ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

愛車と過ごす、ということ

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昨年12月、生まれて初めて新車を購入した。ずっと欲しかった車だった。

 

その車を “知った” のは、23歳、新卒で入った会社の飲み会。先輩社員が本社から営業所勤務に転勤になるとのことで、若手を集めての送別会が開かれた。その先輩は酒の席で「転勤先の土地は車生活ということもあって、ついに車を買ったんだ。ずっと欲しかったやつ」と楽しく語っていた。私は車にとても疎いので、車種を聞いても絵が全く浮かばなかったのを覚えている。ぶっちゃけた話、その先輩を慕って尊敬していた訳ではないのだが、耳にした車種だけはなんとなく覚えていた。その数日後、休日だったか。ふと思い出した車種名をiPhone4Sでググると、画像がずらっと出てきた。「ああ、これか!」。その車はさらに以前より街中で見かけ、ずっと何となく気になっていたものだった。フォルムが好みだったのだろう。今より十年以上前のこの瞬間、人生で初めて「乗りたい車」が出来た。

 

とはいえ、それからすぐに購入計画を立てた訳ではない。前述の通り、私は車に圧倒的に関心が薄かった。正直な話、今の今でも普通車と軽の判別がつかない。ナンバープレートの色で判別していたのに、近年はデザイン性のある「黄色じゃない軽のプレート」が増え、本格的に判別できなくなった。例えばゆずやaikoの楽曲はなんだか全部同じに聴こえてしまうが、これは完全に私個人の興味のアンテナの問題であり、ゆずやaikoが悪い訳ではない。だから、ウルトラマンやゴジラの判別ができない人を腐すつもりもない。話が逸れまくった。要は今でも車に興味が無いのである。昔からずっとこうなので、なんとなく「乗りたい車」があっても、それを行動に移すことは無かった。車は所有していたが、親から譲り受けた廃車秒読みのポンコツだったり、中古で買ったそれなりの車だったりした。そういう生活をずっと続けていた。

 

例の車は、街で見かける度に「おっ!」と気になっていた。が、それでおしまい。その瞬間にグッと熱が高まるも、すぐに冷えて忘れる程度。しかし、数年も経つと新しい型が増えているではないか。似ているけどちょっと違う型がいくつかあり、「もしかして似せて作られた違う車なのか?」とググってみても、やっぱり同じ車種だったりした。人の好みとは存外変わらないものだなと、車種名に行きつく度に感じた。色が違うとまた印象が異なるし、趣味性の高い車だったので、尖ったカスタムを施しているものも目にした。もし自分があれを買ったら、どんなふうに扱うだろうか。たまにそうやって妄想をして、妄想で終わらせていた。

 

それから、十数年。昨年のことだが、ちまちまとやっていた副業の売上が積み重なり、気付けば車くらいは買えるまでになっていた。この十数年の間に結婚し、子供もいたので、副業の売上は折を見て家族に還元していた。そのお金でディズニーランドにも行ったし、娘のプリキュアの玩具もいっぱい買ったし、嫁さんの美顔器にも成った。しかしやっぱり「あの車」のことが、どこかずっと脳裏にあり……。気付けば、本格的に調べるようになっていた。人間、やっぱりゲンキンなもので、実際に「買える」となれば思考がどんどん具体化していく。メーカーのサイトを見て、見積もりシミュレーションをやってみたり。カラーバリエーションやオプションの組み合わせを幾度となく試してみたり。しかし、前述の通りやや趣味性の高い車種だったので、家族がいる身分でこれを買うのはちょっとした冒険なのである。事実上のセカンドカーというか。しかし、うむ。欲しい。欲しいなぁ……。などと逡巡しつつ、いつの間にかディーラーに試乗の予約をしていた。

 

試乗後、数十分後には作り込まれた見積書を持って帰宅していた。恐る恐る嫁さんにお伺いを立ててみると、そもそも貴方の副業で稼いだお金で買うんだから好きにするべき&たまには私にも運転させてね、と、あっさりとOKが出た。ありがとうって伝えたくてあなたを見つめるけどォ~~!? その数日後、早くも注文書に判を押していた。もう迷う余地は残されていなかった。一気呵成。これが、昨年の初夏のことである。

 

納車は約半年後の、年の瀬。なんと長い6ヶ月だったか。当然まだ実車は手元に無いのに、ネットで毎日のようにパーツやカスタムを調べまくっていた。いくつもいくつも、「買ってから取り付ける物」を買った。ナビもいいものを買った。ドラレコもいいものを買った。こういう時、「形から入るタイプ」は死ぬほど浪費する。直接のドライビングには関係ない、車内空間のグレードを少しでも上げる実例も参照しまくった。これはマジで誇張抜きに、YouTubeに上がっているこの車種がタイトルに入った動画は、全て観ていると思う。本当に、全て。投稿日でソートをかけて、日課にしていた。

 

遂に迎えた納車の日。新車の車を買うという、人生で初めての瞬間。ディーラーの従業員一同にお見送りされる恥ずかしさ。店のインスタに載せるからと写真撮影を頼まれる恥ずかしさ。道を走っても、周囲がこの車をどう見ているのか、気になって気になって、ドギマギしながらハンドルを握る(当然、誰もそんな関心はよこさない訳だが)。試しにひと区間だけ高速に乗ってみたり、あえて山道を攻めてみたり。夫婦で海沿いをドライブしてみたり、娘とプリキュアの楽曲を爆音で流しながら一緒にカラオケドライブをしたり。

 

それまで車は単なる移動手段のひとつとしか捉えていなかったので、想像もしていない日常の場面に価値が生まれた、そんな感覚がある。毎朝必ず、出勤前に自宅の駐車場で愛車に逢う。嬉しい。退勤後、会社の駐車場にとっても好みの車が停まっている。誰の車だ~!? 誰の車だ~!? 俺のだ~~~~!!!! とっても嬉しい。仕事で嫌なことがあった時は、少しだけ遠回りしてドライブして帰る。貴重な時間。この車内にいるだけで幸福度が上がる。全パーツからマイナスイオンが発生している可能性があるな。ひとつずつ、オプションパーツも買い足していく。ちょっとだけかっこよさが増した愛車は、やっぱりかっこいい。少し遠出をした際も、駐車場で見つける度に高揚する。めっちゃイイ車が停まってる!おっと、俺の車じゃあないか!ヒャッホ~、って、マジで毎日のようにこれをやっている。楽しい。

 

つい先日、仕事上で大きなトラブルがあり、その消火に奔走した。あまりにも気疲れが大きかったのでムシャクシャしてしまい、つい6万円ほどするコーティングを施工してしまった。もちろん、車好きのパイセン達からすれば端金かもしれないが、「基本的に車に興味が無い人」にとっては、およそ考えられなかった金額である。とはいえ、満足度はすごい。その後、水洗いするだけでビッカビカになる。ぬるぬるてかてかつるつる。もはやエロい。セクシー。すごい。最高。また逢うのが楽しみになるし、実際のところいつでも逢える。最高だ……。

 

今でも、この車種以外のことは全く分からないし、興味が無い。普通車と軽の判別も引き続き出来ない。しかし、愛車精神だけはすくすくと、順調に育っている。

 

その昔、損害保険の仕事をしており、自動車保険の事故処理に関わっていた。自動車保険の等級制度は、原則として、保険を使って保険金を支払ったら下がってしまう。しかし、保険金の額は問題ではなく、保険を使ったか否かが問題なのだ。だから、過失割合が8:2だろうが、7:3だろうが、6:4だろうが、保険を使えば等級は等しく下がる。損する額(この場合、翌年に増える保険料)は、過失割合が0じゃない以上は、往々にして同じなのだ。だからこそ、決して過失0にならないお客さんが6や7の引っ張り合いにこだわるのを、内心で不毛だと感じていた。そこで悩んでも損する額は変わらないのに、と。しかし、最近はなんだかそれも分かってきた。たぶん、損得の問題じゃないのだ。愛でて、一緒に人生を作ってきた車が、不慮の事故で傷ついた。そこに生まれるショック、感情の綻び、心の行き所。そこに整理をつけるために、時に6と7を引っ張り合うのかもしれない。私だって、今のこの車が傷ついたら冷静ではいられないだろう。なるほど、なんとなく分かってきた。ような気がする。

 

地方在住なので、車がないとまともに生活が出来ない。ちょっとした買い物に行くのも車が要る。そんな条件の人間が車にお金をかけると、最低でも日に2回(往復)は心が高揚する。これってトリビアになりませんか。

 

早くも12ヶ月点検の案内が来たので、ナマの記憶があるうちにこれを書き残しておく。いつか事故にあってしまった時に、または買い替える時に、このエントリーを読み返してしんみりするのだろう。

 

バンドスコア クレイジーケンバンド「OLDIES BUT GOODIES」

バンドスコア クレイジーケンバンド「OLDIES BUT GOODIES」

  • 作者: 
  • ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス
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