ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

コロナ禍と戦う『仮面ライダーセイバー』を心から応援したい

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2020年初秋、令和仮面ライダー第2弾となる『仮面ライダーセイバー』が放送を開始した。

 

前番組の『仮面ライダーゼロワン』は、物語中盤頃に未曾有のコロナ禍に突入し、緊急事態宣言で撮影そのものがストップ。総集編でなんとか放送枠を継続しつつ、話数を短縮しての最終回となった。特撮ヒーローファンとして、スタッフやキャストの方々の苦労を思うと、本当に頭が下がる。

 

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いわゆる「3密」が叫ばれて以降、特撮ヒーロー番組に限らず、様々な映像コンテンツを鑑賞する際に、どうしてもそれを意識してしまう自分がいる。エキストラを集めた街中のロケーションや、人が所狭しと集う飲食店の風景、顔面を近づけて怒鳴り合うシーンなど、否が応でも余計な心配をしてしまうのだ。この点、仮面ライダー等のヒーローが得意とする「群衆の声援を背に受けて戦う」というシチュエーションは、今後しばらく、拝めないのかもしれない。

 

そんな状況で放送が開始された『仮面ライダーセイバー』は、公式サイドからも度々言及されているように、このコロナ禍を意識した番組作りが行われている。これについて、一介のファンとして、この2020年初秋に記録に残しておかねば・・・ と思い、この記事を書いている。

 

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主役である仮面ライダーセイバーは、本と剣の力を使って戦う仮面ライダー。ファンタジー色が強い作風で、テクノロジーやAIをメインテーマとした前作『仮面ライダーゼロワン』とは対照的な作りである。

 

そして、ファンタジー色が強いということは、異世界やそれに相当するエフェクト効果の出番が多い、ということ。この基本設定がどこまでコロナ禍を意識したものかは分からないが、柴崎監督を始めとするスタッフ陣は、ここに「今ならでは」の視点で挑んでいる。

 

セイバーでは、コロナ禍による様々な撮影不安が現実となっている現在、どんな状況でも撮影ができることを目指すだけでなく、これを好機と捉え、いままでの仮面ライダーに無い新しい絵づくりをするために、これまでのシリーズには無い取り組みをいくつか行っています。
その一つが、ライブ合成です。
技術自体は古くからニュースやバラエティなどで使われている、いわゆる「お天気キャスターのアレ」。
これまで仮面ライダーの合成シーンは全てクロマキー(グリーンバック)で撮影された素材を後処理ではめ込んで来ました。もちろん複雑な合成は引き続き後処理によって作業するのですが、簡単な内容であれば、その場で合成された映像が撮影できるライブ合成システムがあることによって、これまでよりも多くのカットで合成を使用することができるようになるというメリットがあります。
これはロケに出ることによるリスクを減らす狙いもあると同時に、タッセルの部屋などのように、ファンタジックな世界観を醸成することにも一役買っているのです。

仮面ライダーWEB【公式】|東映

 

まずはやはり、合成シーンの増加。物語設定とも相性が良く、「序盤の話数には予算が多く割かれている」という条件を差し引いても、圧倒的に合成カットが多い。前述の、「どんな状況でも撮影ができることを目指す」。まさにここの部分である。

 

敵の怪人によって出現するワンダーワールドという異世界は、まさにファンタジー映画のような背景から、実際のビル群に近いものまで、様々だ。しかし、「異世界」という設定がそこに横たわっている以上、それらがCGで表現されることに、物語上の違和感は無い。度肝を抜かれたのは第2話で、クライマックスのダブルライダーによるアクションシーンは背景がほぼ全て合成カットで仕上がっていた。仮面ライダーシリーズにおける「カロリーの多い合成」というと、巨大なフルCGモンスターが出現するパターンが多かったが、今回はそれを「異世界」に充てているのだろう。

 

CGを用いた合成カットでアクションシーンが成立するのであれば、当然、ロケに出る必要性が低くなる。今後、再度緊急事態宣言が発令される可能性も、決してゼロではない。現行のような撮影が出来なくなった時に、仮面ライダーはどこで戦うのか。

 

もちろん、『セイバー』とて、年間を通して異世界ばかり、ということではないのだろう。現実問題、予算にも限りがある。しかし、「最悪の場合、撮影所内の合成素材撮りだけでも映像を完成させられる」という担保は、スタッフサイドにとって、非常に強力な判断材料になるのではないか。『ゼロワン』が総集編で繋ぐしかなかった経験を、最速で反映させている。

 

屋外でのロケーション撮影は、何も仮面ライダーとカメラだけが出かければ良い話ではない。監督を始めとする大勢のスタッフやキャスト、街中で撮影する場合は人払いをする担当者もいるだろうし、そこに弁当を配達する業者まで出入りする。「3密」を完全に避けながらのロケというのは、素人目に見ても、非常に難しい。だからこそ、もちろんロケもやりながら、「ロケをしなくても何とかなる方法」を腹の中に持っておく。状況を注視しながら、シームレスに撮影手法を切り替えていく。これぞ、「新しい撮影様式」なのだろう。

 

この点、変身シーンや必殺技シーンが事実上のバンク処理になっているのも大きい。

 

仮面ライダーの変身シーンは、多くの場合、スーパー戦隊シリーズと違ってロケにおける合成で表現されてきた。手順としては、まず演者が変身ポーズを取り、「変身!」と発声してカットがかかったらフレームから外れ、仮面ライダー姿のスーツアクターが入り、腕や肩などの身体の位置を演者のそれと合わせて、綺麗に繋がるようにカットを捉えていく。この細かな微調整の果てに、CGによるエフェクトが加わることで、「変身」が描かれるのだ。

 

必殺技のシーンも同様だ。ベルト周りの小物を操作した後に、必殺技を発動するが、多くの場合で「溜め」のくだりからCGによるエフェクトが入るため、撮影段階でそれを見越した構図にしておいて、素材として撮影する。「溜め」から「発動」までをワンカットでいくのか、切り替えるのか。そういった判断から、細かく求められていく。

 

『セイバー』は、どちらのシーンでもバンクを用意している。厳密には変身シーンは毎回撮影している(演者の服がちゃんと変わっている)ため、従来の「バンク」とは意味が少し違うのだが、変身シーンでここまで合成空間に入り込むのはシリーズでもかなり珍しい。『仮面ライダーキバ』や『仮面ライダーゴースト』のフォームチェンジ等で完全なる合成空間が用いられたが、このシリーズは、基本的に実景のロケだ。かなり思いきっている。

 

必殺技も、ベルトを操作する段階でページがめくれるエフェクトが入り、合成空間での「溜め」のカットがバンクで登場する。

 

これらのシーンが挟まることで、現場では、「合成を見越したカット」を撮る手間が大幅に無くなるのだろう。バンクを挟んでしまえば、すぐに臨戦態勢のシーンから始めることができる。「変身シーン」と「必殺技シーン」、どちらも、大いに盛り上がるシーンなだけに、当然のように手間がかかる。手間がかかるということは、時間がかかる。つまりは、屋外でのスタッフ・キャストが密集する時間が長くなる。これを少しでも短縮しようと思ったら、確かに、合成を要するカットをバンク処理するのは当然の解答である。

 

合成といえば、キーアイテムからバイクなどのマシンに変形するカットも近年恒例だが、今年はこれもバンク処理である。実景へのCG変形合成は、サイズを測るために実物大の木枠を組んでみたり、CGモデルに影をつけるための白球をフレーム内に置いてみたりと、「ただ後で合成すればいい」という話では全くない。ロケ段階でも、それ相応の「撮影」が必要なのだ。ディアゴスピーディー等のバイク変形シーンをバンクに逃がすことで、この手間も短縮できる。

 

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また、ストーリー的にも、工夫があるように感じられる。

 

平成ライダーでは長年用いられてきた「ゲスト制」、それも、『仮面ライダー電王』以降定番化していた「宿主ゲスト」の概念が、今年は用いられていないのだ。「宿主ゲスト」というのは非常にふんわりした表現だが、要は、「怪人と何かしら関わる一般市民」である。一般市民自体が怪人に変身して暴れる展開もあれば、その親族や恋人というケースも多い。また、そのゲストの悩みや後悔につけこむ怪人も少なくない。前作『ゼロワン』でいくと、毎回登場する新しいヒューマギア(後に暴走して怪人化する)そのものが「ゲスト」であった。

 

つまりは、怪人の行動原理や発生理由を「ゲスト」と何かしら絡めることで、仮面ライダーが怪人と戦う行為が、最短距離で「市井の人々を守る」ことになるという、作劇上のロジックである。

 

しかし、『セイバー』の怪人(メギド)は、「ゲスト」を全く必要としない。敵幹部の手によって自在に生み出され、現実世界を異世界に引き込もうと活動する。怪人と「ゲスト」が設定上切り離されているので、「ゲスト」を登場させなくても、お話が成り立つようになっている。市井の人々が登場しないということは、街そのものを描く必要がなく、場合によってはロケが不要という判断に辿り着く。もちろん、年間通してずっと、ということではないだろう。しかし、「そういうことも出来る」というのが、この場合何よりも大切なのだ。

 

また、『セイバー』はレギュラーキャストが多く、仮面ライダーも早々に複数人登場する。敵の幹部も、悪の仮面ライダーまで含めて一気に4人もいるのだ。レギュラーキャストだけでも、何とかお話を回すことができるだろう。

 

つまりは、「ロケの時間を短縮する」「ロケが出来なくなる可能性を考慮する」という視点から考えると、『セイバー』にはかなりの工夫が見られるのだ。反面、「戦隊っぽい」という意見も見聞きするが、そんな台詞はそれこそ『ダブル』の頃だって叫ばれていたのである。それよりも、「新しい撮影様式」に挑む現場スタッフの方々の「特殊撮影」に、目を凝らしていきたい。

 

最悪、ロケが一切出来なくなったら。その場合はどうするか。

 

キャラクターの日常シーンをセットで撮り、ちょっとした外に出るシーンは東映撮影所内で実施する。メインキャスト同士のやり取りでお話を作れば、街の人々が登場しなくても何とか成立する。変身シーンは既にバンクを撮っているので、逆説的に、「変身バンクとして既に撮っているファッション」を日常シーンで着用すれば使い回しても違和感は出ない。戦闘シーンでは早々に異世界に突入し、合成で処理していく。予算の面も考えれば、必殺技を何度も何度も放つことで、バンクの登場を多くすることもできるだろう。

 

1章と2章を担当し、仮面ライダーセイバーのファンタジーな世界観を作り上げてくれたのは柴﨑貴行監督。
スーパー戦隊のパイロット監督は何度かパイロット監督を経験しておりましたが、仮面ライダーシリーズのパイロット監督としてはこの仮面ライダーセイバーが初めて。
加えて未曽有のコロナウィルスの脅威にさらされながらの撮影という状況の中、本当に多くの期待とプレッシャーをはねのけて「仮面ライダーセイバー」の素晴らしいスタートを切れました。

柴﨑監督と打ち合わせをする中で印象的だったのが「ビジネス」という視点と「エンターテインメントを創造する」という視点、そして「子どもにどう受け止められるか」という視点の三つを作品作りの大きな軸として持っているということです。
子どもがセイバーという番組を見てどんなことを感じるのか、その子どもと一緒にいる親御さんはどう感じるのか、逆に制作側が番組を通じて子どもたちにどう感じ取ってほしいのか、という発想で企画開始時点からパイロット撮影の最後のカットがかかるまで突き進んでくれていたように感じました。
企画チームとしても現在の世情を考慮した作品作りを余儀なくされる中で、柴﨑監督のこのような姿勢はとても心強かったです。

「子どもたちにこそ本物のエンターテインメントを見せる」という柴﨑監督の言葉がとても強く心に残っております。

セイバー 第3章:「父であり、剣士。」 | 仮面ライダーWEB【公式】|東映

 

仮面ライダーは、本当には存在しない。どこからともなく現れて、コロナを滅してくれるような、そんなことは絶対にありえない。しかし、だからこそ、「ヒーロー番組の新作が毎週テレビで放送される」という事実は、全国の子供たちやファンにとって、この上ない「日常の象徴」なのである。

 

それを何とか継続したいと、あの手この手で工夫を重ねている『セイバー』。設定や話運びから、極力違和感が出ないように、「新しい撮影様式」を根付かせていく。応用に応用を重ね、判断のバリエーションを増やしていく。こういった、スタッフ陣の根気と工夫、気骨の結晶に、ファンとして心から敬意を払いたい。

 

頑張れ、『仮面ライダーセイバー』!今年も一年間、よろしくお願いします。