ジゴワットレポート

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『アンナチュラル』9話感想。ミスリードの二重仕掛けと主題歌を流すタイミングが視聴者の心をえぐる

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第8話 遥かなる我が家

 

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8話放送までのタイミングで書いた上の記事で、「野木亜紀子氏の脚本はパズルの配置が素晴らしい」ということを語った。

一見関係のない要素が次々と絡み合っていく爽快感や、予定調和なオチに持っていかないバランス感覚。どちらも、視聴者の予想を常に裏切り続ける巧妙さに満ちている。

 

そんなことを改めて考えながら視聴した9話だったが、またもや脚本のパワーとテクニックに圧倒されてしまった。すごい。本当に、すごい、としか言いようがない。

 

9話は、物語の縦筋、つまり中堂の婚約者を殺めた連続殺人犯の正体に迫るストーリー。

 

今回のポイントは、「ミスリード」の使い方だ。「ミスリード」とは文字通り「受け手(この場合の視聴者)を誤った方向へ誘導すること」を指す。様々な作品で用いられる鉄板の方法論で、特に刑事ドラマやミステリー作品では、「こいつが犯人かと思わせておいて〜!こっちでした〜!」というオチが待っていることが多い。

 

『アンナチュラル』9話では、このミスリードを煙幕に活用しつつ、必要以上に引っ張らずにタネ明かしをするという、言うなれば「ミスリードの存在そのものがミスリード」のような妙技をキメている。ここに痺れた。

 

具体的には、宍戸というキャラクターだ。

この宍戸というキャラクターはいわゆる「ラスボス」のような雰囲気で物語序盤から登場しており、視聴者の多くが彼がクライマックスで本筋に絡んでくることをうっすらと予想していた。

そして案の定、六郎は彼に疑いをかけるに至る。「もしかしたら連続殺人犯は宍戸さんではないのか?」。

記者が連続殺人を犯し、その遺体遺棄の場所やタイミングで取材を行う。自作自演でスクープを創り出す。なるほど、「よくある」タイプの動機だ。これなら、宍戸本人が異常な殺人犯でも、スクープのために倫理のタガが外れている男でも、どちらでも説明がつく。

 

そして、その真実に迫ろうとする六郎に対し、脚本は宍戸本人に「それっぽい」台詞を連発させる。

わざわざ死因をアルファベットになぞらえた連続殺人をほのめかす説明をさせたり、犯人を褒めさせたりする。自己顕示欲から犯人像を褒め称える殺人犯、という構図は、この手のミステリードラマではよくあるシーンだ。宍戸のキャラクター的にも、自然な言い回しである。

 

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しかし視聴者は警戒する。「このまま宍戸が犯人だなんて、そんな簡単なことがあるのか?」。

だってこれは『アンナチュラル』だ。野木亜紀子脚本だ。これまで散々、こちらの予想の斜め上を行ってきたのだ。細かな裏切りに何度爽快感を覚えてきたことか。宍戸が犯人だなんて、そんな安直なオチが本当に待っているのだろうか。

 

とはいえ、だ。ここで次の疑問が脳裏をよぎる。

「仮に宍戸がミスリードだとしたら、誰が犯人なんだ?」。

 

①宍戸がミスリードと見せかけておいてやっぱり真犯人

→あり得る。けども、結局安直さは拭えない。『アンナチュラル』的には簡単すぎる。

 

②宍戸はやっぱりミスリード。犯人は他にいる!

→しかし犯人候補がいない。UDIや警察サイドを含め、すでに登場しているキャラクターの中に裏切り者がいるとは思えない(思いたくない)。

 

③宍戸はやっぱりミスリード。真犯人が新登場!

→消去法ではこれが自然だが、今更ポッと出のキャラクターが真犯人だなんて、それはそれで興ざめである。

 

一瞬で脳裏を駆け巡る①〜③の予想。どれになっても大なり小なり「引っかかり」が生まれてしまうのだが、果たして『アンナチュラル』が、野木亜紀子が、そんなことをするだろうか。それとも、予想はできないが、④以降の新たな答えがこの展開の先にあり得るのだろうか?

 

結論は、①②③すべての合わせ技であった。こんな展開を一体誰が予想できただろう。

宍戸が真犯人というミスリードはそのままミスリードだったが、真犯人と宍戸はすでに通じており、しかも視聴者が完全に死角に配置してしまっていた火災事故の被害者・高瀬こそが真犯人だったのだ。

「やられた!」としか言いようがない。視聴者の予想や期待を軽々と超えていくこのテクニック。この脚本、化け物か?

 

芸が細かいのが、前回の8話がものすごく感動する話だったということだ。

前科のあった被害者が、決死の覚悟で「大切な場所」の人々を救おうとした。その真実に、私を含め、多くの視聴者が涙したことだろう。

そんな想いの末に救出された人が、皮肉にも狂気の連続殺人犯だとは誰も思わないのだ。というより、そうだとは思いたくない。「感情の死角」である。

 

だから、そんな感動の背景で助けられた人は、無条件で真犯人候補から外れてしまう。

宍戸をミスリードに配置して、そこで視聴者をあれこれ考えさせること、そのものが、高瀬という真犯人を視聴者の脳内から完全に外すための壮大なミスリードだったのだ。二重にも罠が仕掛けられた脚本に、舌を巻くしかない。

 

(もちろん、「高瀬もまだ真犯人ではない」という可能性が十二分に残されており、三重のミスリードが組まれているパターンも想定される。大穴の木林や複数犯といった線もあり得る。最後まで気が抜けない・・・)

 

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そして、9話で特筆すべきは、やはり主題歌が流れるタイミングだ。

実は9話放送前の3月4日に、脚本の野木亜紀子氏と主題歌を歌う米津玄師氏との対談で、以下のような発言があった。

 

2つ目は、“Lemon”という楽曲が『アンナチュラル』制作陣に如何に大切にされているのかということ。放送内では野木が“Lemon”に関して「初めて聴いたときは、いろいろな記憶が蘇りそうになるんだけどこれを思い出していいのだろうか、という苦しさがあった」、「2回目以降は、生きている人たちの心の中にある死んでしまった部分を包んでくれる曲だと思った」と語ったほか、ドラマに出演している石原さとみや市川実日子、演出の塚原あゆ子も核心的かつ愛情深いコメントを寄せていた。

 

(中略)

 

『アンナチュラル』の放送は残り2回。米津自身が「えげつないくらいドンピシャのタイミングで(“Lemon”が)流れるからそこに愛情を感じていて」と語るほどのあの瞬間を味わえるのも、いよいよあと2回である。

 

米津玄師と脚本家・野木亜紀子が対談で語り合った『アンナチュラル』と“Lemon”の美しき繋がり (2018/03/06) 邦楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)

  

「えげつないくらいドンピシャのタイミング」!!やってくれたな!!くそっ!!くそっ!!

夫婦でドラマを観ながら嗚咽を漏らして泣いたのは久々であった。

 

Lemon

Lemon

  • 米津玄師
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

中堂の過去、殺された婚約者との出会い、絵本を囲みながらの会話。

運ばれてきた遺体を解剖し、叫び崩れ落ちる中堂。

 

「夢ならばどれほどよかったでしょう、未だにあなたのことを夢にみる」

「戻れない幸せがあることを、最後にあなたが教えてくれた」

「あの日の悲しみさえ、あの日の苦しみさえ、その全てを愛していた、あなたとともに」

「自分が思うより、恋をしていたあなたに。あれから思うように、息ができない」

 

こんなにもドンピシャな主題歌が、あんなにもドンピシャなタイミングで鳴り響く演出。頭を殴られるような辛さにクラクラ。こんなこと、あってたまるのか、と。もはや「主演 石原さとみ」が霞んでしまうほどに、中堂の物語が極上に語られてしまった。

 

『アンナチュラル』は、ついに来週が最終回。

 

中堂は復讐にどう決着を付けるのか。ミコトは中堂を止められるのか。六郎はどこに落ち着くのか。宍戸は、高瀬は、どのような思いで犯行に関与していたのか。

またもやドカンと心が沈むことは間違いないだろう。しかし、『Lemon』の歌詞の最後が「今でもあなたはわたしの光」で締められていることが、かすかな希望を感じさせてくれるのだ。

 

TBS系 金曜ドラマ「アンナチュラル」オリジナル・サウンドトラック

TBS系 金曜ドラマ「アンナチュラル」オリジナル・サウンドトラック

 

 

◆最終回感想

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