ジゴワットレポート

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感想『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』 「本来やりたかったゼロワン」を感じさせる夏映画的エピローグ

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つい、気づけば2ヶ月半ぶりのブログ更新となってしまった・・・。引き続き猛威を奮う新型コロナに仕事の現場で振り回されつつ、別名義で始めた創作活動が思いの外の結果を出し、これまた「つい」そちらに時間をかけてしまったりと、色々な背景があるのだけど、それはまた別の機会に記事にしていきたい。

 

さて、やっとこさお目見えとなった『仮面ライダーゼロワン』の単独映画、『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』。昨年の冬は『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』で前年の『ジオウ』と共演し、夏の映画は新型コロナの影響で公開が延期。仕切り直し、今年は冬映画の枠で「夏映画的なこと」をやるに至った。まずは何より、無事に単独作が銀幕デビューを飾ったことを喜びたい。スタッフ・キャスト・関係者の方々には、例年とは全く別種の達成感があるのではなかろうか。

 

劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME 主題歌&オリジナル サウンドトラック

 

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俳優・伊藤英明をゲストに迎えた本作は、TVシリーズの直接の後日談となっている。ある日突然、エスという謎の男が仮面ライダーエデンとなり、同時多発テロを起こす。世界中に赤い煙の出るガジェットを撒き散らし、武装した兵士が街を占拠。一般市民がゲホゲホと苦しみながら次々と倒れていく描写は、時節柄、妙にインパクトのある映像であった。挑戦状を叩きつけられた仮面ライダーゼロワンこと飛電或人は、単身エデンの元に乗り込み、一騎打ちが開始される。エデンが提唱するタイムリミットまで、残り60分・・・!

 

今作は、枠こそ冬ものの、性格は完全に夏映画である。この点について、昨年書いた『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』の記事をセルフで引用したい。

 

当時、『ディケイド』が約半年間の放送だったことで、いわゆる「夏映画」のポジションは大きく変化した。 

それまではシリーズの途中に公開時期が当たっていたため、大規模なパラレル設定を持ち込んだり、本編との連動を図ったりと、比較的「実験作」な性格が強かったのである。それが、『ダブル』以降はTVシリーズ最終回間近となったため、そこに「集大成」の意味が込められるようになった。その作品が持つテーマを総括しつつ、いくつかの要素をリプライズしていく。それこそが、直近10年の「夏映画」なのだ。

感想『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』 絶対に「平成ライダー」にしか作れない、奇跡的かつ露悪的な怪作 - ジゴワットレポート 

 

このように、平成2期以降の夏映画は、本編のテーマやセールスポイントを総括し、集大成としていく性格がある。『ゼロワン』と同じ大森プロデューサーが担当した作品で挙げるならば、『ドライブ』は「仮面ライダー×相棒のベルト×親子×警察組織」という同作の重要なキーワードを抽出し、再度パッケージングした作りであった。『エグゼイド』では「びっくり箱のような仕掛けと医療の尊さ」を、『ビルド』では「愚直に愛と平和を求める主人公のバックボーンとブロマンス的な魅力」を、それぞれ扱っている。

 

つまり逆説的に、夏映画を観ることで、その作品が一年間繰り広げてきた戦いのテーマのようなものを、非常にお手軽かつ的確に把握することができるのである。

 

では、今回の『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』が描いたものとは、何だったのか。これはずばり、「進化したテクノロジーは人間を幸せにするのか」、という点だろう。詳しくは後述するが、伊藤英明扮するエスの動機と手段、その帰結を見るに、狙いは明らかである。TVシリーズ本編では、この「テクノロジー」の部分を「AI」「ヒューマギア」として物語を進めていった『ゼロワン』。「人間を幸せにするのか」、ひいては、「人間社会にどのような利害をもたらすのか」。これをミクロの視点で身近に描写するために、様々な職業現場で働くヒューマギアが活躍したことは記憶に新しい。

 

しかしその弊害として、「様々な職業現場で働くヒューマギア」という横軸のバリエーション提示ばかりに物語が注力してしまう。テクノロジーの可能性をいくら描いても、それが本筋にリンクしていかない辛さ。結果、縦軸といえるお話そのものの推進力であったり、「仮面ライダー」が本来最も魅力にするべきヒーロー活劇としてのシンプルな面白さは、割を食ってしまった。「やりたいこと」は十二分に伝わるものの、それが「面白さ」に直接繋がっていかないのは、なんとももどかしい・・・。

 

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反面、今回の『REAL×TIME』では、作中で扱われる「テクノロジー」と「職業」を結びつける方法論を、完全に放棄している。事前の情報であまり触れられていないのだが、エスはそれまでの『ゼロワン』劇中では全く扱われなかったある実在のテクノロジーを(事実上の)武器とし、その技術力と可能性で自らが提唱する「楽園」を創ろうと画策する。後の展開で明かされる敵組織の実態も面白く、こういうテクニックで「人間の悪意」とテクノロジーを混ぜ合わせたのには、思わずニヤリとさせられた。或人たち仮面ライダーは、新たなテクノロジーの驚異と戦いながら、物語はそれがもたらす可能性や怖さに踏み込む作りとなっているのだ。

 

驚くことに、これだけで随分と観やすい。TVシリーズで「ヒューマギア」を描ききった結果か(少なくとも物語としてはそういう決着になっている)、「テクノロジー」が指すものを入れ替えることが可能となったのが大きい。つまり、念願の「テクノロジーの可能性(技術力)を提示しながら縦軸を進めていく」という作劇が、遂に達成されているのである。今更ながら、これであればTVシリーズも「ヒューマギアが活躍する様々な職業」ではなく「ヒューマギアを含む様々な次世代テクノロジー」という軸足で観たかったかな、という妄想も膨らんでしまう。

 

中盤以降の物語の核となっていく某テクノロジーは、一体人類にどんな可能性を与え、あるいは、どんな悪行の手段にもなり得るのか。その中で、我らが飛電或人は「テクノロジーの可能性」を前向きに主張していく。この技術によって不幸になる人もいれば、その技術力あってこそ、そこに幸せを見い出すこともできる。「技術力」と「精神論」という、本来水と油であるものをドラマに絡めながら転がしていく手法は、TVシリーズから健在である。

 

このように、結果として『ゼロワン』の枷となっていた「横軸のバリエーション提示」を縦軸の推進力に組み込むことにより(同化させることにより)、もしかしたらこれが本当にやりたかった『ゼロワン』の作劇パターンなのか? ・・・と思わせてくれる、そんな仕上がりになっていた。職業紹介が無いだけで、ここまでテーマ性がすっきりするとは。

 

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しかし、相変わらず、登場人物たちの所々の行動理由がよく分からなかったり、説明が明らかに不足している箇所があったりと、悪い意味での「ゼロワンらしさ」も健在である。よって、TVシリーズ本編を観て不満を覚えた人の感覚をひっくり返すほどのパワーは、残念ながら無いだろう。むしろ、TVシリーズを観ながら「面白さ」の形に視認性の悪さを感じていた人が、霧の向こうの景色を確認できる作品・・・ とでも言う方が正確だろうか。「なるほど、ゼロワンってこういうことだよね、つまり」。テクノロジーの可能性と怖さ、そこを信じる人類の未来。非常に明確な、「夏映画」であった。

 

そして、TVシリーズ本編が取りこぼしていた「ヒーロー活劇としての面白さ」も、今回驚くべきレベルで担保されているのである。TVシリーズのメイン監督である杉原輝昭監督による、SFXもVFXもてんこ盛り、極上の「特撮」の数々。同監督の映像の面白い点は、単にアクションが凝っているだけでなく、そこに明確なアイデアがあることである。「派手なアクション」とは少し違い、「うお!こんな魅せ方があるのか!」と、身を乗り出したくなるような画。2020年現在の「等身大ヒーロー特撮」最前線として、一見の価値があると断言したい。

 

お得意のFPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)のような画作りや、ワイヤーを使った縦移動を意識したアクション、モトクロス的なバイクアクションに、銃撃による白兵戦。縦横無尽でアクロバティックなカメラアングルは画面狭しと突き進むものの、決して「見辛い」にはならない。また、スピードの限界に挑むようなVFXでの高速戦闘も、『ゼロワン』の大切なストロングポイントだ。TVシリーズ本編では、正直、杉崎監督回とそれ以外で明確にアクションの面白さに差があったのだが、そういった諸々を吹き飛ばすような勢いを感じさせる。

 

総じて、①TVシリーズでは作品内で衝突してしまっていた「物語の推進力」と「テクノロジーの可能性描写」の融合、②圧倒的なアクションシーンで有無を言わさずに感じさせてくれるヒーローのシンプルなかっこよさ、というバランスになっており、『ゼロワン』がやりたかったことが遂に極まっている一作であった。もちろん、③理論の飛躍による説明不足や唐突な展開・・・ も健在だが、①②のパワーが上手い具合にかき消してくれたようにも感じられた。相変わらず或人は根拠なく夢を叫ぶキャラクターだが、むしろこうじゃなきゃ物足りなくなってきた気がする。

 

『ドライブ』の霧子や、『エグゼイド』のポッピーなど、女性キャラを何かと前線に向かわせたがる大森プロデューサーだが、『ゼロワン』でも遂にそれが(名実ともに)叶ったと言えるだろう。後半の展開については事前情報で明かされてない点も多いので、ぜひ未だの人は劇場で確認して欲しい。『エグゼイド』で「ゲーム病で消滅した人は死んだ訳ではなくそういう病状に陥っている」と断言した豪速球ロジックが売りの高橋脚本イズムも、大活躍である。相変わらず、良くも悪くもヒヤヒヤするシナリオを体感させてくれるが、今作においては「新しいテクノロジーの功罪(可能性と怖さ)」というテーマ性とそのバランスがリンクしており、とても腑に落ちた。

 

惜しむべきは、せっかく「リアルタイム」と銘打っているのに、全然リアルタイムじゃなかった点である。カットが切り替わる度にカウントダウンされる現在時刻と場所のテロップが表示されるのは『クウガ』を意識させてくれるし、適度な緊張感もあるものの、ここまでやるならきっかり60分で事態が進行する「仮面ライダー版24」が観たかったのが本音だ。あるいは別の副題か。

 

また、「きっとゼアのおかげ」と推察はされるものの丸っと説明が無い某キャラクターの変化については、『ゼロワン』として非常に重要な意味を持つので、後々、小説版(?)等で何らかのフォローが欲しいものである。(『ビルド』で桐生戦兎と葛城巧が融合したようなシーンで、双方を同時に尊重させようとしてむしろ逆の効果を生み出してしまっている展開を思い出した・・・)

 

つまるところ、色んな意味での「ゼロワンらしさ」は通底しているものの、一旦仕切り直した後のエピローグとしては、満足度が高かったと言える。「こういうお話をTVシリーズの最後に3話くらいかけて観たいなあ・・・」と思わせてくれる、そんな中編。街の平和を守るために活躍するバルカンやバルキリー、それとは少し違う立場で悪意を監視し続ける滅亡迅雷チーム、そして、メタ的にも好感度に懸念が残るサウザーなど、お馴染みの面々がなんだかんだと共闘していく様は、素直に、とっても楽しい。ちなみに、劇場で観客のリアクションが一番大きかったのは、最後の天津垓のくだりであった。

 

これにて、『仮面ライダーゼロワン』は真にフィナーレとなる。未曾有の制作体制を強いられたであろう本作が、こうしてエピローグを語りきってくれたことが嬉しい。そして同時に、新しいテクノロジーについて、多岐にわたる示唆を与えてくれる。新たな技術と共存することは、既存の倫理観を次々と変容、あるいは破壊していくことを意味するのだろう・・・。元来SFとしての性格も強い「仮面ライダー」がそういう問題提起を繰り出してくれることが、痛快である。

 

 

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