ジゴワットレポート

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感想『ウルトラマンブレーザー』第9話「オトノホシ」 #俺が観る EP09 最後のコンサートが、始まる

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実は数年前に、東儀秀樹さんのステージを鑑賞したことがありまして。とても長身でスラッとした方だなぁ、という印象が強く残ってます。作曲家や俳優としてもご活躍されている東儀さんですが、やはり雅楽でしょう!私が観たステージでも和装に身を包み雅楽器を操っておられました。氏の2023年の新譜『NEO TOGISM』にはプログレッシブロックと雅楽を融合させた「プログレッシブ雅楽」が収録されており、ここ数日繰り返し聴いていまして。私事なのですが、父がこういうニュアンスの音楽が好きなもので、実家を思い出しますね……。よく部屋で聴いてたなぁ。キーボーディストの喜多郎とか。

 

NEO TOGISM (通常盤)

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今回、俳優としてのご出演だけでなく楽曲提供までいただくという、非常に豪華なゲスト出演でしたね!

 

時計仕掛けの宇宙

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  • 東儀秀樹
  • クラシック・クロスオーバー
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

▲ アルバムではこの曲が気に入りました。試聴箇所は前半ですが、後半にギターが鳴ってグッと盛り上がるのがカッコイイ!

 

 

▲ こちらのツイート、間違えました……。「チルソニア遊星人」が正しいです。

 

それでは #俺が観る 第9回、今週もよろしくお願いします。

 

引用:https://twitter.com/ultraman_series/status/1700296729894293611

 

アンリのもとに届いた1枚の手紙。それは、かつて音楽を通じて親交を深めたツクシホウイチが率いる楽団のコンサートチケットであった。そのさなか、宇宙より飛来した隕石から、ロボット怪獣ガラモンが姿を現す。ガラモンが謎の音波により行動をコントロールされていると気づいたアンリは、その音波に思い当たる節があって…。

ウルトラマンブレーザー – 円谷ステーション – ウルトラマン、円谷プロ公式サイト

 

2023/09/09 放送 監督:越知靖 脚本:植竹須美男

 

さて、濃厚な『ウルトラQ』リスペクト回だったことは勿論ですが、まずは本作のテーマであるコミュニケーションについて、ここまでの回をざっと振り返ってみたい。

 

ブレーザーとゲント隊長のコミュニケーションはまだほとんど取れていない状態で、今回も「一回叩いたら一度光ってね」などと未就学児をあやすような会話が描かれた。ブレーザーくんの知能がどれほどのものかは分からないが、どちらかというと「幼い相手」というより「文化圏も言語も全く異なる異種族」という方向性だろう。9話は、セミ人間らが人間が作り出した音楽という文化に触れてしまい本来の目的である地球侵略に戸惑いを覚える筋が描かれたが、一方のブレーザーくんも野菜ジュースというこれまた人間が作り出した代物に興味を示している。思い返せばニジカガチ後編の8話でも、精神空間(?)でゲント隊長に近付き関わろうとする光の存在(ブレーザー)、というシーンがあった。鎧で表情を隠したニジカガチや、対話を拒み自説を振りかざした横峯教授など、対話や相互理解を拒否する存在も多かった回だ。

 

前回始めて描かれたインナースペースもそうだったが、今回もゲント隊長の主観映像で、更には星座のように模られたブレーザーが登場。従来であれば、精神空間に無言で存在する巨大なウルトラマンの上半身…… という絵面が印象的だが、それとはガラッと見せ方を変えてきている。これはまた新鮮なカット。思うに、これはもうシリーズ全編をかけて「ゲント隊長とブレーザーのコミュニケーションの変遷」を描く構成なのだろう。それも、視聴者視点=ゲント隊長視点で。

 

9話の「オトノホシ」もそうだが、基本は『ウルラマン』『ウルトラマンマックス』等の基本に忠実な「バラエティ豊かなSF特撮シリーズ」で、縦筋の要素が「コミュニケーションの変遷」。だから、『オーブ』のような主人公の過去、『Z』のような宇宙種の侵略ゲームといったものではなく、あくまで今ここにいる登場人物たちの関係性の発展を描いていくかな、と。

 

もちろんあくまで推察の域を出ませんが、どうにもそういったニュアンスを感じさせる。お話や考証、何よりキャラクターの造形がリアリティ高めに設定されているのもそうですが、最も描きたいのは「関りと関係性の発展それ自体」なのではないか。そう思うと、以前も書いたように、キャラクター描写ひとつ取っても分かりやすいギャップや記号的な見せ方に頼らず、あくまでチーム内の人間関係やちょっとしたやり取りの積み重ねを効かせている。監督や脚本家が違ってもそういった趣旨が全くブレていないので、これはシリーズ構成としてもかなり意図されたバランスなのだろう。

 

とはいえ、コミュニケーションというお題はむしろ非常に普遍的である。古今東西のフィクションのほとんど、「実はコミュニケーションがテーマです!」と言っても大きな齟齬は起こらないだろう。誰かと誰かが関わってこそ物語のエネルギーが発生するからして、当たり前の話である。

 

ただ、ことウルトラシリーズにフォーカスすると、シリーズのお約束である「人間と光の巨人の融合」を「互いを知らない異種族同士の突然の共存」に読み替え、その関係性が従来の「人間とウルトラマンの共闘」に至る、つまり “お約束に到達するまでの物語” にしてしまう試みは、同シリーズをよく識っている田口監督ならではの換骨奪胎と言えるのかもしれない。

 

 

さてさて。今回登場したガラモン、本流のTVシリーズへの登場は実に『Q』以来というから驚きである。ピグモンがスター怪獣として殿堂入りした反動か、出し辛いという向きもあったのかなぁ……。本当はこっちが先なのにね。

 

今回の「オトノホシ」が面白かったのは、あの『Q』の「ガラダマ」「ガラモンの逆襲」の直接の続編とも言えてしまう、そのバランス感覚にある。もちろん、『Q』を知らなくても構わないが、知っているとニヤリとできる。このぎりぎりを攻める辺りが実にウルトラシリーズという感じだし、近年のケムール人(『ウルトラマンZ』第18話「2020年の再挑戦」)やM1号(『ウルトラマンエックス』第19話「共に生きる」)の系譜として着々と味わい深さが増している。

 

ウルトラシリーズって、やはり怪獣をもう一度出せるから強いんですよね。三大特撮に数えられる東映の仮面ライダーやスーパー戦隊は、どうしてもヒーロー側と敵サイドに相関が生まれてしまう。種族的な因縁があったり、そもそもが対抗組織だったり。むしろそこに関係性があるからこそ面白いのだが、反面、両者はどうしてもセットなのだ。

 

ウルトラシリーズの怪獣は、元々地球に存在していたり、宇宙からやってきたりで、”そのウルトラマン” と何か関係があるケースの方が少ない。その時たまたま ”そのウルトラマン” が地球に滞在していたから交戦する。だからこそ、ウルトラマンと怪獣に相関はなく、怪獣は独立したキャラクターとしての背景や地位を獲得する。これが、後続シリーズにも幾度となく同じ怪獣が出現するウルトラシリーズの土壌にあたる考え方ではなかろうか。(もちろん着ぐるみ再利用による予算圧縮という大人の事情は前提として……)

 

「ウルトラマンは怪獣こそが主役!」と、それこそ田口監督も方々で何度も述べており、今作『ブレーザー』は念願叶って新規怪獣の大量投入にも繋がっている訳だが、その本質は何より「怪獣に個々の地位がある」ことに尽きる。『仮面ライダーガッチャード』にオルフェノクが出てきたらおかしいし、『王様戦隊キングオージャー』にマシン帝国バラノイアが出てきてもおかしい。しかし、『ウルトラマンブレーザー』に円盤生物が出るのはありだし、スペースビーストだってありだ。ここの理屈はウルトラなら何とか通せる。これこそが、ウルトラシリーズの強みなのである。だからこそ、怪獣が物語の起承転結を担う、これが作劇のベースになっていくのだ。

 

 

例によって話が勢いよく脱線していくが、今度こそガラモンの話。まずは映像的なリスペクト要素を挙げると、河に飛来して干上がった大地を見せるのは『Q』のガラモンがダムで暴れていたのと同じ絵だし、あの独特のガチャガチャした足音SEもばっちり。おまけに機能停止からの気持ち悪い液体トロ~までしっかりやってくれて最高でしたね。

 

ガラモンってあの見てくれでロボットというギャップが面白い訳ですが、『Q』ではもちろんウルトラマンと交戦するシーンは無かった。自衛隊あたりが通常兵器で攻撃!というシーンも無く。なので、ガラモンがロボットとしてどういった機能を持っているのか、特に材質としていかに硬く強固なのか、それは特に描写されていなかったのですよ。だから、『ブレーザー』でついに、ガラモンのロボットとしての特性が映像的にはっきり描写された訳です。とにかく硬くて強い!砲撃も跳ね返す!しかも衝撃を拡散する効果まで! こういった描写が後のチルソナイトソードにも繋がるのでしょうから、また手際が良いですよね。エラがアースガロンに刺さってるカットなんかも、ガラモンの材質描写として二重丸。

 

 

「宇宙人 meets 人類の文化」という筋書き、これまたシリーズとして王道なのですが、今回は全体の演出もよりクラシカルにアーティスティックに調整されていたのが印象的で。最後に劇的に幕が降りてバァーーンッ!と終わるあたりなんか、最高ですよ。それも間髪入れずEDが『Q』のテーマですからね。痺れる。

 

セミ人間は地球だけでなく色んな惑星に同種族を飛ばし、そこにあらかじめ潜伏させ、後発のガラモンを操作する役割を与えていた、と。モノクロ映像の60年前、おそらくガラモンを呼び寄せるためであろう装置をセッティングしていたセミ星人。『Q』での描写を踏まえると、通常ならあの装置がそのままガラモンのリモコンのように機能したのかもしれない。しかし音楽に出会った彼らはその魅力に憑りつかれ、果てにはそのメロディでもってガラモンを操作する域にまで到達する。これ、言うまでもなく彼らの音楽家としてのスキル向上描写なんですよね。元のガラモン操作テクノロジーは絶対に音楽じゃなかったはずなので、それと同じ周波数をメロディで奏でている訳です。「ガラモンを操作できる周波数で」「なおかつ単体の楽曲として成立し聴きごたえのある作曲を行う」という、超絶スキルの賜物なんですよ。いかに彼らが音楽と向き合い、慈しみ、研鑽を積んできたか。その成果こそがこの最後のコンサートなんだと。

 

捉えようによっては、あれらの楽曲は「セミ星人の技術」と「人間が創った音楽」の融合とも言える存在で、異なる文化同士のコミュニケーションの産物でもある。反面、セミ人間たちにすれば、ただの侵略のための「セミ星人の技術」を、60年間も愛してきた「人間が創った音楽」に沿わせてしまうことは、苦痛を伴う行為だったのかもしれない。音楽を暴力で汚してしまうような、そんな後ろめたさがあったのかもしれない。

 

しかし、種族としての使命が課せられていて、呼んでしまったガラモンは容赦なく飛来してくる……。そのジレンマやアンチノミーが、「知り合った地球の女性をコンサートに招待する」という行為に繋がる。地球人の誰かにこの苦悩と罪悪感を告白せざるを得なかった、誰かに止めて欲しかった嘆きの現れ、だったのかもしれない。実に趣深い。

 

 

9月9日に放映された『Q』リスペクトの第9話。ウルトラシリーズでしか観られないテイストで、愛と熱とこだわりに満ちた、記憶にがっつり刻まれるタイプのお話でした。「こういうの」、本当にウルトラシリーズの強みだと思うんです。ハードSFもコメディタッチ戦闘もアーティスティック独創回も、それらをひと箱に収められるのが『ウルトラマン』から続く伝統だ。

 

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