ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

「この作品を語るのにアレに触れないのかよ」という過去からの攻撃

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今まさに取り掛かっている原稿があるのだけど、それが、数百字という文字数の中でひとつの作品の「あらすじ+レビュー」をまとめる、というもの。おかげさまで依頼をいただいて原稿を書く生活にも慣れてきたが、このタイプが一番難しい。言い換えれば、一番やりがいがあるとも言えるのだけど。

 

文字数とは不思議なもので、実は、ダラダラと長ったらしく数千字かけて書く方が、よっぽど楽である。日記的に道筋なく自由気ままに書くのとは違って、何らかの作品(映画でも特撮でも何でも)をレビューしようと思ったら、その作品の「解説」を盛り込む必要がある。

 

この「解説」というのが曲者で、あらすじだけでなく、作風や持ち味、スタッフの布陣、作品が持つテーマ、当時の視聴者からの反響、等々を肉付けしていくと、すぐに1,000文字ほどは埋まってしまう。更には、せっかく「レビュー」という形態を取るのであれば、ただそれらを並べるだけじゃ面白くない。「それなら自分じゃなくても書ける」という傲慢な呪い。なので、ここを潜り抜けるために、「自分ならではの作品解釈」や「視点」のようなものも盛り込まなくてはならない。

 

こんな場末のブログを読んでくださっている諸賢ならご存知とは思うが、私が好きで多用する語り口は、ある程度のボリュームがないとやり辛い。作品が属する文脈をひとつひとつ挙げていき、それが上手くハマっている時の面白さを、思いのままにキーボードに打ち込む。なるべく読みやすく「ダラダラ語り」をやる。私はそういう文章が好きで、そういう記事をよく書いていると思う。なので、「限られた文字数」という条件とは、非常に相性が良くない。いつまでも、「追い〇〇」のように、好きなポイントを二重にも三重にも書き連ねるのが好きなのだ。

 

とはいえ、所詮は素人に毛の生えたブロガー。依頼された文字数という絶対的な縛りは、何としても守らねばならない。なので、1,000字オーバーになってしまった原稿を前に、指定の数百字を目指して一気に減量を行う。作品解説は簡単なあらすじに絞り、作風やテーマについては「私が語りたいポイント」の箇所と抱き合わせる。どうしても欠かせないポイントは列挙に留め、ピックアップしたい箇所に焦点を絞る。助詞のひとつから、圧縮できるところはないか検討する。書き終えた後に読み返し、散漫な印象になっていないか、ただの列挙になっていないか、もしくは、「ただの自分の好きな要素語り」にもなっていないか。それを念頭に、何度も何度も推敲する。

 

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偉そうなことを書いてるが、要は、単にまだまだ技術が足りないという話でしかない。頭の中で組み立てる能力が足りていないので、実際に書いてから、頭をかかえて減量を行う。今はまだ、それしかできない。これがあと数千字ほど許されていたら、どんなに幸せだろう。あれにも触れることができる。ここについてもっと掘ることができる。あれとそれを絡めて、もっと大きな波を作ることができる。・・・まあ、そんな歯がゆさは、自分のブログで好き勝手にやれば良い話である。

 

なので、光栄にもこの手のお仕事をいただけるようになって感じたのは、過去の自分の愚かさだ。映画のパンフレットでも、何らかの解説本でも、「あらすじ+レビュー」のような数百字の作品解説を読んだ際に、「この作品を語るのにアレに触れないのかよ」「結局あったことを書き並べてるだけじゃねぇか」「あの展開に触れないと片手落ちだろ」などと、深く考えずに反応していたあの頃の自分。浅ましい。なんて浅ましいんだ・・・。

 

書き手はおそらく、心中で泣きながら削ったのだ。もしくは最初から、文字数を睨んで盛り込まなかったのだ。しかも、それを読むのは、「まだその作品を観ていない人」から「もう何十回と繰り返し観ている人」まで、グラデーションのように多数存在している。「まだ」の人にも概要を伝えつつ、「もう」の人にも頷いてもらえる文章を書く。これのなんと難しいことか。気を抜くといつのまにか「まだ」向けに薄まってしまうし、「もう」向けに腰を据えてやろうとすると指定文字数の数倍は欲しくなる。

 

そうして、「あーでもない」「こーでもない」と原稿を書き、一晩寝かせ、もう一度推敲する。原稿と夜中に書いたラブレターは、そのまま完成としてはいけないのだ。トリップ感とアドレナリンに助けられている可能性を、丁寧に排除しなくてはならない。

 

脳内でその作品に土下座しながら、「この展開について語りたかったけど、仄めかす程度で許してくれ・・・」「あの要素について触れないのは片手落ちにも思えるが、まだ観ていない人向けに書く訳にはいかないんだ・・・」と、謝罪を続ける。作品紹介系の原稿は、脳内謝罪の連続だ・・・。私も今よりもっと経験を積めば、謝罪せずに書き上げることができるのだろうか。日々是精進、心を磨く。

 

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