ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

おいおいおいおい…… 二次創作の面白さを “知って” しまったじゃあないか………………

FOLLOW ME 

永らく二次創作とは縁のない生活を送っていた。

 

それを特に嫌っていたとかそういう訳ではなく、シンプルに興味が湧かないというか、「咀嚼の方法」は創作ではなく感想やレビューを書いて行っていた。「ここが面白かった。なぜなら~」「ここがつまらなかった。なぜなら~」等々、テキストという形で脳内から理解を吐き出すことで、該当作品をより深く味わうことができる。そういう生活を20年ほど続けている。

 

二次創作というと、それはキャラクターや関係性に思い入れて発露される事象が多い印象にあり、あまりキャラクターにフォーカスして作品を摂取しない自分にとっては縁がないものだと、ぼんやりそう思っていた。とはいえ一度だけ、『仮面ライダーファイズ』の二次創作小説を書いたことがある。作中のキャラクターはほとんど登場せず、世界観と設定を借りたような内容。これは確か、ふとアイデア(のようなもの)が頭に降りてきて、勢いに任せて数時間でババーッと書いたものだったか。確かに、楽しくはあった。

 

そんなこんなで、二次創作は「自分とは割と距離のある分野だろう」と思っていた訳だが、一昨年、ふと思い立って二次創作に手を出すことになる。音楽を作り始めた。小説やイラストではなく、同人音楽である。大層な理由はなく、ごくシンプルに「あっ!やってみたいかも!」と、その延長であった。好きな作品のイメージソングをオリジナルで作ってしまう訳だ。

 

小説を書けるほどの文章力は無ければ、イラストを描けるほどの画力も無い。しかし、音楽ならどうにかなるのではないか。いや、作曲も歌も出来ない。もちろん出来やしない。とはいえ、このインターネットの海は才に溢れている。こちらで企画して、ディレクションして、そうして専門作業を他者様に依頼すれば良いのではないか。単語として改めて書くとおこがましが、いわゆる「プロデュース業」というか、そういう観点での二次創作もありなんじゃなかろうか。

 

思い立ったが吉日で、楽曲の制作を始めた。1曲作り、それが面白くて。今日時点で4曲を手掛けている。

 

二次創作はどうしても小説とイラストが二台巨頭と思われるが、とはいえ、それをやることで感じる旨味みたいなものは、音楽もかなり近いところにあるのではないだろうか。というか、一歩後ろに下がって広い視野で捉えると、感想やレビューを書く「テキスト出力作業」だってなんだか同じように思えてくる。違うのは手段で、やっているのは同じというか。要は「対話」なのだろう。好きな作品と向き合って、ひたすらに対話を行う。「あなたのここが良い」「ここが魅力に感じられた」「ここに強く心を動かされた」。あるいは、「あなたのここが物足りない」「ここが正直残念だった」「ここにがっかりした」。しかし、作品は喋らない。人間ではないから言葉は返してくれない。物言わぬ壁のようにそそり立っているが、そこにひらすらボールを打ち込んでいく。打ったボールが跳ね、まさかそんな角度で返ってくるとは思わず、必死に追いついて打ち返し、また跳ね、想定したところに返ってきたらニヤリと笑い……。そうして黙々と壁打ちを続けた末の汗の結晶みたいなものが、その人が作る二次創作品なのだろう。

 

つい流れで「壁打ち」に例えてしまったが、例えついでに言うと、最初の球を打っているのは作品ではなく「こっち」だ。どんな形で、どんな色で、どんな素材の球を、どこにどんな角度で打ち込むか。そこから始まる壁とのラリー、その行為それ自体が面白い。走り回りながら作品への理解や願いや祈りが加速していくのは、それこそ感想やレビューを書いている時の脳汁ブシュブシュ体験と一緒だ。

 

なるほど、二次創作ってこういう点が面白いのか、と。少なくとも私はそう理解した。

 

「作品への愛着」、という考え方がある。出来が良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、そういうのとは別の、愛着の濃淡。「キャラクターへの愛着」に置き換えても良い。それはやはり、同じ時間を過ごすことで増していくものなのだろう。最初はなんとも思わなかったクラスメイトが3月には気になる間柄だったり、いけすかないと思っていた同僚と数年後にはそれなりに喋るようになったり。なにか特別なイベントの発生を除き、極めて単純に、「同じ時間を過ごす」の効果は大きい。人間は複雑で単純なので、一緒に過ごした人を時に仲間のように認識しがちである。あるいはアニメやドラマや特撮だって、リアルタイムで毎週観るのと、後から一気に観るのとでは、愛着が全然違う。天と地ほども違う。それは、リアルタイムだと実質数ヵ月もその作品と一緒に過ごすからだ。直接的に観たり読んだりする時間だけでなく、一緒に過ごした期間がそれを育む。

 

つまるところ、二次創作は「愛着を深めたい」という願望の現れなのかもしれない。すでに完結した作品などで、新規供給が望めないことは少なくない。もう新作は観られないし、新規エピソードは絶望的だ。しかし、二次創作なら。その解釈の正解・不正解に無関係で、創作活動(という「壁打ち」)を通して作品との時間を新たに積み増すことができる。これを創っている間は、ずっと作品と一緒に過ごすのだ。実際に書いたり描いたりしている時間だけじゃない。仕事の合間に考え、学業の合間に考え、移動の合間に考え、食事の合間に考える。その期間は、創作が続く限り無限に続く。作品と、キャラクターと、もっと時間を過ごして「好き」を濃くしたい。二次創作はそのいち手段として有効なのだろう。

 

それは、とっても分かる。実際に楽曲で手掛けた作品へは、何倍も愛着が濃くなった。「好きになった」「理解を深めた」というより、「愛着が濃くなった」が確度が高い。なるほど、二次創作者って、こういう “楽しいコト” していたんですね、と。

 

同人音楽という点では、楽曲のジャンル・ニュアンス・構成・展開、そういったものに作品の特性をパッケージングするのが面白い。作曲家さんに「ここの3~4拍目にこういう音をこのリズムで追加できませんか? なぜならここの歌詞はあるキャラクターを想定して書いているのですがそのモチーフが〇〇なのでそれを想起するあの楽器がほんの一瞬でも流れるとニヤリと出来るんですオナシャッス!!」みたいなリクエストを伝えるのを、ずっとやっている。あと歌詞だけは自分で書いている。巧いとか拙いとかはさっぱり分からないが、歌詞にしてまとめていく過程で、ものすごく高速の壁打ちラリーが敢行される。歌いだしのAメロに何を書くか、サビにどんなフレーズを持ってくるか、ラスサビは作中のどのシーンをイメージするか。それを突き詰めていくと、「自分はこの作品のなにがどう好きなのか」が加速度的に浮かび上がってくる。くっきりと。実に面白い。

 

あと、自分が作った楽曲をサブスク配信するのが楽しい。マジのガチでいつも使うApple Musicにそれが載っていると、何度見ても心が跳ねる気がする。二次創作の小説やイラストを印刷し製本する人は、これと同じようなトキメキを抱いているのだろうか。

 

もちろん、「いや!俺の・私の二次創作のモチベはそういうことじゃァねぇぞゴルァ!」という声もあるだろうが、私としては「対話」で「壁打ち」で「愛着を深める」ために一緒に時間を過ごす行為だと、今のところそういう理解に落ち着いている。手間もお金もかかりはするが、そこに全く勿体なさを感じないあたりが、やりがいというものなのだろう。

 

諸々が許す限り、細々とでも良いので続けていきたい。まだ話すことが沢山ある。

 

 

▼ 実際に作っているもの。

 

 


www.youtube.com

 


www.youtube.com

 

てらてら

てらてら

  • かおなしレコード
Amazon