ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

意味が分からなかった「テレビを字幕つきで観る」にハマってしまった理由

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発端は学生時代、今の嫁さんと付き合い始めてから。

 

私の実家には「テレビ番組を字幕つきで観る」という文化がなかったため、リモコンにある「字幕ボタン」の存在を特に意識することなく生きてきた。「何のためにあるのか分からない」より手前の、「存在に向き合ったことがない」というレベル。もちろん、耳が聞こえない方や遠い方のためにあるというのは頭では分かっているのだが、幸いにも家族に該当者がいなかったのだ。

 

嫁さんも別に耳が悪いということはないのだが、彼女はほぼ確実にテレビ番組を観る際に字幕を表示させていた。なぜ、ちゃんと聞こえるのにわざわざ字幕をつけるのか。率直に、映像の邪魔だし、何より無くても「視聴」が成立するのにわざわざ何かをプラスすることがよく分からなかった。

 

理由を聞くと、嫁さんはひと言、「だって楽だし」。この言葉の意味がよく分からず、そのまま社会人となり、結婚して、子供も生まれ、今に至る。

 

驚くことに、ここ一年ほどでようやく、「だって楽だし」の意味が身に沁みてきたのだ。というより、最近は字幕つきで観ることに半ばハマってしまっている。

 

この「楽」というのが絶妙なのだ。まず前提として「テレビをゆっくり観る時間が歳を重ねるにつれて減った」という現状があるが、これは、仕事も働き盛りに差し掛かってきたり、それが終わって帰ったら育児に精を出したりで、テレビを観るためにソファに座るタイミングにおいては疲労がたっぷりと蓄積されているからだ。だから、テレビを観る時間は次第に減ってきている。

 

ここで「字幕つき」で観ると、意外や意外、集中力が低くても内容を理解することができてしまう。それは当たり前の話で、耳で聞いて、同じ内容を目でも追うから。「聞き漏らしが無いようにしっかり耳を傾ける」という行為が意外と体力を奪っていたことに今更になって気付く。

 

例えば「ドラマの台詞を脳に入力する」という行為が耳100%の仕事だったとして、字幕があれば耳50%と目50%の稼働率になる。そして、目はどうせ映像を観るために画面に注視しているので負担はそれほど増えず(体感)、結果として「耳が休まる」のだ。分かる人には分かっていただけると思うが、これが「だって楽だし」の正体である。

 

目をフルパフォーマンスで稼働させて、耳をフルパフォーマンスで稼働させて、適材適所の五感から脳に情報を叩きこむ。こんな無意識にやっていた行為が実は意外と体力を消耗することだったことに、このアラサーになって気付いてしまった。テレビを観るのって、疲れるのだ。

 

しかも、買って観ていないBlu-rayも、買って読んでいない小説も、文字通り山になっている(学生時代は買っても買っても買い足りなくて、金欠を嘆いていたのに)。つまりは、五感フルパフォーマンスでの情報インプットは、せめて、このBlu-rayや小説に取っておきたいのだ。私の場合は映画館での映画鑑賞もこれと同じ。プライベートにおける作品堪能のリソースは、あまりテレビ番組には割けなくなった。時間も、体力も、色んな意味で無い。

 

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そんな、こんな、である。「テレビを観るのに楽も苦もあるかーい!」と思っていたあの頃の元気な私は、もう居ないのだ。それでも、面白いバラエティはあるし、好きなドラマはあるし、子供の頃は意味不明だったニュースもびっくりするくらい面白く感じられるようになった。リソースを割きたくなくても、それでもテレビは観たいのだ。なんとワガママなことに。

 

思いもよらなかった副産物として、「変換の面白さ」を感じられる瞬間がある。例えば先日まで放送していた『宇宙戦隊キュウレンジャー』は、戦隊メンバーの多くが宇宙人で、宇宙船で移動していて、物語の途中から地球に訪れる、という展開があった。この時に「あれが惑星『地球』か~」と語る登場人物の台詞が、字幕だと「あれが惑星『チキュウ』か~」になっているのだ。宇宙人なのだから、この場合は確かに片仮名が“正しい”。これは、耳だけで台詞を吸収していたら気付かなかっただろう。なるほどなあ、と唸ってしまった。

 

また、最近のバラエティはテロップを並べまくるのが主流だが、テロップが流れる部分は元のテロップに任せて(テロップを活かして)、テロップに乗らない会話だけを合間に字幕で挟んでいく番組が多い。中々の職人芸である。こういうのを細かく設定する人がいるんだよなあ、と感心するばかりだ。

 

あと、娘が寝た後の「静かにしなければならないリビング」で、音を小さくして字幕つきで観る、というスタイルも今の生活には欠かせない。もはや字幕なくしては「テレビを観る」という文化が成立しなくなってきている我が家である。

 

あの頃の嫁さんがどこまでの感覚で「だって楽だし」と言っていたのか、面と向かって答え合わせをしたことは無いが、こういう自分と違うスタイルを持った人と結婚できて良かったな、と思う今日この頃であった。

 

字幕屋に「、」はない (字幕はウラがおもしろい)

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