EP9こと『スカイウォーカーの夜明け』が個人的に残念極まりない作品だったことは、公開当時に書いた感想記事が全てである。
ネットでは「EP8の惨状から無難にまとめてくれて有難かった」という意見を多く目にする。私としては、それがそっくりそのままマイナスの要因だ。仮にもスター・ウォーズなのだ。EP8が世界的に不評だったことよりも、「スター・ウォーズという大作が『無難』な路線を選択した」事実が残念だった。強力な資本力で寝た子を起こし、EP6のハッピーエンドを覆し、そうまでして始まったシリーズの行き着く先が「無難」だなんて。つくづく、残念である。
「縮小再生産のお手本」のようなスター・ウォーズなんて、私は観なくなかった。
各監督が云々というよりも、スタジオとして一貫した舵取りが行われていなかった、その結果がこれなのだろう。監督個々の作家性に任せるといえば聞こえは良いが、せめて大枠や設定くらいは連続させるべきである。
また、EP8が不評だったからといって、そこで描かれた要素を後付けで「なかったこと」にしてしまうのは、いくならんでも不誠実に思える。EP8が映画として凸凹だったのは言うまでもない。しかしせめて、そこで示唆された路線くらいは継承できなかったのか。年末年始、そんな答えのないことをずっと考えていた。
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しかし年が明けた1月中旬、EP9の幻のプロットと噂される情報が、界隈に流れ始める。
当初同作を監督する予定だったコリン・トレボロウが携わった草案、と記されたリーク情報は、あまりにも「観たかったもの」だった。大枠のみが記された記事ではあったが、大きく想像が膨らんだ。そうそう、EP8の流れを踏襲するとこうなるよね、と。
まあ、あまりに同人すぎるというか、良くも悪くも「オタクが好きそうなダークなやつ」ではある。真偽はもちろん分からない。とはいえ、特に以下のくだりは、EP9で擦り切れた私の魂をいくらか癒すものではあった。これが偽りのリークだとしても、その可能性の存在自体がささやかな「救い」である。
また、テーマ的にも『最後のジェダイ』に近く、レイとベンはジェダイとシスが二分されている旧来の考えから離れたいと望む。レイアもレイが「何か新しい存在」だと語り、自分の道を見つけるよう後押しする。
そして今週になって、今度はもっと詳細な情報がTwitterのタイムラインに出回った。
あくまで2016年12月の時点でのドラフトですが、仮題は『Star Wars: Duel of the Fates』(運命の戦い)とされ、その中身もかなりユニークな箇所があって興味深い内容です。
あれから詳細も明らかになり、取り上げるには面白いトピックだし、この記事ではせっかくだからオープニングからエンディングまで全てのパートを書いていくことにします。
一応、大事なこととして
・ドラフトの日付は2016年12月16日。キャリー・フィッシャー急逝前の案
・コリン・トレボロウと共同脚本家デレク・コノリーが書いた最初の草案
・リークした人物はRobert Meyer Burnett。メイキングドキュメンタリーなどを手掛ける業界人
・複数のメディアが独自の情報源からリークの信ぴょう性を確認済み
と、あくまでボツになった古い草案のリークということには注意したいところ。
コリン・トレボロウ監督は関連ツイートを「いいね」していることから、どうやらマジのリークといってもいいかもしれません。
これまた、真偽は不明だ。ネットに散らばったコンセプトアート等をヒントに、どこかのファンが書いた同人妄想プロットかもしれない。しかし、やはりどうしようもなく「観たかったもの」に満ちていた。
まあ、これが本当だろうと、偽物だろうと、出来上がった『スカイウォーカーの夜明け』が全てである。スター・ウォーズという聖書は、昨年末、確かに記されたのだ。部分的異教徒が、「ありえたかもしれない」という可能性に縋っているだけである・・・。それが「公開されなかった」のであれば、本物のリークだろうが、ファンの妄想だろうが、大きな差はない。
といった前置きはほどほどに、幻の完結編『運命の戦い』を読む。スマホを握りしめながら眼を見開き、そして、ある展開が訪れた際に思わず嗚咽を漏らしてしまった。レイの両親をカイロ・レンが殺害していたことが判明し、互いにフォースの深淵を体感した後に、満を持して決闘する。レイは光と闇の対立構造に疑問を抱き、カイロ・レンは自身の闇の力を増長させていく。
レイとカイロ・レンが対峙する。
レイ「私たちのマスターは間違っていた。私は自分の怒りを否定しないし、愛も拒絶しない」
ライトセーバーが宙を舞い、彼女の手に戻る。
レイ「私は闇。私は光」
カイロ「お前はなんでもない。何者でもない」
ライトセーバーを起動するレイ。
レイ「何者でもない人なんて、どこにもいない」
これなんですよ・・・。レイが「何者でもない」というEP8の解答が物凄く好きだったので(同シリーズの血統主義からの解放)、このプロットはその思想を推し進めて描いている。「何者でもない人なんて、どこにもいない」。なんとも明快だ。ウウウッッ、と声が漏れてしまった。
そう、「何者か」なんてものは、スター・ウォーズという物語がスカイウォーカーを特別視していた、確固たる下地でこそ機能する問いなのだ。その下地を疑い、物語を解放する。光か闇の二者択一ではなく、どちらも有していることを受け入れる。これまでのスター・ウォーズが持っていた物語の構造を、大胆に分解しながら更に先へ推し進めるスタイル。仮に無からいきなりこれが描かれたら驚いたかもしれないが、EP8で示唆されていたのは、確かに「この路線」なのだ。
出自がスカイウォーカーではない新しい主人公が、「何者でもない人なんて、どこにもいない」と言い放つ。むしろ誰もが「何者」なのだ、と。そうして開かれた物語にすることで、既存のスター・ウォーズも相対的に神格化されていく。そうそう、これこれ。これなんですよ、自分が期待していた『夜明け』は。こういうベクトルのものが観たかったんですよ。
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そして、カイロ・レンはレイに生命フォースを与えることで命を落とす(この辺りは最終プロットまで活きたのかもしれない)。その瞬間、レイの名である「ソラナ」を口にする。しかしキスはしない。そう、キスは無い方が良い。その後、幽界に誘われるレイ。
レイの目の前に姿を現すヨーダ、ルーク、オビ=ワン。
レイ「これが死なの?」
オビ=ワン「この場所には死など存在しない」
視力を失ったはずのレイだったが、目が見えることに気付く。
ヨーダは自分たちが失敗したことを彼女が成し遂げたと告げる。
ルーク「お前はダークサイドとライトサイドを受け入れた。その間にあるバランスを見つけたのだ」
ここでレイにふたつの選択肢が与えられる。この快適な世界に留まり続けるか。あるいは、愛と喪失を経験するであろう、生の世界に戻るか。
彼女は決断した。
レイ「ありがとう」
霊体が消え去っていく。
ルーク「お前はジェダイだ、レイ・ソラナ。お前が最後ではない」
ふぉぉぉぉ~~!!!「お前はジェダイだ、レイ・ソラナ。お前が最後ではない」!!!オタクはサブタイトル回収が好き~~~!!!!
このシーン、ルークの「お前はダークサイドとライトサイドを受け入れた」がとても良いと思うのです。旧三部作は「光と闇の戦い」、新三部作が「その狭間で揺れ動き闇に堕ちるまでの物語」、そして、続三部作が「光と闇が対立構造から解放される話」。こう並べると、なるほど一貫性を保ちつつ前進していくイメージもある。フィンが帝国の支配から解き放たれたストームトルーパー軍団を率いる展開も、実に痛快だ。
こうやって思考をぐるぐるさせていくと、私が『夜明け』に感じた不満は、やはり「新しくない」ことに尽きるのだろう。新規要素という意味ではなく、テーマの前進という意味での「新しさ」。旧作らしい展開を旧作ファンサービスたっぷりに描くのも良いけれど、『夜明け』は最初から最後までそれで終わってしまった。スター・ウォーズを今後も末永くエンタメ超大作として君臨させたいのであれば、ある程度の「新しさ」を提示しておく必要はあったのではないか(多くの長寿シリーズがそうであったように)。しかも、その萌芽はすでにEP8に存在していたのだから。
そういう意味では、創造主ジョージ・ルーカスの構想によるとEP7以降はミディクロリアンに関するミクロ世界のお話しだったらしく、仮に実現していたら、これまた随分ぶっ飛んだ方向の「新しさ」があったのだろう。
最後に、先のリーク草案のエンディングを引用しておきたい。これがまたあまりに「オタクが好きなやつ」すぎて同人妄想説をむしろ濃厚にしているのだけど、シリーズを通して登場してきたドロイドが語り部となる落としどころは、すごく好きですね。シリーズのアイコン、その本懐ですよ。
R2-D2を修理しているチューイと、それを眺めるC-3PO。3POはR2を失うことが不安で、それをしきりにレイアに話している。レイアがメモリーバンクを挿入すると、R2は息を吹き返す。
R2-D2が彼の視点から見た60年の記憶を投影する。
ジャワからR2を買い取るルーク。アナキンのライトセーバーを手にしたとき、デススターのトレンチランのシーン。メダルが贈呈されるハン。沼からXウィングを浮かべるヨーダ。ジャバのセール・バージで敬礼するルーク。エンドアで一緒のハンとレイア。
レイアはこの光景に驚きを隠せない。