『ウルトラマンX』に、テレビやスマホの映像だけで隊員たちやウルトラマンの活躍を編集した「激撮!Xio密着24時」という回がある。暗躍する宇宙人を捕える隊員たちはタイトル通り密着24時パロディ映像に出演し、ウルトラマンが光線を放つシーンでは一般市民が撮影したスマホの映像が映し出される。
また、私の好きな映画に『クロニクル』という超能力モノがある。偶然超能力を手にした青年たちが撮影するビデオカメラの映像で綴られた作品だが、その演出手法は、「超能力でビデオカメラを浮かせてカメラアングルを操る」という加速する自意識を表現するのに一役買っていた。
そんな作品群を思い出しながら鑑賞した映画、『search サーチ』。こちらは、PCの画面のみで構成された映画である。
最初のクレジットとエンドロールを除き、最初から最後まで、完全にPCの画面のみで物語を進行させる。FaceTime、Facebook、Gmail、Twitter、Instagram、Tumblr・・・。大SNS時代となった今なら誰もが目にしたあの画面が、映画館のスクリーンで展開される。なんとも意欲的な作品だ。監督のアニーシュ・チャガンティは27歳ということで、なるほど納得である。これは若い人、正確には「今のSNS時代に生きる人」にしか撮れない。
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ある日突然失踪した娘を探す父親。残された娘のMacBookからFacebookやTwitterを立ち上げ、彼女の友人とされる人物たちにコンタクトを取るも、有力な情報は得られない。それどころか、父親の知らない娘の生活が次々と浮き彫りになる。やがて失踪事件は全米を騒がせる大事件にまで発展するが・・・。
以下、Twitterの方で呟いた感想を引用。
『search サーチ』鑑賞。失踪した娘を追う父親をPCの画面「のみ」で演出する異色作。デスクトップ特有の異常なでの情報量の多さが、配置された伏線の隠れ蓑として巧妙に機能する。見慣れたSNSやメッセージのUIが持つ無機質なやり取りが不気味さを加速させ、息を飲み手に汗を握る。これは傑作ですよ。
— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2018年10月27日
『search サーチ』、まずWindowsの起動音と草原でめちゃくちゃ笑ったんだけど、「メッセージを送る時に思わず誤字ってそれを次のメッセージで訂正する」とか「怒りの文面を思わず作ってしまうが思い直してそれを送る前に消去する」とか、SNS時代あるあるなやり取りが目の前で繰り広げられるのが良い。
— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2018年10月27日
つまり、PCの画面に人の感情というのは本来乗っかってこないんだけど、それを操作する人間のマウスカーソルの細かな動きや、ウェブページのめくり方、メッセージの送り方のクセや速度などが、なによりも雄弁に人間味を演出してくれるのよ。これが新体験という感じで驚いた。こんな映画があるのかと。
— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2018年10月27日
「PC画面のみで映画を作る」というアイデアがこの映画の最大のウリだが、本作の本当の強みは、そのアイデアに演出が負けていないところにある。まあ、PC画面=画面全体という訳ではなく、視線移動によるフォーカスの調整、PC画面とはリンクしない形で流れる音楽など、許容範囲内でのズルはある。しかし、それを差し引いても、このアイデアを使った数々の技巧的な演出には心から拍手を贈りたい。
上のツイートにも書いたように、PCの画面はどこまでいっても機械的なもので、そこに本来人間味は存在しない。文字やそれを使ったやり取りだけで構成される画面は、不気味ですらある。しかし、だからこそそれを操る人間の機微が画面に浮かぶ瞬間があり、それは時に俳優の表情より多くの感情を伝えてくれるのだ。
連絡をよこさない娘を叱る怒りの文面を作り上げた後に、それを直前で思い止まって文面を消す父親。ある文字列を発見した時に思わずそれをなぞるマウスカーソル。PCの画面のみで演出されるからこそ、普段の映画では観られないタイプの感情表現がそこにあった。非常に新鮮な体験である。
また、PCの画面というのは非常に情報量が多い。いくつもの画面を同時に開き、ビデオ通話しながらメッセージを送ったり、複数のウェブページを見比べたり。だからこそ、このサスペンススリラーが仕掛ける伏線が、巧妙に隠される。木を隠すには森の中。情報を隠すにはPCの中、といった具合だ。画面上で忙しなく展開される情報の洪水は、上手い具合に真実をそうじゃなく見せる。あの文字列が、あの写真が、あのアイコンが。注意を払うにはあまりにも母数が多すぎるのだ。
といった具合に、「PC画面のみ」という突拍子のないアイデアに作品そのものが負けておらず、「だからこそ」の演出がこれでもかと展開される本作は、非常に新鮮な満足度を与えてくれた。映画にはこういうやり方もあるのか、こういう爽快感の作り方もあるのか、と。
そして、その真ん中にあるのが普遍的な親子の物語、というのも巧い。おそらく、十年もすれば主要となるSNSも変わっていくだろうから、今の時代を生きる人にこそ早いうちに観てほしい作品である。
『サーチ』、行方不明の娘のPCを開いてfacebookを立ち上げるもパスワードが分からない→リセットコードが送られたGmailのパスワードも分からない→Gmailのリセットコードが送られたYahooメールを名前+誕生日というクソ簡単パスワードで開いて逆順でfacebookを開く、というシーンが最高だった。笑う。
— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2018年10月27日
さて、そろそろネタバレなしで語るのが難しくなってきたので、以下はオチに触れる形で書いちゃいます。ご注意を。
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犯人は、誘拐事件担当女性捜査官の息子ということで、「最も協力的な人が事実上の犯人」という超絶王道パターンとして捻りはない。むしろ、この部分だけで話を語るなら、非常にありきたりな作品とも言えてしまう。息子の犯罪を母親が捜査しながら隠蔽していた訳だ。しかし本作は、その推理や疑念に至る暇を与えてくれないほどに、怒涛の勢いで情報を打ち出していく。
通常の映画にある演出の間というものがほぼ存在せず、普段我々が生活する中で見ている「デバイス内の出来事」のみで進行していくので、脳に他の情報を処理する暇がない。スマホ中毒という言葉が生まれて久しいが、TwitterやYouTubeの画面を見せられると、ついつい目と脳がその画面の隅々まで把握しようとしてしまう。そうすると、ありきたりな筋の物語でも、それをそうと考える余裕がなくなっていく。なんとも皮肉の効いた「現代的」な作品だ。
また、 「親と子のコミュニケーション不全」という主人公が抱えるテーマが、終盤で一気に犯人である女性捜査官にまで当てはまるのが巧い。要素の配置に無駄がない。
中盤に語られた「息子が母の職業を利用して詐欺をしていたがそれを黙認した」という主人公を慰めるためのエピソードが、「息子のためには道を踏み外しても構わない」という母親の屈折した愛の刷り込みにもなっている。あのエピソードはこの展開のためだったのかー!と、鳥肌が立った。背筋が凍る。デブラ・メッシングがまた「良い母親」「優秀な女性捜査官」として理想的すぎる演技なんですよね。
主人公とFaceTimeで会話する女性捜査官の後ろで、心配そうにその様子をうかがう息子。これも、怒鳴る母親に反応したと見せかけて、実は自分に捜査の手が伸びていないか気が気でならなかったのだろう。といったように、オチが分かってしまうとあのシーンもあの演出もすべてが伏線だったことが分かる。痛快である。
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主人公の弟が娘と男女の仲にあったのではと疑う展開も(良い意味で)胸クソ感がすごいし、そこだけウェブカメラで通常の映像表現っぽく切り取るのも面白い。クスリも冒頭のFaceTimeで一度見せているし、それが娘の不可解な行動の真実というのも納得感がある。
父娘のコミュニケーション不全、亡き妻を想う父親と、それを重荷に感じる娘。そのストレスがクスリに走らせてしまった。言ってしまえばただそれだけのシンプルな話なのに、その全体像を明かすタイミングが巧妙なので、もっと大きな「何か」を感じてしまう。良く出来ているなあ。
一番背筋が凍ったのは、フリー素材女優の写真が一致した瞬間。「あれ、この女性、どこで見かけたっけ・・・」となってからの、「これは違う」「これじゃない」といくつかのSNSを開く流れ。この溜めの演出からの、ウィンドウをドラッグして動かして一致した時の「う、うわあああ!!」という衝撃。もはやホラーですよあれは。大変失礼ながら、あの女優さんの笑顔も非常に不気味で。
・・・といった感じで記憶に残るシーンを挙げていけばきりがないのだけど、とにかく面白かったですね。
娘の捜索を足止めした嵐が、実は生きていた娘を救う、その逆転劇。「5日も水なしでは生きられない」「いや、2日だ」のくだりは最高。なんという痛快さ。また、「いいね」を獲得するためにネットで自分を演じるクソ野郎どもや、事件を話題として消費していく野次馬社会、ネカマでストーキングする犯人など、悪い意味でも実に「現代的」でした。これを2018年の今に鑑賞できて良かった。
「現代のネットを皮肉ったサスペンス」という意味では、『白ゆき姫殺人事件』を思い出したりも。こちらも大変「現代的」な作品でした。