ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

子どもがオタクの親と同じ趣味を持った時、果たして「互いを尊重するオタク」になれるのか

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先日、Twitterのフォロワーの方から以下のダイレクトメールを頂戴したのが事の始まり。

 

結騎さんにとっての男の子のパパになるお気持ち・心構えをぜひ読んでみたい!

 

(中略)

 

自分には2歳7ヶ月になる娘がいます。妻がディズニー好きなのでトイストーリーやプリンセス好きにすくすく育っています。そして、妻のお腹の中には二人目が宿っており、もうまもなく性別が分かる時期が来るのです。…自分は不安なのです。

 

一人目の時もそうでしたが、自分がヒーローやロボット好きで、ゲームや工作が趣味なので、男の子が生まれた時にうまくやっていけるのかどうか、とても不安なのです。もちろん、小学生くらいまでは共存できるのかもしれませんが、それが中学生や高校生になった時に、息子に対してオープンオタクであるかクローズにするか、住み心地が悪くなって自分のテリトリーを侵されるのではないかと心配になってしまうのです。できるなら、このままの趣味ライフを送りたい。子どもが大きくなっている頃には自分のスタイルも変わっているのかもしれませんが。

 

一人目は娘だったので、娘の好きなものには付き合うし、自分の好きなものは強要しない。そんなバランスを保てています。うちもそのうちプリキュアにハマるのかもしれません。妻は、自分の趣味を尊重しつつも一般的にメディアで言われる風貌・挙動のオタクを毛嫌いしていますし、自分の妹が特撮ガガガの仲村ちゃんのような感じなのでよくは思っていません。何しろディズニー女子なので。

 

そのため、娘は娘、自分は自分というバランスの取り方が丁度よく感じています。もし、男の子が生まれて一緒に仮面ライダーの映画を見に行った時に、途中でトイレと言われたら、親としての当然の責任とオタクとして一瞬でも見逃したくない情熱の間で揺らいでしまう自分が想像できてしまい、嫌なのです。

 

結論はと言うと、もちろん生まれてくる子の性別なんて問わないのですが、男の子だった場合、自分の中のオタク分野が不安がっているのです。

 

結騎さんは、どうなんでしょうか。ぜひお考えを読んでみたいのです。ただ!第二子のご予定などプライベートなことに踏み込んでしまうリクエストで不快な思いをされるかもしれないことは承知しています。第二子が男の子だろうと、絶対愛します。もし、このメッセージが目に留まり、ブログの記事になった際は、感謝いたします。

 

(中略)

 

ちなみに、この質問を送った経緯について書きます。

 

先日、アマゾンプライムにウルトラマンフェスティバル2017が追加されたので食器を洗いながら見ました。そして、昔独身の頃に一人で見に行った時、周りの子どもたちの反応を見て感動したことを思い出しました。子どもたちが素直にウルトラマンが大好きなことと、ウルトラマンたちが真剣に子どもたちのために戦う姿を見せていたこと、そして会場が一体になっていたことに心をゆさぶられたのです。しかし、その頃から子どもとずっと好きなものを共有できるのだろうか…という疑念が生まれていたが始まりでした。

 

ダイレクトメールを送ってくださったのは、おはへー @OHAHEY さん。メールを頂戴して一読して、「これは・・・他人事じゃあないぞ・・・」と。我が家は現在娘がひとり、趣味のベクトルは専らアンパンマンに向いている。(父親としては、娘の「脳内リスペクトランキング」におけるアンパンマンとお父さんの順位変動が気になるところ)

 

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さて、ご相談いただいた内容だが、端的に言えば「趣味と子育てのバランス」といったところだろう。しかしこれは、単に「趣味の時間や資金の確保」「子育てとの時間配分」といった問題だけではない。「親の趣味の対象が子どもが嗜好するであろうものと同一である」という部分が肝だ。

 

ご承知の通り、私の場合は特撮分野がこれに当たる。仮面ライダー・スーパー戦隊・ウルトラマン・怪獣・エトセトラ。先のおはへーさんの場合は、ヒーローものやロボット、ゲーム・工作等が該当するのだろう。「子どもの趣味をいい歳した大人がやっている」などという無粋な視点については、もはや語るまでもない。そこを論点にしてくどくどと前提条件を語ることこそ、この上なく無粋である。

 

私も当ブログで育児については何度も書いてきたが、「自分の領域を侵されるかもしれない可能性」については触れたことがなかった。というより、まだ娘も小さいので、しっかり考えたことがなかったのかもしれない。

 

過去に、「子どもがYouTuberになりたいと言い始めたらどうするか」「もし男の子の子どもがこっそりプリキュアを観ていたら何を言ってあげられるのか」といったテーマについては記事にしたが、いずれも、大人が子どもとどう向き合うか、という話であった。

 

www.jigowatt121.com

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「大人の趣味領域が子どもによって制限されたら」。誤解を恐れずに言えば、オタク親ならではのリスクだ。確かに、同じオタクかつ親として、見過ごせない問題である。

 

考え方として一番近いところでいくと、以前「節約ぽけっと」に寄稿した『「既婚オタク」が趣味の時間や費用を捻出するための6つの方法』という記事が近いだろうか。終盤の一部分を引用してみる。

 

最後に、包み隠さず言ってしまうとしよう。「オタク趣味の時間と費用」だけにフォーカスするならば、結婚はデメリットばかりである。人生の100%がオタクの人には、私なら、結婚は勧められない。しかし、私は現在結婚し、子供もいて、趣味もそれなりに楽しめて、毎日が充実している。そのバランスをどう解釈するかは、貴方次第である。決して、安易に「結婚はいいぞ」とも、「結婚は地獄」とも、言いたくはないのだ。

 

ネットではよく、「結婚生活」(家族との生活)と「オタク趣味」は二者択一で語られることが多い。「結婚してまでオタク趣味を満喫しようとするな」とか、「オタクであり続けたいなら家庭を持つなんて考えるな」とか、割と平然と心無い物言いが飛び交っていたりする。まあ、こればっかりはもう究極の大ナタ「人それぞれ」が登場してしまうのだけど、少なくとも私は、結婚も家族生活もオタク趣味も、その全てを満喫するために日々懸命である。

 

おそらくおはへーさんも私と同じで、奥様との生活、娘さんとの生活、そしてオタクとしての生活、その全てを「やり抜きたい」ことと思われる。そして、これはおはへーさんにも、我々と同じようなオタク親の皆さんにも同意していただけると思うが、「人生の100%がオタクの人に結婚は勧められない」のだ。どうしたって、使える時間も、かけられるお金も、結婚し子どもができるとゴリゴリと削られていく。

 

だから、半ば結論のようなものだが、「大人の趣味領域が子どもによって制限されるリスク」については、どこかで「妥協」をしなくてはならない。子どもと近い領域の趣味を嗜好しているのなら、独身の時と同じような「自分は自分」を保つことは非常に難しいだろう。

 

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問題は、その「妥協」の解釈だ。どの程度、どこをどう棲み分けるか。どこまで自分を殺し、どこまで子どもを尊重し、互いの趣味を共存させるのか。ここでよく挙がってきそうな「そんなの全力で子ども優先だろう」という意見には、一介の趣味人として異を唱えておきたい。度々ことわっておくが、そういうレイヤーの話ではないのだ。

 

私の考えとしては、オタク分野における「布教」の概念に近い。子どもが自分と同じ趣味を嗜好した場合、それは広義の布教活動とも言えるのではないか。つまりここに存在するゴールは、「互いを尊重し、分かち合いながら、時に棲み分ける分別を持ったオタク」だ。親も、子も、互いに前向きな姿勢でこれを保持する。親子がこういう関係になれることこそが、ひとつの到達点だろう。

 

そのためには、ゴールに向けた「布教」が必要となる。自分の嗜好を楽しみ、他者とそれを分かち合いながらも、一定のライン以上は立ち入らずに線引きできるオタク。もちろん、子どもに「そうであれ」と言って聞かせて「そう」なるなんて、そんな簡単な話ではない。それができればこんな話にはなっていないのだ。

 

具体例を挙げてみる。例えば私に息子がいて、同じように仮面ライダーを嗜好していたとする。おそらく、玩具はふたつ買うだろう。子ども用と、自分用。子どものモノは子どものモノで、自分のモノは自分のモノ。その上で、一緒に遊ぶ。仮面ライダーの映画を観に行くにあたっては、ひとりで集中して観たいのであれば、親子で観た後に改めてひとりでまた劇場に向かうだろう。そうやって、時間とお金をかけて、可能な限り「自分は自分」の状況を作る。

 

もちろん、子どもに対して「自分の領域に立ち入るな」の態度を取るという意味ではない。それは子どもにとっても、非常に悲しいことだろう。しかし、そうはいっても、親としてのパーソナルな趣味領域は独立させておきたい。でもでも、親子で一緒に楽しむことも大切だ。

 

例えるなら「ベン図」のように、子どもの趣味領域と、親の趣味領域がそれぞれ存在し、その重なり合った部分が親子の時間なのだと、そういう持って行き方はできないだろうか。

 

子どもというのは未知数で計り知れないので、こうやって絵を描いたところで、その通りには運ばないかもしれない。しかし、それを目指すことに後ろ指を指されるいわれも無いだろう。親にとって侵されたくない領域があるように、子どもには子どもの、守りたい領域があるのだ。だからこそ、もし子どもに自分の趣味があるのなら、必要以上に干渉することもせず、自分の世界を大切にしてもらいたい。

 

私は、懸命に「この線」を狙っていきたいと思うのだ。

 

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言うまでもなく、玩具をふたつ買えばそれだけお金がかかるし、映画を2回観ればそれだけお金がかかる。(以下、唐突にドラマ『リーガル・ハイ』における古美門研介の名演説の一部を引用する)。 誰にも責任を取らせず、見たくない物を見ず、みんな仲良しで暮らしていければ楽でしょう。しかし、もし、誇りある生き方を取り戻したいのなら、見たくない現実を見なければならない。深い傷を負う覚悟で前に進まなければならない。戦うという事はそういう事だ。愚痴なら墓場で言えばいい。金が全てではない? 金なんですよ!あなた方が相手に一矢報い、意気地を見せつける方法は!奪われたものと、踏みにじられた尊厳にふさわしい対価を勝ち取る事だけなんだ。それ以外にないんだ!

 

・・・そう、結局は、金なんですよ(無常)。既婚オタクは、独身の時のように趣味にお金をかけることはできない。子どもと一緒に暮らすとなると、尚更だ。それでいて自分の趣味領域をある程度守りたいのであれば、それはもう、深い傷を負う覚悟で前に進まなければならない。対価を勝ち取るには、やはり金しかないのだ(無常)

 

と、まあ、そこまでじゃなくても、結局は考え方だと思うのです。

 

「趣味について子どもとどれくらいの距離を保ちたいか」というお題について、「自分の趣味領域をある程度保ったまま、しかし親子でも楽しみたい」のであれば、それはもう、お金と時間をかけるしかない。「相手を尊重できる趣味人」を「布教」の術をもって育てるためには、やはり、それなりの覚悟と痛手が必要だろう。それを「どの程度」やるかについては、夫婦で、親子で、相互理解を常に模索するしかない。

 

オタクである以上、子どもに対して趣味を完全にクローズにする(隠す)ことは難しいだろう。部屋には趣味のモノが溢れているだろうし、それに割く時間もある。だからこそ、「クローズにできない」のであれば、オープンにした上で「ベン図」のような関係性を目指す。そこへの動力は、どうしようもなくお金と時間なのかもしれない。(度々書いているが、私がこのブログに広告を貼っているのは、「既婚オタク」という生活スタイルにおける苦難をある程度のマネーで殴って解決するためである。)

 

しかしこれも考え方なのですが、ある意味、趣味が重なるのはこの上ない幸運だとも思うのです。

 

よく「オタクは初見の人の感想が好き」と言いますが、この理論ですね。つまりは、同じ趣味における「視点」が増える。例えば同じ仮面ライダーの番組だとしても、親が観ているポイントと、子どもが観ているポイントは、必ずしも同一ではないだろう。番組のメインターゲットである子どもは、親とは違う理解をしているかもしれない。どこに興味を持ち、どこを真似て、どこに感銘を受けるのか。そういった複数の「視点」があれば、親である自分も、より深く対象を味わうことができるのではないか。

 

何も、「趣味領域が侵される」というマイナスだけではないと思うのです。「視点」が増えるほど、ひとつのコンテンツから得られる情報が増える。インプットの角度が増える。そういう意味では、「趣味が被る」のはむしろ歓迎すべきことと言えるのかもしれない。

 

もしかしたら私も、数年後には立派なアンパンマンガチ勢となり、娘のモノとは別にぬいぐるみやおもちゃを買い揃えているかもしれない。あるいは、娘が仮面ライダーにハマる可能性もある。その時に、互いの趣味の距離をどう構築するか。私の場合は、(こうしてダラダラと語ってしまったが)、つまりは「互いを尊重しながら楽しもう」と、そう子どもに働きかけたいと思う。

 

一生楽しく浪費するためのお金の話

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