ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

ユニバースに備えて。『SSSS.GRIDMAN』再・訪

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公開が迫る映画『グリッドマン ユニバース』に備えて、『SSSS.GRIDMAN』全12話を再訪した。

 

ところで、人はなぜBlu-ray BOXを持っているのにわざわざタブレットで視聴してしまうのだろう。どこでも気軽に観られる利便性の高さと、BOXとはつまり所有欲を満たす代物であるからして観なくても目的達成という事実の、併せ技だろううか。本作は環境音がASMRよろしく凝っているので、そこそこのサイズのタブレット+ヘッドホンの環境が実はかなり快適なのである。

 

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原作の『電光超人グリッドマン』が当時どういう位置づけの作品だったか、そして日本アニメ(ーター)見本市を経ての制作の経緯など、既知の事実はここでは端折る。その上で、いかにしたたかに「グリッドマン愛」をコーティングしたのか、という点だ。

 

先にあえてマイナスのニュアンスから語ってしまうと、『SSSS.GRIDMAN』、まあまあドラマが弱い。というより、薄い。

 

全12話をぶっ続けで観ていくと、中盤までが世界観や怪獣に関する謎解き、そして後半にかけてアカネが精神的に追い詰められ、クライマックスで決戦、という大筋が把握できる。話の終着点は「アカネの救済」であり、自らが創造したフィクションの世界に引きこもっていた彼女の背中を(グリッドマン同盟のメンバーが)押し、現実に戻って前を向いてもらうまでのお話だ。夢オチ、というより、帰還オチと形容した方が正確だろうか。

 

その話のオチから逆算してみると、実のところ、グリッドマン同盟のメンバーとアカネの交流はそうそう深くない。怪獣の能力で夢を見る回(第9話)で様々な片鱗が見え隠れするが、直接的に語られることは少ない。六花とアカネがそもそもどういう関係性のクラスメイトだったかも、実はほぼ情報が無い。内海からアカネへの仄かな恋心もあくまでエッセンスに留まり、ストーリーの進行に有機的に作用したりはしない。裕太はあくまで使命感に真っすぐに動き、アカネの心情にダイレクトに働きかけたりはしない。アンチと交流を持つ六花、という流れも、あくまでアンチの内面の変化にのみ寄与し、その創造主であるアカネを含めた起伏は生まない。

 

数々の人間関係の交錯は、実はあまり厚みを持っていないのである。なので、有り体に言えば「薄い」。最終話、素のグリッドマンが登場しフィクサービームでアカネの心を修復する流れも、意地悪に見れば「強制改心ビーム」を当てて終わりのような気もする。引きこもりの神様を導くだけの人間関係が、裕太や内海や六花に構築できていただろうか。加えて言えば、そもそもあの世界は一体何なのか(広義のコンピュータ・ワールドであることが『電光超人グリッドマン』を識っている人だけ分かる程度)、あの怪獣少女は誰なのか、色々な部分をろくに説明しないまま物語は幕を閉じる。

 

とはいえ。理屈ではそうかもしれないが、体感では「そうじゃない」のだ。栄養表示では乏しいかもしれないが、喉ごしや満腹感は抜群に良い。『SSSS.GRIDMAN』は、なんともそういう作品ではないだろうか。

 

この辺り、『宇宙船別冊 SSSS.GRIDMAN』における脚本・長谷川圭一氏のインタビューが非常に興味深い。

 

本編で描き切れなかった部分も多くあり、そこから色んな想像が膨らむのも本作の味でしょう。ただし、想像の方向性だけはぶれないように雨宮監督と話し合いました。グリッドマンが来た理由も、アカネとアレクシスが有む負のエネルギーが現実世界のネットワークに影響を及ぼして……という大まかな設定を作りましたが、あえて本編中では説明していません。グリッドマンと裕太が融合する演出をしなかったのも、視聴者が想像出来る範囲だと判断したからです。細微な設定のタネ明かしを追うよりはキャラの感情描写やドラマティックな展開に重きを置いています。

・ホビージャパン『宇宙船別冊 SSSS.GRIDMAN』( ホビージャパンMOOK912)脚本 / 長谷川圭一氏インタビュー

 

 

この、「想像の方向性だけはぶれないように」という部分。とても納得度が高い。

 

『SSSS.GRIDMAN』は、細かく説明することをせずに、しかしそこから喚起される想像=脳内補完の方向性だけはきっちり示してくれる。この温度の演出。これにより、キャラクター同士の直接の絡みが弱くとも、「きっと六花のこういう想いや行動にアカネは心打たれたのだろう」「裕太の直向きな姿がアカネに影響を及ぼしたのだろう」「夢世界における内海のあの対応がアカネの心理に働きかけたのだろう」と、観ているこちらが良い方向に良い方向に、自然と理解の隙間を埋めていく。

 

そしてそこに、雨宮監督による演出が一層の拍車をかける。止め絵を多用し環境音だけが響き渡るシーン。アニメとは思えないほどのナマっぽい会話。キレよく時に会話を遮ってまで割るカット。通常のテンポをあえて外していく相槌や間の取り方。良く言えば「リアル」「独特」、意地悪に言えば「エヴァっぽい」「省エネ」。そういった “語り過ぎない” 演出の数々が、視聴者の「解釈欲」をくすぐる。それはもう、盛大に、くすぐる。ダメ押しでキャラデザがびっくりするほど良い。こんなの、好意的に解釈したくなっちゃう。

 

もともとキャラパートをあまり動かさないという方針が最初にありました。メカパートで動かしたいから、日常シーンは基本的に「止め」で成立するような映像の運び方をしたい、雨宮さんに最初からそう聞いていたので、止めでも保つようなデザインにしたいと思いました。線も多くしています。止めでいく前提で、絵の情報量、デザイン的な情報量を上げているんです。動かすと大変なんですが。

・ホビージャパン『宇宙船別冊 SSSS.GRIDMAN』( ホビージャパンMOOK912)キャラクターデザイン / 坂本勝氏インタビュー

 

なにかこう、この余白(多くは語られない部分)に、善き解釈が埋め込めるのではないか。意識的にせよ、無意識にせよ。そうやって脳内がぐるぐる回ったまま鑑賞するので、少ない情報量にも関わらず、なんとも満腹感が生まれてくる。結果、「強制改心ビーム」なんてある訳がない、グリッドマン同盟らの奮闘こそがアカネを救ったのだと、そう脳が認識していく。示された想像の方向性に、解釈が誘導されていく。

 

基の『電光超人グリッドマン』は93年の作品で、私もダイレクトな世代の人間だが、我々が時を経て『SSSS.GRIDMAN』に出会ったのはアラサーあたり。エヴァは実は自分達より少し上の世代のモノで、オタクとしての教養のひとつ、あえて斜めな表現をすればひとつの聖典にも数えられていた。それらから学んだのは、少ない情報量から懸命に何かを拾い上げ解釈と考察を巡らせるムーブ、元ネタやオマージュ元を参照し盤外の文脈をこれでもかと盛り込んでいくスタンス、知識や解釈や文脈の集合体こそがエモーショナルを生むんだというプライド。もはや「平成の残り香」にも括られそうな、そんな、作品との取っ組み合い方。作法。構え。礼儀。

 

『SSSS.GRIDMAN』は、これらとの相性が抜群に良かった。そしてそれは結果論ではなく、意図されたもので。とってもしたたか。

 

雨宮監督を始めとするスタッフ陣がやりたかったのは、途方もない「グリッドマン愛」の発露。そうじゃなきゃ、あそこまで拾いきれないほどにネタを仕込まないし、そもそも素のグリッドマンを最終回で出したりはしない。制作のリソースをメカパートに割いてでも、グリッドマンの活躍を描きたい。アシストウェポンと合体してロボ然となるグリッドマンを魅せたい。では、日常パートをいかに「最小の手数」で「最大の効果」に導くか。キャラクターデザインを強くして、作法や構えや礼儀に応え、あえて隙間や余白を作ってみてはどうか。

 

「オタク」は、それらを前のめりに読み取ってはくれないだろうか。「オタク」は、SNSで文脈や知識を相互補完しながら、考察や解釈を厚塗りしてはくれないだろうか。

 

この、『SSSS.GRIDMAN』のしたたかでクレバーなバランスが、なんとも好きなのだ。加えて私自身は特撮のオタクであり、「Aパートが日常でBパートに巨大戦」というリズムは驚くほど全身に染みわたっていた。アニメでこの実家感を味わえたのは本当に驚きである。また、CGで吹っ飛んでいくビル群も(破壊するとモデリングが大変なのであえて吹っ飛ばしたという)、ミニチュアセットのオマージュと捉えれば絶対的な加点である。特撮でしか味わえないと信じて疑わなかった、あのアングルも、あのアオリも、あの効果も、まさかこれを二次元のアニメで体験できるとは。実にフレッシュな、驚きと感動である。

 

ウルトラマンやゴジラを始めとする特撮の分野も、ここ十数年で「SFXとVFXの共存」=「アナログとデジタルの融合」がまた加速度的に高まってきた。どちらの旨味も取り込んでこその、トクサツ。それが潮目だ。『SSSS.GRIDMAN』のグリッドマンが、TRIGGERならではのケレン味あふれる作画でメッキメキに動いたかと思えば、CGでモデリングされた巨体が滑らかにぬるっぬるっに怪獣と取っ組み合う。この折衷の、痛快さといったら。本作以外でこの味は噛めない。

 

そして、「あまりにグリッドマン愛が強すぎるのではないか」「ちょっとばかしグリッドマンありきが濃かったのではないか」といった側面、あるいは「怪獣や世界設定の話がメインで人間関係の描き込みが足りなかったのでは」「もっと個々のキャラクター同士の交錯に比重が置かれていても良かったのでは」等の部分は、鏡写しのように『SSSS.DYNAZENON』に反映されていくのである……。

 

次回、【ユニバースに備えて。『SSSS.DYNAZENON』この再訪って、なに?】。

 

末筆。「宝多六花 CV:宮本侑芽」、あまりに強い。強すぎる。「宝多六花」じゃないんです。「宝多六花 CV:宮本侑芽」です。