『仮面ライダージオウ』第36話は、田村直己監督&井上敏樹脚本でおくる、キバ編後編。まず前提として告白しておくと、物心ついた頃に『ジェットマン』を観て、嗜好が定まってくる中学~高校時代に『アギト』や『ファイズ』を観ていた私は、すっかり井上敏樹脚本からの調教を終えている人間なのです。「脚本 井上敏樹」の6文字がクレジットされるやいなや、お尻を出して四つん這いになり、満面の笑みで「よろしくお願いしますっ!」と叫ぶような、そんな人間なのです。
なので、今回のキバ編後編、もう本当に、最高でしたね。こんな作品がこの2019年に観られるとは。生の喜び。世界への感謝。鑑賞後は、真っ赤に腫れ上がったお尻を鏡越しに恍惚の表情で眺めていましたね(あくまで比喩です)。ということで、今回は私がどんな鞭打ち(あくまで比喩です)に涎を垂らしながら身悶えていたか(あくまで比喩です)、その辺りを書いていきたいと思います。
『仮面ライダージオウ』の感想を綴る「ZI-O signal」(ジオウシグナル)、今週もいってみましょう。
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井上敏樹脚本が描く「人」
先週の自分の感想をセルフで引用しますが、私は、井上敏樹脚本の魅力は「人」を描くこと、ひいては「人間賛歌」だと思っていて。
まずもって井上敏樹脚本の魅力から語っていくと、やはり「美しさ」に尽きると思うんですよ。ただしそれは「綺麗な」「華やかな」ではなく、「泥臭く」「人間臭い」、そんな「美しさ」。美しいものをそのまま美しく描くのではなく、泥臭く、人間臭く、どうしようもなく捻れて拗れた関係性に置かれたクセの強すぎるキャラクターたちが、その生き様の中に「美しさ」を見せる。
それは、ひいては人間讃歌のメッセージにも繋がっていて、悪役にも、主人公にも、各々の生への渇望やブレない信念のようなものが光る、と、そういうシナリオを作られることが多いと感じてます。
・感想『仮面ライダージオウ』第35話「2008:ハツコイ、ウェイクアップ!」ZI-O signal EP35 - ジゴワットレポート
どうしようもないような突飛なキャラクターたちの中に、確かに光る「美しさ」。それこそが人間の本質なんだと。人間は、どうしようもなく卑怯で、自己中心的で、泥臭く、ワガママだけど、そんな中にこそ「美しさ」がある。井上敏樹という脚本家は、実は誰よりもシンプルに、人の美しさを信じているタイプだと思うのです。もはやロマンチストの域に達するほどに。
今回のキバ編におけるその最たる例が、釈由美子演じる北島祐子。まずシナリオの構成として面白かったのは、「自身の冤罪を主張する脱獄犯が裁判関係者を殺していく」という導入において、「そもそも冤罪でも何でもなかった」という真相を持ってきたところ。『ジオウ』はタイムトラベルものなので、いくらでも事件当時に赴くことができるし、そこからの真犯人到達の愛憎のもつれとか、そういうシナリオ上の「逆転」が容易な設定。ソウゴがいち早く真相を掴んで北島祐子を説得するとか、そういうパターンに持って行くことができる。
しかし、同じ「逆転」でも事態は全く違う方向に転がり出す。「北島祐子は思い込みを自分の中で真実にしてしまう狂った女だった」という真相。なので、冤罪の可能性すら彼女の思い込みであり、それを本気で信じて行動する彼女こそが、最高にクレイジーな存在だった、と。タイムトラベルを活用した「真相暴き」がいくらでも出来る設定なのに、それをせず、あくまでキャラクター描写に真相を置く。この絶妙なかわしっぷりがすごい。もちろん、作劇としてはタイムマジーンで2015年に飛ぶ訳だけど、そこに「真犯人」なんていない訳ですよ。
そうすることで、前編でも誇張っぷりがギャグすれすれだった北島祐子のキャラクターが、一気に反転してくる。コインがスッと裏返るように、あの突飛で高飛車な造形が、恐怖を伴って襲い掛かってくる。「(仮面ライダーギンガのことは)なかったことにする」という肩透かしな言い草も、そうやって数々の事象を脳内で「なかったこと」にして自分を保ってきた、狂人なりの処世術なんですよね。すると芋ずる式に、「私が生まれた時も雨だった」はその時たまたま雨が降っていたからソウゴを手なずけようと生まれた嘘のエピソードかもしれないし、「思い出した。お前か」も、「お前が王で私が女王」も、その時その時で都合の良い嘘ばかりをついている狂人に見えてくる。
しかし北島祐子が面白いのは、その嘘を、彼女自身は本当だと思い込んでいること。瞬時に思いついた嘘が、その時すぐに自分の中で本当になる。特別な、選ばれた存在(この場合の女王)だと思い込み、本人の中ではそれが真実となる。「空想虚言」という概念がありますが、それに近いのかなあ、と。平たく言えば、もう病気なんですよね、北島祐子は。
くうそうきょげん【空想虚言 phantastic pseudology】
架空のことがらを本当らしく活発に物語り,それらしくふるまっているうちに本人自身も真実であると信じ込んでしまうような場合をいう。デルブリュック A . Delbrück が記載した(1891)。1905年デュプレE.Dupréが記載した虚言症mythomanieも類似の概念である。自己顕示的,ヒステリー的な性格異常者にみられる。自分は高名な人物,皇族,貴族,大金持ち,発明家,天才,大泥棒,数奇の運命の人物だなどという空想的物語が虚実とりまぜて語られ,詐欺に結びつくことがある。
ギャグのように誇張された北島祐子は、病人かつ狂人であった。本当に狂った、魔性の女だった。そしてこの、「嘘を自分の中で真実にしてしまう狂った女が女王を目指す」という枠組みは、ソウゴの「時に未来を創造してしまえるナチュラルクレイジーな男が王様を目指す」という設定と鏡写しになっているんですよ。キバ編でありながら、『ジオウ』本編の肝の部分をかなり的確にフォローしている。北島祐子は、言うなれば「IFソウゴ」な訳です。
スウォルツも、ゲイツもツクヨミも、皆して北島祐子の奔放ぶりに呆れていく中、ソウゴだけは必死に彼女に食らいつこうとする。彼女の嘘に最後の最後まで振り回される。初恋の人というフィルターも大きかったのだろうが、もしかしたら、「女王を目指す」という彼女の生き様に、無意識にシンパシーを感じていたのかもしれない。
そしてそんな北島祐子は、嘘で塗り固めた自身のキャラクターが招いたツケに殺される。女同士の憎しみの構図に持っていく辺りも実にビビッド。そしてこのシーンが最高に美しいのが、嘘だらけの彼女は最後まで嘘(彼女にとっての真実)を吐くのだけど、それが唯一、ソウゴにとっては真実であるというオチ。「全人類の傘になれ」。それは、元は嘘にまみれた女を救おうとしたソウゴの台詞であり、転じて、女王から王様に語り継がれた王としての生き方のメッセージ。嘘がソウゴの中だけで真実に反転する。そんな、小さくも大きな着地。
北島祐子は、最後の最後まで狂人で、異常者で、嘘にまみれて死んだ。終始振り回されたソウゴだったが、そんな嘘だらけの初恋の人の中に、自身の信念に触れる生き様を見た。嘘も、最後までつき続ければ「真実」なのかもしれない。狂人も、ずっと狂ったままでいればそれ自体が「平常」なのかもしれない。「思い込み」で行動することの愚かさを恥じたことのない人間は、そうそういないはずである。これもまた、誇張の中に描かれた真の「人間」を感じるのです。
そしてラスト。セーラさんかもしれない人との、偶然の出会い。これは、北島祐子がセーラさんだったのか、最後の女性がそれだったのか、その答えを演出するシーンではないのだろう。言うなれば、ソウゴという初恋により心に穴が空いた人間への「救済」。「初恋の味はそんなに苦いことだらけじゃないよ」、とでも言いたげな、ふわっとした着地。転じて、あれだけ物語をかき交ぜた北島祐子がセーラさんじゃなかったかもしれないという、ほのかにホラーな後味。初恋という甘酸っぱい要素と、嘘を信じ込む女のサイコホラーな立ち回り。実にエキセントリックな一編だったなあ、と。ソウゴと北島祐子の関係性の運びが実に好きでした。
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『ジオウ』キバ編として
「キバも出てないのにこれでキバ編かよ!」な声も結構見かけたんですけど、でも、『ジオウ』って結構こういう話だったんですよ。1クール目を中心にやっていた、「レジェンドライダーを出さずにレジェンド回をやる手法」。もっと言えば、「作風の再演」とでも言うのか。ウィザード回では恋愛模様をドラマに比重を置いて描いたり、鎧武編では力の使い方を軸にトリッキーな仕掛けを盛り込んだり。むしろ、直近のアギトや響鬼の方が異色というか、イレギュラーな印象すらあるんですよ。
そりゃあ、例えば渡とキバットが出てきてキバに変身したら、それはそれで嬉しかったと思うんですけど、「作風の再演」という意味で、今回のキバ編はこの上なく『キバ』してたと思ってます。愛と憎を話のコアに置いて、それに振り回される人間と、信念のまま突き進む人間。エキセントリックな群像劇が交錯した後に残る、何かの本質のような「美しさ」。それこそが『キバ』の本懐だったでしょう、と。
これまで平成ライダーシリーズは、様々なアプローチで過去作と向き合ってきた。『ディケイド』はリイマジネーションを掲げてパラレルの世界を作り、その後の平成2期シリーズではMOVIE大戦を幹とした直列の協力体制を構築。しかし『ジオウ』では、その過去作を強奪し消滅させるやもしれない作品展開を試み、昨年の冬映画ではメタネタの頂点ともいえる虚構の世界からの召喚という手法でレジェンドライダーを登場させた。
『ジオウ』は、過去の平成ライダーの歴史を次々と偽史に改変し、紡いできた物語をぶっ壊し、バトルファイトを終わらせたり、龍騎のライダーバトルを再開させたりしてきた。一歩間違えれば批難が飛び交うかもしれない原典への向き合い方を、あえて自覚的にやる。清濁あわせて勢いとする。『ジオウ』という番組は、そういう、ぎりぎりのバランスで成立している、視聴者との共犯意識に根差した変わった作品なんですよね。
その中で今回は、レジェンドなスタッフを客演させる。平成ライダーの歴史において、井上敏樹という強い作家性を持つ脚本家は切っても切り離せない訳です。そして、白倉プロデューサーの盟友でもある。彼に筆をとってもらうことで、『キバ』の世界観を、仮にキバが出なくてもこの2019年に再演させる。それは、平成ライダーが多角的に攻めてきた過去作へのアプローチ、その最新版とも言える訳で。同時に、「世界観の再演」は『ジオウ』の専売特許。構造としては何ら不思議ではないというか、すこぶる平成ライダー的、すこぶる『ジオウ』的だとも思うんですよ。
あと、『ジオウ』は「爆発力」や「勢い」というよりは、「要素積み上げ型」の遅効性+ジワジワと面白みが増していく作風だと感じていたので、今回のキバ編のようなテンションの高いエピソードが挟まったのはすごく良かったんじゃないかな、と。メリハリ的な意味で。ある意味、今回ほど「爆発力」のあった回はあるまい。
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仮面ライダーギンガの存在
とはいえ、ギンガの背景について特段描かれなかったのは、相当割り切ったな、という感じもありましたね。まさか「ヤツは純粋な力だ」の一転突破とは。先週の感想で書いた「ギンガはソウゴの未来創造能力によって飛来した存在では」という予想への答えは無かったんですけど、そうとも取れそうな感じもあり・・・。ただ、ギンガという圧倒的な力を前に、ジオウ組・タイムジャッカー・アナザーキバ・アームズモンスターというバラバラな面子が変則の協力体制を敷いていく流れは、かなり良かったと思うんですよ。そういう意味で、ギンガは物語を回すための劇薬だったのかな、と。(アナザーキバを単なる「敵」で処理しないためにも)
まあ、ウォズのパワーアップ回に相当するのに、彼のドラマがその前の響鬼編で描かれた、というタイミングがそもそもどうなんだ、という印象もあるんですよね。最初から、ウォズギンガに何かしらドラマを絡める想定は無かったのかなあ。
とはいえ、スウォルツがギンガの力を狙って呉越同舟を持ちかけるも、その真意に誰よりも早くウォズが気付き、果てに横取りする・・・という流れは良かったんじゃないかと。ウォズの狡猾さが表れたくだり、というか。今回スウォルツは割を食った感じはあったけれど、ライダーたちと並んで人間の姿のままでギンガに攻撃を加える構図は、強者な印象がありましたね。ギンガが太陽の力で行動するという設定は、キバが必殺技時に夜を召喚するのとの対比なのかなあ。
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次回、カブト編!
そんなこんなで、次回はカブト編。響鬼にキバにカブト、そして残す電王と、放送時期が近いのばかり残ってるんですよね(言うまでもなくドライブも残ってるけど、アギト以降の再収集ルートは割と年代の偏りがあるよね、という話)。こうも立て続けに近い時期のをやられると、やけにノスタルジーを感じるというか、「あの頃」を思い出してしまうというか。
⌚⌚キャスト発表だジオ!Part21⌚⌚
— 仮面ライダージオウ (@toei_rider_ZIO) May 19, 2019
「仮面ライダーカブト」より仮面ライダーガタック/加賀美新役佐藤祐基さん、仮面ライダーキックホッパー/矢車想役徳山秀典さん、仮面ライダーパンチホッパー/影山瞬役内山眞人さんの出演が決まったジオ〜。https://t.co/KIXKIghQU1#仮面ライダージオウ #天の道 pic.twitter.com/5wtaZZLGwy
『カブト』という作品は、色々と細かい所を言い出せばきりがないのだけど、それを全部ひっくりめて「あり」にしてしまうパワーのある番組、という印象。リアル志向の『クウガ』から始まった平成ライダーシリーズが、ファンタジー要素を取り込みながら、時にドラマを描き、時に少年漫画のように熱く語り、『響鬼』等の変化球を経て、そうして今一度「原点回帰」を行う。この「原典」は1号を指すのではなく、「平成ライダー」というシリーズそのもの。平成ライダーが積み上げてきたものを全部やろう、平成ライダーが「あり」にしてきた領域の境界線ギリギリを走ってみよう。そういう意味で『カブト』は、平成ライダーというシリーズが産み落とした、化け物のような作品だとも感じていて。(念のため補足しますが、褒めてます)
『カブト』は、あの当時の、ひと言では表現できない「平成ライダー」という概念が詰め込まれた作品なんですよね。なので、新しいライダーが出てきて、新しい物語を突きつけられるのに、「平成ライダーを観てる!!」感がすごい。『カブト』にはそういう不思議な魅力があるなあ、と。
今回のカブト編で、その辺りの良い意味での雑多感、他に類を見ないあの独特のエッジの効き方を、どのように再演するのか。期待が高まりますね。
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