ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

娘と一緒に過ごした『トロピカル~ジュ!プリキュア』が終わってしまった

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終わってしまった・・・

 

『トロピカル~ジュ!プリキュア』が、終わってしまった。最終回から早くも一週間、言い知れぬ喪失感と共に過ごしている。これが、世間で言うところの「ロス」!

 

結婚し、娘が生まれ、初めてちゃんと鑑賞した人生初のプリキュア。長年スーパー戦隊や仮面ライダーを愛好してきたので、お隣さんの番組ではあったものの、中々きっかけに恵まれず。娘が幼稚園経由で興味を持ち始めたので、それならばと一緒に観始めたトロプリ。まだ寒い冬の2021年2月、ギラギラの太陽の下で踊って駆ける半袖の少女らと出会った。

 

「す、すごい『陽』のパワーだ。一年間、このハチャメチャなノリでいくのか・・・?」。杞憂であった。マジで最後の最後までこれだった。ありがとうトロプリ。本当に楽しい一年間でした。

 

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ツイートをさかのぼると、娘と過ごした一年間が溢れ出る。オッサンのシャボンピクチャーはツイートなんやで!

 

プリキュア!トロピカルチェンジ!

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プリキュア!おめかしアップ!

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あと、放送途中にSkebで書いたやつとか、ブログで書いたやつとか。

 

いやー、本当に、まさか自分がプリキュアを毎週観る日がくるとは思わなかったですね。娘は幼稚園でプリキュアを覚えてきたようで、前作(ヒーリングっどプリキュア)の主題歌を本編もろくに観ていないのに毎日歌う調子で、それなら新番組に際して見せてみようと。

 

そうしたらドドドドハマリしてしまって、毎週トロピカルパクトのポーチを肩から掛けて待機してます。週を重ねるごとにOPダンスの精度が上がっておりまして、キャラクターがジャンプするシーンで一緒にジャンプし、歌い出しの画面横に駆け抜けていくシーンでテレビを無視してリビングを二周ほどしています。フラダンスの振りもマスターして最後はまなつ達と鏡合わせのようにテレビににじり寄ってキメポース。私から「近いからソファに座って観なさい」とたしなめられるまでがセットです。

 

毎週内容をよ〜〜く把握していて、一週間何度も思い出したようにプリキュアの話をしてくれますね。戦闘シーンじゃないドラマパートもしっかり集中して観ているのがすごい。各キャラの名前・変身したプリキュアの名前・必殺技など、あらゆる単語を爆速で覚えていくので親が驚く。くるるんの割と大きいぬいぐるみが自宅におり、毎晩一緒に抱きしめて寝てます。お父さんの手を握って寝ていた可愛い夜はどこへ。おのれくるるん。

 

自分はしっかりプリキュアを観るのが人生初なんですけど、かなり楽しいです。一番近い印象は、あまり販促にこだわっていない往年のホビーアニメ。もっとセーラームーンにも近いかと思ってましたが、いわゆる少女漫画的な文法がかなり薄めでちょっと驚きです(これは今作がそうという話?)。トロプリは変身バンクの作りがめちゃくちゃ好きで4人一斉ドレスが果たされた回ではちょっと泣きました。戦隊で最初仲違いしていた追加戦士がいよいよ一緒に名乗った時の感慨深さに近い達成感がありましたね。作劇がキョウリュウジャーやフォーゼみたいな「破天荒な主人公の突飛なイズムがお話を爆速回転させ周囲に影響を与えていく」タイプなので、どこかなじみ深く観てます。いわゆる現代的な価値観が説教臭くない程度に取り込まれており、同時にベタにやる部分も忘れない、バランスの取れたお話だなあ、と。

 

ローラがプリキュアになる回への期待が高まりすぎて逆に怖いのが今日の話です。

 

skeb.jp

www.jigowatt121.com

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作品の感想は以前のブログで割としっかり書いたが、要約すると「日常の積み重ねが尊い」に尽きる。およそ全てのキャラクター配置や物語の仕掛けが「日常」に集約される作りとして、とっても明確であった。

 

人魚の国・グランオーシャン出身のローラと、普通の女子中学生であるまなつ達。生まれや背景が異なる者同士の4+1のチーム構成パターンは、『未来戦隊タイムレンジャー』しかり、『動物戦隊ジュウオウジャー』しかり、ひとつの王道な訳ですね。つまり、このストーリーの先に確実に「別れ」を予感させる作り。帰る場所が違う者たちの物語。だからこそ、その前段階にある「一緒に過ごすなんでもない日常」が加速度的に輝きを増していく。しょうもないやり取りや、些細な言い争いも、全てが「尊い」判定としてダメージになる。

 

トロプリは、その「日常の尊さ」に物語のフォーカスを常に合わせてきた。人魚といえば『人魚姫』よろしく引換や代償のお話だが、ローラは何かを犠牲にすることなく人間の脚を手に入れる。人魚でありながら、陸で女子中学生として暮らす。それは、「まなつたちと一緒に日常を送りたい」という、彼女の心からの願いだった。

 

さんごは自身の「好き」に不安を覚えるも、最終的には目指したい夢を見つける。以前に筆を折ったみのりは、折れない芯を改めて手に取る。仲間との信頼が揺らいだあすかは、新しい仲間とその大切さを確認する。「世界を救う」とか、「敵を倒す」とか、「誰かを守る」とか、そういった一大イベントを経た訳ではない。非常に小さく、ミニマムでミクロでパーソナルな心の問題。日常に根差した、自分自身の些細な課題。プリキュアであることを通して、彼女たちはそれぞれの答えと出会っていく。

 

最終回の、トロピカる部による演劇。このシーンは全て、涙なしには見られなかった。こういった「物語がそれ自身をなぞる」展開にめっぽう弱い。一年間、一緒に追ってきた「日常」が秒単位でフラッシュバックしていく。

 

そして、その先に絶対的に待ち受けるローラとの別れ。劇が始まる直前、オチを変更したいと申し出るローラ。このシーン、そうは直接言っていないにも関わらず、ローラの「人間としての生活をやめて海に帰る」という決断を皆が一瞬で共有する。誰も異を唱えないし、「・・・ということは、決心したんだね」などとも誰も言わない。それがローラが今一番やりたいことだと、ちゃんと知っているから。そして、だからこそ、劇の最中でまなつの感情が溢れ出てしまう。

 

なかよしのうた  ~いっしょにうたおう♪だいすきなともだち~

なかよしのうた ~いっしょにうたおう♪だいすきなともだち~

  • ローラ(CV:日高里菜), 夏海まなつ(CV:ファイルーズあい), 涼村さんご(CV:花守ゆみり), 一之瀬みのり(CV:石川由依) & 滝沢あすか(CV:瀬戸麻沙美)
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他人の今一番やりたいことを一年間ずっと応援してきたまなつが、最後の最後、この一度に限り応援できなくなる。それほどに、深く関係した友達との別れが悲しい。「尊い日常」の蓄積こそが、彼女のゆるぎない信念を邪魔してしまうのだ。この切なさ。このやるせなさ。しかし、誰よりもまなつ自身がローラが女王になることを応援している。「前向きな別れ」はいつだって涙を誘う。アラサーのオッサンも、もちろん泣く。

 

そして、ローラは今一番やりたいことのために、海に帰る。やがて人魚の国の掟により、誰もが関係した記憶を抽出されてしまう。写真からもローラの姿が消え、誰かにもらったはずのリップだけが残る。かと思いきや、記憶抽出装置は爆発。溢れ出すシャボンピクチャー。そう、彼女たちのあまりにトロピかった記憶の数々は、記憶抽出装置に収まりきらなかったのだ。容量オーバーでどかん!無事にまなつとローラは再会し、めでたしめでたし。

 

・・・といった、この記憶抽出装置が爆発するオチがとにかく秀逸であった。「この手があったか」と、強い感動を覚えた。実のところトロプリの物語は、「自分たちで掴み取る!」パターンのそれとはややニュアンスが異なっていたのである。あくまで、自己実現は結果論。「当人が今一番やりたいことに向かって懸命に生きる」。それこそが、日常を輝かせる最善の道なのだ。できる・できない、ではない。やりたいか・やりたくないか。本作は、似ているようで決定的に違うこのニュアンスの、後者をずっと語ってきた。目の前の「やりたい」に素直かつ全力になることが大切なのだと。

 

だからこそ、変えられないものは変えられない。女王になりながら陸で暮らすことはできない。掟を破って記憶を保持することはできない。しかし、彼女たちは「今一番やりたいこと」を諦めなかったのだ。ローラは工夫をこらし、エルダたちの協力を得てまなつと再会する。まなつも、素敵な出会いを逃さないためにすぐに自分の名を名乗る。それぞれが「今一番やりたいこと」に踏み出したとき、"結果論として"、記憶抽出装置はオーバーヒートを起こすのだ。それは、「今一番やりたいこと」という名の「日常」を積み重ねたから。記憶をこれでもかと流し込んだから。彼女たちを救ったのは、他でもない彼女たちが積み上げた時間である、と。

 

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テレビ画面の外に目を向ければ、未曽有のコロナ禍。

 

他ならぬうちの娘も、貴重な時間や体験を大いに犠牲にしてきた。幼稚園の行事はいくつもいくつも中止になった。一生懸命に練習したおゆうぎも、親ではなくカメラに向かって披露した。おじいちゃんやおばあちゃんが、かけっこを応援してくれることはなかった。ディズニーランドにも行きたいし、アンパンマンランドにも行きたいし、地域の体験学習にも参加したかった。もっと友達の家にも遊びに行きたかった。プリキュアのショーだって、心の底から観たかっただろう。でも、全てが駄目だった。コロナ禍は、娘の一生に一度しかない「幼稚園児としての体験」を粉々に砕いた。

 

それでも。変えられないものは変えられなくても。できないことはできなくても。

 

娘は、自分自身の「今一番やりたいこと」にいつも全力で、毎日を楽しんでいた。我々夫婦も親として、体力も気力も時間もお金も、可能な限りそれをサポートした。ダメなものはダメ。変えられない現実もある。それでも、明るくひたむきに、前向きに日々を送ることが、"結果的に"、「日常」を輝かせるのだと。そんな、非常に原初的な感覚。トロプリは、それを一年かけて描いてくれた。親として、非常にありがたい。娘はいつもトロプリから元気をもらっていた。そんな娘から私も元気をもらっていた。

 

まなつ達が「日常」を積み重ねたように、トロプリを通して、私も娘と新しい種類の「日常」を積み重ねることができた。幼稚園の友達と喧嘩してしょんぼりする娘に、スーパーのお菓子コーナーでハートクルリングを買ってあげた。一緒に映画を観に行って、帰りの車の中で『シャンティア〜しあわせのくに〜』を合唱した。寝かしつけの布団の中で、翌週のトロプリの展開に一緒に思いを馳せた。私がヤラネーダ役をして、戦いごっこで爆散したことは数知れず。親子のコミュニケーションの形として、トロプリは大いに機能してくれた。

 

だからこそ、まなつがローラと別れたくなくて泣いたように。娘も、私も、トロプリと別れたくなかったのだ。素晴らしい、一度きりの「日常」をプレゼントしてくれた相手と、別れたくなかった。最終回放送前日、一緒にお風呂に入っている最中に、トロプリが終わるのが嫌だと急に泣き始めた娘。ついお父さんも、もらい泣きしてしまったじゃあないか。(なお入浴中のため全裸)(全裸で泣くアラサーの図)

 

そんな、いくらでもセンチに持っていけそうな物語を、最後まで明るさとおバカさで貫き通してくれたトロプリ。暴れるバトラーに5人の同時攻撃が華々しく決まればそれだけで泣けるのに、披露されたのは満面の笑みで踊るイマジネーション・キュアオアシスパイセン。『なかよしのうた』を歌って涙のカーテンコールかと思いきや、合いの手を受けてブレイクダンスする次期女王。別れの瞬間に完全に忘れ去られているくるるん。締めは靴の下のうんち。涙を誘うも、続いて鼻水までズビズビあふれそうなタイミングでおバカが顔を出すので、それが引っ込んでしまう。いや、これこそがトロプリなのだ。明るく、楽しく、おバカに、前向きに。

 

「頭のいい人たちが作ったちゃんとしたおバカ」を、最後までしっかりバランスをコントロールしつつやり切ってくれた。そこに大きな感謝を。

 

(ちなみに、記憶抽出装置の容量オーバーについて。おそらく前例がなかった「人魚本人が不特定多数に正体を明かす」というイレギュラーにより土壇場で関係記憶が増大したというロジックも汲み取れるあたり、本当に上手いなと。ローラは記憶が無くなる前提で動いていたので、これも容量オーバーを意図した正体バレではなくあくまで結果論。あそこで人魚であることを明かす決断を導いたのは、他でもないまなつ達と過ごしたあおぞら中学への感謝があったから!)

 

そんなこんなで、ついに始まる『デリシャスパーティ プリキュア』。ああ、知ってるよ、娘。君が欲しがっているのは、『デリシャスパーティ プリキュア にぎにぎ変身!おしゃべりコメコメ』だよな。うん、お父さん分かってるよ。早くもサンタさんにそれをねだってるもんな。まだ2月だぞ。お母さんはなんでもかんでも買ってあげることに難色を示すけれど、お父さんとしては、やはり番組の看板である変身アイテムに関しては・・・ ちょっと、こう、別腹みたいな感じ、あるよね・・・ だってさ、ほら、コメコメで遊ぶのが、君の  今 一 番 や り た い こ と  、なんだろ・・・? お父さん、それが大事だって知ってるからさ。お母さんともう一度ちゃんと話し合おうな。

 

娘と過ごす、プリキュアとの日常。2年目もどうか、楽しいものでありますように。