ジゴワットレポート

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これがディズニーの描きたいことなら私にとっては辛い。『シュガー・ラッシュ:オンライン』感想

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『シュガー・ラッシュ:オンライン』、私の感想を率直に言ってしまうと、かなり「しこり」が残りました。話の大筋というか、「歩みたい人生の選択」「与えられた役割からの脱却」「共依存からの自立」という、掲げられた個々のテーマについては、良いと思うんです。

 

ただ、物語的にそれらが収束した決着は本当にあれで良かったのか、『シュガー・ラッシュ』の続編として相応しいエンディングだったのかは、鑑賞してから数日経ってもモヤモヤが払拭されず。以下、そういうニュアンスの話ですので、心から楽しめた方はブラウザバックをオススメします。同時に、ネタバレ満載です。

 

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楽しめた点から書くとすると、まずは圧倒的な資本力というか、ディズニーのエンターテインメントの帝王たる姿勢が堪能できたことですね。プリセンス大集合な絵面の圧倒的なインパクトはもちろんのこと、ピクサー、スター・ウォーズ、マーベルと、世界的なコンテンツを次々と自らの軍門に加えていく驚異的な体力。

 

あんな、まさに絵に描いたような「夢の国」は、ディズニーじゃないとやれない。「ヘイヘイ!俺たちが持ってるエンタメコンテンツの見本市でござい!寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!」みたいな中盤の映像は、観ていてとにかく面白かった。

 

また、「インターネットあるある」の映像化という意味でも、アイデアと技術が高次元で融合していて、とても見ごたえがあった。特に、検索窓で検索すると該当のページに乗り物で運ばれていく、という検索サービスの一連の表現は、なるほど興味深い。

 

よくデジタルに強くない方が「インターネットってどこにあるの?」「ネットってなんなの?」という抽象的な質問を投げかけたりするが、そういう方にこそ観て欲しいですね。「2018年現在のインターネットって、良くも悪くもこういうところです」というのが、これでもかと視覚化されている。ポップアップのウザさ、広告を踏むと怪しいサイトに飛ぶ、オークションサイトのイメージ、決済手順のやり取りなど、普段サーフィンしている人は皆ニヤニヤしながら観たことだろう。

 

そういった、ディズニーならではの高次元な手法で彩られた本作は、圧倒的な視覚表現の面白さを土壌に、ヴァネロペとラルフの関係性に焦点を当てていく。

 

ラルフは、前作で手に入れた幸せを今後もずっと続けていきたいと願う。「悪役」という与えられた役割に感情を振り回されるのではなく、彼なりにできることを、一緒にやりたい仲間とやる。前作でそこに幸せを見い出したラルフは、前向きに現状を受け入れている。対するヴァネロペは、フタを開ければ実はプリンセスだった、という前作のオチを受けて、シュガー・ラッシュというレースゲームの人気キャラクターとなっていた。が、彼女は次第にその刺激のないレースの繰り返しに退屈し、新しい生活を望むようになる。

 

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前作『シュガー・ラッシュ』は、「与えられた役割」をめぐるお話だった。ラルフは悪役で、ヴァネロペはターボにより操作された不具合のプリンセス。自身の役割に悩み苦しむ者と、本来持っていたはずの役割を不当に剥奪された者。その凸凹コンビが互いを補ってハッピーエンドに至る、そういう物語であった。

 

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それを受けて今作『オンライン』では、その更に一歩先へ踏み出す。「与えられた役割」を成熟させた彼らは、その次の選択を迫られる。つまり、「その役割にずっと浸っていたい」、もしくは、「自ら新しい役割を勝ち取りたい」。相反するふたりの思惑はすれ違い、インターネット全体を巻き込む大騒動にまで発展するのだけど、結果的に彼らは前向きに別れることになる。

 

まさに「選択の自由」。軋轢は起こるかもしれないが、彼らは互いに互いの希望を尊重し、共依存から自立していく。「選べなかった」者たちのドラマから、「選ぶ」という行動の尊さへ。まさに、前作から正統的に発展したテーマと言える。

 

安易にポリコレという語り口は使いたくないのだが、昨今のディズニーの作品傾向的に、「脱プリンセス」のような構造を挙げることができる。近年で言えば、『マレフィセント』や『アナと雪の女王』で王子様がもたらすハッピーエンドに反証したのは記憶に新しい。『スター・ウォーズ / 最後のジェダイ』では、シリーズの要にあった血統主義から脱却し、「誰もが」「みんなが」主人公である可能性を提示した。『シュガー・ラッシュ』的に言えば、「与えられた役割」にひとつずつ問題提起をぶつけていくような、そういう方向性が垣間見える。

 

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「みんなが選びたい人生を選べる」「誰もが誰かに頼らずとも(精神的な)プリンス・プリンセスになれる」。そういった、70億人の70億とおりの幸せのルートを提供する。フィクションが持つ可能性、ディズニーが持つ圧倒的なエンタメの歴史と腕力、それをもってすればこそ結実する、圧倒的な「正」のメッセージである。

 

そこに続くように、ヴァネロペも自らの人生を選択した。シュガー・ラッシュを飛び出し、もっと殺伐とした、しかし刺激に溢れたオンラインレースゲームの世界へ移住する。それを引き留めたいラルフを、大騒動の末に説得し、理解に至る。彼女は、前向きに「選択の自由」を行使したのだ。ディズニーが昨今の作品群で展開する主張に、非常にマッチしている。旧来の価値観が次々とひっくり返される現代において、なるほどタイムリーな物語だと感じる。

 

しかし、その「選択の自由」は、全てを投げうっても良いのか。彼女のそれは、何にも増して尊重されるべきものなのか。私は、ここがとても気になってしまった。

 

シュガー・ラッシュというゲームにおいて、彼女は人気キャラクターの座にあった。現実のゲーセンでのプレイヤーは、嬉々として彼女を選び、レースゲームを楽しむ。しかし彼女は、ラルフの作ったオリジナルコースにプレイヤーの操作を無視して突入し、挙句、ゲームのハンドルを破壊してしまう。ハンドルが無ければ、シュガー・ラッシュという筐体は撤去されてしまうかもしれない。

 

これは、「いるはずのキャラクターが不在になりそれが不具合に相当する」という、前作で散々叫ばれた「ターボ」の概念(ひとつの電脳世界の消滅)とほぼ同じである。ひとりの行動が、筐体全体の危機を招く。『シュガー・ラッシュ』において、ラルフが自身のゲームを抜け出すと、多くのキャラクターが「ターボしたのか!?」と顔を青くするのだ。それが、「役割」というテーマともリンクする前作のマクガフィンであった。

 

まあ、ハンドルの件はまだいいとしよう。彼女も、わざとやった訳ではない。だから、彼女自身インターネットに出かけて、ハンドルを手に入れようとする。私が本当に「しこり」に感じているのは、最後のヴァネロペの決断である。「私は沢山いるキャラクターのひとりだから、私がいなくなっても構わない」。そういった理由を述べながら、彼女はシュガー・ラッシュというゲームを構成する一員という責任を清々しいまでに放棄して、「選択の自由」を行使する。

 

ちょっと待ってくれよ、と。たとえハンドルが戻っても、人気キャラクターであるヴァネロペが選択画面から突如として姿を消したら、それは立派な不具合ではないのか。筐体存続の危機に該当する、いわゆる「ターボ」と何が違うのか。彼女を選んで遊んでくれるプレイヤーへの想いは、そこには全くないのか。一緒にゲームを構成するキャラクターたちに対して、何も想わないのか。「選択の自由」とは、それらを全て有耶無耶にしてでも「是」とされるのか。

 

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前述のように、物語のテーマとしては良いと思っている。「選択の自由」が無かった者たちが、ケンカしながらも「選択の自由」を行使する。そしてふたりは別れる。それは分かるし、『シュガー・ラッシュ』から続くテーマとして相応しいだろう。決断そのものは、むしろ尊重されるべきだ。

 

しかし、「選択する」という行為は、そこに生じる覚悟やリスク、それらにもう少しだけ決着をつけてからではダメだったのだろうか。ヴァネロペが、自ら選びたい人生のために数々の障壁をラルフと共に解決して、突破して、胸を張ってシュガー・ラッシュを旅立っていく。そういう筋書きは難しかったのだろうか。これでは、単に周囲の都合を無視してワガママを貫き通す、そういうニュアンスが色濃く感じてしまうのだ。

 

仮にこの後、彼女がいないことで不具合認定されてシュガー・ラッシュの筐体が撤去されてしまったとしたら、彼女自身はそれで本当に幸せなのだろうか。それが「そんなの関係ない、私の人生と幸せは私のもの」の範囲に収まるとは、私にはどうしても思えないのだ。「自身の歩みたい人生を選ぶ」は、故郷の仲間を消滅させる危険性を冒してまで優先して良いのだろうか。あまりにも天秤の片方が重いのでは、と。

 

70億とおりの幸せを、「選択の自由」を、その可能性を提示する。なるほど素晴らしいし、感服する。しかし、そのためには責任を放棄しても良いのか。自らの進みたい道のためには、何を犠牲にしても良いのか。「ヴァネロペが歩みたい人生を選ぶ」という決着は、「そのための責任を果たす」と必ずしも二者択一ではないはずだ。

 

前作で「ゲームを抜け出す」ことの危険性をあれだけ語っておいて、続編ではポーンとそれをやってのける。それはやっぱり、私にとっては「しこり」に感じてしまう。せめてこの『シュガー・ラッシュ:オンライン』が単体作品ならまだしも、これは『シュガー・ラッシュ』の続編なのだ。前作で語られたあらゆる価値観と、決定的に食い違ってはいないか。テーマや決着を優先するがゆえに、前提としてあったその世界の価値観に齟齬や歪みが生じていないか。そこがどうにも気になってしまうのだ・・・。

 

末筆ながら、私個人の話として、人生の分かれ道で選びたい道を選べなかった経験がある。もちろん詳細は書かないが、自分のやりたいこと・やってみたいこと・続けたい関係・住みたい土地、そういったものをどうしても「選べなかった」局面があった。もちろん、今となってはその選択を後悔していないし、目の前の道を邁進するのみである。

 

しかし、だからこそとでも言うのか、ヴァネロペのあまりに責任を放棄した「選択」を観て、率直に、憤ってしまったのである。そんなのがあるか、と。「選ぶ」って、そんな感じでやっていいことなの?、と。天下のディズニーが、「選ぶ」なんて大事なことを、こんなふうに(結果優先で)描いてしまうという辛さ。私が言いたいのは、「選ぶな」ではない。「選ぶ」ことの意味、同時に、それを実行するための強さや仲間を描くアプローチではダメだったのか、ということだ。

 

・・・といった人生観を見事に炙り出された作品としては、2018年文句なしのトップだった。ディズニー作品は、こういう、個々人の人生観や価値観と照らし合わせてくるものが多く、それは時に、首元にナイフを突きつけられたように錯覚してしまう時もある。それほど、感情の描き方、普遍的なテーマの採択と深堀りに長けているのだろう。『シュガー・ラッシュ:オンライン』も、まさに私にとって、そういう作品のひとつである。

 

シュガー・ラッシュ: オンライン (オリジナル・サウンドトラック)

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シュガー・ラッシュ:オンライン (ディズニーゴールド絵本)

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映画「シュガー・ラッシュ:オンライン」の感想 #シュガラお題



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