ジゴワットレポート

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信頼感のハイパーインフレーションラブコメ、『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』がすごい

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漫画でも映画でもアニメでもドラマでも、「信頼感を感じさせてくれる作品」が大好きだ。それは主に、作者や演者、クリエイターに向けられた信頼感。

 

「この作品のことだから、こんな展開が訪れても、きっと巧く処理してくれるだろう」。「新キャラが登場しても、今ここにある『面白さ』はしっかり維持してくれるだろう」。「あるいは、こちらの想像や期待を常に少し上回る形で、延々と膨らんでいってくれるだろう」。

 

作品を読む(観る・プレイする)ことで熟成される、消費者→クリエイターへの信頼感。それが、期待通りしっかり返球される。なので、更に信頼が増す。期待の送球。また次も絶妙な返球。繰り返し、繰り返し。どんな期待の球を投げても、自分のミットに驚くほど突き刺さる。そうして構築される、盤石の信頼関係。

 

消費者のひとりとして、こういう信頼関係を築ける作品に出会えることは、この上ない幸福である。やはり、様子を伺うような「うーん、ちょっと不安だけど、この期待は叶うだろうか・・・」という想いは、抱かないに越したことはない。願うなら、「この作品だからきっと大丈夫!いや、絶対大丈夫!」と、胸を張って豪語したいものだ。

 

先日、久しぶりに、そんな至高の信頼関係を築ける作品と出会ってしまった。週刊ヤングジャンプで連載中のラブコメ漫画、『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』である。

 

君のことが大大大大大好きな100人の彼女 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

 

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アプリ(ジャンプ+)で配信されていたのを見つけて、何の気に無しに1話を読んだのだけど、そこからはもうノンストップ。食い入るように、最新話まで一気に読んでしまった。

 

本作は、いわゆる「ラブコメ漫画」というジャンルをメタに捉えた物語構造。主人公・愛城恋太郎は、神様により「運命の人」が100人もいることを告げられるも、その100人全てを幸せにしなければ相手が死んでしまうという運命を突きつけられる。その結果、主人公が目指すのは脅威の「100股」。俗に言われる「負けヒロイン」を発生させない、「全自動全ヒロイン救済型ラブコメ」である。

 

コンセプト的には『俺を好きなのはお前だけかよ』と近い部分があり、そのアプローチが真逆といったところか。『ぼくたちは勉強ができない』がまさかのルート分岐で全ヒロイン救済に乗り出したのが記憶に新しいが、こちらの『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』は、最初からメインルートのみで全ヒロインを漏れなく救済していくと言うのだ。そんな馬鹿な。

 

ぼくたちは勉強ができない 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)
 

 

よって、物語は以下の流れをループしていくことになる。

 

①新ヒロイン登場

②主人公と新ヒロイン、恋仲へ発展

③新ヒロインが既存ヒロイン群と合流

④主人公、全ヒロインと同時ラブコメ

※①に戻る

 

原則としてこのパターンを黙々と繰り返していくのだけど、当然、この筋だけを見ると、色々と不安が募る。「主人公は公然の浮気をしているのか?」「既存彼女は新彼女とイザコザを起こしてしまうのでは?」「嫉妬による足の引っ張り合いが起こるのでは?」「流石に周囲が認めないのでは?」「雪だるま式に増える彼女を平等に描写できるのか?」。・・・安心してください、全部見事に解消してくれます。

 

これぞまさに消費者→クリエイターへの信頼感の熟成なのだけど、素人目に見てもシンプルながら複雑なパターンの繰り返しを、驚くほど鮮やかにこなしてくれるのだ。

 

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何より、近年のラブコメの主流とも言える「主人公は底抜けにイイヤツ」設定が限界突破しており、「複数の彼女と同時に交際しながら彼女ら全員を平等に愛する」というウルトラCをキめている。

 

「運命の相手を幸せにできないと相手が死ぬ」というファンタジー設定がベースにありながらも、主人公は「相手を生かすために幸せにする」といった策を取らない。本気で全員を愛して、本気で全員と付き合おうとする。「相手が死なずに済む」のは、あくまでその結果論。これにより、主人公の能動的な情熱が誠実に映る。

 

というか、もはや立派な「誠実モンスター」だ。複数同時交際はフツ~~~に考えたら倫理的にアウトで、やっていることはどう見ても不誠実クソ野郎なのに、全く、全く、全っっく、そう見えない。この演出とバランスが決まっている時点で、作品的に「勝ち」である。「嫌味がない」を通り越して、良く分からない別の何かになっている。(褒めている)

 

そして、次々と現れる「彼女」たち。彼女らも、他の彼女に必要以上に嫉妬したり、私怨よるトラブルを巻き起こしたりはしない。新彼女を連れてくる主人公に突っかかるのも、ごく初期の頃だけ。「私が大好きな彼氏だからモテるに決まっている」「私の大好きな彼氏が連れてきた相手だから当然仲良くする」「私の大好きな彼氏は彼女が増えても自分のことを決して蔑ろにはしない」。恋は盲目とはよく言ったもので、もはや洗脳の域にまで達しているのだけど、このバランスがこの上なく絶秒なのだ。

 

つまり読者としては、「主人公が公然と100股をかける」という不誠実極まりない設定を前に、その大筋から予想されるイザコザやモヤモヤを微塵も感じることなく、ひたすらに圧の強いラブなコメを堪能できるのである。そんな馬鹿な。

 

新しい彼女が登場しても、既存彼女の誰もが「脇役」に堕ちない。しっかりと全員に満遍なく見せ場が与えられ、彼女同士の友情も加速度的に深まっていく。読み進めていく途中、頭の片隅に「そろそろあの彼女の出番が減ったか?」がよぎると、スッとそこをカバーしてくれる。痒い所に手が届くどころか全力マッサージ。なんと素晴らしい構成力か。

 

それもこれも、やはり「信頼感」というキーワードに尽きるだろう。100股クソ野郎の主人公は、微塵の疑いもなく、彼女全員を平等に信頼している。なので、ただ盲目に愛を叫ぶだけではない。彼女を信頼しているが故に、あえて自分を引っ込めたり、少し冷たく当たってみたりもする。しかし、ベースにある信頼感が強力なため、彼女の愛情を重ねて勝ち取っていく。彼女同士も、「愛する彼氏に愛された者同士」という絆が違和感なく構築され、互いに互いを信頼し合い、足を引っ張り合うことをしない。

 

まさに信頼のキャッチボールだ。主人公が彼女に、彼女が主人公に、彼女が彼女に、彼女が彼女に、彼女が彼女に・・・。期待を込めた送球。見事な返球。その繰り返し。この無限のキャッチボールを、原作・中村力斗&作画・野澤ゆき子の御両名は、唸るほどの構成力と魅力的な作画、更にはキレッキレのギャグをもって、披露してくれる。(ちなみに、ギャグのテイストでいくと、『左門くんはサモナー』が好きな人には刺さるかも。こちらも見事な「信頼感インフレ作品」であった)

 

左門くんはサモナー 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

左門くんはサモナー 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

  • 作者:沼駿
  • 発売日: 2016/01/18
  • メディア: Kindle版
 

 

よって当然のように、作品と読者の間にも、キャッチボールが成立する。主人公が100人の彼女と同時に信頼関係を築くように、作品は無数の読者と同時に信頼関係を築いていく。

 

「今の彼女のメンバーのバランス、すごく良いのだけど、新規彼女が入ってもこれを保てるのだろうか?」。そんな不安は、早い段階で完全に払拭されるのだ。「早く次の彼女を登場させてくれ!」「既存彼女たちとの絡みが早く見たいぞ!」、そういった期待の送球に対し、バシッ!とした返球がくる。この満足度、痛快さといったら。

 

要は、読みながらの「うーん、この展開はあまり好みじゃないな」とか、「嗚呼~!そっちの方向にいっちゃうのか~!」とか、そういうのが驚くほど発生しないのだ。常に、「期待通り」の更に少し斜め上を剛速球で攻めてくれる。「や、やりやがった!」「チクショー!やっぱ最高だぜ!」などと、ニヤニヤしながら次へ次へと読み進めてしまう。

 

本当に100人の彼女が登場するまで連載が続くのか、それは神のみぞ知る訳だが、この作者なら、本当に100人を平等に描き切ってくれるのかもしれない。マジで達成してしまうのかもしれない。そう思わせてくれる技とパワーが、確かに込められているのだ。

 

最終回は、ぜひ、全員で物置に乗って「だいじょーぶ!」をやって欲しい。頼む。

 

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