ジゴワットレポート

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感想『仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判』 遂に決着する悠と仁、ふたりが背負った罪と犯した禁忌とは。誰だって殺してる、何かを殺してる。

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シーズン1から足かけ3年。

 

ついに映画化を成し遂げたアマゾンズ完結編『最後ノ審判』を、初日初回で鑑賞。客層はアラサーの私と年齢が近そうな人が多かったが、中には小学生の姿もあり、過度の緊張感を味わいつつの鑑賞となった。

 

www.amazons.jp

 

何よりも驚きだったのが、初回とはいえ劇場がほぼ満員だったことだ。平成ライダーの映画もそのほとんどを初日初回で観ているが、ここまで埋まっていたことがあっただろうか。それほど、『アマゾンズ』というシリーズに熱を感じているファンが多かったということだろう。

ついに悠と仁が決着を迎えると煽られては、急いで駆けつけざるを得ない。

 

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『アマゾンズ』という作品が何を仮想敵に作られたか、どのようなテーマを提示したかは、以下のシーズン1感想記事で詳しく書いた。その中でも、結果的に今回の劇場版に関わりが深かった部分を、引用しておきたい。

 

www.jigowatt121.com

 

我々人間が牛肉や鶏肉を食べるように、魚を食べるように、野菜を貪るように、同じように人間を食べる。そこに根源的な欲求があるのなら、じゃあ何故それはタブーなのか。法律も意味を持たない人間より上位の生命体が、下位の存在を喰っちゃいけない理由は何なのか。人間は、自分たちより下位の生き物を幾年と喰ってきたのに。

 

「人間は、自分たちが捕食カーストの最上位だと信じて疑っていない」。その奢りこそがアマゾンズが視聴者に向けて突いた死角であり、企画そのものの仮想敵である平成ライダー1期がギリギリで踏み込めなかったタブーの領域なのだ。

 

本作『最後ノ審判』は、まさにここに深く切り込んだ。

 

シーズン2も大好きな作品だが、私は『アマゾンズ』の主題からは少しズレたところにテーマ設定があったな、と感じている。弱肉強食と食物連鎖、狩るか狩られるか、養殖か野生か、そして、悠と仁というダブル主人公の関係性。これらが『アマゾンズ』の核の部分である。

 

仮面ライダーアマゾンズ SEASON ?/仮面ライダーアマゾンズ 主題歌「DIE SET DOWN/Armour Zone」

仮面ライダーアマゾンズ SEASON ?/仮面ライダーアマゾンズ 主題歌「DIE SET DOWN/Armour Zone」

 

 

シーズン2は、ベースでそれを引用しつつ、違う角度からその世界観の悲惨さを切り取った方向性でまとめられていた。

主人公・千翼の「この世に生まれたことが消えない罪と言うなら」、果たして彼にはどういう人生が赦されていたのだろうか。少年と少女の恋愛劇を絡めながら、『アマゾンズ』の世界観をより多角的に膨らませていく。

 

劇場版を観た後で俯瞰すると、シーズン2は極上のスピンオフ的な立ち位置だったように感じる。

 

仮面ライダーアマゾンズ 主題歌「Armour Zone (Full Version)」

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それに続く『最後ノ審判』は、扱うテーマをかなり意識してシーズン1に振り戻している。

悠の「守りたい」という意思、仁の「殺したい」という信念、それらが、「アマゾンを畜産する」という舞台設定の上で盛大に交わっていく。そして、遂に迎える決着。

 

悠と仁が「決着」をつけるというのが、劇場版の「お題」でした。そこへ至る中で、ふたりがそれぞれ「一線を越える」ことになります。

 

・『最後ノ審判』パンフレット、高橋悠也氏(脚本)のインタビューより引用

 

私はシーズン1のクライマックスが本当に大好きで、アルファとオメガのふたりが延々と争い続ける未来が示唆されたことそのものが、『アマゾンズ』が手がけたテーマへの解答だったと信じている。

 

食物連鎖の頂点に立つ人間は、自分たちが何かに「喰われる」恐怖を微塵も感じていない。その一方で、常日頃肉を食べ、魚を食べ、命をその身に取り込んでいる。

もし、その序列を覆す存在がこの世に現れたら。法も倫理も通用しない、上位の存在が人間を生理的に食したいと言ってきたら。果たして、ヒトはどうするべきなのか。

 

この「答えのなさ」を、そっくりそのまま「決着のつかなさ」に置き換えたシーズン1が印象的で、あのふたりが主義主張をぶつけ合うことこそが人間に許された行動なのかもしれない、と考えてしまうのだ。

 

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『最後ノ審判』は、悠と仁の浜辺でのやり取りをそっくりそのまま継承し、膨らませた設計となっている。悠の「守りたい」という願いは、どこまで尊重できるものなのか。仁の「殺したい」という恨みは、どこまで許されるものなのか。

そのふたりの物語に、遂に、決着がつく。

 

(以下、映画本編のネタバレがありますのでご注意ください)

 

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本作の見事なポイントは、メインとして扱われる「アマゾン牧場」という設定が、悠と仁の異なるスタンスをそれぞれ補完する(彼らの主張を動かす)バランスで構築されているところだ。

 

「孤児院が実は食肉牧場だった」というショッキングな展開自体は、実は最近では比較的見かけるものになっていて、この部分においてそう目新しさはない。ジャンプで連載中の『約束のネバーランド』なんかは、そっくりそのまま、この設定である。

 

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命がエゴに蹂躙される環境に異を唱える悠、そしてそこで「守りたい」という意思を基に子どもたちを助ける ・・・となるのがオーソドックスな展開だが、ここはさすが『エグゼイド』の高橋脚本。上手い具合に捻りを加えてきた。

 

なんと、食用アマゾンの少年少女たちは別に騙されている訳ではなく、誰かの養分になることを善いことだと信じ切っているのだ。もし牛や豚に人間並みの知能があったら、我々人間に食べられるために育てられることを、彼らはどう捉えているのだろうか。

これによって、悠の「守りたい」というヒーロー然とした「うつくしい」願いが、一気にエゴの塊に反転して見えてくる。彼らは望んで食べられようとしているのに、それでもそれを阻止して守りたいと願う悠は、もしかしてひどく自己中心的なヤツなのではないか、と。

小林靖子氏が築いた陰惨なベースで、高橋悠也氏のトリッキーな構成が踊る。悪魔のベストマッチである。

 

最終的にムクは命の危機を感じてリスアマゾンに覚醒し、考えを変える。しかし、その言動がテーマ的に「正しいか否か」という問題は、最後まで解決しない。悠は、自分の「守りたい」という欲の裏にある欺瞞と嘘と向き合うことになり、その果てに、その自己中心的な欲に対する罰を受けざるを得なくなる。すなわち、ムクを食べるという禁忌だ。

 

これまで悠は、人間もアマゾンも食べることなく生きてきた。そんな彼の掲げる理想は、「人間を食べるアマゾンだけを敵とする」「命を守るためにそれを犠牲にする存在を駆除する」という非常に利己的なものである。「守りたい」という文字だけ見れば立派なものだが、何を守って何を殺すのか、その線引きは悠の中にしかない。自分だけの倫理観を基準にして、それをパワープレイで実行してきた。

 

思えば、悠は常に「みんなを守りたい」と主張しているが、シーズン2では他でもない千翼を殺すことに加担した。多くを守るために、生きたいと願う少年を殺したのだ。

一見矛盾する悠の主張に串を通しているのは、ただひとつ、彼だけが持つ倫理観でしかない。ある意味、悠こそが誰よりも残酷な存在なのだ。

 

日曜の朝なら許容されても、配信や銀幕では欺瞞が浮き彫りになる。そんな悠の、利己的なヒロイックさ、自己中心的な庇護欲に対して、『最後ノ審判』は「命を喰らう」という罰を用意した。守るべき対象を喰うという、タブー。

禁忌を犯した悠は、一種の開き直りの境地に達するしかない。

 

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対する鷹山仁は、着々と失い、次々と憎悪を膨らませていく。

「アマゾン牧場」という設定は、シーズン2で親として覚悟を決めて息子を葬った仁に対して、あまりに酷な状況を作り出した。彼を基にして作られたあの孤児院のアマゾンたちは、言うなれば全てが彼の子ども。すでに千翼を手にかけている仁は、新たな子どもたちも当然殺すしかない。

それこそが七羽に対するけじめでもあり、千翼に対する贖罪でもあるのだ。

 

仁は、愛する女性を失い、子どもを失い、次々と「守るべきもの」をその手からこぼしていく。そして、最後の砦だったはずの「人間を守る」という信念すら、本作『最後ノ審判』で遂に人間を殺め、捨て去ることになる。

 

ネオアルファを殺し、殺人者となることで、仁は悠に殺されることを心に決めたのかもしれない。自分の作ったアマゾン細胞が人々を苦しめ、自身も人外になりそれを狩り、家族までもを悲惨な形で失い、今度は自分が千翼のような「アマゾンを生み出す存在」になってしまった。殺したはずの息子と、同じになってしまったのだ。

「アマゾンを全て殺す」という目的を追いかけるばかりに、全てを失い、怒涛のスピードで人生を精算していく仁。終わってみれば、『最後ノ審判』は、鷹山仁という男が最後の最後に積み残しを降ろし切る物語だったのかもしれない。

 

かくして、その欺瞞ゆえに罰を受けた悠と、最後に残ったはずの「人間を守る」大義名分まで失った仁の、最終決戦が行われる。

 

これまでの『アマゾンズ』におけるアクションの総決算となった舞台では、強風が印象的なひらけた荒野で、血みどろの泥仕合が展開されていく。マウントを取り合いながら、殴り、えぐり、刺し、殺し合う。作中の全ての因縁がこの戦いに集約されているのだ。シーズン2の千翼の無念も、他でもない仁が背負っている。

 

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仁は、悠に自身を殺すよう叫びながらも、その手を弛めない。「生き残るのはどっちかひとりだ!選べ!」。自身の暴走を自覚し、それでも悠に何かを託したい仁の叫びは、胸にくるものがあった。

 

勝ったのは悠だったが、彼は同時に、「人間を殺した」という新しい罪を背負ってしまった。奇しくも、直前の仁が犯したタブーと同じである。悠は仁に勝つことで、ふたりの主人公がそれぞれ持っていた罰を併せ持った存在になってしまった。一方で、負けた仁は七羽の幻影に美しく看取られていく。本当に「勝った」のは、果たしてどちらなのか。

 

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「この世に生まれたことが消えない罪と言うなら、生きることがそう、背負いし罰だろう」。

悠は生きてしまった責任を感じ死のうとするが、美月の幻影が彼を救う。悠には、仁が失った「守るべきもの」「帰るべき場所」がまだ残っている。だからこそ、それが無い仁に勝てたし、勝ってしまったのだろう。

 

生きなくてはならない呪いを背負いながら、悠は独り、バイクで去って行く。その先が大きな上り坂というのが、彼が向き合い続ける苦悩を予感させるもので、素晴らしいラストカットだったと思う。

 

「食物連鎖の頂点が覆されたら、人間はどうするのか」。このテーマに対し、本作において明確な答えは提示されない。むしろ、再三書いているように、ここにはっきりとした答えは無いのだろう。だからこそ、今回決着がついたのは、悠と仁の「物語」だ。

彼らがどのように葛藤し、生き様を残したか。それぞれどんな罰を背負い、生きることと死ぬこと、どちらが酷と感じたのか。命を扱ったからこそ、壮絶に、熾烈に、命の決着を描く。ふたりの主人公から始まった物語が、物語として一巡して終幕していく。なるほど、綺麗な着地である。

 

EAT, KILL ALL

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本作『最後ノ審判』は、『アマゾンズ』という作品の「悠と仁」に熱を覚えていた自分にとって、期待以上の作品であった。彼らが命をすり減らして葛藤する様を観られたことが、何より満足である。

 

また、白倉プロデューサーが『キカイダーREBOOT』等でずっと挑んできた「大人向けヒーロー特撮」が、内容的にも商業的にも遂に一定の成功を納めた感もあり、氏の手がけた平成ライダーに魅せられたファンのひとりとして、嬉しく思う。

 

異形の存在が、異形の自分に苦悩しながら、異形と対峙する。これぞ、「仮面ライダー」。そして、仮想敵として渡り合った「平成仮面ライダー」もあわせて、長年シリーズを愛好してきて良かったと、そう感じてならない。

ありがとう『アマゾンズ』。約3年間、楽しかったです。

 

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パンフレットは、各種インタビューが非常に読み応えがあるので、オススメ。主題歌の歌詞も全文掲載で大満足。

 

 

仮面ライダーアマゾンズ公式完全読本 (ホビージャパンMOOK 865)

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劇場版『仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判』オリジナルサウンドトラック

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