ジゴワットレポート

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『GODZILLA 怪獣惑星』に対する正直な感想

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兎にも角にも、ゴジラの新作が2年連続で観られることが、本当に嬉しい。

 

『ファイナルウォーズ』以降、ゴジラが映画館から消え、円谷もレギュラー放送のウルトラマンがいなくなり、「巨大特撮冬の時代」と呼ばれた数年間。

そこから、ギャレス監督の『GODZILLA』や『パシフィック・リム』といった黒船が現れ、次第に活気づく界隈の盛り上がりは昨年の『シン・ゴジラ』で最高潮を迎え、そして今度はまさかの長編アニメーションでのゴジラが公開される運びとなった。

 

ゴジラのアニメというとエメリッヒ監督『GODZILLA』のアニメ版を思い出すが、今作はまさかの虚淵玄脚本によるド級のSF&フルCGアニメーション。しかも3部作を予定しているとのことで、またもや『シン・ゴジラ』のように従来のシリーズから大きく振り幅を設け、作家性に期待を持たせる方向性だなあ、という印象が強い。

ゴジラは大きく「昭和シリーズ」「平成VSシリーズ」「ミレニアムシリーズ」と区別されるが、個人的には、今の『シン・ゴジラ』以降を「クリエイターシリーズ」と位置付けたいところである.

 

godzilla-anime.com

 

かくして、『GODZILLA 怪獣惑星』。

 

突如現れた怪獣により人類の文明は壊滅。人類は星を追われることになる。怪獣たちの頂点に君臨する存在「ゴジラ」に両親を殺された主人公・ハルオは、満を持して地球に帰還。ゴジラへの復讐に燃える。果たして、地球人は母星を怪獣から取り戻すことができるのか。

 

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※以下、映画本編のネタバレがあります。

 

今作の一番の特徴は、「ゴジラで思いっきりSFをやる」という部分だろう。

 

まさに「宇宙船地球号」な船で移民先を探していたり、ワープで戻ると地球では船内より何倍もの時間が経過していたり、ED209のようなパワードスーツが活躍し、もはや未開の地とも言えてしまう惑星を探索する。

画面からその手の匂いがするかのようなド直球のSF設定は面白いし、植物を起源に進化したゴジラとの相性も悪くない。というか、普通に面白い。

 

が、私の率直な感想として、その「普通に面白い」を飛び越えてはくれなかった。

 

「ド直球のSF設定の数々」は、あえて意地悪に言えば「よくあるタイプのそれ」という印象もあり、何かしらの目新しさやハッとする面白さは伝わってこない。

また、これは虚淵氏の作風であり利点でもあるのだが、哲学的とも・観念的とも・抽象的とも言えるセリフ回しが多く、「そういうもの」としてワクワクはするものの、「そういうもの」の域を出ることはない。

 

しかし、「よくあるタイプのそれ」の集合体のような映画であるし、それ自体は互いに必要以上に干渉することなくまとまっているので、ちゃんと面白い。

そう、「ちゃんと面白い」のだ。

でも、それらを大きく超えて感情を揺さぶられたり、頭を殴られるような衝撃だったり、そういったものは残念ながら私の中には生まれなかったのが本音だ。

何というか、普通に、順当に、それなりに、「SF映画でSFアニメだ!」という印象なのだ。

 

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じゃあ、ゴジラとしてどうだったのか・ゴジラシリーズのひとつとして面白かったのか、と問われたら、ここも言葉にし難いモヤモヤが残る。

 

というのも、今作のゴジラの最大の特徴は「植物を起源に持つ」というその特性にあるが、それは背びれの形状や樹木のような皮膚、緑がかった体色に現れているだけで、人類を苦しめる物語の部分には大きく影響しない。

まあ、「地球では万単位の年月が過ぎていた」訳で、その生態系の変化の中で植物の繁殖力を身に着けて頂点に君臨しているという、理屈は分かるのだ。

ただ、例えば視界を遮る花粉(濃霧)も別にゴジラが発生させたものでもなければ、およそ植物らしくない電磁バリアを搭載していたりで、つまりは「設定・デザイン面以外」では「植物ゴジラ」という最大の特徴があまり活きていないように思えてしまう。

 

また、今作のゴジラは歴代シリーズでも随一の体長という設定だが、劇中では対比物が繁殖した自然の木々や山々だけなので、それが実際にどれほど巨大なのかがよく分からないのがとても惜しい。

せっかく「苔で成型された廃墟」が前半のクライマックスのように披露されるのに、その建物との対比もやってくれない。(そもそもこの苔の廃墟群をもっと引きの絵でしっかり観たかった・・・)

 

おかげで、最後に出てくる「真・ゴジラ」ないし本当の仇であるゴジラも、「でかい!」というのは伝わるものの、本当にどれほど「でかい」のかがよく分からない。

 

p-bandai.jp

 

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(ハルオたちが倒したゴジラと最後に出てきたゴジラ、サイズ比はこれくらいの6倍とのこと。せっかくこれだけ桁が違うのに、比較対象が雄大な自然のみなので、観ていてその規格外の大きさがあまり実感できなかった・・・)

 

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また、3部作ということは事前にアナウンスされてはいたものの、やはり「起承転結」の「起承」あたりでスパッと終わってしまうので、食い足りなさが残ってしまう。

まあ、そのおかげと言っては何だが、次作『決戦起動増殖都市』では、『怪獣惑星』序盤でまさかの登場を果たしたメカゴジラがいよいよ活躍しそうな予告だったので、ずっと「転」が続きそうな賑やかな予感を持たせてくれている。

 

 

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(今回のメカゴジラ、どことなく、このエヴァとのコラボデザインを思い出したり)

 

そういう意味で、私の中では、「SF映画としてちゃんと面白い」「新しいゴジラの設定も魅力的」という2つの感想が確かに頭に浮かぶのに、どうにも総合点として「面白かった!!」に繋がらないような、しこりの残る結果となってしまっている。

 

これを「3部作の1作目だから仕方ない」とするのか、はたまた「まだまだSF知識に造詣が深くないからそういう感想になってしまっている」 のかは分からない。

ただ、『シン・ゴジラ』が広く大ヒットしたこのタイミングで、もっとこの分野を知らなかった人たちが「ゴジラって面白いじゃん!」と思ってくれるような、そういう、長い目でコンテンツそのものを活気づけるほどの訴求力があったかというと、私は答えに詰まってしまうのだ。

 

www.cinematoday.jp

 

虚淵は「せっかくアニメでやる以上は、特撮に来なかった人たちを拾う作品にする必要があり、ゴジラの『ゴ』の字も知らない人たち向けに作らなければいけなかったから」と説明 

 

つまりは、ここにあるような、「ゴジラの『ゴ』の字も知らない人」にウケる内容だったのだろうか、という話だ。メカゴジラのサプライズや、東宝特撮の小ネタとか、そういうのを度外視したテーブルの話として。

 

確かに『怪獣惑星』は面白かったし、ワクワクしたし、ドキドキもしたのだけど、実のところその高揚感の正体は「2年連続でスクリーンで新しいゴジラを観ているから」に過ぎなかったのではないか。

ここ数日、このモヤモヤを相手に、頭の中で泥臭い寝技が繰り広げられている。

 

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とはいえ、とはいえ、だ。

 

次作『決戦起動増殖都市』以降でどう描かれるかは分からないが、私は今作のゴジラに「象徴」というキーワードを連想していて、その点は物凄く興味深く感じている。

例えば天皇陛下は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると憲法で定められているが、そういうニュアンスでの「象徴」とでも言おうか・・・。

 

結論として言えば、主人公・ハルオが本当に憎んでいるのは、ゴジラそのものではないのでは、という話である。

 

Twitter等では割と「主人公の熱すぎる憎悪に感情移入し難い」という感想も見かけたが、私としては、両親の乗ったバスがミニカーのように吹き飛ばされた時点で、ゴジラを親の仇として憎むこと自体は理解できるなあ、と思っている。

ただ、ハルオは何度も同じ地球人に噛みつき、冒頭では反乱を起こし、及び腰の作戦立案に苦言を呈したりする。

つまりは、ハルオが本当に憎んでいるのは、「怪獣による未曾有の文明崩壊に対し、敗北し逃走しなければならなかった人類の非力さ、それを含めたどうしようもない不条理」という、もっと大きくて抽象的なものなのではないか、と。

 

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ただ、文明を崩壊した担い手が複数の怪獣で、その頂点にゴジラがいたため、「象徴」として今作のゴジラがハルオの憎悪の矛先に君臨している。

だから、もちろん親の仇には間違いないのだけど、「彼が真に憎んでいるのはゴジラという生物なのか」という問題提起が、実のところ内包されているのではないだろうか、などと思ってしまうのだ。

 

そういった「象徴」というニュアンスで考えていくと、(上では「植物ゴジラの設定が活きていない」などと書いてしまったが)、真の意味で最初から今まで地球という星を支配し続けている「植物」のカテゴリーにゴジラが属しているというのは、かなり腑に落ちる話ではある。

 

「どうしようもない不条理の数々」、それらすべての象徴としてのゴジラ。

だからこそ、最後に出てきたゴジラが歴代最高に「でかい」というのは、理にかなっている。

人間、根元的な恐怖は「大きさ」だ。簡単に潰せるアリだって、人間と同サイズだとあまりにも恐い。

「災害の擬獣化」ともいえたシン・ゴジラに続いたのは、「不条理の象徴」であるアニゴジ。こうまとめてしまうと、自分の中でもかなり落としどころが定まってきたような気もする。

 

『シン・ゴジラ』がとっても「ゴジラ的なゴジラ」だったのは、54年の初代ゴジラが当時の観客が持つ戦争の記憶を引っ張り出したように、我々が先の震災を否が応でも思い出して観てしまうという構図があったからだろう。

その構図に倣うならば、単純明快な「巨大さ」で恐怖を煽り、不条理の象徴として人類全員を苦しめる今作のゴジラも、非常に「ゴジラ的なゴジラ」と言うことができるだろう。

 

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だからこそ、これは希望的観測の妄想だが、最終的にハルオはゴジラと(結果的にでも)共闘するような、そういう展開が待っているのかもしれない。不条理に対抗する一番の方法は、不条理そのものを一旦受け入れてしまうことだからだ。

 

・・・などなど、『怪獣惑星』を観て抱いた正直な感想は、この通りである。モヤモヤしつつも、自分の中で噛み砕いていくと、なるほど「ゴジラ」であった。

 

原住民が出てきて、メカゴジラが起動して、果たして物語はどう転ぶのか。

「3年連続で新しいゴジラが観られる」半年後を、楽しみに待ちたい。

 

 

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