3月7日、サウナの日です。皆様いかがお過ごしでしょうか。当方は、サウナが好きすぎて、日常に入り込みすぎて、もっと歴史や原理を識りたくなって、公益社団法人日本サウナ・スパ協会による「サウナ・スパ 健康アドバイザー」や「サウナ・スパ プロフェッショナル」という資格に興味が湧いています。末期だと言われたら、そうです。
2023年、2024年と、この時期にサウナ記事を更新してきた。前年のサウナ活動を振り返りつつ、インスタント臨死体験に思いを馳せる、年一の恒例行事。サウナのことを考えるだけで浮き足立ち、心臓がバクバクするってもんです。
世間のサウナブームは一定の高止まりを見せた頃だろうか。それにしてもサウナ新規店舗のオープンが相次ぐ。ブーム加熱期に「作るぞ!」と熱意を抱いた経営者が、資金調達から工事まで、近年やっとゴールに辿り着いたのかもしれない。界隈では多種多彩なサウナ開設の報が止まらない。
相も変わらず私はサウナに通う生活を続けており、平均で約週2回のペース。2024年は87回のサウナであった。サウナが健康に良いかどうかはよく分からない。いやむしろ、「健康な人だけに許された不健康な遊び」だと感じている。おそらく酒や煙草や二郎系ラーメンと同じように、摂取そのものが至高の愚行なのだ。これからもサウナを末永く楽しめるよう、健康でありたい。

サウナに通うようになって3年目。一時期は、ご多分に漏れず「サウナ室は湿度高め&95度以上のアツアツ設定が最高!」「水風呂は15度程度のキンキンが最強!なんならシングルでもいいぞ!」なノリで通っていた。湿度や温度が高いサウナは「いいサウナ」で、温度が低い水風呂は「いい水風呂」だった。もちろん、今でもいくらかはそうである。が、この考え方も緩やかに変化を見せてきた。
そりゃあ、アルコール度数が高い酒はガツンと酔えて楽しい。高級な肉は頬が落ちるほど美味しい。回らない寿司屋もテンションが上がる。とはいえ、「そうじゃない」ものには「そうじゃない」からこその楽しみ方がある。安酒をちびちびやる面白さ、外国産の肉をテキトーに焼いて塩コショウを振って食べる満足感、回転寿司だからこそのバリエーション豊かなメニューの開拓。「そうじゃない」のは「わるい」ことじゃあない。それぞれに応じて自分の向き合い方、セットアップを柔軟に変えていく、そこに生じる充足感だって確かにあるのだ。
そんなこんなで、どんなサウナに行っても自分を適度にチューニングすれば、そのどれもが「いいサウナ」であり「いい水風呂」になる。最近はなんだか、こういう気概に寄ってきた。仕事でもプライベートでも、他人やシステムを変えることは非常に難しくて、それよりも自分を柔軟に変化させた方がスッと実が取れたりする。積極的な柔軟性と緩やかな諦念。これもひとつの年の功、と言えるかもしれない。
「サウナ巡りとカフェ巡りは似ている」を専ら提唱しているが、まさにそれである。「あっ、へぇ、ここはこんな内装なんだ」「わ~、このソファ座りやすい」「置いてある本のセンスが好きかも」「珈琲の香りもいいなぁ」。細かな納得と理解を蓄積させ、自分を店にチューニングしていく。その作業そのものが面白い。サウナも同じで、温度が低いサウナ室ならむしろ下段に座って15分ほどじっくり汗をかいてみたり。こういった創意工夫もクエストのようで楽しいのだ。

2024年の夏、家族で東京に旅行に行った。その際、またもや池袋の「かるまる」へ。名の知れた有名店だが、やはり安定して良い。立地も施設もレベルが高い。しっかり身体をととのえてからエクストラコールドを流し込み刺身をつまむ。こんなことが許されていいのか、と慄くレベルでドーパミンがどっばどば。またいつか行きたいものだ。
池袋に滞在中、近辺の他のサウナにも足を伸ばしてみた。あえて名称を書くのは控えるが、ある施設の脱衣所で言い知れぬ違和感を覚える……。年100回ペースでサウナに入る自分が覚える、確かな違和感。なにかがちょっと違う。なんだこれは。そんなモヤモヤを抱えたままサウナに入ると、そこには答えが。勘のいい読者諸賢はお察しだろう、そう、あろうことかそのサウナは「そういうスポット」だったのだ。男性同士がプレイしている場面に出くわしてしまい、強く動揺してしまった。脱衣所での違和感も、思い起こせば「視線」だったのだ。こういうマナー違反行為は、厳に慎んでいただきたいものである。(東京旅行の思い出、一番忘れられないのがこれになってしまった……)


忘れもしない2024年11月7日。超・偶然にも出張で福岡を訪れており、「福岡のサウナの雄」ことウェルビー福岡が大規模リニューアルオープンするその瞬間に出くわした。これは行かないと嘘である。オープンと同時に駆け込み、広々としたサウナシアターやスチームサウナ、40度を超える水風呂を堪能した。サウナの流行を汲みつつもあからさまには迎合しない、プライドと品のある大改造でした。こちらも絶対に再訪したい。(ウェルビーから徒歩5分、290円で食べられる「はかたや」のラーメンもお勧め)
近くに住む友人もサウナが趣味だが、彼は自宅の庭でのテントサウナにハマっている。私も何度がご相伴にあずかったが、いやぁ、あれはいいものですな。薪ストーブでテントも狭いので、温度調節が難しく、そのランダムさがくせになる。熱すぎたりぬるすぎたり。会話しながら調整していくのも一興。サウナって、本当に沢山の楽しみ方がありますね。
そういえば、ブームの火付け役とも言われるドラマ『サ道』のスペシャルドラマ(2024年版)が、SNSで賛否両論になっていた。原田泰造が演じる主人公、その母親が亡くなってしまう展開で、大きな悲しみをサウナ室で巡らせた末にととのう、という内容だ。「このドラマはほっこりしたくて観ているのに、なぜこんな悲しい展開を」「人が亡くなったのにサウナで気持ちよくなるのはおかしい」。言いたいことは分かる。が、私はこの内容に強い感銘を受けたのである。
これはもう、サウナが人生ということなのだ。決して大げさな意味ではなく、サウナがその人の日常に自然と寄り添っている、という趣旨だ。「サウナに行く」生活から、次第にそれが習慣化し、「サウナが在る」人生へ。病めるときも、健やかなるときも、ただそこにサウナがある。サウナは何も語りかけてくれないし、何も解決しない。しかし、そこに黙って座り、あらゆるデジタルや情報から解放され、自分の思考が汗に溶けていくだけの時間を過ごす。それだけの、価値。
「ネガティブなことがあってもサウナで切り替えていこう!」、ですらない。サウナは実のところ何も機能しない。裸になって自分の思考と向き合い、いつしか霧散してく、たったそれだけの贅沢な時間。晴れの日も雨の日も、サウナはただ黙ってそこに在る。それ以上でも以下でもない。でも、もしかしたら誰かにとっては「ただ在る」ことがどんなにありがたいか。そういう話だと感じた。
いいサウナに、自分を寄せて。温度と湿度に、身体と思考をチューニングして。「行く」ものから「在る」ものへ、「楽しみ」つつも「居る」場所へ。汗をかくようにゆっくりと、しかし確実に、私のサウナ観は変容を遂げている。
一年後も引き続き騙されていたら、また逢いましょう。


