ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

このほど観たり読んだりしたエンタメの感想9連発(忍びの家、555パラリゲ、ジョン・ウィック4、キメラアント編、PLUTO、MONDAYS、GANTZ、龍と苺、ようこそFACTへ)

昨日に引き続き、リハビリがてらとにかく書いていきます。今日は、最近観たエンタメ(映画&漫画)の感想をざっくりと。また本腰入れて別記事でレビューをアップしたい作品も混じっていますが、それらは取り急ぎの初報ということで。

 

全てにおいて根幹のネタバレは避けますが、ふんわり触れかけているものもありますので、どうかご容赦を。

 

忍びの家 House of Ninjas

www.netflix.com

賀来賢人プロデュース&主演のネトフリオリジナル作品。全8話の連続ドラマ。嫁さんに進められて何の気なしに観たのだけど、いやはやこれが実に面白い。めちゃくちゃ楽しめた。洋ドラの作りをとても研究&踏襲していて、どういうシーンでクリフハンガーに繋げるか、複数の群像劇をどういった塩梅で走らせるか、クライマックスに向けてそれらを如何に収斂させるかなど、まずもって全体の構成が堅実。というか、「現代日本に服部半蔵の子孫一家が政府から依頼を受けて活動する諜報員のように存在していたら」という設定が、ありきたりのようでよくよく考えるとちゃんとは無かったような、知っているようで新鮮なアプローチになっていて、これがもうすごく良い。見知った日本人キャストだから取っつき易いし、タイトルに「家」とあるようにちゃんとホームドラマになってる。妙に背伸びすることなく、実現可能なバジェットでエンタメを真っ直ぐ追及して創りました、という感じ。お勧めです。シーズン2熱望します。

 

仮面ライダー555 20th パラダイス・リゲインド

随分と昔に、児童誌連載の漫画かファンの二次創作か、一目見て感銘を受けた絵がある。それは、ファイズがホースオルフェノク(疾走態)に跨って心身一体で共闘して敵を倒すというもの。『仮面ライダーファイズ』という作品に “あえて” 続編を付け足すとして、じゃあそれをやる意味や意義として何が描けるかと考えると、「仮面ライダーとオルフェノクの共闘」だろうとぼんやり思っていた。当時の『ファイズ』は、これをしっかり映像で見せ場とはしなかったからだ。立場や生態が違う者同士が起こす軋轢や葛藤が『ファイズ』の旨味なので、その「違う者同士」が名実共に並び立ち共闘するのは、作品のテーマに対してとても素直な着地だ。また、20年前からすると今や価値観や感覚はすっかり変わった。「自分と異なる者」は、「もしかしたら身近にいるのかもしれない」から「当たり前に身近にいる」になった。そういうグラデーションの変化をも盛り込みながら、しっかりショッキングも用意して、迷いなく一直線にテーマに落とし込むあたり、流石の白倉&田崎&井上トリオだなと感服。この几帳面なバランス感覚に惚れるのよ。

 

ジョン・ウィック:コンセクエンス

シリーズ4作目にして一応の(一応の?)完結作。予算も上映時間もアクションの危険度も何もかも回を追うごと「膨張」していくジョン・ウィックシリーズ。上映時間が90~120分の映画が好きな自分にとって流石にどうしようかと思うくらい長かったけど、これはこれでジョンが辿るいつまでも終わらない悪夢を追体験するような仕上がりだった。階段を落ちた時はもうどうしようかと唖然としたし、凱旋門まわりのアクションにはゲラゲラ笑った。また、少年漫画的なストレートな熱さがいくつか盛り込まれていて、そういう意味ではシリーズ随一に「スカッと面白い」と言えるかもしれない。ジョンが行き着く結末は非常に納得がいくもので、むしろああじゃなきゃ嘘だろとも思っていたので、監督との解釈一致に喜んだ。アトロクでの監督インタビューも必聴。

 

HUNTER×HUNTER キメラアント編

途中までネトフリで配信されていて、かと思ったらU-NEXTで全話観放題だった。新ハンターアニメは特に序盤に原作からよく分からない改変をしたり、旧アニメの緩急のある演出からするとやや見劣りする場面もあるのだが、キメラアント編は本当によく出来ている。大量のキャラクターが複雑に交錯し、細かな時間経過や能力の応酬を重ねていくのだが、ナレーションと演出でそれらをばっちり捌いているのだ。シーンによっては原作より良いと断言したい。メルエムがコムギの名を思い出すシーンがドラマの頂点で、特にそのシーンの演出が好きすぎる。思い出すだけで泣ける。あの劇伴がお見事で、それを知ってから前の回を見ると普通に軍議を打っているシーンでそのアレンジが流れていて不意に涙がこみ上げたりもする。

 

PLUTO

www.netflix.com

長年の原作ファンなので映像化には不安もあったが、土下座で謝りたいレベル。素晴らしい。こんな完全無欠なアニメ化もそうそう無いだろう。手描きセルアニメの味をしっかり残しつつ、要所要所でCGを用いてダイナミクスをもたらす。むしろ、セルに対するCGの一種の違和感を演出が利用しているきらいまであり、何ともクレイジーだ。他方で、原作もとい浦沢漫画特有の「あれって結局どういうことだっけ?」な話運びはそっくりそのまま踏襲しており、しかしここまでのクオリティでやられるとそれすら愛嬌に感じられるからずるい。とにかく、手ごろに短く間違いのないハイクオリティなアニメが観たい人には、文句なしでこれを挙げておきたい。ありがとう。感謝しかない。作画が安定しているとか、ぬるぬる動くとか、なんかもうそういう域をとうに超えている。

 

MONDAYS このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない

正真正銘の「タイムループもの」で、そういうのを見慣れている人ほど面白がれる作品。このジャンルにありがちな設定やパターンをしっかり踏襲しつつテンポよく回していく前半部はかなり神がかっていた。タイムループって必然的に「同じカットや同じ演出が繰り返される」訳で、それらを極めてリズミカルに、もっと言えばミュージカルにも近い文法で処理していくのは実に納得度が高い。これはもはやパンパンスパパンですよ。逆に後半部、私としては前半の痛快さに比べるとかなりの喰い足りなさを覚えてしまったのだが、貴方ならどうだろうか。YouTubeで予告を観て「おっ!」と感じた人にはぜひ一度観ていただきたい。タイムループの解消としてこういうドラマに向かうのは分かるが、それにしても。うーむ。

 

GANTZ

急に思い立って文庫本全巻セットをポチってしまった。私は『GANTZ』を中高生にリアルタイムで浴びてしまった世代で、あの頃の「こんな漫画ッ!読んだことねェッ!!」という衝撃を今でも鮮明に覚えている。多感な中高生時代にこんなSFエログロを浴びてしまったらもう終わりですよ。終わりったら終わり。一寸先が読めない話運びが連続する本作だけど、巻末のインタビューで奥先生が「およそSF映画はほとんど観ているのでそれらのどれにも該当しない展開を連続させれば『誰も読んだことのない漫画』が描ける」と語っていて、そりゃ理論上はそうかもしれないけどエグいこと言ってんなと口をあんぐり開けた。今となってはデスゲームものの一種の祖にも位置づけられるのが感慨深い。ガンツがもたらすスーツや銃を日常生活で使える、この「異なる文法が日常に交じる興奮」こそがSFの醍醐味だよなあッ、って。

 

龍と苺

単行本で読んでいたが途中から我慢がきかなくなり、サンデーのアプリでコイン課金して最新話まで追いつき、今はサンデー本誌で読んでいる。自分がそれほどまでに「追いたい!見届けたい!」となった漫画は久しぶり。よく出来たエンターテインメントというより、歪なバランス感覚、突出したバロメーターを極めて自覚的に使いこなすようなタッチで、ついつい引き込まれる。嘘のようなタイミングで藤井八冠が誕生したのもひとつの追い風か。とにかく読んでみて欲しい。サンデーのアプリからでも、漫画アプリでも、何でもいいから。最初の数話を読んでみて「なるほどこういう『味』か」と思ったら、それが際限なくずっと倍々ゲームで濃くなるから。あと、今週発売のサンデー掲載の181話、驚愕の展開に目が点になった。物心ついてからこっち無数の漫画を読んできた半生で一番びっくりしたかもしれない。

 

ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ

『チ。』作者の最新作。単行本4巻で終わるボリュームで、つい先日最終話が公開になった。いわゆる社会的弱者に相当する主人公が陰謀論にハマってしまうお話。陰謀論がいかにある種のエンターテインメントに満ちていて、時にソリッドで、時に馬鹿馬鹿しくて、どうやって私生活に滑り込んでくるのか。ひとつの思考実験みたいな漫画で、見ちゃいけない世界を(漫画外の)安全圏から覗く優越感にも似た感覚がある。ウシジマくん型。そして、「この世界の多くが認識していない『真実』を知ってしまいそれを訴える者たち」という筋でやっていることが『チ。』と同じなのもブラックジョークが効いている。この主人公のような人間に本当に必要なのは、誰で、そしてどういった生き方なのか。着地が真っ当で綺麗なので、終わってみると余計に虚構部分が際立って感じられる。また初回から読みたい。

 

なんつってる間に4,000字っすよ。あ~あ、ブログ書きリハビリの辛いとこね、これ。

 

 

感想『ドクター・ストレンジ / マルチバース・オブ・マッドネス』、あるいは映画の独立性を置き去りにするMCUについて

正直に告白すると、焦って『ワンダヴィジョン』を観た。

 

タイミングに恵まれずディズニー+のドラマシリーズはこれだけが未見で、その他の『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』『ロキ』『ホワット・イフ…?』『ホークアイ』は視聴済み。続く『ムーンナイト』が現在進行形である。今年のGWは『シン・ウルトラマン』に備えた『ウルトラマン』の復習と『ワンダヴィジョン』で幸せな多忙を極めていた。

 

さて、まずは『ワンダヴィジョン』の感想を簡単に。私は常々、そのメディアでしか出来ない表現を突き詰めた作品が好きだとこのブログでも書いているが、同作はまさにその典型であった。シットコムと思われたその世界は実は・・・ という段取りだが、これと同じプロットを仮に小説でやってもほとんど面白くないだろう。映像作品だからこそ、映像パロディが活きる。とてもシンプルなギミックとはいえ、やはりこの点を突き詰めた作品にはそれだけで一定のパワーが宿るものだ。元々原典アメコミのワンダがまあまあトラブルメーカーであり、俗な表現で言うところのヤンデレ気質なのは聞いていたので、こういうプロットにも抵抗はなかった。

 

むしろ、中盤からアガサという別の魔女を出して「全てアガサの仕業!」などと歌わせていたが、全然アガサの仕業ではなかった。やっぱり主因はワンダで、アガサはそれに乗っかって自身のパワー増幅を目論んだだけ。あとはソードの横槍も幾ばくか。一応構図としてはヒーロー側(善玉ポジション)に位置するワンダが主因になってしまう、その取り返しがつかないリスキーなプロットが魅力的だったので、中途半端にアガサを黒幕っぽくしたのは正直「日和ったか?」という感じもなくはなかった。(ヒーローサイドがトラブルメーカーとなる構図はトニー・スターク等でもやってきたが、それらはあくまで結果的なものであり、今回のワンダのように自覚あり+自己中心的+非人道行為はかなり珍しい、という理解)

 

 

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といったドラマシリーズを経ての『ドクター・ストレンジ / マルチバース・オブ・マッドネス』。『ワンダヴィジョン』で大きな喪失を経験したワンダ改めスカーレットウィッチがどっしりとメインキャラクターで登場する。

 

フェーズ4に突入したMCUは、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』にドクター・ストレンジ、今回の『マルチバース・オブ・マッドネス』にワンダ、今夏の『ソー:ラブ&サンダー』にはガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの面々と、それ単体で主役が張れるキャラクターを贅沢にも脇に登場させている。全てを追っている私を含む全世界の物好きには何の問題もないが、それ単体シリーズを観ていた人はやや面食らうだろう。実際、スパイダーマンだけが大好きな嫁さんは『ノー・ウェイ・ホーム』に出てきた髭面マントおじさんが意味不明な様子であった。

 

ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス (オリジナル・サウンドトラック)

 

そんな髭面マントおじさんが大活躍する『マルチバース・オブ・マッドネス』だが、観終わってまず思ったのは「よくあの予告編を作ったな」であった。通常の(通常の?)映画ならクライマックスに位置しそうな場面が早くも序盤20分あたりで訪れ、そこから延々と起承転結の転を繰り返していく。映像は元より、その予測不可能な話運び、着地点を見失いそうな急展開の数々が、実に奇妙(ストレンジ)なのだ。サム・ライミ監督の作家性がこれでもかと強く出ていたのも印象的で、ここまで作家性押しなのは『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズのジェームズ・ガン監督以来かも、などと思ったり。

 

重要なポジションで登場するスカーレットウィッチの行動理念、もとい動機の説明が『ワンダヴィジョン』で済んでいる・・・ ということになっているため、その辺の尺は潔くカット。一人でメスを握りたがる髭面マントおじさんが、時には他人にメスを握らせることを覚える。というか、まさか『インフィニティ・ウォー』における犠牲を伴うストレンジの決断(1,400万605通りからの選択)を糾弾するプロットが出てくるとは思わなかったが、それも踏まえたメス握りのプロットはなんとも王道で、ここまでワンダが出張ったりサプライズもあったりするのに、しっかりストレンジ主役の物語として着地している。こういった辺りのMCUのバランス感覚はお見事。

 

めちゃくちゃ複雑なマルチバースについても、多用なテロップやイメージ図を用いることなく、気の利いたセリフ回しと絵、演出それ自体でしっかりと観客に理解させる。あれだけひっちゃかめっちゃかにバースを横断しておまけに精神世界まで行き来するのに、「今どこでなにやってるんだっけ」とは1ミリもならない。離れた場所、あるいは異なるバースで起きている出来事が、どう連携してどう作用するのか。その観客の理解が、劇中のストレンジの理解と同じテンポで積み重なる。

 

これはピクサー映画にも言えることだが、MCUって、やはりこういったシナリオ構築における基礎値が高いんですよね。作品個々に不満がない訳ではないが、それは物語に没入した先に生まれるもの。「物語に没入できないという不満」は、ピクサーやMCUにはほとんど生まれない。昨今の映画産業はスタジオの権力がより肥大化している感触があるが、超天才クリエイターの集合知でここまでのアベレージが保てるのであれば、やはり歓迎だと言わざるを得ない。いわゆる「ノイズが少ない」である。

 

さて、この記事のタイトルの話をするが、本作は明らかに映画作品の独立性を置き去りにしている。これまでもそのきらいはあったが、今回はいよいよそれが大きい。

 

明確に、『ワンダヴィジョン』を観ていないとメインキャラクターの行動原理がよく分からないというバランスになっている。もちろん会話の端々から幾ばくか察することはできるが、それだけで理解しろというには不十分だろう。ストレンジの一作目を観た人が「へぇ~ 続編があるんだ。アベンジャーズはよく分からないけどこの髭面マントおじさんがかっこよかったから続編を観てみよっかな~」と思い至ると、普通に事故になるバランスである。

 

しかしこれはMCUが試験的にずっとやってきたことで、特に『インフィニティ・ウォー』以降はサノスの指パッチンで世界人口の半分が消失した歴史が当然の前提になっており、それを知らなければ入口で躓きそうな気配があった。しかしそれはあくまで事象であって、「まぁそういうことがあったんだろうな」とか、そういう程度で緩やかにスルーすることは出来ただろう。とはいえ今回のワンダは、私の肌感覚で言えば明確に「やったな」と。ドラマシリーズをすっかり前提に置いたな、確信犯(誤用)だな、と。そう感じた次第である。

 

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・・・なんてことをもっともらしく言っているが、結論から言うと、私はそれで良いと思っている。

 

さかのぼれば2008年の『アイアンマン』。それぞれ単独主役のアメコミヒーロー映画を作ってそれをクロスオーバーさせます! ・・・なんて前代未聞の企画を、やっぱりどこか、鼻で笑ったものである。いやいや、そんなの、無理でしょ。観客の予習が前提となるような、シリーズの続編展開とは全く異なるユニバース的なアプローチ。そんな映画の作り方が通用する訳がない。もし、もし、もしだよ。万に一つそんなことが出来てしまったら、それは映画産業の革命だ。まあ、いいよ。もしかしたら成功するかもしれない。もしかしたら私は伝説の目撃者になれるかもしれない。な~んてね。

 

MCUの大掛かりな構想を私はGIGAZINEで初めて目にしたと記憶しているが、その際こんなことを思ったものである。『アイアンマン』を劇場で観た際も、面白ぇぇ!と感激しながらそれでもやっぱりユニバース展開はめちゃくちゃ途方もないなと、そう感じていた。

 

それが、どうだろう。実際に映画産業に革命が起きてしまった。私は伝説を10年スパンで見届けたひとりになったのだ。「観客の予習を前提とする」は確かにハードルとしてあったが、同時に、基礎値の高いエンタメと魅力的なキャラクターを繰り出すことで「仮に予習していなくてもなんとかなる」まで『アベンジャーズ』を引き上げていた。そりゃあ、素人だって分かる。この試みが上手くいけば、個々のヒーローについた観客は雪だるま式に増え集合映画がメガヒットすることを。その理屈は分かる。が、実際に『エンドゲーム』が世界興行収入27.9億ドルを記録し『アバター』を抜いてしまうと、もうひれ伏すしかない。マーベルは、夢物語をマジにしてしまったのだ。

 

 

それから、猫も杓子もユニバース展開を試みるようになった。同資本のスター・ウォーズもしっかり追随。お隣さんのDCもなんとか。怪獣は上手くいっているようだが、ダークは駄目だった。MCUの成功は、映画産業それ自体の在り方をすっかり変えてしまったのだ。

 

だから、良い。『マルチバース・オブ・マッドネス』が『ワンダヴィジョン』を前提とするのは、MCUが押し進めるユニバース展開のネクストステージなのだ。今度こそ正真正銘「観客の予習を前提とする」、そのターンに入ったということだ。

 

「ドラマシリーズを観ていない観客に優しくない」「ディズニー+へ加入していないと続編を楽しめない」、そんな声はもう背中で弾くことにしたのだ。あの頃、「アイアンマンは観ているけどソーは観ていない。アベンジャーズを楽しむためにはソーも観ないといけないのか」なんて声に耳をふさぎ、正面からエンターテインメントで殴ったからこそ、今のMCUがある。だから、良い。これで振り落ちる人は落ちればいい。私は、『マルチバース・オブ・マッドネス』からそんな表明を聞いたような気がした。

 

「映画産業の在り方を変える」。マーベルは、ユニバース展開で映画を縦だけでなく横にも接続する試みを成功させたが、今度は、原則として別の畑にあるドラマシリーズともどんどん複雑に接続していく。映画産業という枠組みそれ自体を緩やかに崩していく。映画の新作があったかと思えば、息つく暇なくドラマの新作。それを観ているうちに映画の新作が公開される。そんな、「イベントとしてスポット的に楽しむもの」から「常時楽しむもの」への転換。例えば日本であれば、仮面ライダーやスーパー戦隊が毎週放送され、四季折々に映画やVシネマが展開されるような・・・。そんな「常に何かしらが供給される」ステータスを、莫大な資本・ノウハウ・クオリティで繰り出す。それに付いて来られる観客、並走してくれるファン、生き残ったそいつらからだけでも採算が取れる。そう判断したのだろう。

 

だから、これは煽りでもなんでもなく、リタイアする人はリタイアすれば良いと、私はそう思う。そういった人は、『アベンジャーズ』の2012年にも、『シビル・ウォー / キャプテン・アメリカ』の2016年にも、『アベンジャーズ / インフィニティ・ウォー』の2018年にも、それなりにいたのだろうから。私だって、いつ音を上げるか分からない。事実、冒頭で書いたようにこのタイミングであたふたと『ワンダヴィジョン』を観たほどだ。エンターテインメントが飽和する供給過多なこの時代、その覇権を獲ろうとするならば、これくらい強気の波状攻撃でいかねばならないのだろう。

 

だからこそ、いわゆるABCシリーズ(『エージェント・オブ・シールド』など)がMCUの本筋にほとんど絡まなかったのは、当時なりの波状攻撃展開がまだ時期尚早だった結果ではないかと邪推してしまう。Netflixシリーズ(『デアデビル』など)をここにきてふんわり絡めてきているのも、その時期尚早な歴史をなんとかリカバーしたいという想いから打ち上がった、観測気球のようなものではないだろうか。

 

しかしまあ、「予習が必要」「順番通りに観たい」「全部観ないといけない強迫観念」というのも、極めてギークでナードでオタクな発想なのだろう。『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』を観た嫁さんは髭面マントおじさんのことがすっかり気に入ってしまい、MCUの構造なんて丸っきり無視してそのまま一作目である『ドクター・ストレンジ』を観た。必要な知識や、ユニバースを前提としたあれこれは、配偶者である私が折に触れて解説をした。なんというか、まあ、それでいいのかもしれない。

 

音を上げ振り落とされる人がいる一方で、縦横無尽に作品が接続し独立性が置き去りにされているからこそ、その網に興味のアンテナが引っ掛かる人もいる。単純に、フックが多いのだ。配偶者が、兄弟が、親が、友人が、フォロワーが。生活圏のどこかに訓練されたMCUオタクが存在すれば、補完とエスコートはそいつが勝手にやってくれる。だから、作品内でわざわざやる必要はない。そういった配慮を置き去りにして、新しい試みに注力すれば良い。

 

これが、エンターテインメントにおける新たな帝王学なのかもしれない。

 

 

感想『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』 大いなるオリジンと通過儀礼は「お祭り」と同じ舞台上でよかったのか

 

サム・ライミ監督による『スパイダーマン4』が制作されなかったことも、マーク・ウェブ監督の『アメイジング・スパイダーマン』シリーズが2作で途絶えたことも、未だ幻のまま噂だけが独り歩きする『シニスター・シックス』という企画があることも、『シビル・ウォー / キャプテン・アメリカ』に3代目となるスパイダーマンが登場したことも(この場合は東映版を数えないとかそういうややこしい話は一旦脇に置いておいて・・・)、全てが、間違いなく、とてもパワフルな、「大人の事情」である。ここまで世界的に有名なエンタメ大作の「事情」に観客が付き合わされてきた歴史も、そうそう無いだろう。

 

それでもなぜ、幾度となくスパイダーマンは銀幕を飾るのか。それはシンプルに、「売れる」からである。サム・ライミ監督『スパイダーマン』(1作目)の興行成績は8億2,000万ドル超、日本でも75億を記録している。商業的に不発だった印象が残る『アメイジング・スパイダーマン2』ですら、日本での成績は30億を超えているのだ。ちなみに直近の2021年の記録だと、『ゴジラvsコング』の国内興収は19億、『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』でも27億となっている。スパイダーマンというコンテンツは、強力なドル箱なのだ。

 

だからこそ、何度だって・・・。たとえお話がリセットされようと、それでも制作される。ピーター・パーカーという青年が主人公であることも、ベンおじさんが死ぬことも、大いなる力には大いなる責任が伴うことも、誰もがとっくに知っている。それでも、知っている観客に向けてそれをわざわざ語り直すことが許されるほどに、無慈悲なるドル箱なのだ。「え? またスター・ウォーズをいちから作るの?」や「え? またジュラシック・パークをいちから作るの?」なんて、常識的にはあり得ない。続編やスピンオフといったアプローチが順当である。しかし、「え? またスパイダーマンをいちから作るの?」は「あり」とされてきた。こんな短いスパンで、それも複数回の「あり」が許されてきた、なんとも我儘で贅沢なヒーローなのである。

 

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は、そんな「大人の事情」こそを作品内に取り込んでみせた。それはもう、意欲的に。こんなにも厚かましくメタメタしくハイコンテクストな映画を観たのは久しぶりである。

 

Spider-Man: No Way Home (Original Motion Picture Soundtrack)

 

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思えば、MCUスパイダーマンの初ソロ作品『ホームカミング』からして、この3代目のスパイダーマンは相当にメタかった。

 

「観客がすでに複数回の実写スパイダーマンを認知している」という前提条件を、マーベルスタジオは分かった上でお話に組み込んでいく。仮にライミ版とウェブ版が無かったら、メイおばさんはあの若々しいビジュアルにはならなかっただろう。ベンおじさんもちゃんと出てきて、ちゃんと死んだのだろう。蜘蛛に噛まれるシークエンスだってもっと詳細に語られたのだろう。言うなれば、マーベルスタジオは観客を信じたのである。「あなた達はスパイダーマンの基礎知識をすでに持っていますよね」と、まるで学校の先生が生徒の理解力を信じて前回の授業のおさらいを省略するかのように、「説明しない」という説明手法を取ったのだ。そしてそれは、非常にスマートに、無駄なく成功したと言えるだろう。

 

 

『ファー・フロム・ホーム』でも同じように「『エンドゲーム』を観ていること」を当たり前の前提条件に組み込み、本作『ノー・ウェイ・ホーム』においても「もちろんご存知ですよね」という顔で別ユニバースから歴代ヴィランを呼び寄せる。ドル箱のスパイダーマンを入り口に、あるいは「昔のやつなら知ってるけど今のはよく分からない」という中途半端な位置にいる客への呼び水として、とても戦略的にスパイダーマンというコンテンツを活用していく。「客を呼べるスパイダーマン」という属性に、これでもかと頼る。トム・ホランド演じるMCUのスパイダーマンは、蜘蛛男の物語というコア(心臓部)に、スタジオの都合、大人の事情、企画のための制作という多種多彩なステッカーが、べたべたと貼られているのだ。

 

もちろん、マーベルスタジオの実力が「生ける伝説」級なのは、その「企画ありき」それ自体を「面白さ」に置換する技術に長けている点にある。観客をここまで理屈臭い企画に付き合わせ、それで拍手喝采を獲得している映画スタジオも、そうそうあるまい。

 

前置きが長くなった、というお馴染みの前置きを経て。以下、映画のネタバレを含んだ感想を記す。

 

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私は、『ノー・ウェイ・ホーム』自体に非常に複雑な感情を抱いている。ただこれは、とても高望みでありつつ、おそらくそうなるように制作側から仕組まれた感情であることも、そこそこ自覚している。少なくとも、諸手を挙げて「お祭りサイコー!」のテンションにはなれていない。良くも良くも良くも、ちょっとだけ悪くも。

 

結論を先に書くと、「世紀のお祭り」と「オリジン」を一緒に語ってしまって本当に良かったのだろうか、という部分だ。

 

まず、「世紀のお祭り」について。もはやファンが過剰にネタバレをセーブする雰囲気から逆に予想していた人も多いと思われるが、トビー・マグワイアとアンドリュー・ガーフィールドがまさかの復活出演を果たしている。「そうなるだろう」と99.9%予想していても、やはりスクリーンでまた彼らを拝めた瞬間は、感極まるものである。劇場では、他の観客の息を飲む声が聞こえた。私も、手元で小さくガッツポーズをしたものだ。復活した彼らが、後輩スパイダーマンであるトム・ホランドを導く一種の師のポジションに収まる。中でも、「大いなる力には・・・」の台詞をトビーが引き継いだ瞬間は、もう、本当に、たまらないものがあった。「ぼくのかんがえるさいきょうのすぱいだーまんのせいぞろい」を、世界最高峰のスタジオが映像化した瞬間である。

 

更には、トビーとアンドリューにも救済を用意していく。トビーは、あの日救えなかったグリーンゴブリンの命を守る。それも、「グライダーでの絶命」から彼を守るのだ。これが契機となって親友・ハリーの絶命にまで話が及んだことを思うと、トビーピーターとしては積年の瞬間だっただろう。アンドリューピーターには、「落下して絶命寸前のヒロインを救う」という究極の救済が用意される。なんともメタい。MJを抱きかかえるアンドリューの表情カットは、メタ文法に頼りすぎてはいるものの、どうしようもなくグッときてしまう。『アメイジング・スパイダーマン2』のラスト、グウェンの死から復活までのシークエンスは何十回観ても号泣してしまうが、あの殿堂入りにこうしてフォローが行われた。なんとも、歴史的だ。

 

前置きで長ったらしく書いたように、本作は「大人の事情」を逆説的に利用し、理屈を付けてそれらをエンタメという渦に巻き込んでみせた。「ドクター・ストレンジが魔法を使ったから先輩スパイディが現れた」のではない。「先輩スパイディを登場させるためにドクター・ストレンジが魔法を使った」のである。通常なら、あまりに企画色が強すぎてたじろいでしまうところを、「トビーとアンドリューの出演」という世紀のワイルドカードを切ることで正面から押し込んだのだ。ここまでされてしまえば、そりゃあ、天晴である。感服するしかない。

 

私個人も、実写映画スパイダーマンの歴史をずっと観てきたのだ。これで感動するなという方が無理な話である。

 

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他方で。本作がトム・ホランド演じる3代目ピーターの「オリジン」として機能した点について、とても複雑な感情を持ってしまった。

 

そう、スパイダーマンとは、もっと言うと「我々の知るスパイダーマン」とは、本作のラストでニューヨークを飛び回る「彼」なのだ。覆面で正体を隠し、孤独で、影があり、人の死を背景として持っており、軽妙な口調はその過去を隠し誤魔化すような悲哀さを伺わせる、そんなスーパーヒーローこそが、「我々の知るスパイダーマン」だ。

 

思えば、トムピーターは恵まれすぎていた。「ベンおじさんの死」というイベントも経験せず、トニー・スタークに世話を焼かれ、メイおばさんもハッピーも深い理解があり、恋人や親友とも楽しくやっていた。およそ、「我々の知るスパイダーマン」らしくは無い。そしてそれは、マーベルスタジオが過去作との差別化としてそうチューニングしてきた経緯がある。

 

本作『ノー・ウェイ・ホーム』では、それをリセットしている。ベンおじさんがもういないのだから、メイおばさんが死ぬしかない。トムピーターにとっては、メイおばさんが概念上の「ベンおじさん」として機能する。それも、「①自身の軽率な判断と未熟さゆえに」「②大切な人を失い」「③復讐心に駆られてしまう」のだ。このスパイダーマンとしての通過儀礼を経験することで、お馴染みの「大いなる力には大いなる責任が伴う」を会得し、「我々の知るスパイダーマン」に到達していく。トビーも、アンドリューも、①②③をしっかりやったのである。それも相当にじっくりと。彼らだって、我を忘れ強盗犯をスーパーパワーに任せて追いかけたのだ。

 

「ヴィラン勢ぞろい!」「先輩スパイディ復活!」という華やかな話題に引っ張られがちだが、本作のシナリオは前述の①②③の流れで組まれている。やっていることはお祭り映画で伝説的だが、プロットは至極スタンダードなスパイダーマンである。

 

「①世界中の人の記憶を消して欲しい、あるいはヴィランたちを救いたい、という軽率で未熟な行動がきっかけとなり」「②メイおばさんが死んでしまい」「③復讐心のままグリーンゴブリンを殺しかける」。そして、これまで恵まれすぎていたトムピーターは、ここにきてやっとこさ「スパイダーマンとしてのオリジン」を経験する。加えて、「世界中がスパイダーマンの正体を知る」「スパイダーマンに関する設定がリセットされる」といったプロットは、原典アメコミに存在するストーリーラインだ。マーベルスタジオはその辺りを巧妙に組み込みつつ、2021年最新版のオリジンをプレゼンテーションしてみせた。

 

 

そうすると、「世紀のお祭り」と「オリジン」、この相反するふたつの要素は果たしてしっかり同居できていたのか、そこが気がかりになってくる。

 

もっと言うと、「オリジン」というそのヒーローの背骨を形成する部分に、余所のユニバース(正確には、原則として「お話」の外に存在する「大人の事情」という名の『文脈』)が干渉して良かったのか、という点だ。もちろん、言うまでもなく、このふたつは物語としてしっかり接続されている。先輩スパイディが例の屋上で語りかけ、今まさに失意のどん底にいる後輩を導く。トビーピーターがグリーンゴブリンを守ることで、誇り高い精神性が継承されていく。一方でドンチャンのお祭りをやりながら、そのすぐ横で深刻なオリジンをやる。この食い合わせについては、相当意図的にフォローが敷かれているのが見て取れる。

 

それでも。『エンドゲーム』を経て世界を救い、トニーの死を経験し、自身ソロも遂に3部作となったトムピーターが、あの局面に至っても復讐心を制御できなかったのは正直に言って寂しい。結局、彼自身の成長や精神が何か物語を「前に」動かす機会は訪れなかった。「お祭りしながらオリジンをやる」という企画の余波で、トムピーターの成長がとても低く見積もられてはいないだろうか。彼は確かに子供だが、まだ、ここに至ってもまだ、その精神レベルなのだろうか。・・・そういった点が、どうしても頭をかすめていく。これは「スパイダーマン大集合映画」ではなく、「トムピーター3部作の完結編」じゃなかったのか。前者の都合で後者が影響を受けてしまっていないだろうか。「国民の孫」のような肌触りにあるトムピーターのファンとして、そこがどうしても解消し切れない。

 

しかし、そもそも映画とは、フィクションとは、制作という神によるボードゲームである。トムピーターもメイおばさんも、単に盤上の駒に過ぎない。神がもし、今回のボードゲームをいっちょ派手にやりたいとして、いくつかの駒がその影響を受けたとしても、致し方ないのだ。「新旧スパイダーマンが集合する」という世紀のお祭り、その脚本上のプラス要素を成立させるために、「メイおばさんの死」と「ピーターの認知リセット」というマイナスが配置される。そうやってお話の緩急、バランスを構築する。その「バランス取り」それ自体が「相反するふたつの要素の接続」なのだろう。それは大いに分かっているし、ストーリーテリングのスキルは異次元の領域で上手くいっている。しかし、「バランス取り」の結果か、トムピーターの大切な大切な一度きりの「オリジン」が少し割を食ってしまったのではないかと、そう感じるのも本音である。

 

「グリーンゴブリン殺害をトビーピーターが食い止めた」、スパイダーマンとしての精神性の継承と先導に拍手喝采の自分。「グリーンゴブリン殺害をトビーピーターが食い止めた」、つまり別ユニバースという大人の事情メッタメタのお祭りなくしてはトムピーターは大いなる責任を全うし切れなかった、という事実に一抹の寂しさを覚える自分。どちらも、しっかりと存在している。だからややこしい。

 

「これまではスパイダー『ボーイ』だった。この映画を経てスパイダー『マン』になる」。これは、本作についてインタビューを受けたトム・ホランドの言葉である。確かに、彼は間違いなく「マン(男)」になった。強力な喪失を経験した。世界を救い、親友と恋人を救い、世界中から愛され、単独ソロ3部作を経て、ここまで沢山の物を積み上げたこのタイミングで、「スパイダーマンの通過儀礼」を経験した。最も恵まれていたスパイダーマンだったはずなのに、過去最高級に「大人の事情」を内包した本作をもって、一転、最も不幸なスパイダーマンになってしまった。

 

その一部始終が、本当に「世紀のお祭り」と同じ舞台の上で良かったのか。「世紀のお祭り」に心の底から興奮しただけに、ふと気づくと、「自分は素直に興奮して良かったのか?」と、なんだか申し訳ない気持ちになってくる。この感情への決着は、「大人の事情」をメタメタに詰め込んだ企画色満載の本作ではなく、また次に “隣人” と会う機会に持ち越しておきたい。

 

 

感想『ホワット・イフ…?』 「もしも」の解釈戦争と、MCUが挑まざるを得ない課題への自己言及

MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)初のアニメーション作品として、2021年8月よりDisney+にて配信された『ホワット・イフ…?』。全9話で構成された本作は、タイトル通り「もしもあのシーンで○○が××だったら」というIF(もしも)の展開を軸に、MCUがMCUに深い自己言及を繰り返していくという、ある種「公式二次創作」なシリーズである。

 

何より、アニメーション自体が非常に完成度が高かった。実在の俳優を再現しながらしっかりと二次元として造形されたヒーローたちが、時に実写アクションのように縦横無尽に、時にアニメだからこそケレン味たっぷりに、様々な動きで魅せてくれる。とにかくストーリーが肝かつ目玉のシリーズではあるが、それはそれとして、シンプルに「映像が良い」というのは特筆すべき点だろう。個人的にはライティングの設計が何より好きでした。

 

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アメコミがひとつの特殊な文化であることは、今更語るまでもない。

 

ひとりのヒーローの連作はもちろんのこと、様々な「バース」や「設定」により、横に横に枝分かれしていく作品群。多面的であること、多様性であること、日本のカルチャーで言えば「パラレルであること」を大きく許容する土壌。だからこそ、『スパイダーバース』のような作品が「成立」してしまえる、その解釈の幅広さが強みなのだ。

 

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『ホワット・イフ…?』も、まさにその土壌の上に成立する作品である。様々なパラレルや解釈を許容できる文化だからこそ、こういったフルパワーの「お遊び」がしっかり地に足を着ける。そこに、ウォッチャーという語り部を設定し、マルチバースという概念を持ち込むことで、「お遊び」を「本筋の端にあるもの」として置いてみせる。シンプルに、お見事である。コンセプトと、それを成立させるための手順や配慮に隙が無い。

 

(超~ッ厳密には、「我々の知るMCUとも言うべきひとつの正史=タイムライン」と『ホワット・イフ…?』内の物語が、同一マルチバースの出来事であるという明言はされていないが、むしろこれまでMCUは「同じ世界観である」ことを原理原則として前提に置いてきたので、逆に「違う」という明言が無い限りは「同一」とみなすべきだろう、というのが私の理解である。)(こういうことを一々言い出すからオタクは面倒臭い。)

 

MCUに限らず、ひとつの作品にのめり込み、俗にいう「ファン」になっていくにつれ、「解釈」との付き合いは避けられない。

 

「あそこで○○が××するのがいい。なぜなら……」「○○だったキャラが~~~を経て▲▲になるから感動する」。受け手のそれぞれが、作品・物語・キャラクター・設定・演出、その他諸々に無数の「解釈」を加えていく。作品の感想は決してひとつでは無く、受け取った人の数だけ存在する。つまり、観た・読んだ・体感した人の数だけ、そこには「解釈」が生まれるのである。

 

『ホワット・イフ…?』は、全世界のMCUファンが持つ個々の「解釈」と、絶対神・マーベルとの、仁義なき戦いであった。「解釈」が無数に存在するからこそ、ファンフィクション、つまり二次創作が生まれ出る訳で、マーベルスタジオはその無限ともいえる「解釈」に真っ向から挑む格好になる。展開が違っても、出会いが違っても、イベントが違っても、「あのキャラクターならこんなふうに行動するのではないだろうか」。そういった「解釈」戦争において、『ホワット・イフ…?』は、非常に秀逸な立ち回りを見せたのではないだろうか。

 

超人にならなくても祖国のために高潔さと勇気で活躍するスティーブ・ロジャース。一歩違えばその発明でもって凶行に及んでいたハンク・ピム。シチュエーションが変わっても復讐心と実行力が全くブレないキルモンガー。マーベル公式による様々な「解釈」の披露は、全世界にいる多くのファンが頷くものばかりだったと言えるだろう。

 

もちろん、「そうじゃない!○○はそんなこと言わない!」という人もいただろうが、そういった人には「マルチバースの別世界のことなのであまり気にしないで」と設定面でガス抜きを用意する。二重にも、三重にも、公式が「解釈」の一例を示すことに自覚的な作りであった。

 

綿密に組み上げられた物語というのは、さながら、ジェンガのようなものである。全てが見事に、綺麗に、隙間なく組み上がっているからこそ、「そこ」がズレれば、当然のように「あっち」もズレる。押し出されり、崩れ落ちたり。反対に、「そっち」に新しく積み上げたとすれば、続けて「こっち」にも伸びていくだろう。

 

MCUの作品は平均的なクオリティが非常に高く、それは主に脚本面での練り込み=ブラッシュアップの成果だと思われるが、そのパズルとしての精度の高さが、『ホワット・イフ…?』のアプローチを何倍も面白くしている。多くのファンは、「解釈」の末に辿り着き、すでに「MCUのジェンガ」をよ~~く知っているのである。形を他人に説明できるほどに。だから、そのジェンガのどこがズレたらどんな影響が出るのか、条件反射のように脳内で二次創作が走り出す。それ程までに、マーベルスタジオに魅了され、調教された人が、全世界にどれだけいるのだろうか。

 

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ソーが一作目と同じイベントを経なければ、当然、お調子者のボンクラ王子のままなのだろう。そして地球に遊びに来る。あり得る。ロキとも仲違いしていない。あり得る。地球が事実上ピンチになるので、キャプテン・マーベルが飛来して阻止しに来る。う~~ん、"あり得る" !

 

知っているはずのジェンガが形を変えた時、それは、我々ファンとマーベルスタジオとの、「解釈」知恵比べ合戦の火ぶたが切って落とされることを意味するのだ。そしてその勝負は、あろうことか、毎度鮮やかに公式が白星を飾る。「あり得そう」の総量とその深さに感服し、こちらは笑顔で負ける。そう、『ホワット・イフ…?』は、笑顔で負けるのが楽しいのである。「公式~~~~~!!!!お前ってやつは!!!!!」と、嘆き、匙を投げ、胸が躍る。「公式が最大手」という言い回しがあるが、これがドンピシャ当てはまる作品だったと言えるだろう。

 

これの何がすごいかと言うと、ここまで巨大に膨れ上がったユニバースにおいて、MCUの公式自身が自分たちの作品にしっかりとした理解を深めていることである。「作りっ放しになっていない」ことが、『ホワット・イフ…?』を通してよくよく実感できる。その作品で何をテーマとし、キャラクターに役割を与え、展開を紡いだのか。そういった自覚の果てに、『ホワット・イフ…?』が成立する。それそれの結末をいじくり回し、ネームドキャラが死屍累々にも関わらず、公式から作品への深い愛を感じることができるのだ。そういった意味で、「究極の二次創作」であり、「公式が最大手」であり、「至高のファンサービス」でもあった。本当に、ありがとうございました。

 

また、物語の展開上においても、『ホワット・イフ…?』はMCU自身に非常に自覚的であった。つまり、「MCUは何が面白いのか」という、根幹の部分である。

 

MCUはこれまで、それぞれのヒーローに既存のジャンルを掛け合わせる形で、そのジャンルの持つ強さと自社ヒーローの特性をマッチアップさせてきた歴史がある。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は言うまでもないスペースオペラのど真ん中を往き、『アントマン』はファミリームービーの面白さをしっかりと汲んでみせた。『スパイダーマン:ホームカミング』ではハイスクールものを、『シャン・チー / テン・リングスの伝説』ではカンフー映画を。自社ヒーローと何かのジャンルにタッグを組ませ、そのジャンルが旧来より持っている強さや特性をしっかりとキャラクターに馴染ませ、反映し、物語を展開させる。だから、味が違ってもどれも面白い。

 

そんなMCUは、一体「何が面白いのか」。それは、「異なる世界観で生きたヒーローたちが」「有事の際に作品の垣根を超えて出会い」「まさかのドリームチームを組む」、だから面白いのである。

 

つまるところ『ホワット・イフ…?』は、「スター・ロード × スペースオペラ」や「アントマン × ファミリームービー」の図式で言うならば、「MCU × MCU」なのである。MCUのキャラクターにジャンル名「MCU」をマッチアップさせる。「異なる世界観で生きたヒーローたちが」「有事の際に作品の垣根を超えて出会い」「まさかのドリームチームを組む」、といったMCUが創ったジャンルを、MCU自身でやる。「もしも」で生まれたヒーローたちが、マルチバース全体の危機に集い、急造チームでウルトロンに立ち向かう。なんと面白く、燃えて、そして「見知った」展開だろうか。

 

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しかしこれは、むしろ、今後のMCUの避けられない課題とも言えてしまえる。

 

MCUは巨大になりすぎたからこそ、MCU自身を決して無視することが出来なくなってきた。公開を控える『エターナルズ』では、わざわざ、「彼らの敵はあくまでディヴィアンツなのでサノス関連には関りを持たなかった」という「言い訳」(あえてこう表現する)を用い、ニューヒーローをMCUに参戦させている。『シャン・チー』にも、そういった構造上の「言い訳」が若干感じられたところである。

 

今後のMCUには、こういった「MCUに自己言及しながら一応の整合性や理屈を担保しつつMCUを拡大させる」という、ある種ヘンテコな課題をエンタメパワーでぶち破っていく姿勢が求められるのだろう。

 

すでに、相当綺麗な形でジェンガが組み上げられている。そこに新しいピースを加えるのだから、当然、「加えた瞬間」は歪になる。それを、時に先回りしながら、時に後付けしながら、また別の形での「綺麗」に持って行かなければならない。これまでもその傾向はあったが、サノスという全世界に未曾有の影響が出たイベントを経て、いよいよそれは絶対的な命題にのし上がってしまった。

 

下手を打てば、こだわりすぎたが故の窮屈さにも繋がってしまうこの課題。そこに本格的に踏み出していく第一歩として、「公式が最大手として『解釈』を披露する」という精神的な「仕切り直し」として、『ホワット・イフ…?』はとても有意義なシリーズだったのではないだろうか。MCUの「MCU自己言及っぷり」は、このシリーズが過去最高に振り切っていただろうから。

 

 

TENETくんと僕

僕「クリストファー・ノーラン監督の最新作!『TENET』!楽しみだなあ」

 

TENET「こんちわ。予告、観る?」

 

僕「もう何度も観たよ。予告だけじゃストーリーが全然分からないけど」

 

TENET「映像すごいっしょ?」

 

僕「相変わらず抜群の雰囲気があるよね」

 

TENET「実際に観る感じ?」

 

僕「観る観る!こうして公開日のレイトショーに来てるぞ!」

 

TENET「楽しんでくれよな」

 

僕「サンキュー、TENETくん!」

 

TENET「それでさ、開幕、取り急ぎテロ起きるから」

 

僕「取り急ぎテロ!?」

 

TENET「まずはテロが起きる感じなんすよ」

 

僕「これは誰がどういう意図で起こしたテロなんだろう。主人公の立ち位置は・・・。何かを奪い合ってるのか? 奪還作戦? いや、要人の逃がし? まあ、観ていればそのうち理解できるでしょう」

 

TENET「いや、感じて」

 

僕「え?」

 

TENET「感じて」

 

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僕「しかし流石のノーラン監督だよな。オペラのシーン、エキストラがすごい。爆破もかなり大規模だ」

 

TENET「感じた?」

 

僕「いや、まあ、感じた。取りあえず感じたよ」

 

TENET「見て!なんとなく偉い人が出てきたよ!」

 

僕「お、出た!なんとなく偉い人!ここ予告でも観た船のシーンだ!タイトルの単語が出てくるシーン!」

 

僕・TENET「「"TENET"」」

 

僕「ふぅ~~!!これあれでしょ!これ以降、事あるごとにTENETが会話の中に出てきて、お話の推進力になるやつでしょ!」

 

TENET「もうあんまり出ないよ」

 

僕「え?」

 

TENET「ほら、次いくから」

 

僕「うん」

 

TENET「ちゃんと説明聞いてね。弾が銃に戻るんだよ」

 

僕「うん、ちょっと待って。あのさ、エントロピーってなんだっけ」

 

TENET「弾が戻るの!」

 

僕「いやだから」

 

TENET「戻るの!!」

 

僕「はい」

 

TENET「ちゃんと説明聞いてる? こっちが原因、こっちが結果。はい、リピートアフタミー」

 

僕「げんいん・けっか・げんいん・けっか・・・」

 

TENET「ね? だから戻るんだよ」

 

僕「え?」

 

TENET「戻るの!!」

 

僕「はい」

 

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TENET「よし、裏社会の人に会いに行こう!」

 

僕「待って待って。その人は何をしている人だって? 武器商人? う、うん、なるほど。いきなり話が進むけどまだ大丈夫。続けて」

 

TENET「バディのイケメン、お出ししとくね」

 

僕「バディのイケメンだ」

 

TENET「かっこいいスパイアクションを見て!!」

 

僕「おっ、すげぇ。スタントマンじゃなくてガチやんけ。バンジーのシーン、照明もすごくいい感じ」

 

TENET「かっこいいスパイアクションを見て!!」

 

僕「ぶっちゃけ今何のために侵入しているのか100%理解できてないっぽいけど、まあ、まあ」

 

TENET「かっこいいスパイアクションを見て!!」

 

僕「観てる観てる。分かったから」

 

TENET「この辺りで、色々と説明していくね」

 

僕「うん。頑張って聞くから。よろしく頼むよ」

 

TENET「アルゴリズムっていうのが重要なんだよ」

 

僕「アルゴリズムって、あのアルゴリズムのこと?」

 

TENET「いや、アルゴリズムじゃない。でも、アルゴリズム」

 

僕「え?」

 

TENET「ほら、プルトニウムも重要だから!これは要チェック!」

 

僕「プルトニウムって、あのプルトニウム!?」

 

TENET「いや、プルトニウムじゃない。でもプルトニウム」

 

僕「え?」

 

TENET「アルゴリズムとプルトニウム。分かった?」

 

僕「いやだから、アルゴリズムとプルトニウムなんでしょ?」

 

TENET「違う!アルゴリズムとプルトニウムじゃない!いい加減にして!アルゴリズムとプルトニウムだから!」

 

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僕「うお!エリザベス・デビッキ!出た!身長高っ!!!!!すっご!!!!」

 

TENET「スパイ映画には幸薄そうな美人が似合うよね」

 

僕「わかるが」

 

TENET「とりま空港行こうね」

 

僕「絵を処分するんだろ? 分かるよ」

 

TENET「とりま飛行機を倉庫に突っ込ませるわ」

 

僕「え?」

 

TENET「だって気を逸らさないと」

 

僕「グリーンバック撮影?」

 

TENET「いや、1/1飛行機」

 

僕「え?」

 

TENET「飛行機」

 

僕「マジかよこれ・・・・・・」

 

TENET「ガチいくぞ~~~~~~」

 

僕「(思わず爆笑している)

 

TENET「はいドーーン!!」

 

僕「嘘だろ・・・やっば・・・」

 

TENET「はいここで逆行敵の出現!!アクション!!」

 

僕「え、誰? 敵!? え?」

 

TENET「感じて!アクション見て!」

 

僕「相手これ逆行してるじゃん!うわ!動きキッモ!すっご!うっわ!」

 

TENET「見て!ほら!感じて!」

 

僕「うん!理屈はちょっとよく分からないけどアクションすごい!」

 

TENET「え? 理解できてないの?」

 

僕「え?」

 

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TENET「飛行機すごかったでしょ?」

 

僕「うん、すごかった」

 

TENET「でも絵は処分できてませ~~~ん!!ざんね~~~~ん!!」

 

僕「嘘だろ・・・」

 

TENET「とりま海行くぞ」

 

僕「うん」

 

TENET「セイターが話してるの全部大事だから聞いててね」

 

僕「・・・もう少し親切に語ってくれると助かるんだけど」

 

TENET「え? じゃあ感じて」

 

僕「はい」

 

TENET「次は高速道路!」

 

僕「何のために高速道路でアクションが発生するのか完璧には理解できてないけど!」

 

TENET「いいから!」

 

僕「おけ!」

 

TENET「見て!高速道路を長期間封鎖して撮ったカーアクション!見て!」

 

僕「すげぇな。車を四方から挟むの、画がすごすぎる」

 

TENET「でしょ~~~?」

 

僕「うわ!なんか逆行してる車!」

 

TENET「ここよく見てて!」

 

僕「おけ!」

 

TENET「セイターきたよ!カーアクション頑張ったよ!」

 

僕「おけ!」

 

TENET「そしてここから逆行の扉を通るね!」

 

僕「え?」

 

TENET「まず向こうで拷問してるでしょ? あっちが赤で、こっちは青だから。ほら、分かった?」

 

僕「え? ちょ」

 

TENET「実はね~~~~、現在と未来の挟撃作戦だったんだよ!!!じゃじゃ~~~ん!!!!」

 

僕「え?」

 

TENET「よーし、扉を通るぞ!逆行だ!あ、マスクつけてね」

 

僕「う、うん。まあ、うん」

 

TENET「はい逆行~~~~!!見せ場連続っしょ!すごいっしょ!?」

 

僕「逆行して酸素が吸えないのは分かるんだけどさ」

 

TENET「ん?」

 

僕「例えばさ、気圧とかも逆になったらさ、そもそも体が存在できなかったりしないっけ? 何がどこまで逆行するルールなんだっけ? あれ、これ見当違いな疑問?」

 

TENET「感じて!!!」

 

僕「え?」

 

TENET「感じて!!!」

 

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TENET「見て見て~~~!あの逆行していたシルバーの車は~~~!主人公の車でした~~~!!!!」

 

僕「おけ。まあ、おけ」

 

TENET「はい!燃えたから凍ります!」

 

僕「ちょ待」

 

TENET「え?」

 

僕「いや、まあ、分からない訳じゃないけど。流石にそうはならんやろ」

 

TENET「なってるでしょ?」

 

僕「ならんでしょ」

 

TENET「なってるじゃん」

 

僕「ひぇ~~~~」

 

TENET「ほら、イケメンが色々説明するから!」

 

僕「TENETくん、僕、頑張るよ!イケメンの説明聞くよ!」

 

TENET「ちゃんと聞いて!ほら!」

 

僕「で、でた~~~~~ 肝心な説明が欲しい時にいい感じの雰囲気の比喩~~~~~」

 

TENET「ほら、感じた?」

 

僕「感じた・・・のか・・・?」

 

TENET「感じたね? ほら、もう一回空港行くよ!」

 

僕「うん。分かった。これアレでしょ。空港で襲ってきた逆行敵は、自分たちなんでしょ!」

 

TENET「ご名答~~」

 

僕「いいぞいいぞ。映画のシーン構成までもが逆行していく感じ!『インセプション』で浸らせてくれた物語の構造と映画の作りがリンクしていく感じ!これはもしや!クライマックスの舞台はオペラでのテロか!!そうなんだな!!!」

 

TENET「いや、もうオペラは行かない」

 

僕「行かない?」

 

TENET「行かない」

 

僕「行かないのか~~」

 

TENET「そういうのいいから。ほら、見て!逆行アクション!今度はさっきと視点を変えて撮ってるよ!」

 

僕「銃が手元に戻るの、そうはならん感じがあるけど、いいカットだよね」

 

TENET「なってるじゃん!」

 

僕「なってるんだよなぁ~~~」

 

TENET「理解できてきた?」

 

僕「細部はもう置いておくわ。主人公たちは、今、逆行状態のまま過去に行ってるんだよね」

 

TENET「過去という概念を捨てて!時間の方向は」

 

僕「いや、便宜上の表現の過去ね。多分ざっくりは分かってるから」

 

TENET「分かってんじゃん。じゃあここでもう一回、扉入るから」

 

僕「ん? 逆行世界でまた逆行するの? ちょっと待って一旦整理したい」

 

TENET「さっき分かってたじゃん」

 

僕「いや、分かって・・・分かって・・・分かってたのか・・・? 僕は分かっていたのか・・・?」

 

TENET「もういい!感じて!」

 

僕「はい」

 

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TENET「そしてスタルスク12に行きます!」

 

僕「スタルスク12」

 

TENET「赤チームと青チームに分かれます!」

 

僕「赤チームと青チーム。ちなみにこれは」

 

TENET「いいから!分かれるの!!!」

 

僕「はい」

 

TENET「ビルどーーん!ぎゅるぎゅる~~ どーーん!」

 

僕「映像すごいな」

 

TENET「理解できた?」

 

僕「ほんとごめん、若干眠い」

 

TENET「ダメ。見てほら」

 

僕「くっそ、映像良すぎるな・・・」

 

TENET「起きた?」

 

僕「ごめん眠い。公開日金曜にするなよ。仕事終わりのノーランはきついって」

 

TENET「ダメ。見て、イケメンの儚い見せ場!」

 

僕「イケメンの儚い見せ場だ」

 

TENET「ね? 理解できたでしょ? こういうことだったんだよ」

 

僕「つまり、どういうことだってばよ」

 

TENET「こういうことだから。ね?」

 

僕「うん」

 

TENET「楽しかった?」

 

僕「うん」

 

TENET「理解できた?」

 

僕「・・・・・・いや・・・」

 

TENET「楽しかった?」

 

僕「うん」

 

TENET「どうやって死にたい?」

 

僕「老衰」

 

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