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感想『時計館の殺人』 館・伏線・叙述トリック・犯人、その全てが「業の物語」に収束していく傑作

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綾辻行人著『時計館の殺人』を読了。新装改定版の文庫上下二冊。同氏の代表連作である「館シリーズ」の5作目にあたる。

 

時計館の殺人<新装改訂版>(上) (講談社文庫)

時計館の殺人<新装改訂版>(上) (講談社文庫)

時計館の殺人<新装改訂版>(上) (講談社文庫)

 
時計館の殺人<新装改訂版>(下) (講談社文庫)

時計館の殺人<新装改訂版>(下) (講談社文庫)

 

 

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昔からミステリ・推理小説が大好きでよく読んでいたが、都度気になったものを脈略なく摘まむ感じで、その分野の歴史に沿うとか、有名所や古典を押さえるとか、そういう選び方はあまりしてこなかった。「館シリーズ」もその不勉強の煽りを受けたひとつで、数年前にやっとこさ『十角館』を初読。数年かけてダラダラと、『水車館』『迷路館』と読み進めてきた。

 

昨年末に読んだシリーズ4作目『人形館』は良くも悪くも異色作であった。それまで扱ってきた「ミステリの定石を覆す」アプローチが「館シリーズの定石を覆す」に読み替えられており、おそらく単体で読むのとシリーズ連作として捉えるのとでは全く読了感が異なるのだろう。

 

人形館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)

人形館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)

 

 

その仕掛けに驚きはしたが、反面、同シリーズのメインに据えられているであろう旨味とは違うものが提供されたので、少々の食い足りなさも感じてしまった。また、新年一発目の記事にも書いたように、今年の目標はとにかく多くの本を読むことである。そういう背景もあって、間を置かずに5作目『時計館の殺人』を手に取った。

 

正月休みを利用して読了した本作は、帯にあるとおり「シリーズNo.1の呼び声も高い」傑作だと感じた。評価が高いのも頷ける。以下、もちろんのようにネタバレを含む感想(解説?)である。

 

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同シリーズは鹿谷門実という駆け出しの推理作家を主役に据えているが(この記載自体が『迷路館』の重大なネタバレにもなってしまうのだが)、同時に、「ミステリの定石を逆手に取り、時としてそれを打破するアプローチ」が込められている。

 

事実上の密室となった外界から切り離された空間で起こる連続殺人事件。そういうクローズド・サークルな前提なのに、あろうことか隠し扉は見つかるし、外界との隠し通路まで飛び出す。犯人はサークル外の人間だったりもする。前提を覆しつつもそこに納得感とカタルシスを含ませる、そういった騙し方、叙述トリックのテクニカルな部分が魅力となっている。

 

よって、『十角館』に代表されるように、テクニカルな叙述のロジックが作品の前面に据えられている。つまりは、「読者をいかにフェアに騙すか」という一点に心血が注がれているのだ。それは叙述ミステリとしては極上の「注がれ方」だが、あえて意地悪に言えば、そのロジカルさが主役になっているだめ、物語が持つドラマ性やテーマといった要素が(相対的に)少々薄味であったことは否めない。(まあこれは、そもそもこの手の作品にどこまでそれを求めるのか、という話ではあるのだけど)

 

私はそういう感覚で同シリーズを読み進めていたのだが、この『時計館の殺人』は、ものの見事に「テクニカルな叙述のロジック」と「物語が持つドラマ性」が融合していた。まるで、主役がふたりいるような、そんな感想を抱いてしまった。なるほど、シリーズ最高傑作と言われるだけはある。

 

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同シリーズは一作目からずっと、「ふたつの場」を扱ってきた。もっと抽象的に言えば、「ふたつの世界」。

 

『十角館』では離島と本島、『水車館』の現在と過去、『迷路館』の作中現実と作中作に、『人形館』ではリアルと妄想。ふたつの世界を交互に描き、その境界線が緩やかに融合していく中で、散りばめられた伏線が巧妙にその姿を隠していく。最後に境界が破られ、蒔かれた要素が一気に爆発する。そういった作劇が面白いのである。

 

そして、『時計館』では、作中における新館と旧館という世界が提示される。オチとしては、双方の時間の流れ方が異なる、というメイントリックが用意されていた。新館では通常の時間通りに、そして、旧館では実際の50分が60分に。館内すべての時計が速い時間を刻み、半地下構造で外の様子が分からないため、時が経つほどに旧館と外界における現在時刻のズレが大きくなっていく。

 

犯人はそれを利用し、鉄壁のアリバイを作り上げる。実際は新館と旧館をただただ単純に行き来しているだけなのに、発生時刻の記録としては同時に双方に存在できる訳である。なるほど、タイトルに恥じない見事な時間差トリックだ。

 

だが、それ自体は割と早い段階でなんとなく予想できる。なにしろ「時計館」なのだから、時間を扱った仕掛けがあるのだろう。そうなると、時間差を使ったアリバイの構築なのだろう。時計に手が加えられているのだろう。そこまでは考えが及ぶ。物語終盤、由季弥が犯人というひとまずの決着を苦虫を噛み潰したように読み進める。

 

しかし、まさかその館自体がそもそも「時を速めるため」に作られた建築物であり、それが、娘を狂おしいほど愛した父親の所業というドラマにまで重なってくるとは、思いもよらなかった。

 

「読者を騙すためのロジカルなテクニック」が、過去作よりはるかに鮮やかなカッティングで「その館自体の出自」と重なっていく。病弱な娘に、許嫁との結婚を迎える前に死ぬと予言された娘に、なんとか夢の16歳を迎えさせたい、そんな父親の狂おしいほどの愛情。業(ごう)。圧倒的なエゴ。

 

「まさかここまでするとは」という驚きが、そっくりそのまま、トリックが明かされたカタルシスにも覆いかぶさっていく。館の存在から、伏線、叙述のトリック、犯人の動機に至るまで、その全てが古峨倫典という男の「業の物語」に収束していくのだ。そして、これでもかと詩的に、ロマンチックに、その業の塊が文字通り「うごめく」様子が描かれるのだ。

 

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下巻の米澤穂信氏の新装改定版解説において、同作の「犯人」が持つ本来の「動機」とは異なる被害者が多かった点(作中においては計画遂行のための止むなき殺人)について、以下のように述べられている。

 

 彼らは、時計館において決して犯してはならないタブーを犯した。見てはならないものを見てしまった。別の言い方をするならば、彼らは時計館に満ちた幻想を破ろうとしてしまった。古峨倫典の祈りに背いたのだ。それは死に値する罪であり、ゆえに彼らは殺されねばならなかった。

・『時計館の殺人<新装改訂版>(下)』講談社文庫 綾辻行人著 新装改定版解説(米澤穂信)

 

『ジョジョの奇妙な冒険』第4部のラスボス・吉良吉影は、杜王町という「町そのものに殺された」。そういう解釈も存在する。救急車に轢かれたという単なる事故死ではなく、町が彼を殺した。それが持つ、何か得体の知れない大きな意志のようなものが、彼に罰を与えたのだと。

 

先の解説を読んで、ついそれを思い返してしまった。本来の標的ではなかった被害者たちは、時計館が持つ秘密を悟ってしまったがために、その大いなる意志によって命を失うはめになった。知らぬうちに、古峨倫典の執念まとう愛情やエゴに反逆してしまった。写真の日付や空に輝く太陽を目にするなどして、その世界のタブーに触れてしまったのだ。・・・などと、こんなポエティックな語り口になってしまうくらい、『時計館』の「館」には物語としての硬度があったのだ。

 

ジョジョの奇妙な冒険 第4部 カラー版 10 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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そうして迎えたクライマックスは、物語のシンボルである時計塔が盛大に倒れていくという見事なスケールに突入する。頭の中にこれでもかと映像が浮かぶので、筆者も「してやったり」といったところだろう。フィナーレに相応しい話運びであった。

 

「被害者の多くが顔を潰されている」ことから入れ替わりや死体すり替えも疑いつつ、邪推に邪推を重ね、時間差トリックまでもを思いつくも、明確な答えにまでは最後までたどり着けなかった。美味しくないインスタント食品までもが伏線だと明かされた瞬間には、その爽快感に思わず一度本を閉じて噛み締めてしまった。天晴。素晴らしい。

 

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あと、いくつかの細かなシーンがちょっと厳しいかもだけど、大筋のトリック的には映像化できそうですよね、これ。ただ、それはあくまで『十角館』等と比べた相対的な叙述の話であって、館そのもののセットやロケーションなど、結構な予算を要するのは目に見えている。とはいえ、ラストの展開はぜひ映像で観てみたいものだ。

 

さて、次は『黒猫館』。どんな内容だろうか。楽しみ。

 

黒猫館の殺人〈新装改訂版〉 (講談社文庫)

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十角館の殺人 限定愛蔵版

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