

そしてブレーザー登場!からの!ミニチュアを広めに配置して、センターに捉えたウルトラマンをカメラをゆっくり引きながら魅せる、こ、この構図!!武居監督がよくやるやつ!!武居監督がよくやるやつじゃないか!!!デッカーでもよく観たぞ!!!!「武居引き」とでも呼ぼうか!!!!

 

続く戦闘シーンでは、ブレーザーの動きがいちいち見応えある。もはやお馴染みとなった跳躍しての地団駄、なんだか普通に慣れちゃってますが、やはりウルトラマンがこういう動きをするのは新鮮。ゲバルガの殻を閉じる噛み付きの動作を本能的に回避していたり、細かく叫んで威嚇していたり、とにかく手数の多い演技が繊細。王道の電線手前カットも盛り沢山ですね。電線を手間に置いて奥のゲバルガが発光するカット、合成の手間が増えているとは思うのですが、こういうのをきっちりやってくれるのが嬉しいです。その後の、カメラ横移動でブレーザーの連続回避を見せる流れ、爆炎のライティングを受けたブレーザーの背中がかっこいいですし、手前のゲバルガを境に合成に切り替えるのもお見事。ゲバルガが覆いかぶさるカットでは、オープンセットで観られそうな「下から見上げる絵」をホリゾントで撮っているのがちょっと新鮮。面白い。

 

そんな激戦が続くも、ブレーザーはまたもやクライマックスフォームをしてしまい(雑な表現)、その果てに逃走。アースガロンのコクピットで全速離脱を指示したゲント隊長も、ブレーザーの意思が浸食していた、と。ゲント隊長の経験則による現場判断か、そもそも全部がブレーザーの意思だったのか、しかし目が光っていた訳じゃないし…… などと、この辺りはまたもやあえて明言せず、要は「いつの間にかかなり混ざってきている」ことがポイントなのでしょうね。逃走時、かっこよく飛ぶのではなく、上に引きずられるように惨めに上昇していくのが、本当のエスケープって感じでしたね。確かに、ここでお行儀よくシュワッチで帰られると違う訳だ。観ているこっちの困惑も大事なのだから。

 

苦悩のゲント。どうしたらブレーザーと共に戦えるのか。そんな夜、ゲバルガのEMPは街を包み込んで……。といった流れで次回!うぉ~ん!大ピンチ!!超ストレートな大ピンチだ!!

 

来週、「ゲントとブレーザーの関係性」に一旦の答えが示されそうですが、そこに新武器であるチルソナイトソードを持ってくるのが盛り上がりますねぇ。見てくれは良くも悪くもニュージェネなチルソナイトソードですが、ブレーザーがいかにしてそれを操るのか。ゲントがインナースペースで玉を回すのは無いと見てますが、販促とのバランスというか、ブレーザーの戦いをどう魅せるかも見所です。もちろん、ゲバルガをいかに倒すかのSKaRDの立案・作戦行動にも期待。

 

しかしまぁ、本当に特撮のアベレージが上がったなぁ。素晴らしい。ミニチュアの数、こんなに豊富ですよ。「山+湖」でのゲバルガ対アースガロン、からの実景合成で河口そばの風景、そして「山間部の市街地」でのゲバルガ対ブレーザー。このロケーションのスムーズかつ説得力のある見せ方、実直ッ!!「とにかく敵怪獣を魅力的に魅せる、それも言葉じゃなく演出で」。これがウルトラシリーズの大原則で、それがしっかり果たされている第11話でした。

 

next ▶

www.jigowatt121.com

 

◀ prev

www.jigowatt121.com

 

 

感想『ウルトラマンブレーザー』第10話「親と子」 #俺が観る EP10 命の選択が迫る

まずはお詫びから、すみません……。第10話の感想記事、実質2週間後のアップになってしまいました。以下全て言い訳なのですが、体調を崩してしまったことと、職場で起きた前例のないトラブルの火消し担当みたいなのが続きまして、上手く時間を捻出できませんでした。え? ちゃっかり『VIVANT』の感想記事とか書いてるじゃないかテメェ!、ですって? はい、そうです。すみません。なんか、その、タイミングとかモチベーションとか所要時間とか色々、あのですね、歯車の噛み合いというものがございまして……。などと、以上全て言い訳でした。

 

ちなみにこの第10話の感想記事、続く第11話のものとほぼ同時に更新します。何卒よろしくお願いします。

 

 

そんなこんなで、記憶を掘り返していただきつつ、第10話の #俺が観る 、いってみましょう。いや、むしろこのデマーガの件からずっと地続きで第12話「いくぞブレーザー!」まで実質三部作の流れもあるので、まとめての更新は、必然 ……ってコト!?(だからそういうのをやめろ)

 

引用:https://twitter.com/ultraman_series/status/1702833453073588710

 

息子ジュンの希望で謎の卵を見に訪れたヒルマ一家は、ベビーデマーガ誕生の瞬間に遭遇する。防衛隊による捕獲活動のさなか、デマーガが現れる。子の元へ歩を進める親怪獣へ、防衛隊は攻撃を開始。避難の道中、身を挺して子を守るデマーガを複雑な心境で見つめるゲントの左腕に突如ブレーザーブレスが出現する。

ウルトラマンブレーザー – 円谷ステーション – ウルトラマン、円谷プロ公式サイト

 

2023/09/16 放送 監督:越知靖 脚本:植竹須美男

 

今回の件、ヒーロー特撮ではお馴染みといえばお馴染み、「怪獣(怪人)って殺していいの?」問題ですね。「討伐の是非」回とでも言いましょうか。

 

仮面ライダーもスーパー戦隊も、もちろんウルトラマンも、古くは「怪獣や怪人をヒーローが討伐する」という大筋から始まっていく訳です。そりゃあ個々の作品で色々と幅はありますが、主に平成以降のグラデーションとして、従来の様式美より相対的にドラマに比重を置くようになり、「倒すべき敵もまた命である」という観点が持ち込まれる例が増えた。三大特撮でいくと、どうしても戦隊はこの手の構造を取り込みにくい性格があり、ワンエピソードであればあるいは、といった感じだろうか。仮面ライダーでいくと、「そもそも倒すべき敵も仮面ライダー=人間である」の『仮面ライダー龍騎』、「怪人にヒーロー側と等しいドラマ性を持たせる」の『仮面ライダーファイズ』など、平成ライダー以降はこの手の言及が増えていく。ウルトラマンでいえば、言うまでもなく『ウルトラマンコスモス』。怪獣を討伐する以外の選択肢に根幹から取り組んだ人気作ですね。後年の『ウルトラマンネクサス』で、スペースビーストが見るからにコミュニケーションなど取れなさそうな異形の存在(外来種)に設定されたのは、コスモスで「怪獣を救う・鎮める」をやった揺り戻しらしいですね。絶対的に対話は無理そう、というニュアンスの強調。

 

 

ニュージェネレーションでいえば、『ウルトラマンX』は怪獣との共棲をひとつのテーマにしていたり、あとはやはり『ウルトラマンZ』でのレッドキング回やグルジオライデン回が印象深いですね。主人公・ハルキが戦えなくなるところまでドラマが踏み込んだのは記憶に新しい。

 

「怪獣もまたひとつの命である。それを人間の都合で殺して良いのか」は、もちろん真っ当な問題提起ではあるのですが、実際問題として「殺す側」の割り切りしか決着は無い。「人里に降りた熊を殺して良いのか」と構造はほとんど同じで、人間に危害を加えるかもしれない存在なら駆除止む無しだし、しかし熊もまた言うまでもなく尊重されるべき命なのだ。つまり問題の核は「殺して良いか」「その是非」ではなく、「殺す側がいかに自分の中で理論を持つか」「職務として割り切るか」、という点にある。

 

 

おそらく『Z』で何話かかけてハルキの内面を描いたこともあり、今回の『ブレーザー』はあまり踏み込んだことはしなかった。デマーガはデマーガで鎮まったので一応の解決、ゲントらがその悩みを引きずる様子も特に描かれず。というか、彼らは心身ともに特殊精鋭部隊として描かれているので、ここで「怪獣を倒すのって悪いことなんでしょうか?」などとはならない訳ですね。今回に関しては、そういうリアリティでやっていませんよ、と。むしろゲント隊長、ニジカガチの横峯教授を場合によっては強硬的に排除するなどと言っていたので、その辺の覚悟はとっくにキマっていると思われる。

 

今回の主題は、「ゲントとブレーザーのコミュニケーションの不和」。ずばり、ここにある。命の選択というデリケートなテーマだったが、誤解を恐れずに言うと、今回のそれは単に舞台装置に過ぎない。デマーガ討伐をめぐってゲントとブレーザーの意思疎通が上手くいかず、反発し、揉めてしまう。これ自体が重要になっていくのである。無論、「人間を守るために怪獣を倒す!」「害をなす怪獣は討伐止む無し!」で結束する筋もあると思われるが、それにしたって最も描きたいのは「ゲントとブレーザーの結束」そのものだろう。シリーズを通してのテーマがコミュニケーションだと謳われているので、やはりそこの変遷、変化それ自体が肝なのだ。

 

であれば、空気を読めない狩猟民族・ブレーザーくんがデマーガ親子を思いっきり斬殺するルートもあったかと思うのですが、まあ、さすがにそこまでやると不和も不和ってことなのでしょう。

 

 

では、ファンの間でも大いに議論になった、「どっちが殺そうとして」「どっちがそれを止めようとしたのか」問題。これ、私の結論は「どっちでもない」です。ちょっとズルいかもですが。

 

描写的なことをいうと、スパイラルバレードを止めた左腕は赤いラインが発光。それに対抗するように、「止める腕を止める」のが青いライン。そっくりそのまま受け取れば、青が殺す派で、赤が生かす派ってことになる。そして、ゲントの身体を一時的にブレーザーが乗っ取る際に目が青く光るんですね。なので、じゃあブレーザーが青だから殺す派、対する赤の生かす派が消去法でゲントですね、と、なりがち。なりがちです。ブレーザーくんは知能指数が低そうで野蛮な狩猟民族っぽいので、殺す派なのはイメージとしても自然。ゲントの根が優しいのは言うまでもないので怪獣親子に自身の家族を重ねて咄嗟に止めちゃうのも分かりやすい。しかし、しかしですね……。ゲントのポケットの中で光るブレーザーストーンは赤く発光しているんですね。また、ベビーデマーガを遠視しその小さな背中を見つめる時、ゲントの目は青く光る。あれあれ、そうするとさっきの判別がひっくり返るような気もする。どうなってんだ、と。前述のように、ゲントは場合によっては横峯教授だってアレするだろう人だし、ここにきて怪獣を守りたいだなんてあり得る?、とも。

 

あくまで私の感想ですが、ほら、深層心理ってあるじゃないですか。言動とは違う部分、その人の意識・無意識のグラデーションの中にあるもの。ゲントはああいった部隊の隊長で、当然、怪獣を討伐することが職務だと自負している。殺すことも止む無しだとしっかり頭で分かっているし、そういった行動を取る。しかし心の中では殺処分される怪獣への哀れみや同情も人並みにはあるだろう。悔みながら、謝りながら、作戦行動を取っているのかもしれない。そういうのを総じて、覚悟と呼ぶ訳である。対するブレーザーも、飛び跳ねて暴れ回る狩猟民族でありながら、ゲントとの一体化を経て人間の生態や文化を学び始めている。礼節の構えを行いつつ、「相手を殺す」ことが当たり前の民族だったかもしれない。しかし、野菜ジュースを飲んでみたり、赤ちゃんの映像を観てみたりして、次第に理解が進んでいることだろう。そんな最中であれば、怪獣の親子を殺すことに新たな戸惑いを覚えるかもしれない。が、同時に、それまで生きてきた習性として殺すことも当たり前だと思っている、かも、しれない。

 

ゲントも、ブレーザーも、生物なのだから。考えていることは何重にもあるし、行動がそれとイコールとは限らない。そんな彼らが摩訶不思議な一体化を成している訳で、意識・無意識のどのレイヤーがどのように絡み合い、作用しているのか、それは誰にも分からない。白黒はっきり付けられるものでもないだろう。だからこそ、実際の描写として、「あえて明言しない」「あえて迷彩にする」が選択されているような、そんな印象を受けるのだ。ポイントは、あくまで「混ざりあったふたつの生物の不和」なのだと。しかし同時に、それまで本能のように(無意識に?)戦いを進めていた彼らが、そこに感情を入れ込み始めた。それぞれの主義や主張を、意識・無意識に関わらず、介在させてきた。その変遷こそがポイントだと思うのです。

 

だから、「殺そうとした」「止めようとした」というより、彼らがひとつの肉体の中で何かしら作用し合う、(結果としてそれは揉め事のようになってしまったが)、コミュニケーションを発展させていく上でこれは避けては通れないステップである、と。喋ったことのない同僚と初めて会話して、ちょっと喧嘩になるような、そういう段階の話だと思うんですよね。だから、あえてちょっと曖昧にしているというか。「どっちがどっち」って、そりゃいくらでも明言できるはずなんですよ、描写として。それをしなかったことが、そも伝えたい意図なのかなぁ、って。

 

といったところで、記事の大部分を例のシーンに費やしてしまった訳ですが、その他の部分も……。

 

まず、ゲント隊長とその一家。いやぁ、微笑ましい。いや、その、あのですね。ちょっと毒のあること言いますが、序盤の方でロッカーで家族の写真を見たり指輪を外してるシーンがあったじゃないですか。あれを見て「不穏だ」「家族は既に死んでいるのでは?」という声が割と挙がってたのですが、そんなことはないだろ~~~ってずっと思ってて。だって番組制作発表の頃から多数のメディアで家族持ちって普通に明言されてましたからね。いや、もちろん、初期設定に伏線を仕込んでおく番組もあるっちゃありますが、これはそういう類のものじゃないでしょ。変に勘ぐりすぎだな、ってずっと思ってました。すみません、今だから言います。なんか後出しみたいになってアレなんですが。要はやっぱり家族描写面白かったですね。ゲントの「いいパパ」感がやばい。「パパ怪獣かな!?」「そうだねそうだね」「テキトーに言わないで!」「じゃママ怪獣だな」のくだりとか爆笑ですよ。いや、こういうのよくやっちゃうんですよね、親としては。

 

ベビーデマーガのキュートさのある造形は花マルですし、ちゃんと「悪い子じゃないのに!人間ってひどい!」感が出ていて実に良い!(なんて言い草だ……) あと今回の話、ベビー怪獣だったり怪獣型ロボがその親とバトる流れだったり、全体的に『ゴジラVSメカゴジラ』のオマージュを受け取れますよね。卵から孵化するシーンなんかも。そういう世代の人間として、実に馴染みのある作劇です。

 

 

 

アースガロンの目については、演出意図としてはよ~~く分かるし、成功していると思うのだけど、私としてはその「黒目なし」に特に理屈が無いのが引っかかったり。上からの「可及的速やかに討伐せよ」等の命令で「デストロイモード起動!」とか、まぁ分かりませんけど、そういうロジックがひとつまみ欲しかったかな、って。

 

あと、防衛隊は相変わらず火力でゴリ押ししか知らないんですねぇ。よくこれで約60年間も怪獣災害を扱ってきたな……。まあ、だからこそSKaRDの存在に価値が出てくる訳ですが。

 

映像面では、ブレーザーの変身後の背中のカットなんかまさに「父の背中」で燃えますし、ミサイルを咆哮で破壊するくだりは劇伴も無く「うわ~~なんかヤバいぞ~~~!なんか!なんかヤバい!」感がひしひしと伝わってくる。緊迫感重視というか、パンドラの箱が開いちゃったような感覚の調整が実にお見事。デマーガを鎮静化させる光のバレードはちょっと唐突に出てきた便利技すぎるのですが、前述の通り、「デマーガを殺すか否か」は実は主題ではないので、この辺りが落としどころなのでしょう。

 

物語として、アゲるためには一度サガらないといけない。勝利の前にはピンチが。撃破の前には苦戦が。結束の前には不和が無ければならない。今回のこの、色んな意味でのモヤモヤを扱った第10話、必ずや後の『ブレーザー』の展開に活きてくる。そう信じられる回でした。では、続く第11話へ。

 

next ▶

www.jigowatt121.com

 

◀ prev

www.jigowatt121.com

 

 

感想『ウルトラマンブレーザー』第9話「オトノホシ」 #俺が観る EP09 最後のコンサートが、始まる

実は数年前に、東儀秀樹さんのステージを鑑賞したことがありまして。とても長身でスラッとした方だなぁ、という印象が強く残ってます。作曲家や俳優としてもご活躍されている東儀さんですが、やはり雅楽でしょう!私が観たステージでも和装に身を包み雅楽器を操っておられました。氏の2023年の新譜『NEO TOGISM』にはプログレッシブロックと雅楽を融合させた「プログレッシブ雅楽」が収録されており、ここ数日繰り返し聴いていまして。私事なのですが、父がこういうニュアンスの音楽が好きなもので、実家を思い出しますね……。よく部屋で聴いてたなぁ。キーボーディストの喜多郎とか。

 

NEO TOGISM (通常盤)

NEO TOGISM (通常盤)

NEO TOGISM (通常盤)

Amazon

 

今回、俳優としてのご出演だけでなく楽曲提供までいただくという、非常に豪華なゲスト出演でしたね!

 

時計仕掛けの宇宙

時計仕掛けの宇宙

  • 東儀秀樹
  • クラシック・クロスオーバー
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

▲ アルバムではこの曲が気に入りました。試聴箇所は前半ですが、後半にギターが鳴ってグッと盛り上がるのがカッコイイ!

 

 

▲ こちらのツイート、間違えました……。「チルソニア遊星人」が正しいです。

 

それでは #俺が観る 第9回、今週もよろしくお願いします。

 

引用:https://twitter.com/ultraman_series/status/1700296729894293611

 

アンリのもとに届いた1枚の手紙。それは、かつて音楽を通じて親交を深めたツクシホウイチが率いる楽団のコンサートチケットであった。そのさなか、宇宙より飛来した隕石から、ロボット怪獣ガラモンが姿を現す。ガラモンが謎の音波により行動をコントロールされていると気づいたアンリは、その音波に思い当たる節があって…。

ウルトラマンブレーザー – 円谷ステーション – ウルトラマン、円谷プロ公式サイト

 

2023/09/09 放送 監督:越知靖 脚本:植竹須美男

 

さて、濃厚な『ウルトラQ』リスペクト回だったことは勿論ですが、まずは本作のテーマであるコミュニケーションについて、ここまでの回をざっと振り返ってみたい。

 

ブレーザーとゲント隊長のコミュニケーションはまだほとんど取れていない状態で、今回も「一回叩いたら一度光ってね」などと未就学児をあやすような会話が描かれた。ブレーザーくんの知能がどれほどのものかは分からないが、どちらかというと「幼い相手」というより「文化圏も言語も全く異なる異種族」という方向性だろう。9話は、セミ人間らが人間が作り出した音楽という文化に触れてしまい本来の目的である地球侵略に戸惑いを覚える筋が描かれたが、一方のブレーザーくんも野菜ジュースというこれまた人間が作り出した代物に興味を示している。思い返せばニジカガチ後編の8話でも、精神空間(?)でゲント隊長に近付き関わろうとする光の存在(ブレーザー)、というシーンがあった。鎧で表情を隠したニジカガチや、対話を拒み自説を振りかざした横峯教授など、対話や相互理解を拒否する存在も多かった回だ。

 

前回始めて描かれたインナースペースもそうだったが、今回もゲント隊長の主観映像で、更には星座のように模られたブレーザーが登場。従来であれば、精神空間に無言で存在する巨大なウルトラマンの上半身…… という絵面が印象的だが、それとはガラッと見せ方を変えてきている。これはまた新鮮なカット。思うに、これはもうシリーズ全編をかけて「ゲント隊長とブレーザーのコミュニケーションの変遷」を描く構成なのだろう。それも、視聴者視点=ゲント隊長視点で。

 

9話の「オトノホシ」もそうだが、基本は『ウルラマン』『ウルトラマンマックス』等の基本に忠実な「バラエティ豊かなSF特撮シリーズ」で、縦筋の要素が「コミュニケーションの変遷」。だから、『オーブ』のような主人公の過去、『Z』のような宇宙種の侵略ゲームといったものではなく、あくまで今ここにいる登場人物たちの関係性の発展を描いていくかな、と。

 

もちろんあくまで推察の域を出ませんが、どうにもそういったニュアンスを感じさせる。お話や考証、何よりキャラクターの造形がリアリティ高めに設定されているのもそうですが、最も描きたいのは「関りと関係性の発展それ自体」なのではないか。そう思うと、以前も書いたように、キャラクター描写ひとつ取っても分かりやすいギャップや記号的な見せ方に頼らず、あくまでチーム内の人間関係やちょっとしたやり取りの積み重ねを効かせている。監督や脚本家が違ってもそういった趣旨が全くブレていないので、これはシリーズ構成としてもかなり意図されたバランスなのだろう。

 

とはいえ、コミュニケーションというお題はむしろ非常に普遍的である。古今東西のフィクションのほとんど、「実はコミュニケーションがテーマです!」と言っても大きな齟齬は起こらないだろう。誰かと誰かが関わってこそ物語のエネルギーが発生するからして、当たり前の話である。

 

ただ、ことウルトラシリーズにフォーカスすると、シリーズのお約束である「人間と光の巨人の融合」を「互いを知らない異種族同士の突然の共存」に読み替え、その関係性が従来の「人間とウルトラマンの共闘」に至る、つまり “お約束に到達するまでの物語” にしてしまう試みは、同シリーズをよく識っている田口監督ならではの換骨奪胎と言えるのかもしれない。

 

 

さてさて。今回登場したガラモン、本流のTVシリーズへの登場は実に『Q』以来というから驚きである。ピグモンがスター怪獣として殿堂入りした反動か、出し辛いという向きもあったのかなぁ……。本当はこっちが先なのにね。

 

今回の「オトノホシ」が面白かったのは、あの『Q』の「ガラダマ」「ガラモンの逆襲」の直接の続編とも言えてしまう、そのバランス感覚にある。もちろん、『Q』を知らなくても構わないが、知っているとニヤリとできる。このぎりぎりを攻める辺りが実にウルトラシリーズという感じだし、近年のケムール人(『ウルトラマンZ』第18話「2020年の再挑戦」)やM1号(『ウルトラマンエックス』第19話「共に生きる」)の系譜として着々と味わい深さが増している。

 

ウルトラシリーズって、やはり怪獣をもう一度出せるから強いんですよね。三大特撮に数えられる東映の仮面ライダーやスーパー戦隊は、どうしてもヒーロー側と敵サイドに相関が生まれてしまう。種族的な因縁があったり、そもそもが対抗組織だったり。むしろそこに関係性があるからこそ面白いのだが、反面、両者はどうしてもセットなのだ。

 

ウルトラシリーズの怪獣は、元々地球に存在していたり、宇宙からやってきたりで、”そのウルトラマン” と何か関係があるケースの方が少ない。その時たまたま ”そのウルトラマン” が地球に滞在していたから交戦する。だからこそ、ウルトラマンと怪獣に相関はなく、怪獣は独立したキャラクターとしての背景や地位を獲得する。これが、後続シリーズにも幾度となく同じ怪獣が出現するウルトラシリーズの土壌にあたる考え方ではなかろうか。(もちろん着ぐるみ再利用による予算圧縮という大人の事情は前提として……)

 

「ウルトラマンは怪獣こそが主役!」と、それこそ田口監督も方々で何度も述べており、今作『ブレーザー』は念願叶って新規怪獣の大量投入にも繋がっている訳だが、その本質は何より「怪獣に個々の地位がある」ことに尽きる。『仮面ライダーガッチャード』にオルフェノクが出てきたらおかしいし、『王様戦隊キングオージャー』にマシン帝国バラノイアが出てきてもおかしい。しかし、『ウルトラマンブレーザー』に円盤生物が出るのはありだし、スペースビーストだってありだ。ここの理屈はウルトラなら何とか通せる。これこそが、ウルトラシリーズの強みなのである。だからこそ、怪獣が物語の起承転結を担う、これが作劇のベースになっていくのだ。

 

 

例によって話が勢いよく脱線していくが、今度こそガラモンの話。まずは映像的なリスペクト要素を挙げると、河に飛来して干上がった大地を見せるのは『Q』のガラモンがダムで暴れていたのと同じ絵だし、あの独特のガチャガチャした足音SEもばっちり。おまけに機能停止からの気持ち悪い液体トロ~までしっかりやってくれて最高でしたね。

 

ガラモンってあの見てくれでロボットというギャップが面白い訳ですが、『Q』ではもちろんウルトラマンと交戦するシーンは無かった。自衛隊あたりが通常兵器で攻撃!というシーンも無く。なので、ガラモンがロボットとしてどういった機能を持っているのか、特に材質としていかに硬く強固なのか、それは特に描写されていなかったのですよ。だから、『ブレーザー』でついに、ガラモンのロボットとしての特性が映像的にはっきり描写された訳です。とにかく硬くて強い!砲撃も跳ね返す!しかも衝撃を拡散する効果まで! こういった描写が後のチルソナイトソードにも繋がるのでしょうから、また手際が良いですよね。エラがアースガロンに刺さってるカットなんかも、ガラモンの材質描写として二重丸。

 

 

「宇宙人 meets 人類の文化」という筋書き、これまたシリーズとして王道なのですが、今回は全体の演出もよりクラシカルにアーティスティックに調整されていたのが印象的で。最後に劇的に幕が降りてバァーーンッ!と終わるあたりなんか、最高ですよ。それも間髪入れずEDが『Q』のテーマですからね。痺れる。

 

セミ人間は地球だけでなく色んな惑星に同種族を飛ばし、そこにあらかじめ潜伏させ、後発のガラモンを操作する役割を与えていた、と。モノクロ映像の60年前、おそらくガラモンを呼び寄せるためであろう装置をセッティングしていたセミ星人。『Q』での描写を踏まえると、通常ならあの装置がそのままガラモンのリモコンのように機能したのかもしれない。しかし音楽に出会った彼らはその魅力に憑りつかれ、果てにはそのメロディでもってガラモンを操作する域にまで到達する。これ、言うまでもなく彼らの音楽家としてのスキル向上描写なんですよね。元のガラモン操作テクノロジーは絶対に音楽じゃなかったはずなので、それと同じ周波数をメロディで奏でている訳です。「ガラモンを操作できる周波数で」「なおかつ単体の楽曲として成立し聴きごたえのある作曲を行う」という、超絶スキルの賜物なんですよ。いかに彼らが音楽と向き合い、慈しみ、研鑽を積んできたか。その成果こそがこの最後のコンサートなんだと。

 

捉えようによっては、あれらの楽曲は「セミ星人の技術」と「人間が創った音楽」の融合とも言える存在で、異なる文化同士のコミュニケーションの産物でもある。反面、セミ人間たちにすれば、ただの侵略のための「セミ星人の技術」を、60年間も愛してきた「人間が創った音楽」に沿わせてしまうことは、苦痛を伴う行為だったのかもしれない。音楽を暴力で汚してしまうような、そんな後ろめたさがあったのかもしれない。

 

しかし、種族としての使命が課せられていて、呼んでしまったガラモンは容赦なく飛来してくる……。そのジレンマやアンチノミーが、「知り合った地球の女性をコンサートに招待する」という行為に繋がる。地球人の誰かにこの苦悩と罪悪感を告白せざるを得なかった、誰かに止めて欲しかった嘆きの現れ、だったのかもしれない。実に趣深い。

 

 

9月9日に放映された『Q』リスペクトの第9話。ウルトラシリーズでしか観られないテイストで、愛と熱とこだわりに満ちた、記憶にがっつり刻まれるタイプのお話でした。「こういうの」、本当にウルトラシリーズの強みだと思うんです。ハードSFもコメディタッチ戦闘もアーティスティック独創回も、それらをひと箱に収められるのが『ウルトラマン』から続く伝統だ。

 

next ▶

www.jigowatt121.com

 

◀ prev

www.jigowatt121.com