ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

『仮面ライダー剣』の「平成ライダーっぽさ」、あるいはクライマックスの「理屈臭さ」について

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都合何十回目かの『仮面ライダー剣』ブームが、自分に訪れている。

 

先日「キングフォーム初登場回の演出がいい!」という記事を書いたが、こうしてアウトプットすることで視聴欲がモリモリと盛り上がってしまった。台詞までほとんど覚えてしまっている怒涛のクライマックスを堪能し、序盤から中盤にかけても見所をザッピングしていく。ありがとうTTFC、いいサービスです。

 

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『剣』といえば、やはり最終回が語り草である。勝ち残ってしまったジョーカーが、本能に逆らえず世界を滅ぼしてしまう。友を封印するのか、世界が終わるのか。究極の二択を突きつけられた主人公は、自らを犠牲に第三の選択肢を生み出す。この、どうしようもなくビターなエンディングの衝撃は、何度観ても殴られる思いだ。

 

そんなこんなで『剣』について頭が一杯だったので、先日夫婦で過ごしていた際に、つい最終回の話になった。その流れで、同作を未見の嫁さんが、「そんなに衝撃の最終回なら大筋を語って聞かせて欲しい」と言うのだ。そこで説明に臨んだのだけど、これがまあ、中々どうして難しい。『剣』の最終回における物語上のロジック、そしてその衝撃は、積み上げられた積み木の頂点なのだ。大筋をかいつまんで伝えるのには、骨が折れる。

 

例えば『クウガ』なら、「主人公はラスボスを倒して平和が訪れ、その後、旅に出た」と、それなりにまとめることは出来る。そんな単純な筋でないことは重々承知だが、構造としては間違っていない。『ファイズ』も、「仲間を失いながらも最強の怪人を倒した」と言えてしまうだろう。しかし『剣』は、どうにも簡略な形にまとめるのが難しい。「怪人を助け、世界を守るために、主人公も怪人になった」。さっぱりである。

 

そういう意味で、『剣』の中盤~終盤にかけた展開は非常に「理屈臭い」。しかし、私はそれが大好きなのだ。鼻孔をくすぐるロジカル臭。「怪人を助け、世界を守るために、主人公も怪人になった」。この筋を理解してもらうためには、「①バトルファイトとは何か」「②それに勝利するとどうなるのか」「③ジョーカーとは何者か」「④主人公とジョーカーの関係の変遷」と、少なくともこれらを全て説明する必要があるだろう。

 

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クライマックスの展開は、ロジカルな積み木の頂点を目指しながら、「話の着地点」がギリギリまで見えてこない。「全てのアンデッドを封印する」というヒーロー然とした目標をなぞりつつも、その使命そのもに仕掛けられた敵の思惑が判明。更には、ラスボスかと思われた黒幕が絶命しても、物語は全く終わらない。

 

これは決して良し悪しの話ではないが、特撮ヒーロー番組というのは、終盤に差し掛かるとおよその話の筋は察しがつくものである。「みんなでコイツを倒して勝って終わりだろう」。そういった予定調和の中に、誰それの復活や、衝撃の事実など、大小様々なスパイスが散りばめられる。しかし当時の私は、割とギリギリまで『剣』がどこに向かっているのか分からなかった。ケルベロスを倒しても終わらない。ギラファを封印しても終わらない。まさかジョーカーを封印して『MISSING ACE』のルートなのか、あるいは・・・。明確なラスボスが不在のまま、物語は最終話までもつれ込む。

 

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ここで一度、別角度からの話をするが、『剣』については序盤の展開が不評と語られることが多い。孤軍奮闘のブレイド、行動が不可解なギャレン、とにかく謎の多いカリス。なんだかよく分からないイザコザだけが続いていく・・・。

 

終盤のロジカルかつ怒涛の話運びに比べれば、確かにいくらか見劣りしてしまうのかもしれない。しかし、当時の私は『剣』の序盤も本当に大好きで、食い入るように観ていたものだ。我が意見を誰かに押し付けるのは野暮だが、多く語られる意見との差異については、自分なりに考えてみる必要がある。そこに、オリジナルの「視点」があるはずなのだ。

 

当ブログでも何度も紹介している『語ろう!!555・剣・響鬼』というインタビュー本があるが、同書における會川昇氏(第22話から同作に参加。以降、事実上のメインライターを務める)の証言に、その答えのようなものがある。

 

語ろう! 555・剣・響鬼 【永遠の平成仮面ライダーシリーズ】

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 僕は『ボウケンジャー』を書いた時も「會川さんの考えることは昔っぽい」とか「子供っぽい」とか言われて宇都宮さんにはだいたい反対されてたんだけど(笑)、『剣』の最初の4本はかなり意図的に狙って昭和のテイストを注入してますね。というのは、少なくとも『剣』においては、いわゆる平成ライダーっぽさが足を引っ張ってるような印象しかなかったんですよ。要するに、表面的にかっこつけて大事なことを説明しないみたいなのは、もう『剣』では通用しないんじゃないかと。

 僕は『555』で平成ライダーは終わって良かったんじゃないかと思っていたので、むしろ『剣』では昭和ライダー的な要素を意識的に強くいれたほうがいいんじゃないかなって。

・レッカ社『語ろう! 555・剣・響鬼 【永遠の平成仮面ライダーシリーズ】』P255、256

 

「いわゆる平成ライダーっぽさが足を引っ張ってる」。なんとも痛烈なフレーズである。そう、『剣』の序盤は、非常に「平成ライダーっぽい」のだ。イケメンが複数人登場して、それぞれのドラマが交錯したりすれ違ったりしながら、大事なことは特に説明されず、謎が謎を呼ぶ雰囲気だけが漂い、殺伐としたライダーバトルが展開される。主に『アギト』から『ファイズ』までの3年間で熟成された、「平成ライダーっぽさ」。

 

シリーズがいつまで継続できるかも分からない。そんな空気の中で、『龍騎』のセンセーショナルな物語が話題を集め、『ファイズ』の玩具が大ヒットを飛ばす。段々と「新しい仮面ライダーシリーズ」が定着し始め、必然のように、「っぽさ」「らしさ」も形作られていく。

 

その輪郭を踏襲した『剣』は、もしかしたら、肝心の中身をいくらか捉え損ねていたのかもしれない。しかし、平成ライダーというシリーズそのものに熱中していた当時の私にとって、「いわゆる平成ライダーっぽさ」はそれ自体がシンプルにご馳走であった。「そうそう、『こういうやつ』!」。私は、そういう楽しみ方をしていたのだろう。

 

だからこそ『剣』は、シリーズの他作品とは一風変わった方向に舵を切り始める。 「平成ライダーっぽさ」という輪郭を重んじるばかりに、話の焦点がどうにも定まっていなかった。途中参戦の會川氏が何を求められ、いかに大胆に区画整理を行ったのか。それはぜひ『語ろう!!555・剣・響鬼』を参照していただきたいが、この成り立ちこそが、『剣』の作品構造を語る上で欠かせない視点と言えるだろう。

 

期せずして仕上がってしまった「平成ライダーっぽさ」に、何を注入するのか。まずは「昭和ライダーらしさ」を加えて全体の背骨を立て直し、「始」「ジョーカー」「バトルファイト」「アンデッド」等の散りばめられたキーワードでパズルを組む。そうして積み上げたロジックをコーティングするのは、「少年漫画的な熱さ」。主人公は堂々と仮面ライダーを名乗り、人々を守る熱意を高らかに宣言する。それは、『クウガ』以降のリアル調のトーンで発展してきた同シリーズが、割と意図的に避けてきた温度だ。この相反する要素を、「平成ライダーっぽい」輪郭にはめこんでいく。

 

そうしてキメラのように形成された『剣』という作品は、「ひとくちには説明できない熱さ」を帯び始める。イケメンライダーたちのイザコザと思われていた戦いは、実は、種の生存をかけた一大SF超決戦だった。今こうして人間が地球を支配しているのは、前回の戦いでヒューマンアンデッドが勝利したから。そんな設定が持ち込まれることで、これまでボヤけていた話の焦点が一気に明確になる。「じゃあ、今まさに次のバトルファイトが始まっているのか?」「この戦いの末に、誰が勝利してしまうのか?」。

 

当初のメインライター・今井詔二氏が描いた「剣崎一真」というキャラクターは、まだまだ未熟ながら人々を守りたい熱意に溢れる、正義感の強い青年であった。そのバトンを受け取った會川氏は、少しずつ、しかし確実に、元の正義感に「危うさ」を加えていく。剣崎は、自らがボロボロに傷つくことを厭わない。意地悪に言えば、「自分を大切にする視点」に絶望的に欠ける。そんな、ある種の狂気をもはらんだヒーロー。

 

正義感と狂気。その蓄積が、「自らを犠牲にバトルファイトの決着を延期する」という結末を導く。「リモートで他のアンデッドを解放する」という手段をわざわざ一度やってみせ、失敗させる。そうして理屈を積み上げ、言い訳をひとつひとつ潰し、「世界か・ジョーカーか」の二択に話を絞り込んでいく。そのゴールに待ち受けているのが、狂気の正義感を持つ剣崎の、決死の「変身」なのだ。

 

『剣』の終盤は、何とも奇妙な香りを放つ。『クウガ』のように神経質なまでに組み上げられた作品でも、『アギト』のようにライブ感で見事に圧し切った作品でもない。「平成ライダーっぽさ」という容器が先行してしまったためか、それに帳尻を合わせるように、理屈と要素をはめこんでいく。

 

しかし、やはりプロの仕事なのか、それが決して「後付け」には感じられないのが面白い。まるで最初から緻密に用意されていた錯覚すら覚えてしまう。だからこその、唯一無二のドライブ感。「ええ? こんな盛り上がり方をする作品なの!?」「この話、どんな着地をするの!?」という、どこに連れていかれるのか分からない高揚感。それこそが、『剣』の面白さなのかもしれない。

 

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最後に。『剣』といえば、劇中未使用なのだけど、好きでたまらない楽曲が2つある。

 

まず、『someday somewhere』。橘さんが歌う『rebirth』のカップリングナンバーだが、驚くべきことに、歌詞が絶妙に「最終回における剣崎と始」なのだ。7月発売のため、言うまでもなく最終回の内容など知る由もないのだが、そこは我らが預言者・藤林聖子さん。「いつかどこか遠い場所で、君の笑顔、出会えるなら。涙さえも隠して歩けるよ、今の自分迷わず」「変わらないため変わることを、これでも受け入れてる」。こんなの、ジョーカーと化して姿を消した剣崎の旅のテーマですよ。ずるい。

 

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そして、始が歌う挿入歌『take it a try』のカップリング、『Never too late』。こちらは、明確かつド直球に始のテーマ。人間、取り分け天音ちゃんとの関りの中で、変わり始めていく自分。そんな変化を、切なくも熱いビートで綴る。この楽曲のポイントは、作曲が『仮面ライダーファイズ』主題歌『Justiφ’s』の佐藤和豊氏である点。あの殺伐としながらもグイグイ引っ張るメロディーが、ばっちりと再演されている。

 

Never too late

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放送終了から15年。『仮面ライダー剣』は、まだまだ自分を熱くしてくれる。

 

忘れもしない最終回翌日、数少ない「ライダー友達」だった友人と学校で顔を見合わせ、「ヤバかったね・・・」と言葉を交わしたものだ。「熱かった」でも、「盛り上がった」でも、「感動した」でも、「泣いた」でもない。『剣』の最終回は、「ヤバかった」のである。それ以上の巧い形容が、当時の私には見つけられなかった。

 

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