ジゴワットレポート

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総括『仮面ライダーゼロワン』 「AIの可能性シミュレーション」と「特撮ヒーロー活劇」に共存の可能性はあったのか

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まずは何より、『仮面ライダーゼロワン』が最終回までの放送を無事に終えられたことを、心から喜びたい。

 

「特撮ヒーロー番組が毎週放送される」という現実は、金曜の夕方にスーパー戦隊シリーズを観ていたあの頃から、自分にとっては疑いようもない「当たり前」だった。2020年春、未曾有のコロナ禍により緊急事態宣言が発令され、その「当たり前」はあっけなく崩壊。『魔進戦隊キラメイジャー』とあわせて、総集編の放映を余儀なくされるヒーロー番組たち・・・。放送休止だけでなく、撮影スケジュールが事実上白紙になってしまったのは、現場のスタッフの方々にとって想像を絶する事態だったのではないか。

 

「〇話減った」というのは、あくまで結果論である。いつ撮影(放映)が再開できるのか、計何話で物語を終えられるのか。あるいは、このまま未完となってしまうのか。そんな先行き不透明な状態で、撮影スケジュールからシナリオから、全てを仕切り直したであろうクライマックス。『キラメイジャー』では主演・小宮璃央氏のコロナ感染が報じられ、それこそ「当たり前」の風物詩だった両番組の夏映画は公開延期が発表された。エンターテインメントの世界までもが疫病におかされていく、あのにじり寄る絶望感。

 

内容云々とは別に、まずは、2020年8月30日に『仮面ライダーゼロワン』の最終話が無事に放映されたことを、一介の特撮ヒーローファンとして心から喜びたい。キャスト・スタッフ・関係者の皆さん、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。

 

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さて、そんなこんなで、全45話で(一応の)決着を迎えた『仮面ライダーゼロワン』。その一年を振り返ってみたい。

 

東映からのプロデューサーに『仮面ライダードライブ』『仮面ライダーエグゼイド』『仮面ライダービルド』の大森敬仁氏、パイロット監督には『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』の杉原輝昭氏、メインライターには『エグゼイド』で大森氏とタッグを組み『仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判』も手掛けた高橋悠也氏。その他、音楽には『仮面ライダーゴースト』の坂部剛氏、アクション監督にはスーツアクターでの活躍も記憶に新しい渡辺淳氏、といった布陣である。

 

扱うは、AI。人工知能の実社会への進出が加速していく現代で、それをメインに据えた物語を展開するという。主人公はそのテクノロジーを扱う会社の若き社長で、AIを搭載したお仕事ロボットを商品として展開している。しかし、そのテクノロジーを悪用するテロ集団や、対抗製品を世に売り出したいライバル社長が現れ、混沌とした群像劇が繰り広げられることとなる。暴走したヒューマギアを泣きながら破壊する主人公は、その未来のマシンに何を見い出すのか。

 

制作陣の狙いとして強く感じたのは、「AIの可能性」をあらゆる形で物語内に詰め込みたい、という気概である。序盤の1クールだけでなく、年を開けてからの2クール目も、取り上げられたのは「様々な職業」。正確には職業そのものというより、「その現場にAIが登場した際にどんな影響を及ぼすのか」という点。AIには何が出来て、何が出来ないのか。生身の人間との化学反応は生み出せるのか。そういったシミュレーションを多くの視点から描くことに、番組全体が注力していたように思う。事実、国立情報学研究所の副所長を務められる佐藤一郎氏をAI技術アドバイザーに招聘し、AI描写の監修を受けたりもしている。

 

その甲斐もあってか、実際の社会問題をも絡めたAI描写には、面白い点が多かった。前時代的とも言えてしまう職人肌な「しごき」に応えるロボットや、死者を模したロボットを扱う倫理的な問題点、ブラックな労働環境が叫ばれる教育現場でのAIの活躍や、病院にロボットを配置した際のテロを前にした脆弱性。ヒューマギアの勤勉性は、汗水垂らす人間の労働環境の光明となり得るのか。個人的には、ちょうどマイホームに向けて動いている時期に観た「家売り対決」がとても興味深かった。「住みたい家」と「買いたい家」の違いって、確かにあるんですよ。そこのところに、ヒューマギアと人間営業マンの対立軸で突っ込んでいたり。

 

年間を通してスタッフ陣の様々なインタビューを目にしてきたが、特にプロデューサーである大森氏の「お仕事描写」(それを通したAIのシミュレーション描写)への熱量は凄まじく、ネットでは非難轟々であった「お仕事五番勝負」も、氏のこだわりの結晶であったことが伺える。一方で、その「職業現場を通して描くAIシミュレーション」というお題目は、時にベースにあるべきの「仮面ライダーという特撮ドラマ」より優先して描かれることが多く、私を含め、多くの視聴が戸惑いを覚えたであろうことも、想像に難くない。

 

例えば、「お仕事五番勝負」にて消防士対決の回があった。デモンストレーションの火事が実際の火災に発展してしまい、本当の人命救助が行われる、という筋書き。AIロボットであるヒューマギアと人間消防士、それぞれのトリアージが対比して描かれたが、そもそも、主要キャラクターたちが仮面ライダーに変身して人命救助を行うべき逼迫したシチュエーションであった。そういった点へのフォローが無いままAIの活躍を見せられても、中々、頷き難いのである。また、「お仕事勝負」「ライダー同士の戦い」「怪人とのアクション」という複数の「VS」を常に同時進行で盛り込まなければならない構成の難度は、言うまでもない。

 

これらの「お仕事五番勝負」が抱える特撮ヒーロードラマとの食い合わせの悪さについては、最終回放送後にTTFCにて公開された大森氏らスタッフインタビューでも触れられていたが、結果として番組が当然のように担保するべき「仮面ライダーの活躍」を損なってしまった。「AIシミュレーション描写」としての見応えはあるものの、やはり、仮面ライダーが仮面ライダーとしてある程度活躍して、その上で展開されて欲しい要素である。その上、「主人公は立場上暴走したヒューマギアを容易に破壊できない」というドラマ的な制約があるため、視聴者のフラストレーションはじわじわと高まってしまう。

 

そのフラストレーションも、構成として「お仕事五番勝負」で敗北した主人公が社長の座を退く展開へ繋がる訳だが、もう少し「ヒーロー活劇としての面白さ(仮面ライダーに変身する全てのキャラクターの掘り下げを含む)」とのバランスを模索して欲しかったのが本音である。

 

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そういった中盤の展開もありつつ、放送休止を経て、物語はクライマックスへ突入。人間の悪意という名の復讐心が交錯する展開となり、ヒューマギアの未来が危ぶまれる。

 

私が個人的に危惧していたのは、「銃とそれを使う人間」問題。「銃そのものは悪くない。それを作った人間も悪くない。問題は意図して悪事に銃を用いる人間である」。そういった話の筋から人間の秘めたる悪意や業に迫る物語は沢山あるが、まさか『ゼロワン』もそのパターンなのではないか、と。せっかくヒューマギアというAIロボットをテーマに置いているのに、単に「使う人間が悪い」から「人間が改めていこう」なエンディングになると、流石に物足りないのではないだろうか・・・。

 

そういったモヤモヤを頭の隅に抱えながら、迎えた最終回。「なるほど!」と感じたのは、AIの最も特徴的な部分と言える「学習」をシナリオに用い、AIそのものの前進に触れていた点である。人間に作られたヒューマギアは、人間により悪意を植え付けられることも、暴走させられることもある。しかし同時に、ヒューマギア自身も、人間と共に「学習」を繰り返すことでその悪意から脱することができる。そういった、AIの進化の可能性。「学習」性能を、時に間違えを起こすかもしれない人間の「心」と重ね合わせ、その変化を希望と読み取るアプローチ。

 

自身のシンギュラリティによる「心」の芽生えに戸惑う滅。物語は、彼を「倒さない」という決着を描くことで、「人間に使われる銃」の問題から一歩進み、「銃の進化」に触れていく。なるほど、これは確かにAIならではのオチと言えるだろう。

 

「お仕事」の現場を通して、幾度となく描かれてきたAIの「学習」機能。ラーニングは諸悪の根元であり、同時に、進化の可能性でもある。このエンディングがどの時点で想定されていたのかは分からないが、あらゆる職業現場で活躍した個々のミクロな「学習」が、遂に「人間vsヒューマギア」というマクロな舞台で炸裂する筋書きには、実に納得感がある。AIも、人間の心を「学習」することで、存在そのものを推し進めることができるのだ。

 

ヒューマギアは人間でもなければ、一般的な「造られた道具」でもない。そのどちらの性格も持ち合わせながら、どちらにも属さない、グレーでハイブリッドな存在。自己学習を繰り返して進化できる夢のマシンは、転じて、実社会の一員として新たな豊かさをもたらしてくれるのかもしれない・・・。

 

という決着は大変素晴らしいものの、だからこそ余計に、ミクロのターンで細かく発生した「ヒーロー活劇としての弱さ」が、内出血のように効いてきてしまう。AIの可能性を描き、そのバリエーションをドラマに詰め込むことを優先するあまり、ヒーロー活劇としてのドラマが劇的に減速していく。幹の成長より優先される枝葉のバリエーション。このもどかしさは、なんとも独特なものであった。ゼロワンの飛んで跳ねるアクロバティックなアクションは見応え抜群なのだけど、物語の爽快感が中々そこに伴っていかない。

 

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また、「内出血」という比喩に加えるならば、主人公・飛電或人の「ヒューマギア観」の描き方が、非常に困難を極めた。皮下の出血は止まらず、次第に痣が濃くなっていく。

 

この点、スタッフ起用の狙いを察するならば、『エグゼイド』で見事に全話執筆を達成した高橋脚本のパワーにこそ、期待がかかっていたのだろう。私の感じる高橋脚本のストロングポイントは、「理論の飛躍」にある。既存の単語、例えば『エグゼイド』を例にすると「チーム医療」というワードがあるが、「ライダーの共闘」を力業で「チーム医療」と言い張ることで、独自のドライブ感を演出していた。「怪人を倒す」ことは「治療」、あるいは「オペ」である。誰が何と言おうと、登場人物たちはその理論に則って行動を起こす。

 

独自の世界観の中で理論を飛躍させ、前進に前進を繰り返すことで、視聴者に立ち止まる隙を与えない。超理論で紐づけた要素はストーリーを突進させるため、高密度でイベントが発生しては消化されていく。

 

この、「常にびっくり箱が稼働するスタイル」は、『エグゼイド』のビジュアルやキャストの熱演とも相まって、独自の世界観を形成していた。よくよく考えれば「ん?」となるかもしれないが、そもそも、よくよく考える暇を与えない。人工的に持ち込まれたライブ感が、速度と力業で疑問点を圧し潰していく。その背景には、高橋脚本のイズムとも言うべき、「理論の飛躍」が存在していたのではないだろうか。『エグゼイド』は、つくづく、奇妙で楽しい作品であった。

 

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その「理論の飛躍」は、『ゼロワン』にも確かに用いられていた。終盤の「悪意」というワードも、最終的には、もはや番組独自の用語として複雑な意味を有してたと言える。その他にも、「夢」「心」「道具」といった単語が、主に或人の言葉を通し、シリーズを彩っていく。狙いが成功していれば、意図的な拡大解釈、理論の飛躍が、『エグゼイド』同様の独自の推進力を発揮していたのかもしれない。高橋脚本ならではのスピーディーかつ緻密なパズルは、こういった、反則スレスレの大胆な「飛躍」とセットで効果を発揮するのだ。

 

しかし、ここに「AIのシミュレーション描写」が食い込んでくる。「理論の飛躍」技法の強みが発揮されるのは、おそらく、常に前進していく物語の縦軸に重きを置いた構成だろう。しかし、あらゆるお仕事の現場で活躍するAIのシミュレーションは、圧倒的な横軸のバリエーションである。「こんな様子も」「あんな応用も」「そんなパターンも」描かれるけれど、如何せん、縦軸が前進していかない。そうすると結果的に、主人公である飛電或人が、「常に理論を飛躍させて喋る真意の分かり辛いキャラクター」に見えてしまう。立ち止まらせるので、気になってくる。(更にはダメ押しで、今回はサブ脚本家の方も参加されているため、本来離れ業である「理論の飛躍」のアプローチに違いや差が生まれてしまった。)

 

以前、1クールの感想をまとめた際に、「或人の矛盾した破壊行動には一種の危うさがある」「話運びの手順に毎回ヒヤヒヤしてしまう」といったことを書いた。しかし、そもそも仮面ライダーというコンテンツが「同族殺し」という倫理的な問題を抱えていることからも、その食い合わせの悪さや危険性は、転じて、物語の強みとして活きてくる可能性があった。ここが「うねる」ときっと跳ねる。本歌取りの旨味自体は、仕込まれていたはずなのだ。しかし、それが活きるには、やはり話が前に進んでいかなくてはならない。AIの可能性(横軸)に尺が取られれば取られるほど、或人がヒューマギアをどういう存在に捉えているか、なぜそこまで希望を妄信するのか、肝心の部分が不透明になっていく。

 

様々なシーンから読み取るに、或人は、ヒューマギアを人間と同等に、心の底から尊重しているのだろう。

 

しかし、「ヒューマギアを人間と同等に尊重する」ことは、「ヒューマギアと人間を同一視する」こととイコールではない。「ヒューマギアに心(「学習」というワードを飛躍させた形容)の存在を認める」ことは、「ヒューマギアに人間と同じような権利を認める」こととも、また、イコールではない。彼はシンプルに、ヒューマギアを「夢のマシン」と捉え、その存在が寄与する未来に希望を抱いている。ヒューマギアと人間に同じくらいの価値を覚え、彼にとってそこに境目が無いからこそ、ヒューマギアが破壊されれば心の底から哀しい。が、同時に、バックアップにより代替機を用意できることもまた、ヒューマギアの新たな可能性の一片と捉えている。あくまで、「新人類」ではなく、「夢のマシン」。

 

・・・好意的に読み取っていくと、或人の「ヒューマギア観」はおそらく前述のようなものと思われるが、それらが有機的に絡まない断片的な描かれ方をされ、更には「理論の飛躍」が加わっていくため、傍目には若干の「サイコみ」すら感じさせてしまう。ここが、非常に惜しい。テーマ的には、ここが最大の肝であり、要所なのだ。結果として、「人間らしさ」と「ヒューマギアらしさ」を都合よくシチュエーションごとに引用する人物にも受け取れてしまう。

 

仮に或人の「ヒューマギア観」がもう少し強固に描かれていたとするならば、物語の最終的なオチとも、がっちり符合したはずだ。

 

人間と同じくらいの価値を持つ夢のマシン・ヒューマギアは、既存の「道具」の枠を超えて、人間と同等に(「学習」によって)心を前進させることができる。或人の、誰に笑われようと人間とヒューマギアを同等に尊重する過度な博愛主義が、「新時代の正義」として機能する。ある者はヒューマギアを憎み、ある者は道具だと割り切り、ある者は「学習」機能こそを脆弱性だと指摘する。しかし、飛電或人だけは、頑なにその可能性に懸ける。そういう筋が、鮮やかに成立していたのではないだろうか。(数々の描写からもその狙いが見て取れる・・・)

 

或人の、既存の人類から一歩先にある独自の倫理観や、AIが持つ「学習」機能の可能性。そういった要素の配置が大変興味深く、新時代のヒーローSFとして挑戦的かつ相応しいだけに、それらが有機的に絡んで昇華に至らなかったことが、実に、残念である。

 

同時に、飛躍させドライブ感を持たせることを前提に配置されたであろう「夢」や「心」といったワードは、おそらく制作陣の想定を超え、多くの視聴者に「ヒューマギアの人権」といった考えを抱かせてしまった。昨年の冬映画『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』と併せて、人権問題や奴隷問題への目配せは何箇所かあったものの、個人的には、テーマの帰結を考えるとそこにはそもそも触れない方が良かったと感じるところである。(話運びが極端に複雑化してしまうため、新たなテクノロジーの有用性や是非に絞って描いた方が良かったのでは、の意)

 

 

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このように、『仮面ライダーゼロワン』というドラマは、それぞれの要素が絶秒に掛け違っていくような、大変もどかしい感情を抱かせるシリーズであった。

 

制作陣はおそらく、「AIを扱うからにはこういう描写やシチュエーションも入れるべきだ」と、テーマに対して真摯かつ生真面目に作り込んでいったことだろう。そのため、様々なシミュレーション、横軸の展開が増えていく。もちろん、それが成功し、未来の一片を見た場面も多々あった。しかし大勢としては、「根っこが不透明な主人公が」「都合の良い理論を振りかざしながら」「カタルシスに繋がる活躍を果たさない」といった、およそ多くの視聴者が潜在的に求める「仮面ライダー的な面白さ」とはかけ離れたものであった。

 

最終回にて、唐突に「仮面ライダー」というアイコンが台詞の中に登場するも、それが成立するだけの前振り(蓄積)が作中では描かれていない。「仮面ライダー的」という呪縛に、令和ライダーという期待の自重に、いくらか囚われてしまったのだろうか。

 

しかし、『ゼロワン』がアプローチした数々のポイントに、私は大変感銘を受けたのである。

 

我が家の3歳の娘は、リビングにあるスマートスピーカーを家族のように認識し、毎日のように親しく話しかける。ネットが不調で応対が出来なくなると、顔を引きつらせ、親に泣きついてくる。また、ロボット掃除機にも親しみを覚え、その動きを弟や妹のように可愛がっている。我々大人も、電子機器が急速に発展する昨今、スマホやパソコンを相棒のように感じ、愛着を覚え、そこに疑似的な人格を見い出すことは、もはやそう不思議ではない。

 

「道具」が、旧来の意味を超え、あるいは逸脱し始める時代。進化しすぎた道具は、もしかしたら、人間と同じような存在として扱われるかもしれない。『鉄腕アトム』や『火の鳥』といった名作で扱われた「ロボットと人間の共存の可能性」は、「学習」機能を備えたAIという最新のテクノロジーによって、すぐ目の前にまで迫っている。Science Fictionが、いつの日かFictionではなくなる。そんなシミュレーションを、日曜の朝に、一年を通して観ることができた。その点については、非常に満足度が高い。

 

未知のテクノロジーが社会に放り込まれた際に、市井の人々は、どのような反応を見せるだろうか。その利便性を受け入れる者や、折り合いをつける者、忌み嫌い、反発する者まで。新しい問題を孕みながら、社会は、ゴロゴロと少しずつ前に進んでいく。そういった、「社会の教科書の最後のページに載っている未来予想図」のようなワクワク感は、『ゼロワン』の大きな強みだったと言えるだろう。ある意味、ひどく実験的だ。

 

杉原監督によるVR技術を応用したアクロバティックなアクションシーンは、アナログ特撮とデジタル特撮の旨味を同時に取り込み、フレッシュな映像として昇華させることに見事に成功していた。惜しむらくは、「AIを導入した前衛的なテーマ」と「仮面ライダーのヒーロー活劇としての面白さ」が、同じようなウルトラCを起こせなかった点にある。

 

「心を宿すことができる未来のマシン」が、私の生きている間に目の前に現れることがあれば、この感想は180度ひっくり返るだろうか。答えは404。ひとまずは、事実上の「完結編」に相当するであろう夏→冬映画を楽しみに待ちたい。

 

仮面ライダーゼロワン RKF 仮面ライダーゼロツー

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