ジゴワットレポート

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感想『ウルトラマンブレーザー』第8話「虹が出た 後編」 #俺が観る EP08 賽の目は、神のみぞ知る

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「虹が出た」というタイトル、作中の緊張感からすると少しとぼけた印象もあるのですが、私はこれ昭和シリーズのオマージュ的なそれだと思うんですよね。

 

初代『ウルトラマン』でいえばケロニア回の「来たのは誰だ」、『ウルトラセブン』だとペロリンガ星人が登場する「円盤が来た」、『ウルトラマンタロウ』あたりまでくると「タロウの首がすっ飛んだ!」「出た!メフィラス星人だ!」といった珍タイトルまで出てくる訳ですが、それはともかく……。仰々しくかっこいいタイトルもストレートに好きなのですが、この「虹が出た」のような牧歌的な香りのするタイトル付け、ウルトラシリーズのひとつの個性だよな、と思う次第です。

 

 

さてさて。 #俺が観る 第8回、今週もよろしくお願いします。

 

引用:https://twitter.com/ultraman_series/status/1697760007033626929

 

ニジカガチが作り出した強大な台風により、文明の洗い流しが行われようとしていた。ニジカガチ撃破のため、アースガロンの新装備”Mod.2”の実戦投入を決めるゲント。そして、今回の首謀者である横峯のもとへは、彼を心から尊敬していたテルアキが説得に向かう。

ウルトラマンブレーザー – 円谷ステーション – ウルトラマン、円谷プロ公式サイト

 

2023/09/02 放送 監督:中川和博 脚本:山崎太基

 

さて、第8話感想にあたって、「ニジカガチ最高!」とか「相変わらずハードなテンションの特撮が良い」とか「アースガロンかっこかわいい」とかの前に、ウルトラマンの販促事情、及びインナースペースの扱いに関して先に触れておきたい。

 

さかのぼれば2013年の『ウルトラマンギンガ』、もっと言えばそこから更に前のTVシリーズが途絶えていた時代にも起因するが、要はウルトラシリーズには「商業的な成功」が従来よりいくらか強く課された時期があった。つまるところ、しっかりと玩具を販促し、その売上を担保にシリーズを継続するという、現代児童向け特撮コンテンツの基本の「キ」である。

 

しかしながら、変身した後もずっと腰にベルトを巻いている仮面ライダーや、武器を操りロボットに乗り込むスーパー戦隊と違い、ウルトラシリーズには直接的な玩具アピールが難しいという壁があった。言うまでもなく歴代の変身者も何かしらのアイテムを活用してウルトラマンに変身するが、それが登場するのは変身シーンのたった一度のみ。また、ウルトラマンが武器を使う光景も実は珍しいものではないが、いかにも玩具らしい造形・色彩・装飾のものはほとんど用いられなかった。ウルトラマンは、人間がそのまま変身する等身大ヒーローとは異なる神秘性を有しており、それを損ねかねない絵作りは自然と避けられていったのだろう。マックススパークやメビウスブレスだって、当時は中々ひやひやしたものである。

 

 

また、ウルトラシリーズの玩具を手掛けるバンダイは、2008年『炎神戦隊ゴーオンジャー』の炎神ソウル、そして発展形かつ決定版となった2009年『仮面ライダーW』のガイアメモリを経て、「コレクターズアイテムの多売方式」に舵を切り始める。主力商品である変身アイテムや様々な武器と連動するコレクターズアイテムを、年間を通して数えきれないほどにリリースするのだ。そういった背景から、2013年『ウルトラマンギンガ』にも同様のフォーマットが活かされる運びとなった。

 

この、「①ウルトラマンという作品の特性上、直接的な玩具アピールとは食い合わせが悪い」と「②ウルトラシリーズにコレクターズアイテムの多売方式を適用する」という、どう見ても矛盾する条件をクリアするための発明が、通称インナースペースである。

 

ウルトラマンギンガに変身する主人公が、ウルトラマンと共有しているであろう精神世界のような空間で玩具を操り、それを受けギンガが技を発動したりする。これによって、「変身シーンに限らない玩具販促をしながら」「ウルトラマンは玩具を扱わない」というバランスを成立させ、以降、ニュージェネレーションシリーズの定番演出と化していく。もちろん、ウルトラマンと変身者が精神世界で繋がっている描写は過去のシリーズでも度々採用されていたもので、それを引用し、玩具販促に応用したものと思われる。

 

また『ウルトラマンギンガ』においては、肝心要のコレクターズアイテムにソフビ人形をそのまま持ってくるというアクロバティックな回答を打ち出し、ほとんど玩具そのままの塗装や分割線が映像にお目見えする運びとなった。リアリティや神秘性という意味では正直なところマイナスだったと思われるが、絶対にウルトラシリーズにしか出来ない方法論(ソフビという主力商品の文化を踏まえた施策)なので、私は割と気に入っている。潔さを含めて。

 

その後ソフビに限らず、カード、カプセル、メダル、指輪など、様々な小物をコレクターズアイテムとして販売する流れが定着した。主人公がインナースペースでそれを操り、玩具を展開させたり回したり、スイッチを押したりレバーを引いたり、といった操作をテンポよくバンクで見せていく。ともすればウルトラマンが操り人形やロボットのようにも見えてしまう危険性も孕みつつ、次第にウルトラマン本人もすこぶる玩具的な武器をそのまま使用する絵が増え、販促はじわじわと拡大していった。例えばタイガブレードなどは、一昔前では考えられなかった代物である……。

 

 

といった前提の末に、田口清隆監督のお話である。以下は、『ウルトラマンZ』制作時のムック本のインタビューの引用。

 

――対するウルトラマン側についてもお話を聞いてみたいのですが、まず今回の変身アイテム、ウルトラゼットライザーとウルトラメダルについてはいかがですか?

 

田口 僕と吹原さんでプロットを考えながら「どんな変身アイテムが来ても、物語に溶け込ますぞ!」と結託していたんですが、「今回はカードとメダル3枚です」と言われて、ちょっとひっくり返りました(笑)。『ウルトラマンX』の時、自分が関知せずに設定された最終アイテムや後半の展開を、最終回で回収することになって、頭を抱えたという経験がありまして。だから『オーブ』のときには「最初に最終アイテムと最後の展開を決めましょう」と提案して、おかげでウルトラマンオーブは最終形態を第1話に先行登場させたりなどもできて、全体の構成が上手くまとまったと感じていたんですね。なので今回もシリーズ構成として、変身アイテムをお話の展開にキチンと盛り込もうと思っていたんですが…「こんな量のアイテムを、劇中でどうやって面白く機能させるんだ?」と、一時は真剣に降りようとしました(笑)。そこはなんとかアイデアを捻り出して、自分を納得させたわけですけど。

 

・実業之日本社『ウルトラマン公式アーカイブ ゼロVSベリアル10周年記念読本』(2020/7/17発売)P94

 

 

こうして、いわゆる「オトナの事情」である玩具販促と色んな意味で向き合い、その制約を逆に利用するかのごとくシリーズ構成に落とし込み、意味付けとストーリー性を持たせるべく工夫が凝らされたのが『ウルトラマンZ』であった。

 

様々な先輩ウルトラマンたちのメダルに、ぎょっとするデザインである喋る魔剣など、マーチャンダイジングを基礎としてシリーズ構成を建てる。半人前、いや1/3人前の新米ウルトラマンが、先輩ウルトラマンや悪のウルトラマンらと関わり学びつつ、人類と共闘していくお話。インナースペースが必須ならば、それをウルトラマンとの対話空間としてより強調し、合いの手の構図で一種の視聴者参加型に仕上げる。『Z』の本懐はこういう点にあったと今でも強く感じている。

 

からの2023年、『ウルトラマンブレーザー』である。

 

――つまり、ニュージェネ・ダイナの次の作品ではなく、ニュージェネ・ガイアに代わる全く新しい作品として始まったわけですか?


そうです。社長がそう判断した理由のひとつに、いわゆる「ニュージェネ」と呼ばれてきた一連のシリーズとは違うことをやりたいという狙いがありました。といっても、個人的には『ウルトラマンX』や『ウルトラマンオーブ』の頃はニュージェネという言葉はなくて、そもそも毎年「新しいものを」って意識ではやっていたんですけどね。とにかく「これをやると変わって見えない」要素は何か? を考えました。

 

まず、過去のウルトラマンの力を使ったタイプチェンジ。それから制作上仕方ないことではあるんだけど、過去怪獣の使い回し。そしてコレクションアイテムを集めなきゃいけないストーリー展開。もうひとつがアイテムを操作するためのインナースペース。それを全部変えない限りは、「いつも通りじゃないか」と言われてしまう。「それなら、どこまでやれるか試してみよう」ということになり、次の段階に進みました。

 

・ホビージャパン『宇宙船vol.181』P83 田口清隆監督インタビュー

 

 

このように、田口監督の『ブレーザー』における販促事情との向き合い方は、『Z』の時とは異なっている。『Z』には気概として「そこまで販促があるんなら全部ばっちり有機的に取り込んでやろうじゃねーか!」といったニュアンスを感じさせ、『ブレーザー』では「どこまでを変えられるか、どうやったら例年と違うモノになるのか、やれるだけやってみよう」といった感触だろうか。(何より、試すことが許される土壌が整ってきたことが尊い)

 

結果的に、『ブレーザー』では7話までブレーザー戦闘中のゲント隊長は一切描かれず、当然のようにインナースペースも描写されず、ブレーザーブレスも変身シーンのみの登場であった。コレクションアイテムを特段フィーチャーすることもなく、むしろ例年よりサイズやギミックを盛った怪獣ソフビやDXアースガロンへの注力を感じさせるほどだ。劇中描写だけでなく、玩具のラインナップや販売形態についても、例年とは違う動きを見せている。

 

 

ここまでですでに4,000字を超えてしまい大変申し訳ないのだが、ここにきて、やっとこさ、『ブレーザー』8話のシーンである。ニジカガチの体内から噴出した虹を跳び上がったブレーザーが掴むと、インナースペースでニジカガチメダルが生成され、それをブレーザーブレスに装填することで、新たな必殺技・レインボー光輪を放つことができるのだ。満を持してインナースペースが描写され、コレクターズアイテムが劇中で取り上げられたのだ。

 

とても正直なところ、このシーンには半々の想いである。「おお!こういう見せ方があったのか!」という喜びと、「やはりこれくらいの描写はノルマ的に不可避だったか……」という諦念。

 

「見せ方」という意味では、インナースペースでもっともらしく玩具を操作するというより、あくまでゲント隊長の主観映像に絞ってブレスを描写した点。OPのファーストカットよろしく「主観で光に手を伸ばす」といったイメージは当初から用意されており、更にブレスという手首に巻くスタイルだからこそ出来たカット割り、加えて「ブレーザー!頼む!力を貸してくれ!」というゲント隊長の祈りに応えたようなエモのブーストも効いており、極力「玩具っぽさ」を払拭しようとする工夫が見え隠れしている。すでに情報が公開されているチルソナイトソードとあわせて、「敵の能力を採集して武器化する」といった趣は狩猟民族のようなブレーザーのキャラ付けとも相性が良い。

 

www.cinematoday.jp

 

反面、「やはりこういう描写を完全撤廃することは叶わなかったか……」という想いも、当然あるにはある。田口監督の言葉を借りるなら、「どこまでやれるか試してみよう」の限界と言えるのかもしれない。チルソナイトソードもまあまあ玩具的なルックで、レバーを引く操作でガラダマを回して必殺技を発動するとのこと。これまた色んな意味で「ニュージェネ的」な玩具ではあるが、児童誌を読む限りゲント隊長がソードを操るスチールは無いので、インナースペースを引き続き抑えつつブレーザーが生身で操る見せ方になると思われる。

 

ウルトラマンも今や巨大な市場を持つビッグコンテンツであるからして、何らかの販促から逃れることはできない。玩具的な事情が見え隠れすることはこの界隈ではよくあることだし、それがストーリーの余白やリアリティを削いでしまうこともある。だがしかし、私はそれが絶対的な悪だなんて微塵も思わないし、販促があるからこそコンテンツは活き続けることができる。玩具の見せ方がドラマや演出に厚みを持たせ、その存在が魅力に寄与することだって、頻繁に起こっている。鬼の首を取ったかのように「結局インナースペースをやるんじゃねぇか」と叫ぶのは違うと思うし、かといって「これが新しインナースペースの形だ!」と諸手を挙げて賞賛もしない。ある意味で工夫の、反面で苦肉の、そういったカットだったと感じている。

 

完全に個人の持論ではあるのだが、私がこういったコンテンツに求めるのは「挑戦する意志」である。そういった気概が、ガッツが、策略が、作品制作に満ちており、部分的にでも成功していると好ましいと感じる。反面、「例年通りの寄せ集め」のような作品をあまり好まない(もちろん、それをむしろ「王道」だとして好む人も否定しない)。だから、「販促を薄める」とか「インナースペースを撤廃する」とか、そういったのは単に枝葉の結果論であって、『ブレーザー』に感じているのは「ニュージェネらしさとはどうにかして違えていきたい」という意志だ。その意志が反映された工夫、あるいは意志の限界。ここのせめぎ合いこそが、今回の「主観インナースペース」だなぁ、と。今どきの世の中はどこか「100点じゃないと認めない」という声が多いが、挑戦し、折衝し、少しずつ今とは違う可能性を勝ち取っていくことだって、大切なはずなのだ。などと、たった数秒のあのシーンにここまで書いた約5,700字が走馬灯のようによぎったのであった……。

 

兎にも角にも、マーチャンダイジングとシリーズ構成は表裏一体であるからして、もう少し後半戦までの玩具展開に注視していきたいところである。

 

さてさて、もうすでに文字数がアレなので、以下「虹が出た 後編」についてツイートをおさらいする形で語っていきたい。

 

 

もう一度貼ってしまいますが、このカットね、本当に、マジでね。最高。ありがとうございます。このスチールを印刷して棺桶に入れて欲しい。

 

引用:https://twitter.com/ultraman_series/status/1697760007033626929

 

戦闘機を操縦型ロボット兵器にすることでそこに「分かりやすい共闘の絵」と「キャラクター性」を持たせたのは、『Z』における田口監督の見事なまでの発明だった訳ですが、その文脈をしっかり活かして登場するアースガロン、完璧ですよね。ただウルトラマンの前座では終わらない、だからかっこいい。火事場で接続したMod.2の操作が上手くいかず、一度外してしまう流れなんかも実に丁寧。こういった描写の積み重ねがあり、照準が合いそうで合わない焦らしもたっぷりやって、その上で逆転の一撃。完璧です。

 

 

更には、まさかの「副隊長回」!こういった流れになるとは思わなかったので、完全に一本取られましたね。また、横峯教授と副隊長の主張を「ある意味ではどちらも正しい」としつつ、この手のやり取りにつきものな「怪獣(環境)か人間(文明)か」という二元論から少し軸をずらすのが実にクレバー。「人間や怪獣以外の動植物も生きている」という投げかけは、温和な性格でチームの和を尊ぶテルアキ副隊長のキャラクターとも実にマッチしている。巧い。

 

 

 

これ思ったの僕だけじゃないよね!??!?!??

 

 

「この場所こそが台風の目!」という、雲がそれこそ逆さ虹のようにぐるっと這う中でのレインボー光輪は、とても美しいカットでした。光輪を投げるブレーザーがしっかり体重をかけて渾身の投擲を決めているのもポイントが高い。まさに総力戦。人間とウルトラマンのチームアップでやっとこさ撃破できた、強敵怪獣ニジカガチ。ウルトラ史に名を刻む存在感でした。『ブレーザー』の代表的な怪獣として、今後ずっと語られていくことでしょう。その瞬間にリアルタイムで立ち会えました。

 

そんなこんなで、『ブレーザー』第8話。1クールの終わりを待たずに総力戦でしたが、ここからどういったシリーズ展開を見せていくのか。まさかのガラモンの復活、そして玩具情報からもまたもや新怪獣の産声が聞こえている……。引き続き、楽しませてくれそうです。

 

こんな高品質の特撮が毎週観られている、その幸せを噛み締めながら。

 

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