ジゴワットレポート

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公式がネタバレをどんどん投下する『シン・ウルトラマン』の広報戦略がイマドキ

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映画『シン・ウルトラマン』の広報まわり、とても興味深い。

 

俗な表現でいくと「公式がネタバレをどんどん投下してくる」パターン。これは色んな意味でイマドキだなと、公開から約2ヶ月、楽しんで見ていた。(公式が正式に情報を出してるのでネタバレもへったくれもないのだが、文意優先でそう表現することをお許しください)

 

引用:映画『シン・ウルトラマン』ゾーフィ&ゼットン名場面映像【大ヒット上映中】 - YouTube

 

以下、記録も兼ねて投下ペースと内容の列挙を。

 

2022年5月13日。映画『シン・ウルトラマン』が公開。この時点では、予告映像に登場したネロンガ・ガボラ・ザラブ、そしてメフィラスの人間態のみが登場怪獣として判明しており、ファンの多くはどの怪獣が登場するのか期待に胸を膨らませていた。メフィラスが怪獣態になるかどうかも、勿論不明だった。

 

 

5月23日。まさかの登場となったゾーフィの存在が明かされる。フィギュア化の一報から公になるパターン。まだ劇場公開から1週間そこらである。

 

 

5月25日。長澤まさみの巨大化が明かされる。メフィラスが出る時点で大方予想はされていたが、マジでやるとは。ロケ地も当時のフジ隊員と同じ場所らしく、原典を知る層に訴求していく。

 

www.cinematoday.jp

 

 

5月27日。本編冒頭映像1分17秒がYouTubeで公開。『ウルトラQ』関連の怪獣の存在など、ケレン味たっぷりの導入部が明らかに。シン・ゴメス解禁。

 

 

6月3日。主題歌コラボMVが公開。メフィラス星人の怪獣態と『シン・ゴジラ』への目配せを兼ねた竹野内豊の出演が明かされる。

 

 

6月4日。公式から正式に「ネタバレOK」とのお達し。公開からまだ1ヶ月も経っていない。

 

 

6月6日。山本メフィラスムーブメントに迎合するように、メフィラス名場面映像が公開。ネットの盛り上がりを公式が追いかける。「時流に乗る」、私の好きな言葉です。

 

 

6月13日。ウルトラマンの声を演じたのが高橋一生であることが公開。ここで公開からちょうど1ヶ月。

 

 

6月24日。本編冒頭映像10分33秒がYouTubeで公開。グレーの体色でAタイプなウルトラマンがスペシウム光線を放つまで。予告で使われていた光線シーンが事実上のフェイクだったのも、今思えば遠い日の面影。

 

 

6月25日。ゼットンが公開。公式からこのビジュアルが公になったのはおそらくこれが初。

 

 

6月27日。ゾーフィ&ゼットン名場面集が公開。山寺宏一の声の出演も明かされる。クライマックスの映像がめちゃくちゃ使われている。

 

 

6月30日。VFXのメイキングが公開。モーションキャプチャーでクレジットされていた庵野氏の実際の動きが見られる。「 “あの庵野” がウルトラマンを演(や)る」という文脈の強さもあってか該当ツイートは数時間で万単位のRTへ。

 

 

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「劇場公開とTwitter」というトピックは、常にネタバレ問題と隣り合わせだ。

 

結局は各人がTLを巧く構築する他ないのだが、特に大作が公開された週末あたりからは、Twitterにふせったーの波が押し寄せる。「(作品タイトル)、○○○○○○○・・・」というツイートが無限に出現し、ネタバレ配慮のワンクッションを置いた上で感想が交わされるのだ。

 

 

ふせったー公式も、大作が公開されたり最終回を迎えたりすると、商機を逃すまいとこうして存在をアピールしている。このサービスは作品の展開やオチに限らず、作品に仕込まれた何らかのサプライズについて語りたい際に、非常に有効である。私もふせったーを長年愛好しており、その恩恵は重々承知している。

 

とはいえ、それはいわゆる性善説に基づくような話だ。公開直後だろうがなんだろうが、ネタバレをオープンにがんがん話題にする人は結構いる。オープンにして話すと未見の人の興味関心を削いでしまうのではないか・・・ という配慮(?)のマインドも、もしかしたらすこぶるオタク的な発想なのかもしれない。

 

それに、不用意にネタバレな話題を扱うとワールドワイドなSNSで急に誰かに刺される恐れがある。つまり、観た映画について踏み込んだ感想をツイートしたくても、それがネタバレになるから扱えない。ふせったーで書くのも良いが、それは未見の人からしたらパンドラの箱なので容易には開けられない(=布教にはならない)。SNSの広大なマーケットでムーブメントを起こそうにも、オタクがこぞって配慮した結果、盛り上がるのは「○○○○○」の羅列。それは、「なんか盛り上がってるっぽい」の域を出られるのだろうか。

 

あるいは。「Z世代はネタバレに抵抗がなくむしろオチを調べてから鑑賞する」という言説が叫ばれるようになって久しい。それは、時間を無駄にしたくないからか。失敗をどうしても避けたいからか。私個人としては、わざわざ観に行った映画がすこぶる微妙で「微妙~~!」と眉間に皺を寄せながら帰路に着くのも大切な経験だとは思うが、他方で、ハズレを引きたくない心理もよく分かる。「普通の人」は、映画館での映画鑑賞は年に1本か2本なのだ。そりゃあ、外さないに越したことはない。だからこそ、公式がネタバレをどんどん投下していけば、ファンもそれに伴って感想のレイヤーを調整するため、TL閲覧が自然と「オチを調べる」行為に近づいていく。

 

この、「ファンが感想のレイヤーを調整する」というのが、実に巧妙だと思うのだ。配慮したいオタクは、結局は公式の許しを待っている。「これについて話題にしてOKですよ」「ここまでは語って大丈夫です」という、お触れを待っているのだ。『シン・ウルトラマン』の情報の出し方とそれを受けたファンの動きをずっと見ていたが、投下に連動するように、「今日から『ウルトラQ』まわりは語ってヨシ!」「ゾーフィに触れるけどまだゼットンの名は出さない」といった調整をする人が多かったように思う。それも、おそらく無意識に。もし「ネタバレやめてください!」と刺されても、懐から「公式の許し」という盾を取り出すことができる。その心理状態を、じっくりと誘導しているのかもしれない。(以前『進撃の巨人』が公式に「○○話まではネタバレOK」と告げた時も、すこぶるイマドキだと感じたものだ)

 

やはり、人は「盛り上がっているもの」に弱い。夏の夜の虫のように光に吸い込まれる。行列があれば近寄ってしまうし、車が多く停まっていれば気になってしまう。オタクの配慮は「○○○○○」ばかりで、どうにも「盛り上がっている」の可視化に欠けてしまう。であれば、公式自ら段階的に隠し玉とされていたアレコレを投下することで、「○」を取り払い、しっかりと「盛り上がっている」に見せようではないか。誰とでも繋がれるからこそ、誰にでも配慮しなくてはいけなくなった時代。その配慮こそがムーブメントを妨げてしまうのだとしたら。熱量の高い客層は、放っておいても公開直後に劇場に駆け付けるのだ。「そうでない人」の背中を押せるのは、「盛り上がっている」オーラに他ならない。

 

ちょうど同時期、映画『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』も公開後PVと題して同作の隠し玉をがっつりと公開していた。劇場公開から僅か18日後の出来事である。私個人の体感だが、これらに限らず、公開中にいわゆる隠し玉とされている要素をオフィシャルに明かす映画は、近年増えてきたように思う。どんどん投下し、どんどん語ってもらい、どんどん未見者を煽る。円盤ではなく銀幕で稼ぎ抜く。そんな勢いを感じる。

 

これからもこうした情報公開が業界で標準化されるのであれば、気になっている映画は早々に観に行かなければならないだろう。「公式からネタバレをくらう」という間違った日本語が、今まさに、映画産業で加速しているのかもしれない。