ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

こっそりプリキュアを観る男子小学生に親が何を言ってあげられるのか

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この増田がはてブで話題になってまして。

簡単に要約すると「小3の息子がこっそりプリキュアを観ていた。父親としてどう振る舞うのが適切か」という内容。ブコメでも様々な意見が出ている。

 

anond.hatelabo.jp

 

今の自分はプリキュアを観れていないので、現行の『HUGっと!プリキュア』におけるテーマとこの増田における相関みたいな語りはできない。

ただ、アラサーでありながら毎週日曜の朝にライダーや戦隊を正座して観ている人間なので、こういった「パブリックイメージと差のある行動を取る際の自意識」みたいな話題には否が応でも反応してしまう。

 

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この息子さんは「プリキュアを観ることは恥ずかしいことだと学校で言われた」と言っているが、私の経験上、実のところの男児視聴者は多くて、同窓会で「いかにおんぷちゃんが魅力的だったか」に花が咲くことがある。「お前もお前も観てたのかよ」、みたいな。カラオケで野太い声で「大きな声でピリカピリララ」を合唱したり。

 

とはいえ、そんなことを息子さんに言って聞かせても何の意味もない。

 

昨今、平たく言えばポリコレ云々でこういった話題が語られることが多くなったが、いつも「混ぜるな危険」な切り口が混ざっているような印象があって、モヤモヤしてしまうことが多い。

この「男児とプリキュア」を例にとるならば、「①男児がプリキュアを観ることの是非」「②プリキュアという番組のメインターゲット(視聴者層)」「③パブリックイメージにおけるプリキュア視聴者層」は、それぞれ別個に存在している。これを混ぜて語っちゃうと、途端にボヤになる。

 

まず「①男児がプリキュアを観ることの是非」については、そもそも是非なんて言葉自体がナンセンスで、好きなら観ればいい。趣味嗜好を制限することはないし、人のソレをとやかく言うのもどうかと思う。誰かに迷惑をかけたりしなければ、好きな物を好きなように楽しめばいい。私はそう思う。

 

次に「②プリキュアという番組のメインターゲット(視聴者層)」だが、あくまで「メイン」という区分けでいくと、これは普通に女児なのだろう。

この場合の「大人向けの商品展開も~」「大人にこそ伝わるメッセージが~」みたいなのは全部盤外の観点で、あくまで商売におけるコンテンツのメインターゲットは、女児だと思う。だから、仮面ライダーやスーパー戦隊、ウルトラマンは、男児となる。

 

念のためややこしい表明を重ねておくが、「コンテンツの商売上のメインターゲット層」と「誰がその作品をどう楽しむか」は、全く別個の話である。

ここでもう噛みつきたい人はブラウザバックをした方が幸せです。

 

最後に、「③パブリックイメージにおけるプリキュア視聴者層」。今回の増田が書いている内容は、主にここになると思う。

「誰が何を観るか」でも「その番組がどこをターゲットにしているか」でもなく、「世間一般のイメージとして“誰”がそれを観ているか」、という観点。これもまた、この場合は女児なのだろう。②がそうなのだから、別にこれが間違いという訳ではない。

 

・・・という前提条件をくどくど並べたが、この増田においては、「①が答えだと分かっているけども③を無視することが本当に正しいのか」がポイントになる。

つまりは、「誰がプリキュアを観るのも自由だけど、それはそれとして、現在のパブリックイメージとの差を(自分の中で)どうやって埋めるか」、という点。

 

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ブコメで「お父さんが率先してプリキュアを観ればいいのでは」という意見が星を集めていたが、本当にそれが最適解なのだろうか、と思ってしまうのだ。

「男だって、大人だって、プリキュアを観てもいい」。これは、「正しい」。でも、だからといって、その「正しさ」はこの場合の息子さんを救えるのだろうか。

 

子どもにとっての社会は狭くて、「クラスの雰囲気」というのはものすごく大きい。そこから弾かれることに必要以上に怯え、要らぬ気を回してしまったりする。

今考えれば「何にそんな悩んでたんだ・・・」となるようなことに、三日三晩振り回されたりする。流れに沿わない言動を取ると、途端に揶揄されたり。

 

そんな環境にいるであろう息子さんのクラスで、「プリキュアを男子が観るのは恥ずかしい」という意見があった。おそらく、男子特有の「あんなの女が観るものだよな~」的なやつだと想像できる。

増田は息子さんの悩みを「根拠のない後ろめたさ」と表現しているけれど、根拠はある。それは、クラスの男子がプリキュアを観ることを迎合していない、という根拠だ。だから息子さんは後ろめたいし、プリキュアをこっそり観ていたことを隠したのだろう。

 

それに対して、「プリキュアは誰が観てもいいんだ!そいつらが間違ってるんだ!よし、お父さんが率先して観ちゃうぞ!お前も一緒に観ような!」という「正しさ」で応えてしまうのは、私にはあまりにハードモードのような気がしてならないのだ。

 

少なくとも、薄っすらとおんぷちゃんに惚れていたかもしれない当時の私は、父親にそんなことを言われたら自暴自棄になって全てが嫌になっていただろう。

なんでそんな公開処刑のような目に合わないといけないのか、放っておいてくれ、と。

 

ただ、この意見はあくまで「プリキュアの視聴を息子に対して肯定してあげる」という考えを基にしており、そこについては私も同意である。

私の場合は、「折に触れてプリキュアを観てもいいことをそれとなく伝える(=この話題については一次的に不干渉の立場を取る)」、つまりは「そっとしておく」を提案したい。隠れて観たければ、隠れて観ればいい。リビングで観ても、特に話題にしない。

自分だったら、こんな話を父親とすること自体が、多分苦しくてたまらないだろうから。

 

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あと、またちょっと別の角度として、「隠れて楽しむことの楽しさ」というのもあると思うんですよね。この場合がそれに該当するかは分からないけれど。

「ヒメゴト」だから楽しい、というか。そこにプライスが上乗せされる、というか。

それを、「隠す必要ないよ!おかしくないよ!大っぴらにいこうぜ!」とオープンフィールドに引き上げちゃうと、むしろ逆効果の可能性もあるかな、と。

 

度々このブログでも書いているけれど、「仮面ライダーはもはや大人向けの番組だ!」みたいな言説が私はすごく苦手で、どこまで言っても“色んな意味で”メインはそこに無いと思っている。

むしろ「子供向け」に制作されるからこその、職人芸、技巧、こだわり、引っ張り合い、みたいな部分を分析しながら観るのが好きなので、「大人ももっと仮面ライダー観ようぜ!」な意見とはズレを感じるのが本音だ。

それこそ、この楽しみ方は、そこにあるパブリックイメージとかけ離れているだろうから。

 

この記事では増田を例に「男児とプリキュア」について書いたけれど、「パブリックイメージと自分との差」という問題はいつになっても付きまとうものだ。

多分、大事なのは、その「差」と出会った時に、自分の中の感情として適切に向かい合うことができるか、だと思う。

 

そういう意味でも、心の強度がまだそこまで出来上がっていないであろう小学3年の男児に、「プリキュアを観ることは自由なんだよ、恥ずかしがることないよ」と正面からストレートに伝えていくのは、例え「正しさ」に則っていても、「最適解」ではないのかもしれない。

親が「正しさの棍棒」を手渡しても、息子さんがそれを嬉々として振り回すのは、この場合おそらく不可能だ。また、「学校で言わなければいいじゃん」というのもズレた話で、事の本質は「クラスの男子の意見と自分の嗜好に差がある、と、息子さん本人が認識している」ことにある。

 

私も娘が小さいが、今後大なり小なりこういう問題とぶち当たっていくのだと思う。

大人から考えれば簡単かもしれない「正解」への最短距離が、常に子どもへの最適解とは限らない。多分、頭ではこう分かっていても、つい、大人という心の強度がそれなりに鍛えられた人間の意見が、フッと出てしまうかもしれない。

子どもと一緒に、親も学んでいく必要がある。

 

最後に。この増田における“正解”は増田とその息子さんの仲にしかないので、こうやって外野が何をどう言おうが本質的には意味がないのだろう。

ぜひ、息子さんを折に触れて観察し、必要であれば対話をしてください、としか、言えないのである。

 

「HUGっと! プリキュア」ボーカルアルバム「パワフル?エール」

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