ここ数年、仮面ライダーの感想をしっかり書けていなかったこともあり……。何事もファーストインプレッションは大切ということで、『仮面ライダーガッチャード』序盤の感想を少し書き置いておこうかと。(執筆時点で8話まで放送)
結論から言うと、色々と思うところはありつつも……「懐かしく新しく朗らか」、という理解です。
引用:https://twitter.com/Gotcha_toei/status/1698131014550458855
制作会見を観たりスタッフ陣を確認したりして感じたのは、「すごい!いわゆる『オタクが好きなやつ』じゃない!」だった。なぜこんなひん曲がった感想を抱くかというと、今作の東映チーフプロデューサーが湊陽祐氏だからである。
氏は1988年生まれで2019年に東映入社。プロデューサー補(AP)として『仮面ライダーセイバー』や『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』を経て、今作で遂にチーフプロデューサーデビュー、というご経歴。何を隠そう(何を隠そう?)、私と完全に同世代なのである。つまりこれが何を意味するかというと、周囲が特撮モノから離れていった小学校高学年期に『クウガ』に衝撃を受け、すこぶる多感な中学生期に『龍騎』や『ファイズ』を浴びてしまい、こじらせたオタクとして無限の時間を弄ぶ大学生期に『ディケイド』や『ダブル』を観ていた世代なのだ。なんということでしょう。佐藤健が主演の『電王』で「ぎゃっ!遂に主演が同世代になってしまった!」と衝撃を受けたものだが(鍛えている人は例外of例外)、あろうことか作り手の中核を担うプロデューサーまで同世代になってしまった。話は逸れるが、『王様戦隊キングオージャー』のメイン監督・上堀内監督は1986年生まれ、『ウルトラマンブレーザー』のメイン監督&シリーズ構成の田口清隆監督は1980年生まれである。着々と、「同じモノを観て育った人たち」が「作る側」に回ってきている。なんとショッキングでなんと嬉しいことだろう。
そんな湊プロデューサーだが、彼がAPとして担当作では司会を務めるTTFC(東映特撮ファンクラブ)で配信されるオーディオコメンタリーをここ数年ほとんど欠かさず聴いていることもあり、彼が随所で挟み込んでくるネタや構文、こだわりや注目のポイントは十二分に承知していて、その上で断言するが彼は完全に「こっち側のオタク」なのである。間違いなく、『龍騎』や『ファイズ』に青春を焼かれた仮面ライダーオタク、その人なのだ。分か~る分かるよ君の気持ち。つまるところ、もちろん立場上そんなことは決して仰らないだろうけど、未だにどうしても『クウガ』や『ファイズ』のあの頃の熾烈さと現行の仮面ライダーを比べて観てしまう自分に嫌気がさすような、そんな面倒くさい「こっち側のオタク」であろうことはほぼほぼ疑いようがないのだ。そんな湊プロデューサーが遂にチーフとして作品を制作されて、そりゃあもう「あの頃の平成ライダーよもう一度!」な、チャレンジングで熾烈で換骨奪胎で湿度の高い代物がお出しされるだろうと思ったら、なんてこったい、ホビーアニメの文脈がやってくるとは。びっくりですよ。とってもクレバー。もちろん、いわゆる「平成ライダー初期のようなテイスト」の孫の位置に前作『ギーツ』があったので、それとは連続させられないという事情もあったとは思うが。それにしたって、対象年齢をグッと下げるような、ポケモンとホビーアニメを足して割ったテイストを仮面ライダーでやるというのは、実に驚きである。
先のTTFCのオーディオコメンタリーをはじめ、各種ウェブメディアのインタビュー、フィギュア王に宇宙船といった関係雑誌もチェックしているので、『ガッチャード』スタッフ陣の作品に込めた想いというか、構造的な狙い所は承知しているつもりである。
それを踏まえて「上手くいっているな」と感じるのは、古き良き東映特撮というか、「そうはならんやろ」「なっとるやろがい!」の文法が織り込まれているところだ(以下、長ったらしいので「やろがい文法」と略記する)。どうしても世代なので、平成ライダー、特に一期に青春と感受性を焦がされてしまった人間なのだが、初期の平成ライダーというのはそれ自体が東映の長い歴史におけるイレギュラーな代物だ。東映という会社が送り出すヒーロー特撮は、もっと雑で、テキトーで、ふんわりしていて。やろがい文法を恥ずかしげもなく振り回す、面の皮の厚い作品がスタンダードなのだ。昭和の仮面ライダーしかり、過去の東映特撮を観るとツッコミは無限に湧いてくる。
が、しかし。それが悪いという訳ではない。やろがい文法でお話をぶん回しつつも、その時その時の絵のテンションがとにかく高く、ハッタリとケレン味に満ち満ちており、主題歌をギャーンと鳴らしてエネルギッシュに突き進む、ヒーロー活劇ドラッグ。そういう「やり口」でいち時代を築いたのが東映ヒーロー特撮であり、それこそ『シン・仮面ライダー』もそういったバランスを再演した映画だったと理解している。つまるところ、徹底してリアリティを追求し、警察のクマ対策を担う警備課にインタビューしたりパトカーの左右どちらのドアを開けるべきかにまでこだわった『クウガ』こそが異質なのである。「す、すごい!東映なのにちゃんとしてる!」という訳だ。しかしあろうことかリアリティごりごりの『クウガ』が反響を呼び、そのテイストを下敷きにした次作『アギト』が洋ドラの構造を持ち込んだため、平成ライダーは「そういうもの」として歩き始める。「そういうもの」というのは、つまり「東映らしくないもの」。だからこそ、後年でオールライダーと称して露悪的なやろがい文法でお話をぶん投げる姿勢に “平成ライダーに青春を焼かれた人” はつい怒ってしまう訳だが、東映からすれば「いやいやウチは元からそういう店だぞ」と意に介さないのである。いや、ですからね。湊プロデューサーは「平成ライダーに青春を焼かれた人」のはずなんですよ、きっと。
そんなこんなで、特にアントレスラー回で顕著だったが、『ガッチャード』は極めて「古き良き東映特撮」なのだ。細かい整合性やリアリティにそこそこ気を遣いつつも、作劇はパワープレイ。「そうはならんと思います? なってますから!!(断言)」で押していくスタイル。そして、新鮮味の担保でとにかく新形態(ワイルド含む)を登場させ、(ヴァルバラドはともかく)サブの仮面ライダーは設けず主役のガッチャードが毎週きっちり活躍して、お決まりの歌を流しながらキックで締める。勢いで進めているようにも感じられるが、主役を含む主要メンバーがティーンで学園モノでジュブナイルなので、その辺は若気の至りで温かく見守ってほしい。とにかく主人公がイイ奴で愛すべき馬鹿だということはきっちり伝えますので、温かく応援してほしい。そういうバランスに仕上げてきている。
しかし、そんな「古き良き東映特撮」は、平成ライダー以降の「戦隊よりちょっとだけ対象年齢とリアリティが高め」な路線からすると一周して異質なのだ。更に言えば、かなり意図して対象年齢を下げてきている。やっていることは完全にポケモンやデジモンの文法だし、ホビーアニメの腕力も垣間見える。そういう意味で、すこぶる新鮮。東映の長い歴史、とはいえ、平成ライダー以降も二十数年を数える訳だが、この土壌の最新作をまさかこうも先祖返りさせるとは。
『仮面ライダーガッチャード』、東映特撮として「懐かしく」、平成&令和ライダーとして「新しい」。こうまとめると、加速度的にエンターテインメントが多様化するこの時勢において、シリーズ最新作に実に相応しい調理にも感じられる。それでいて前述のように、ティーンでジュブナイル、主人公はとにかくイイ奴で愛すべき馬鹿なのだ。それだけで眩しいというか、要は「朗らか」。とにかく明るく楽しげ。若さはやろがいを許す。ずるい。(この点、『SSSS.GRIDMAN』『SSSS.DYNAZENON』でティーンの圧力を見せつけた長谷川圭一氏がメイン脚本のおひとり、というもの強力である)
もちろん、宝太郎がほぼほぼノータイムでケミーに肩入れして強い友愛を覚えるのは突飛だし、肝心要の主人公の行動原理に作劇的な納得度があるかというと、薄い。2話あたりではここがとっても気になっていたのだが、次第に話数を重ねていくと、なんというか、まぁ、宝太郎は(愛すべき)馬鹿だから多分ほとんど難しいこと考えずに刹那を生きてるというか、それこそホビーアニメの主人公ってノータイムで夢はでっかく世界チャンピオンだったりするので、「そういうもの」でごり押しするのかなぁ、という理解に至ってきた。もっと言えば、ホビーアニメなんてやろがいの宝庫ですからね。ヒロインである九堂りんねは若干面倒くさい感じが完全に南夢芽のそれだし、棘のある台詞を吐いても決して悪い子に見えないのは演者さんのルックや佇まいによるものだろう。4話のラスト、「同じクラスの女子が休日に私服で実家の定食店にやってくる」というボーナスイベントに年甲斐もなくドギマギしてしまったので、早くも白旗である。
玩具的には、遊戯王をはじめTCG世代である私にこれを回避する術はなく、順調にカードを集めてせっせとファイルに収納している。先行抽選販売で購入したベルトも、LEDがとにかく美麗だ。最近は専用のアプリもリリースされ、ベルト玩具を持っていない人もカードとスマホだけで遊べる環境が提供された。非常に手堅いと感じている。
つまるところ、明るく楽しくワチャワチャと馬鹿やってるような『ガッチャード』だが、その実とても「東映特撮らしい」クレバーな判断の蓄積によって構築されている、というのが私のファーストインプレッションだ。ぜひこのまま、あまり縦筋に注力せず、一話完結をベースに、たまにドギマギさせながら、やろがい文法でぶん回し続けて欲しいと願っている。
人工生命体ケミー、縮めてケミー。この関東圏の、不思議な不思議な生き物。海に森に町に、その種類は101、いや、それ以上かもしれない。そしてこの少年、そんなケミーが大すきな、錬金アカデミーの一ノ瀬宝太郎。九堂風雅からガッチャードライバーを貰い、実家の定食屋を手伝いながら、バトルアンドゲット、錬金術師としての授業の日々を送るのだった。いくたの試練を乗り越えて、大物の錬金術師になる為に、出会いと別れを繰り返し、宝太郎と、その仲間達の授業は今日も続く。続くったら続く。