『未来戦隊タイムレンジャー』のDVD-COLLECTIONが発売されるとの報、Twitterで目にした次の瞬間にはAmazonでポチっていた。迷いはなかった。
TTFC(東映特撮ファンクラブ)に加入しており、いつでもどこでも見放題な環境はある。が、やはりどうしようもなく好きな作品というのは、現物で手元に置いておきたいものだ。観る時間がない? 置くスペースがない? それは確かにそうかもしれない。しかし、「いつでも観られる」というステータスが心を豊かにするんだ。なんなら開封しなくたって目的は達成している。
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全話を通しで鑑賞したのは、リアルタイムを含めて5回目くらいだろうか。好きなエピソードをちょいちょい摘まんで観ることはあるが、通しで観るとやはり感じ方は大きく異なる。
いやぁ~~ しかし、本当に面白い。『タイムレンジャー』、やはり大好きな作品だ。スーパー戦隊シリーズの歴史から見ても、また、メインライター・小林靖子女史の作風の変遷を捉える上でも、外すことのできない一作だろう。
本作は2000年のミレニアムに放送ということで、「時間」をモチーフに採用している。しかしことSFという視点では、これが言うほど劇中で活用されていないのが、これまた特徴的なのだ。『未来戦隊タイムレンジャー』という字面にハードで本格なSFを期待すると、実はちょっと肩透かしを覚えるかもしれない。実際に、日笠プロデューサーは『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀 2000 未来戦隊タイムレンジャー』掲載のインタビューで、「『時間』がいろんな意味で難しいテーマであることもわかっていて、俺のなかではこの試みが成功するという確信がありませんでした」と述べているほど。
「時間」を正面から描くとなると、膨大な質と量、表現の壁が大いに予想できる。どうしたってこれは「子供向けの戦隊もの」なのだから、小難しいSF考証を重ねてもしょうがないし、一年を通した撮影も現代日本で行う他ない。つまり、そういった物理的なシリーズの諸条件を踏襲しつつ、「時間」という抽象的な概念に取り組む必要があるのだ。
ここへの回答として、『タイムレンジャー』は「時間」を正面から描くことを避けている。いや、こう書くとなんだか消極的なニュアンスに読めるかもしれないが、この「避け」、正確には「ズラし」が非常に巧妙なのである。本作の白眉は、間違いなくここにある。
未来だの西暦3000年だの歴史修正だの、もっともらしい設定や単語を並べつつも、実のところ「ハードな時間SF」はほとんどやっていない。「未来」をぬるっと「個々人の可能性」に読み替え、「今の先にあるもの」「分からないもの」「どうとでも操作できるもの」「あるいは変えられないもの」と定義していく。御曹司のレール、つまり敷かれた未来から懸命に逃げ出そうとする、タイムレッド・浅見竜也。そこに、レールという名の時間の進行方向のはるか先、西暦3000年の未来から4人の男女がやってくる。「レールから逃げる者」と「レールの先にいる者たち」が出会い、更には「強欲に力業でレールを敷く者」が加わることで、本格SFをかわしながら「時間」を扱うことに成功している。「未来」とは、つまり「どう生きるか」の話である、と。
この辺り、小林靖子女史のテクニックが光るポイントでもある。後年の『仮面ライダー電王』でも、いかにもタイムトラベルを扱った本格SFをやると見せて、その実「時間」を「人の記憶(想い)」に読み替え、巧妙にズラすことで、子供向け番組での「時間」テーマの描写をばっちり決めていた。このズラしの枠組みが一度決まってしまえば、『タイムレンジャー』も『電王』も、人間ドラマを重厚に描けば描くほど、それが全て自動的に時間を描くことに繋がっていく。人間ドラマそれ自体を、本来ぶつかり合うはずの「子供向けヒーロー番組」と「抽象概念テーマ」の緩衝材として活用しているのだ。
この手法は、今や珍しいものではなくなった。ヒーローはいち個人として生き、「愛と平和のために」で画一的に描かれるようなことはほぼ完全になくなった。奇しくも『タイムレンジャー』と同期の『仮面ライダークウガ』も近いアプローチだったが、やはり何らかのブレイクスルー、あるいは「従来の固定概念を覆すぞ!」という気概に満ちた作品は、リアリティラインにメスを入れがちなのだろう。そして、従来の特撮ヒーロー番組で最も「リアル」から距離があったもの、それは、やはり往々にして人間ドラマなのだ。「まるで一般ドラマのようなキャラクター造形とドラマ展開」を、「戦隊もの」(あえてこう書く)に持ち込むことで、底上げを図った訳である。
こういった、「リアル」「ハード」「シリアス」「重厚なドラマ」といった方向にジャンル全体が向かったのが、主に2000年代初期、この前後。
『鳥人戦隊ジェットマン』等が先んじて挑戦していた要素に、グッと、大挙して寄っていったのだ。「大人の鑑賞に耐え得る」という表現は個人的には好まないのだが、そういった言説であったり、イケメンヒーロー俳優ブームも同時に立ち上がったりで、「子供だけが観るもの」というパブリックなイメージが大いに揺らぎ始めた。その功罪、アプローチの残り香が後年どのような影響を及ぼすのかはここでは割愛するが、スーパー戦隊シリーズにおいては『タイムレンジャー』がひとつのエポックメイキングであったと断言できるだろう。
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さて、そんな「人間ドラマを描くと自動的に時間を扱うことになる」という脅威のシステムが敷かれた『タイムレンジャー』だが、キャラクター描写の無理のなさ、感情移入を誘う展開の数々については、もはや言うまでもない。非常に高い水準でまとまっている。
『星獣戦隊ギンガマン』で培われた小林靖子印の細やかな人間ドラマは、『タイムレンジャー』でひとつの完成を迎えたといって良いだろう。先の『電王』もそうだが、クライマックスでレッドが別の人間に置き換わってしまうショッキングな展開は『侍戦隊シンケンジャー』に、何より自分たちの居場所や生き方を謳うことがヒーロー活劇に繋がる構造は『烈車戦隊トッキュウジャー』に、エンドロールの再構築されたような世界で他人の空似と出会って暖かい観心地を残すテクニックは『仮面ライダー龍騎』に、極めてハードな設定をベースにキャラクターの人間ドラマを重ねていくアプローチは『特命戦隊ゴーバスターズ』に、主義思想が異なる相容れなさからくるホモソーシャルな旨味は『仮面ライダーオーズ』に、脈々とリプライズされていく。
改めて『タイムレンジャー』を噛み砕くと、「小林靖子女史の作風変遷史」として驚くほどに美味しい。
また、『タイムレンジャー』を語る上で音楽面を外すことはできない。主題歌の作曲を務めた亀山耕一郎氏が劇伴も同時に担当しており、また、『Chase! Chase! Chase!』『OK! タイムロボ!!』『真紅の同志 〜タイムファイヤーのテーマ〜』といった挿入歌も同氏が手掛けている。つまり、主題歌や挿入歌のインストアレンジ(劇伴での使用)が驚くほど豊富なのだ。縦横無尽に、メロディがあらゆる方向から引用されていく。音楽面でのトータルコーディネートはシリーズでもずば抜けた完成度と言えるだろう。
プログレやテクノを引用した衝撃的なOPとED、相反して、ブラスが鳴り響くケレン味たっぷりの王道ヒーローもの劇半。これらを同じ作曲家が作っていることによる独特の一体感は、まさに極上である。もしこれから『タイムレンジャー』を観る人がいたら、ぜひ音楽にも注目してほしい。
そんな挑戦的な作品、語りたいトピックが豊富な本作だが、商業面では苦戦を強いられたという。
同期の『クウガ』にトレンドが寄っていたという背景はともかく、やはり戦隊でここまでしっかり、ある程度の嘘を潰しながら人間ドラマを作り上げるのは、メイン視聴者に求められていたものではなかったのかもしれない。復讐心に燃える捜査官、不治の病を抱える元レーサー、現代人と恋に落ちる三枚目、心の故郷を探し求める異星人。実は、それぞれの要素や背景それ自体は、極めてビビッド(もしくは革新的)という訳ではない。『タイムレンジャー』が面白いのは、それらの要素が複雑に折り重なり、点と点が線になっていく様をゆっくりと見せながら、巧みに相互作用していく全体のバランスにある。「重厚で丁寧な人間ドラマ」と言えば聞こえはいいが、それは子供たちにしてみれば「鈍重で地味な非戦闘パート」だったのかもしれない。
しかし、最後の最後まで、『タイムレンジャー』は人間ドラマを描くことを貫き通した。
「2001年の大消滅発生こそが正しい歴史である」「リュウヤ隊長の目的は自身の死の運命を他人になすり付けることだった」といった、それこそ「ザ・時間SF」のトピックが披露されていくが、それらはあくまで舞台装置。それ自体が物語の真ん中にくることはなく、あくまで竜也たち若者の「生き方」の話をやる。本格SFを期待する自分は「いや結局大消滅を阻止しちゃったら3000年の未来はどうなってんのかーい!」とツッコミたくなるが、人間ドラマに涙する別の自分が喝采を送る。
言うまでもなく、このかわし方、ズラし方が、2000年当時の「戦隊もの」における最適解だったのだろう。
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他にも、タイムファイヤーこと滝沢直人のエキセントリックな造形や、タイムレッドのスーツアクトを務めた高岩成二氏の洗練された佇まい、もろに映画『マトリックス』の影響が垣間見える絵作りや、ロンダーズ怪人の個性とバラエティが衝突したような見事なデザインなど、語りたいポイントは多い。が、個人的に一番気に入っているシーンを紹介しつつ、締めとしたい。
Case File 6「偽りの招待客」。ロンダーズを追って豪華客船のパーティに忍び込んだ面々。竜也は、苦肉の策として、逃れたがっている「浅見」の苗字を使ってパーティに潜り込む。そこに現れる父・浅見渡。「好きであろうがなかろうが、浅見の名前はついて回る」「人には決められた道がある。そこから出るのはそう簡単なことじゃない」。後継者としての息子に戻ってくよう、重い言葉で諭す。しかし、竜也は「そんなの分かり切ってたことだ」と反発。「だから変えるんじゃないか。自分の意志で変えられないことなんかない。絶対にね」。そういって、船を降りて前線にいる仲間の元へ駆けていくのだ。
振り返らず走る息子の背を見て、船上の父は妻に語る。「昔、私もああやって船を降りたつもりで走ったことがあったが、結局は、浅見という巨大な船から一歩も出ていなかったことに気づかされた。あいつ、本気で降りるつもりじゃ・・・」。豪華客船というロケーション、浅見という苗字の宿命、1000年先まで決まっている未来。それら全てをなぞらえて語られる、屈指の名シーンである。
『未来戦隊タイムレンジャー』は、船を降りようと戦う若者たちのドラマなのだ。