公開日より1日遅れで鑑賞。『怪獣惑星』の続編、「アニゴジ2」こと『GODZILLA 決戦機動増殖都市』。
この日は諸々の都合で『劇場版アマゾンズ』→『アニゴジ2』→『ランペイジ』という3本立てを敢行したので、特撮成分をこれでもかと摂取できた休日でした。
THE SKY FALLS(アニメ盤)/アニメーション映画『GODZILLA 決戦機動増殖都市』 主題歌
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本作を鑑賞するにあって、前作『怪獣惑星』を改めてネットフリックスで復習した。
細かな感想は当時の記事に書いたが、要点をまとめるならば、「SF映画としてそれなりに面白いが突き抜けたものがない」「ゴジラの怪獣的カタルシス、巨大さを感じさせる演出が力不足」「不条理の象徴ともいえるアニゴジとどう決着をつけるのか期待」、といったところである。
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さて、本作『決戦起動増殖都市』の目玉は、なんといってもメカゴジラだ。
前作『怪獣惑星』の冒頭でまさかの登場を果たすも、機動まで至らずに地球に破棄されていた人工怪獣。エンドロール後の予告カットではその姿が披露され、ポスターにも登場し、前日譚の小説ではタイトルを飾り、ソフビのリリースまで案内された。
『GODZILLA 決戦機動増殖都市』に登場する「メカゴジラ」の全身像を初の立体化!瀬下監督、片塰造形監督協力のもと、ディテールまで徹底的に造形を追求しました! #アニゴジ https://t.co/L8jvScMQRV pic.twitter.com/1PUl6PXwSd
— プレミアムバンダイ (@p_bandai) 2018年5月18日
このメカゴジラがどのような動きを見せてくれるのか、ゴジラとどう戦ってくれるのか。否が応でも、注目はそこに集る。
また、歴代最高サイズのゴジラに、生き残った少数の部隊はどう立ち向かうのか。前作ラストでハルオを救ってくれた原住民は、モスラの小美人を予感させる存在なのか。その他の怪獣が出てくる可能性はあるのか。
およそ、この辺りを期待値に配置して臨んだ鑑賞となった。
(以下、映画本編のネタバレがありますのでご注意ください)
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そんな高まった期待をするりとかわすように、メカゴジラは登場しなかった。いや、登場した。登場したけど、しなかった。観た人ならこの意味が分かってもらえるだろう。
タイトルに「増殖」というワードがあったので、薄々覚悟はしていたのだが、本作におけるメカゴジラは「都市」としての概念化を果たしていた。
そもそもメカゴジラはナノメタルによってつくられていたが、それが2万年をかけて、ゴジラを倒すために都市機能にまで進化していたというのだ。
それを受けての、都市機能を作り変えて罠にして、そこにゴジラをおびき寄せ殲滅する作戦行動そのものは、確かに構図としては間違いなく「ゴジラ対メカゴジラ」である。シリーズでも幾度となく繰り広げられてきた「ゴジラ対メカゴジラ」にこのようなアプローチがあったのかと驚きつつ、感心してしまった。
アニメーション映画『GODZILLA 決戦機動増殖都市』オリジナルサウンドトラック
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元来、メカゴジラというのは常にゴジラを模倣した存在で、最も有名な「対ゴジラ兵器」と言うことができる。ゴジラを倒すことに特化した兵器。そして、陽動作戦からの迎撃、罠を張っての特殊兵器による攻撃というシークエンスも、歴代のゴジラ映画で何度も描かれたものだ。
そう考えてみると、「メカゴジラそのものを迎撃都市として機能させる」というアプローチは、斬新でありながら非常に「ゴジラ的」とも言えてしまい、なるほどエポックメイキングな魅力すら持ち合わせているな、と感じてしまう。
「ゴジラ対メカゴジラ」という構図でこういうものが観られるとは、露ほども思っていなかった。
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反面、それはそれとして、やはり分が悪い部分もある。
前作『怪獣惑星』で「怪獣演出的カタルシス」が薄かった背景もあり、予告カットではメカゴジラが登場し、本ポスターにも大きく載っているのだから、やはり自ずと「巨体同士のぶつかり合いによって今回は怪獣演出的な爽快感を得られるのではないか」という期待が高まってしまう。
そのフタを開けてみれば「メカゴジラは怪獣の概念を超えていました!」というオチなので、驚きのサプライズというより、少々の裏切りや肩透かしの方向に感情が傾いてしまった人は、少なくないだろう。
私も、「このメカゴジラは新しい!いいね!」と感じつつ、「それはそれとして前作からのこのメカゴジラか・・・」といったほのかな落胆を覚えたひとりだ。このふたつの感想は、相反せずに同居している。
だからこそ、本作も前作に引き続き、「怪獣演出的カタルシス」の弱さが気になってしまった。
メカゴジラが怪獣然とした姿で出ないのなら、例えばメカゴジラシティの一部を豪快に破壊するゴジラを煽りのカットで捉えるとか、山や苔の街を使って桁違いのサイズ感を何度も印象付けるとか、そういったシーンが欲しかったな、と。
前作同様に、「大きい」という単語では説明されるものの、それが実際にどれくらい大きいのか、常軌を逸しているのか、それが視覚的に面白くないのだ。
もっと言うと、メカゴジラシティそのものも、「2万年かけて増殖していた」とは説明されるが、その増殖都市がどれくらいのサイズに達しているのかが実感として分かりにくい。
結果として、「なんとなく広いのだろう」メカゴジラシティに、「とにかく大きいのだろう」ゴジラが迫ってくる、という流れなので、いまいち緊迫感のアクセルが踏み切れない。
「このままだとおよそ〇分で到達します!」というアナウンス、『シン・ゴジラ』のように次々と展開される迎撃作戦の面白さは確かにある。しかし、それに本来伴っていて欲しい「怪獣映画としての面白さ」が、足りない。
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まあ、そもそも、おそらくこのアニゴジに「怪獣映画としての面白さ」を求めること自体が、ナンセンスなのだろう。
前作の感想記事でも引用したが、最初から「ゴジラのゴの字も知らない人」に向けて作っているとのことなので、アニメーション映画として、SF作品として捉える方が、相性が良いのかもしれない。
前作には「SF映画としても突き抜けた面白さが無い」という感想を抱いたが、本作ではそれを覆すように、本領を発揮していた。
「人智を超えたゴジラを人が倒したいのなら、人は人を超える必要があるのか」。この哲学的な問題提起が物語中盤から登場し、「メカゴジラとの一体化」「自爆作戦の是非」といったクライマックスの展開にまで作用していく。
人ならざる者を倒すには、自身が人ならざる者にならなければならない。ゴジラを人類最悪の敵として認知すればするほどに、それは実は、ゴジラの神性を高めることに繋がっていたのかもしれない。
前述のように、映像面での「怪獣映画的な面白さ」には欠けていたが、人智を超えた怪獣をどう定義するか、畏怖・恐怖・信仰の対象としていかに捉えるかという「怪獣論」としては、非常に「怪獣映画的だった」と言えるだろう。
外国産の怪獣も増えてきた昨今、改めて「怪獣」という存在を再解釈する。そういう踏み込み方を、SFならではの舞台設定で展開する流れは、こちらもなるほど斬新だったと感じている。
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「怪獣論とその再解釈」という線で紐解いていくと、地球人にゴジラ、ビルサルドはメカゴジラ、エクシフがギドラ(キングギドラ)、フツアのモスラと、人種ごとに有名怪獣が割り当てられている構造が見えてくる。
そして順番に、「ゴジラ=憎悪」「メカゴジラ=矜持」「ギドラ=畏怖」「モスラ=信仰」の対象として機能しており、怪獣という人智を超えた存在をどう再定義するかにおいて、様々なケースが提示されいるのだ。
「アニゴジ」こと『GODZILLA』は、新しいアプローチで既存の怪獣映画の枠組みに反旗を翻しながら、その実、怪獣というシリーズの根底にあるアイコンを再解釈していく三部作と言えるのかもしれない。
ゴジラとは何なのか、メカゴジラとは何なのか、「怪獣」とは何なのか。それは合わせ鏡のように、各人種の価値観を反映した存在なのだろうか。
今後、本作における怪獣は多人種による争いのメタファーとして機能し、概念的な「代理怪獣戦争」の様相を呈していく、と予想するのは、さすがに飛躍しているだろうか。
兎にも角にも。惜しい点、面白い点、どのどちらも併せ持った作品だったと思う。
完結編『星を喰う者』は11月公開予定。どういう決着を迎えるのか、楽しみです。