ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

感想『Pokémon LEGENDS アルセウス』 嘘を減らしてくれて、ありがとう。

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「自分に合わなかった」という体験は、「合う」と出会えるまでの必要な寄り道である。

 

「う~ん、なんだかこの作品、自分とは合わないなぁ・・・」。誰もが一度や二度は経験しているのではないだろうか。しかし、その「not for me」にこそ金脈が眠っている。なぜ自分はこの作品に心が震えなかったのか。どうして興奮できなかったのか。なにゆえ好奇心をくすぐられなかったのか。それらを自問自答しながら分解していくと、自動的に自身の嗜好が浮き彫りになるからだ。

 

といった前置きをした上で、公開当時に話題になった以下の動画『【Official】Pokémon Special Music Video 「GOTCHA!」 | BUMP OF CHICKEN - Acacia』に自分でも驚くほど心が震えなかった話をしたい。

 

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公開当時はSNSのトレンドを席捲し大絶賛で迎えられたと記憶しているが、自分としては「アニメーションがすごいなぁ」という映像面の感想が先に立った。どうしてだろうか。ポケモンというコンテンツには、それこそ20年以上も触れ続けているのに。

 

色々と考え込んでいくと、この映像は、主にキャラクターにフォーカスした作りであることに気付く。歴代ジムリーダーやライバル達がサビでダイナミックに登場するが、正直、自分はジムリーダーの名前をほとんど覚えていない。歴代の博士もそうだ。カスミとタケシとオーキドと、あと、誰がいたっけな・・・ というレベル。加えて、歴代の主人公が独立したキャラクターとして扱われているのも、自分の感覚としては解釈違いだ。「それは誰? 『俺』じゃなかったの?」「『俺』の当時の手持ちにデンリュウはいなかったけど」といったモヤモヤが頭をよぎってしまう。(なので、これはポケモンに限った話ではないが、私はゲームの主人公を自分自身として分身・同化させてプレイする方針であり、そのため絶対的に同性の見た目しか選択しないのだが、これは話が延々と逸れる話題なのでここまでにしておく)

 

この映像の前年にリリースされたアプリ『ポケモンマスターズ』をリリース直後にDLして遊び、ほどなくして「う~ん、not for meだなぁ」と感じたこともあわせて、つまるところ自分はポケモンというコンテンツに「キャラクター性」のようなものをほとんど求めていないんだな、ということに気付く。そこへの興味が目立って低い。「ポケモンはキャラゲーか?」と聞かれれば私としては確信を持って「NO」なのだが、それが「YES」という人も沢山いるはずである。嗜好とは、得てしてそんなものだ。

 

では、私はポケモンというIPの何を好いているのか。

 

それはおそらく、世界観そのもの。摩訶不思議な野生の生物がいて、それが作中文化として認知・確立されていて、捕獲して戦わせたり、人間と共生していたりする、そういった世界観それ自体に惚れ込んでいるのだ。ポケモンの生態は動物のようで、なにかが違う。強制的に捕獲し、隷属し、使役しながらも、ポケモンと人間の友情・信頼関係の概念も確かに存在する。そんな、一見するとアンビバレンスにも感じられる価値観や倫理観。その舞台設定に、20年以上も感銘を受け続けている。

 

近年で挙げれば、映画『名探偵ピカチュウ』は本当に素晴らしかった。あれこそ、夢にまで見た「ポケモンが当たり前に生態として存在している社会」!

 

それをアニメではなく実写の質感でやってくれたので、驚くほどに解像度が高かったのである。マイケル・ベイ監督『トランスフォーマー』を劇場で観た当時、帰路ですれ違う車が今にも変形しそうなワクワクに襲われたが、それと非常に近い手触りがあった。我々の生活のすぐ傍にも、こうやってポケモンが生きているのかもしれない。そういった世界観描写に心臓が跳ねる。

 

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だからこそ、『剣盾』のワイルドエリアにもたまらないものがあった。

 

サイズの大きなポケモンが、大きいサイズのままウロウロしている。近づけば襲われてしまいそうな恐怖を感じる。たったそれだけのことに、どうしてこんなにもワンダーを覚えるのだろう。バタフリーが飛んでいて、カビゴンがゆっくり歩いている。その真横を横切ることができる。すごい。なんてこったい。これが、ゲームシステムという「大人の都合」に誤魔化されていない、真に俺たちが見知ってきた世界観なんだ、と。

 

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よって、ポケモンに対人戦の面白さを見出したことは無かった。努力値や性格など、もちろん知識としては知っているが、それを極めようと手間暇をかけたことは無い。いわゆる厳選をしたこともない。

 

私にとってのポケモンは、「自分自身がその世界観に浸るゲーム」なのだ。

 

登場するキャラクターも、結局はそのための舞台装置に過ぎない。もちろん、ストーリーを進めていけばその都度「いいキャラだなぁ」「この戦闘の駆け引きは面白いなぁ」と感じるのだけど、結局は「ストーリーを進めて世界観に入り込んでいく」「意味もなく道路や街を散策する」といったプレイスタイルに落ち着ていく。なので、以前「ポケモンは殿堂入りさせてからが本番」という言説を目にした時は驚いたものである。そんな考え方があるのかと。

 

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・・・はい、ということで、「オタクは前置きと前提条件が長い」を地で行くと噂の(噂の?)当ブログだが、ここにきて本題である。

 

去る2022年1月にリリースされたNintendo Switch専用ソフト『Pokémon LEGENDS アルセウス』。なんのために延々と回りくどい話をしていたかというと、これがもう痺れるほどに、「ポケモンという世界観に浸りたい人」にはドンピシャなタイトルであった。ぶっちゃけ、「これをやるために自分はずっとポケモンを好いてきたのかもしれない」と実感するほどに。大げさでもなんでもなく、真剣にそう感じながら昨晩も夜中の2時までプレイをしていた。

 

Pokémon LEGENDS アルセウス -Switch

 

ゲームの概要は今更説明するまでもないが、この「オープンフィールドでポケモンをやる」という発想それ自体が、心から求めていたものだった。

 

『剣盾』当時、ワイルドエリアを散策しながら、何度「もっとこの方向性を突き詰めたゲームをやってみたいなぁ」と感じたことか。安心してくれ、この数年後、野生のポケモンに襲われて命からがら逃げる体験を嫌というほど味わうことになる。それも、満面の笑みでな。

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深く気に入った作品ほど否定的な意見を摂取してしまう癖があるのだが、『アルセウス』に対して「作業ゲーだ」という声を見かけることは多い。確かにそうだろう。歴代メインタイトルと違って、1匹を捕まえただけで図鑑が完成しないのだから。ポケモン図鑑完成を目指すのなら、同じポケモンを何度も何度も捕獲しなければならない。

 

が、それこそが楽しいんじゃあないか・・・!!

 

オープンフィールドを四方八方に動き回りながら、お目当てのポケモンを見つける。遠くから、あるいは崖上から遠距離対応のボールで撃つように狙っていく。スナイパーのように照準をあわせ、スパンと一撃。テレポン!の捕獲完了SEと共に、脳汁がブリュブリュブリュゥゥゥゥッシャァァァァァァァと溢れ出す。脳が脳汁に浸る。ブクブクブクブク。たまんねぇぇぇぇぇ!生きたポケモンを!こちらに襲い掛かってくるポケモンを!その世界観に生きる生物を!こちらの一方的な都合と技術で捕まえてしまう!これが!「知っているけどやったことのないポケモン」!これが!これが!

 

ガタイのいいポケモンは気軽に襲ってくるので、草むらに隠れて様子をうかがう。草むらでしゃがみ込むと、シームレスにBGMの音が減る。コントローラーを握りしめながら、こちらも思わず息をひそめる。そっちに動け、そっちに行け、そのまま振り返るな。背後を狙いながら抜き足差し足で忍び寄っていく。あるいは餌を投げる。そっちに喰いついてくれればこちらのもの。その無防備なケツの穴に渾身のボールを叩きつけてやる!ピヨン!ポンポン! ・・・テレポン!ブリュブリュブリュゥゥゥゥッシャァァァァァァァ!たまんねぇ~~!!おい脳、溺れてないか!大丈夫か!?

 

 

大量発生と聞きつければすぐさま急行。ああ、知ってるよ、俺はアクションゲームは大の苦手だ。しかしそんなのは関係ない。下手でもなんでもいい。とにかく投げまくればそれだけで楽しいのだから。逃げ惑う野生のポケモンたち。あるいは、こちらに攻撃を加えるポケモンたち。追え、躱せ、追え、躱せ。ポーン!ポーン!ポーン!ポーン!・・・テレポン!テレポン!テレポン!テレポン!ブリュブリュブリュゥゥゥゥッシャァァァァァァァ!たまんねぇ~~!!おい脳、浮き輪はつけているか!大丈夫か!?

 

 

このザマである。私はもう完全に、「捕獲中毒」だ。ポケモンが当たり前に存在する世界を自由自在に動き回り、その生態に干渉できる面白さ。たまらない。こんなゲームに出会えるとは思わなかった。なんとか団の誰それが誰の先祖とか、そういうのは全然分からない。というか、あまり知りたいとも思わない。ただそこに、野良にポケモンが生きていればいい。捕まえたい。襲われたい。同じ空気を吸いたい。ひたすらに「ポケモンが生きている世界」に浸っていたい。そういった私の需要を、同作は驚異的な解像度で満たしてくれた。

 

対人戦をばっさり切って、戦闘も正直まあまあヌルい仕上がりにしてくれたのも、大変ありがたい。早業や力業といった新しいギミックは正直まだまだシステムとして練り込み不足を感じるが、肝はそこに無いのだ。野山を駆けずり回って「ポケモンが生きる世界」を生きる。これ以上の魅力があるだろうか。

 

また、いわゆる「異世界転生」な文法を持ち込むことで、「ポケモンをすでに知っているプレイヤーの没入度が格段に深まる」という構造もあり、これも非常に興味深かった。私にとっては、どこまでいっても「世界観に自分がハマれる」タイトルだ。

 

 

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しかし、「だからこそ」の想いもある。

 

願わくば。ポケモンの生態描写にもっとバリエーションが欲しい。ただ複数個体がうろうろしているだけじゃなく、ブイゼルが互いに毛づくろいしていたり、ワンリキーが筋肉を自慢し合っていたり、鳥ポケモンが虫ポケモンを追いかけ回していたり、違うポケモン同士がほんの少し共生していたりと、そういった描写がもっともっと見たい。今でもすでに大満足なほど高い解像度を更に高めてほしいと、そう願ってしまう。「ポケモンという生態が存在する世界」の、リアリティの確度。もし同システムでシリーズが続くのなら、ここを追求して欲しい。(本音では捕食の関係性も見たいのだが、おそらくここは難しいのだろう・・・)

 

ゲームに限らず、フィクションな世界やシステムが持つ「嘘のつき方」は、自身の嗜好を判断するにあたり重要なポイントだ。

 

これまでのポケモンのメインタイトルは、「ポケモンという生態が存在する世界」に、「ゲームシステム」という嘘をはめ込んでいた。野生のポケモンには原則として草むらでしか遭遇しないし、手持ちのポケモンで必ず応戦することができる。トレーナーが直接の攻撃を受けることはないし、HPを減らしてから捕まえるという絶対的な手順があった。しかし、この「嘘のつき方」が革命的だったからこそ、ここまで世界的なコンテンツに膨れ上がったのだ。

 

本作『Pokémon LEGENDS アルセウス』は、「ポケモンという生態が存在する世界」はそのまま、相対的に「ゲームシステム」の方をいじっている。「嘘のつき方」を変えているし、なんならこちらの方が嘘は少ない。本来ずっとそこにあった「ポケモンという生態が存在する世界」が、より生々しく剥き出しになる。めちゃくちゃ見知っていたはずの世界の解像度が、ぽんと上がる。この世界観が持っていたプリミティブな魅力が、より正確に、ダイレクトに伝わり、骨身に染みていく。

 

私にとって、本作の「嘘のつき方」はこの上なくドンピシャであった。さらけ出してくれて、ありがとう。嘘を減らしてくれて、ありがとう。これが、「yes for me」だ!

 

 

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