ジゴワットレポート

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アフタードンブラザーズに観る『仮面ライダーファイズ』、時々すっごく熱くなるらしいぜ

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2023年は『仮面ライダーファイズ』放送20周年。おめでとうございます!

 

言うまでもなく「CSMファイズギア&ファイズアクセルver.2」は予約済みです。知ってるかな? ファンアイテムっていうのは呪いと同じなんだ。税込52,800円をケチった者は、ずっと呪われたまま、らしい……。

 

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『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』という令和版濃厚井上敏樹汁を浴びた余波で、最近また『ファイズ』を観ている。もう何度目かは分からない。無音で観ても7割くらいはアテレコできそうな気がする。『ドンブラザーズ』本編と同様に、こちらも全話が井上敏樹脚本。工事現場監督から出版社社長まで務める敏腕脚本家、その筆圧が感じられる逸品である。

 

しかし今回の『ファイズ』、なんと、自分でも驚くほどに面白い。いや、当然のように20年前から面白いのだが、なんだが抜群に面白い。俗に言う「解像度が増した」体感がある。こ、これが!アフタードンブラザーズなのか!

 

『ドンブラザーズ』のシナリオで興味深かったのは、課程や理屈をすっ飛ばす方法論だ。

 

例えば9話、「ぼろたろうとロボタロウ」。ドンモモタロウが初めてドンロボタロウにチェンジする回だが、そのドンロボタロウギアが一体どこから出てきたのか、果たしてそれはこのお話の焦点に存在していたのか、甚だ疑問である。続く10話「オニがみたにじ」においても、他の4人のメンバーは何の前触れもなく自然にロボ形態にチェンジする。パワーアップ展開の「パ」の字すら無い。


もっと続けるならば、12話「つきはウソつき」におけるドンオニタイジンの初登場もそれとは関係のないアイドルや嘘の話をずっとやっていたし、33話「ワッショイなとり」のオミコシフェニックスもあの汁がどうして金色の鳥に繋がるのかさっぱり分からないし、44話「しろバレ、くろバレ」も遂に訪れた犬塚の正体バレにメンバー間の劇的なドラマはろくに無く、48話「9にんのドンブラ」でもジロウは仲間との関係や経験に頼ることなく完全セルフで人格融合を果たしてさらっと難を乗り越えていく。

 

総括感想『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』 近すぎない、遠すぎない、当たり前が通用しない。そんな誰かと出逢えるから人生は面白い! - ジゴワットレポート

 

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「どうしてそうなったのか!?」、それは分からない。「なっとるやろがい!」「なってるんだよなぁ~」で転がっていく。それが『ドンブラザーズ』。

 

しかしこれがただの粗雑に思えないのは、お話の組み立てにおける理屈や課程というより、キャラクターが持つ因果や宿命のようなものがしっかり盛り上がり、時に臨界点を迎えるからなのだ。スタンダードな構成だと、「理屈や課程が整っている」その先に「因果や宿命が映える」のかもしれない。しかし井上敏樹脚本の特徴は、「因果や宿命が臨界点を迎える」からこそ「理屈や課程がもはやどうでもよくなっていく」のだ。このバランス感覚が、他の脚本家とは明確に異なる氏のカラーだ。

 

『ドンブラザーズ』44話「しろバレ、くろバレ」。物語終盤まで引っ張った犬塚翼の正体が遂にバレる回だが、ここに至るメンバー間のドラマはあまり描かれなかった。タロウがイヌブラザーの正体を知ってほくそ笑むシーンも、猿原がドヤ顔で頷いて犬に関わる句を披露するシーンも、ジロウが「だから犬塚さんだって言ったじゃないですか」とリアクションするシーンも、全く無かった。それらはただの幻想であった。

 

そこには、それらより優先して描くべき因果や宿命があったのだ。犬塚は夏美を取り戻すためにみほに決闘を持ち掛け、ソノニは犬塚を愛してしまったが故に自ら斬られる。愛妻を襲われたことに激昂した雉野は犬塚に襲い掛かり、ソノイとソノザは仲間が人間に堕ちた事実に衝撃を受ける。命を落としたソノニを犬塚は自身への不幸を受け入れて救い、その上で彼女の想いを突き放す。この一連のドラマ。犬塚翼と、雉野つよしと、みほ(獣人)と、ソノニ。主にこの四者の因果や宿命は、沸点を超え臨界点に達し、劇的な盛り上がりを見せる。

 

だから、正体がバレる。正体がバレるに相応しい理屈や課程なんて、もはやどうでも良いのだ。「バレるか・バレないか」は単に二択の問題であって、それも消去法で「バレる」の一択しか残らない。決まりきった解答に尺を割いても仕方がない。それよりも、「愛憎劇がどこへ向かうのか」の方が、無限の解答を有しているからこそ面白い。かくあるから、物語の比重がこっちに寄る。大いに偏る。

 

「どうしてそうなったのか」は、突き詰めていくと説明に過ぎない。もちろん、説明を巧く面白く観せてくれる作品は無数にあるが、井上敏樹脚本はあまりそこを前面には持ってこない。それよりも、「キャラクター達がどう生きるか」、こっちの方が主題なのだ。「キャラクター達がどう生きるか」を、骨太に、濃厚に、分厚く描いていけばいくほど、「どうしてそうなったのか」を説明する尺は足りなくなっていく。でも、それでもいい。人生なんて、理屈じゃないのだから。

 

『ファイズ』は割とリアリティ寄りの作風で、年間を通してシビアな展開が多く、湿度も高く、陰鬱とした空気が漂っていた。もちろん笑えるシーンもあるが、『ファイズ』をコメディだと評する人はいないだろう。対する『ドンブラザーズ』は、基本ベースがバッキバキのコメディ。希代のコメディエンヌ・鬼頭はるかの突っ込みを軸としながら、「どうしてそうなったのか!?」「なっとるやろがい!」「なってるんだよなぁ~」を繰り返していく。時に理屈をすっ飛ばして、キャラクターが因果と宿命をオールに人生を漕ぐ様を見せつけていく。

 

そしてコメディだからこそ、井上敏樹脚本の狙いというか、構成の強かさを改めて学べたのだ。コメディは、「なっとるやろがい!」の当たり判定が広い。「なってるんだよなぁ~」で済ませてしまえる領域が広い。そういう語り口が “通る” のだ。つまり、井上敏樹脚本の神髄というか、本懐が、より強調された形で露出する。明度の高い井上敏樹脚本作品だ。『アギト』や『ファイズ』を筆頭に半生を井上敏樹脚本作品と共に過ごしてきたが、頭や心や腹で感じていたこれらの作品の魅力を、『ドンブラザーズ』の語り口が言語化してくれたような……。そんな感覚を覚える。

 

改めて『ファイズ』を観ると、まずもって偶然の頻度がすごい。すごいったらすごい。主要登場人物は野良猫と出会う頻度でオルフェノクに襲われるし、バイクで走っていたら執拗に大切な場面に通りがかるし、携帯電話で呼べばワープ級の速度で現場に現れる。強化アイテムはろくな前触れもなく「なんか草加が持ってた」みたいなノリで出てくるし、天井の穴から落下してくるし、宅配便で届いたりする。不自然なまでに下の名前を名乗らないのでメル友とは無限にすれ違うし、ホースオルフェノクに襲われ待ちかのように変身解除しないからやっぱり襲われるし、木場は酢昆布を買いに出かけてラッキークローバーの急襲を受ける。

 

シリーズにおいてはまあまあリアリティが高く、ベースがシリアスで湿っているからか、『ファイズ』のこの手のアレコレはいつまでも語り草である。目立つのだ。人間とオルフェノクの濃厚なドラマに対し、あまりにあっさり&さっぱりと描かれてしまうから。だからこそ、ファンの間でネタのように扱われることも多い。

 

しかし、これをアフタードンブラザーズの今に観ると、脚本の意図がより明確に、くっきりと感じられる。仮に偶然に必然を持たせたところで、強化アイテムの出自を描いたところで、それは要は「説明」なのだ。もちろん、説明は無いよりあった方が良いのかもしれない。が、最も描きたいものは何か。この物語のプライオリティは何処か。そこから弾き出すと、説明は本当に重要なのだろうか。

 

「なぜこうも偶然に何度もオルフェノクに襲われるのか」、ではない。「その結果オルフェノクにファイズやカイザが如何に対応し何に繋がるか」が重要なのだ。「なぜ強化アイテムがよく分からない経緯で登場するのか」、ではない。「それを得たキャラクター達が何を思って新たな力を行使するのか」が重要なのだ。

 

20年前から感じていた、『ファイズ』の面白さ。これまでもありとあらゆる言葉を尽くしてその感想を綴ってきたが、まさか『ドンブラザーズ』により明確に言語化してもらえるとは。『ファイズ』の楽しみ方というか、構造のどこにフォーカスして観たら狙いが分かりやすいか、それを今一度気付かせてくれたのだ。

 

改めて観てとても感動したのは、『ファイズ』の25話だ。

 

 

ラッキークローバーとのベルト争奪戦が加速し、巧と草加は地下に埋められた流星塾に逃げ込む。そこで出会うゴートオルフェノク、その人こそがスマートブレイン前社長であり流星塾を創設した花形であった。「戦え雅人」コールと共に、天井の穴からカイザポインターがドロップされる。一方のオルフェノク側は、海堂がラビットオルフェノクを後輩に持つくだり。先に木場を倒した者がラッキークローバーに加入できる事になり、ラビットこと小林は長田結花を人質に取る。「人間を捨てようと思っても捨てられないところが、俺様のいいところだ」。長田を救出した海堂は、自身がどうしようもなく人間である事に落胆し、誇るのだった。

 

このお話のラスト、カイザはラビットオルフェノクと偶然の邂逅を果たす。なんの説明もなく、マジの偶然に出会う。カイザが地下の流星塾から登ってきたらなぜスタジアムの観客席なのか、ラビットオルフェノクがなぜスタジアムの観客席に逃げ込んだのか、それはさっぱり分からない。嘘のように、両者はふらっと出会う。ましてや、草加とラビットオルフェノクにまともな因縁は無い。幹部級でもないただの新人オルフェノクだし、特別に強いという訳でもない。強化アイテムのお披露目に適した怪人とは到底思えない。

 

しかし。この流れでカイザがラビットオルフェノクを撃破する、そこに言葉にできない盛り上がりが発生するのだ。これこそが、井上敏樹の磁場だ。

 

カイザ、圧倒的な力

カイザ、圧倒的な力

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草加は自身の過去と相対し、育ての親がオルフェノクだった業を新たに背負いながら、更なる修羅の道を歩もうとする。ラビットオルフェノクは、健気な青年が次第に力に溺れ、人の心を忘れ畜生に成り下がっていく、そのドラマが描かれる。ろくに関係がない両者。しかし、それぞれのキャラクターが持つ自分自身への因縁や宿命は今まさに臨界点を迎えているのだ。だからこそ、交わる。宿命と宿命がクロスし火花を散らす、それが熱い。怪物に堕ちた青年が、まるで処刑されるように強化アイテムの餌食となる。これがいい。だから、「なぜ交わるのか」は最早どうでもいい。

 

『ファイズ』には、こういった展開が多い。「まさかここがこう繋がるなんて!」というアクロバティックで強引な作劇は、キャラクターの人生を、そこにある因縁や宿命を色濃く映していく。返す返す、「どうしてそうなったのか」ではない。「そうなったらどうなるのか」を描きたい。

 

この一点に賭けていく剛腕っぷりが、井上敏樹脚本の魅力なのだろう。やはり最高だ。惚れ惚れする。完全に中毒者ですありがとうございます。『ドンブラザーズ』、5月のVシネマもすこぶる楽しみです。

 

(宣伝)こちらは10周年となる『鎧武』のオリジナルイメージソングを制作しました。

 

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