ジゴワットレポート

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感想『トイ・ストーリー4』 アンディ世代のアラサー、怒りながらむせび泣く

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まさかこの歳になって、新しい感情を知ることになるとは思わなかった。

 

小学校低学年の頃に公開された『トイ・ストーリー』。続く『トイ・ストーリー2』。そして、ウッディたちの持ち主であるアンディが大学進学を機に実家を去る、そんな『トイ・ストーリー3』を、親元を離れた大学生の頃に観た。アンディとほぼ同じ年齢で、同じ時間経過を生き、『3』を観た際には実家に置いてきたおもちゃを思い出して涙を流す。

 

そんな自分にとって、『4』が制作されることそれ自体が、一種の「戦争」であった。

 

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「あの完璧とも言える結末に続編があって良いのか」という不安にも似た感情は、多くの人が抱いていたのではないだろうか。もちろん、ピクサー側もそれを分かっていないはずはなく、制作決定が報じられてからの各種インタビュー等では、いかに『3』の後として意味を持たせるのか、という意見が飛び交った。

 

そして、公開される予告。次第に明らかになるストーリーの詳細。『シュガー・ラッシュ:オンライン』の結末がどうしても飲み込めなかった自分にとって、今回の『トイ・ストーリー4』は、正直、期待より不安が大きかった。去る3月には、つい以下のようなことを書き殴ってしまうほどに。

 

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ウッディが、「子どもに寄り添うおもちゃ」という役割を放棄してしまうのではないか。そしてそれは、シリーズを通して描いてきたテーマと決定的に食い違ってしまうのではないか。唐沢寿明と所ジョージのコメントが流れる予告を観ては、より一層、その不安を募らせる日々が続いた。

 

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公開初日、私のTwitterのタイムラインは荒れていた。評価は完全に割れていた。とはいえ、重要なのは自分がどう感じるかだ。究極、誰かの答えは関係ない。アンディと同じ時間を生き、そして今は娘が生まれ、劇中の(ウッディの新しい持ち主である)ボニーと同じくらいの歳になった、そんなタイミング。私は、公開から一日遅れで『4』を鑑賞した。

 

まず、全編を通して目を見張ったのは、映像表現の進歩だ。冒頭の雨のシーン、降りしきる雨とそれを受けるウッディたちおもちゃの表面。雨がつたい、濡れたボディが街灯を反射する。見事な映像美に見とれてばかりであった。

 

また、『トイ・ストーリー』一作目において非常にキュートなのは、レックスという恐竜のおもちゃである。臆病なキャラクター設定も面白いが、何より、首がくるくると回転すると腹の部分の色合いがズレる、そこが実に可愛らしいのである。「おもちゃが自由に動く世界」とはいえ、玩具としての設計がそこに絶対的に生きている。この不自由さこそが、トイ・ストーリー世界観における肝の描写だと感じている。

 

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その点、今回初登場となったフォーキーというキャラクターは、不自由さを全身で体現したような存在だ。

 

彼が物語の進行につれてコミュニケーションを獲得していくほど、その身の不自由さが際立つ。ひょこひょことした歩き方や、すぐに壊れてしまうボディなど、不憫だからこその可愛さがシリーズでもトップクラスである。またこれは、同じく初登場となったデューク・カブーンにも言えることだ。「不自由さ」と「イキイキさ」の共存は、本シリーズにおける代名詞なのだと、再確認することができた。

 

シリーズお馴染みの冒険活劇や、ホラーテイスト、過去作を知るファンへの目配せに、小ネタを立て続けに挟んでいく語り口など、流石のピクサーといったところである。ランディー・ニューマンの音楽も安定の素晴らしさだ。また、今回メインで活躍するのは新しく登場したおもちゃたち。このバランスも、『4』で初めてシリーズに触れるかもしれない今の子どもたちへのメッセージが見て取れる。

 

また、これは個人的なことなのだが、前述のように劇中のボニーと娘がほぼ同じ年齢なので、「幼稚園に行きたくないとぐずる」「自分なりに頑張って工作したおもちゃを愛でる」という一挙手一投足が、驚くほど胸に刺さってしまった。最序盤、ボニーがフォーキーを作る一連のシーンで、もうすでに嗚咽をこらえるほどに泣いてしまったのである。「アンディ世代」であることにこんな属性まで付与されていたとは。思わぬ発見であった。

 

といったところで、以下、ネタバレに触れる形で本作のクライマックスに言及したい。

 

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大方の予想通り、ウッディはボニーの元を離れ、ボーと一緒に新しい人生を歩むことになる。とはいえそれは、安易な「役割よりやりたいことを優先しよう!」といったメッセージの押し付けではなく、作り手もかなり自覚的に、慎重に、フォローにフォローを重ねながら、恐る恐る、その結末に持っていった印象があった。

 

まず先にマイナスのニュアンスから吐き出してしまうと、怒りの感情が、今まさに頭の中をぐるぐるしている。時代と共に価値観は移り変わる。それは分かる。ボーが強い女性をこれでもかと体現し、ウッディを引っ張っていく構成。それも分かる。「子どもの側に寄り添うことがおもちゃの役割」という(穿った見方をすれば一種の自己犠牲とも言える)価値観が、最新の基準だとやや埃をかぶってしまう、そのセンシティブな感覚も、分かる。

 

その末に、ウッディが「ボニーのため」ではなく、「自分のため」に、彼女の元を離れる。「迷子のおもちゃ」になる。アンディを送り出し、ボニーの新しい友達であるフォーキーを献身的にフォローし続けた、そんなウッディの肩の荷を、そろそろ降ろしてあげても良いんじゃないか。フォーキーやギャビー・ギャビーという次の世代のおもちゃたちに、彼の尊い精神性は無事に受け継がれたのだから。そう感じたくなるバランスに持っていたことも、分かる。

 

しかし、果たしてこれは『トイ・ストーリー』でやる必要があったのか。ここが、どうしても飲み込みきれない。

 

テーマは分かる。メッセージも分かる。これがもし全く新規の映画で紡がれたものなら、「おお!現代的だ!さすが!」と、拍手したかもしれない。しかし、「与えられた役割を全うすることの尊さ」をずっと描いてきた『トイ・ストーリー』シリーズでこれをやるのは、本当に、正しい選択だったのか。これについては、流れるエンドロールを見つめながら、頭の中で怒りと悲しみがぐるぐると渦巻いていた。

 

「それをあえて『トイ・ストーリー』でやるからこそ、価値観の変遷、新しいメッセージの提示として、重要な意味がある」。分かる。分かるのだ。ピクサースタジオの狙いは理解できるのである。しかし、博物館行きを蹴り、アンディの元を離れても、それでもひたむきに「子どもの側にいる」ことを追い求めてきたウッディにこの物語を与えるのは、あまりに、あまりに挑戦的すぎやしないだろうか。なぜこのシリーズにこのテーマを持ち込んだのか。そのモヤモヤと消化不良は、おそらく、長い間私の中にくすぶり続けてしまうのだろう。

 

こういうことを書くと、よく「じゃあ貴方の中では『3』までで終わったことにすれば良い」などと言ってくる人がいるが、そういう人と私は、絶対的に趣味嗜好のレイヤーが異なるのだろう。そもそも、そういう話ではないのだ。

 

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しかし、しかし、である。

 

一方で、この怒りの感情を抱くこと自体に、罪の意識を覚えている自分がいるのだ。それは、物語冒頭からしきりに描かれる「ウッディはボニーに選ばれなかったおもちゃである」という点。ウッディは、ボニーにとっての「レギュラーのおもちゃ」にはなれなかった。更には、保安官バッチを外され立場まで奪われてしまう始末。まさかこのアプローチを重ねてくるとは思ってもみなかった。

 

というのも、「選ばれなかったおもちゃ」というのは、誰のどの家庭にも大なり小なり存在していたのだろう。私も小さい頃、一時期ハマったけども後で埃をかぶらせてしまったおもちゃはいっぱいあった。おもちゃ箱の底や押し入れの奥で、何年も出番がなく眠ってしまう。そんなおもちゃを確かに持っていた。

 

仮にあの頃の私にとっての、その「選ばれなかったおもちゃ」が、自由に動き、いつの間にか押し入れの中から消えて、自らの人生を歩んだとしたら。「選ばなかった」張本人である私は、それを咎めることができるだろうか。おそらく、自らの人生を歩み出したその足跡にすら気づけないのだろう。

 

おもちゃと遊ぶということは、このように、ひどく残酷なことでもある。出張先で娘のために選んで買ってきたおもちゃに娘が見向きもせず、次の日からいきなりおもちゃ箱の底の住人になってしまう。この時、娘に悪意は全くない。そこに何かしらの意図もない。ただ結果的に、「選ばれなかったおもちゃ」を生み出してしまった、その事実がそこにあるだけなのだ。

 

言うなれば、「原罪」である。おもちゃで遊んだ経験のある全ての大人が抱える、知らず知らずのうちの罪。他ならぬ私もそれを大きく背負っていたことに、否が応でも気付かされてしまった。

 

そうなると、じゃあ、今回のウッディの選択を、私は批難することができるだろうか。「ウッディよ、お前の役割は、子どもの側にいることじゃなかったのか」。そう、喉のぎりぎりまで出かかるも、でもそれは、自らの「原罪」を見て見ぬふりをする厚かましい言葉に過ぎないのではないか。私にウッディのそれを咎める資格はあるのか。

 

ウッディは一作目の頃から、ボーのことを特別に想っていた。彼女との些細な会話に鼻の下を伸ばす、そんな愛すべき保安官の姿を、VHSで、DVDで、Blu-rayで、何度も何度も目にしてきた。「選ばれなかった」彼がボーと寄り添い、そして今度は「誰かのためのウッディ」を作るために、「迷子のおもちゃ」を持ち主と引き合わせる活動に精を出す。これを、ウッディを何十年も観てきた私は否定し切れないのだ。なんとも、なんともずるい。

 

また、バランスとして、「役割からの脱却」だけを推し進めるのではなく、「その生き方」をひとつの選択肢として尊重する構成になっていた。ボニーの元に残ったバズたちは、引き続き、幸せで楽しそうに暮らしていくのだ。決して従来の価値観をないがしろにした結末にはなっていない。バズはウッディを信頼して送り出すし、ウッディは誰かを一緒に行こうと誘うこともしない。各々の価値観を互いに認めあった末の、違う道。そういうバランスに着地していた。

 

果たして、こうして文章に起こしたからといって、私の心はいくらか休まるのだろうか。エンドロールを観ながら、怒りが湧いたかと思えば、悲しみが襲ってきて、そして、ウッディの新しい人生に拍手を贈りたい自分もいる。むせび泣きながら、頭の中を駆け巡る様々な想いと向き合い続ける。こんな感情を味わったことは、この三十年ほどの人生において、初めてのことかもしれない。

 

知らず知らずのうちに背負っていた罪と、シリーズへのひどく屈折した思い入れ。人生の虚を突き、影を踏んでくる、そんなピクサーの妙技にまたもや感情をぐちゃぐちゃにさせられてしまった。映画を観てこんなことになるなんて、思いもしなかった。

 

「ウッディに幸せになって欲しい」と願う自分に、他ならぬ自分が怒っている。

 

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