ジゴワットレポート

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『アンナチュラル』最終回感想。このドラマのテーマやメッセージは何か。たまたま生きる我々ができることは何か。

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第9話 敵の姿

 

ついにドラマ『アンナチュラル』が最終回を迎えた。

UDIが既存メンバー勢ぞろいで存続という、いつでも続編が作れそうな終わり方となった。もちろん、あるのなら続編は観たいし、しかし、このままスパッと終わったらそれはそれで伝説の良作として綺麗だなあ、とも思ってしまう。

 

それほどに、このドラマに心を掴まれた数ヶ月だった。

 

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このブログでは、8話まで・9話と感想を書いてきたが、最終回の感想と全体の総括として、観終わった直後の熱のままに書き残しておきたい。

 

『アンナチュラル』はとにかく野木亜紀子氏の脚本のクオリティが光る作品だった。『逃げ恥』をはじめいくつもの原作付きドラマを描いてきた氏が、ついに手掛けたオリジナルの脚本。

実在感とフィクションのキャラクター性が絶妙にミックスされた「生きた」登場人物たちは、遺体と向き合う日常を忙しく懸命に生きていく。たまたま死んだ人に、たまたま生きている人がメスを入れる。不条理な死は、誰にでも、いつでも訪れる。

巧妙にパズルが配置された脚本が、我々の生活のすぐ近くには常に「死」があるという分かりきった真実を、緩急をつけながら突き付けてくる。

 

8話までの感想で、私はこのドラマのテーマを以下のように書いた。

 

このドラマは、様々な価値観が交錯する現代において「変えられるもの」と「変えられないもの」に正面から向き合い、「変えられるとしたら、それは自分の考え方や向き合い方なのかもしれない」というアプローチを示している。


男vs女は周囲がこぞって火に油を注ぐため容易な解決が難しい話だが、それを解決に導いて勝利を勝ち取るのではなく、そもそもの土俵に違う角度から向き合ってみてはどうだろうか。悪化した親子関係は長年の蓄積があるため容易には氷解しないが、本来のそれに準じるような「大事な居場所」が他に持てれば良いのではないか。


決して「逃げ」ではなく、「向き合い方」「考え方」ひとつで人は前進することができる。そんな普遍的なテーマや気づきを、他でもない死者に学ぶことができる。死と向き合うことは、生と向き合うこと。

人の死が医学を進歩させ、医学が人の死から想いを汲み取る。その「想い」は、ドラマの展開を通し、視聴者という受け手に向けて、とても身近な処世術の可能性を提示してくれる。

  

ドラマ『アンナチュラル』の脚本があまりにも巧妙すぎて驚きが止まらない - ジゴワットレポート

 

劇中でも取り上げられた東日本大震災を含め、我々のすぐ隣には常に「死」がある。そして、故人となってしまった人とどう向き合うべきかの選択を、常に迫られている。これを書いている私だって、明日には死ぬかもしれない。もしくは、嫁さんが、娘が、突然死ぬかもしれない。

そんな「死」と、人はどう向き合うべきか。

 

その向き合い方のひとつとして、本作では法医学を採択している。

最終回でミコトが犯人の前で語ったように、遺体が人の気持ちを語ることはない。ただそこにある事実を提供するのみである。しかし、日々進歩する医学が、そこからより確かな事実を汲み取ることができる。

 

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中堂の婚約者・糀谷夕希子の遺体が火葬されていなかったことが判明し、物語の根幹にあった「不条理な死」の代表格が逆転の一手になる展開には、思わず震えてしまった。最後のカードは最初から手元にあったのだ。灯台下暗し、感情の死角。

 

そして、その糀谷夕希子の遺体から高瀬のDNAを検出できたのが「8年前には無かった技術」のおかげ、という持って行き方が素晴らしい。

なぜ、8年前に無かった技術が、今は現場にまで行き渡っているのか。これはもう一目瞭然で、それを確立させるために沢山の遺体が解剖されてきたからである。沢山の「死」が、技術を作り、今回の殺人を立証するに至ったのだ。

これは、最後に六郎が大声で語った「法医学は未来のための仕事」にもかかってくる。死が医学を進歩させ、進歩した医学は死から多くを汲み取り、未来を作る。

 

前述のように、このドラマは「考え方や向き合い方」を示しているのだと、私は思っている。

 

『アンナチュラル』では法医学という手段が採択され、それを軸に物語が紡がれたが、このドラマが本当に伝えたいことは、もっと普遍的で、我々個人にも扱えるものではないだろうか。

つまりは、医学と同じである。「8年前に無かった技術が、未来を作る」。我々も、生きていけば常に死と向き合う。医学の知識こそ無いものの、死と直面する機会が無い人はいない。そこから、どんな想いを汲み取るか、自分の「生」をどう見つめ直すか。そういった「向き合い方」や「考え方」を、医学のように、我々も心の中で常にアップデートすることができるのだ。

 

死と向き合うことは、生と向き合うこと。

医学の進歩と同じように、死と向き合う日々を送るちっぽけな我々も、死に学び、生をより真剣に享受することができる。

 

だからこそ中堂は、糀谷夕希子の父親から、「生きてください」と想いを託される。死と向き合った人ができることは、懸命に生きることなのだ。

また、不条理に不条理が覆いかぶさるこの多難な世の中で、こちらも安直に不条理の棍棒を握って殴り返すのではなく、その不条理とどう向き合うのかを考えて、そして一生懸命に生きていく。

 

法医学という多くの日本人が生涯携わらないであろう分野を通して、とても普遍的で、身近な、「生き方」を提案する。

『アンナチュラル』は、そんなドラマだったと感じている。

 

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思い返せば、8話の雑居ビル火災で亡くなった「大切な居場所にいる人達を助けようとした彼」。9話の時点では、皮肉にも連続殺人犯を助けてしまった絶望に浸ってしまったが、考え方によっては、彼が高瀬を生かしたことが、殺人と断定されず殺された26人を不条理な死から救ったとも言える。

コインが裏返るあの音のように、希望が絶望に反転し、また希望に裏返った。なんとも巧妙な脚本である。

 

また、3話での法廷回で「女は感情的」と揶揄されたミコトがわざと感情的に犯人を追い詰める展開や、新たな解剖を始めるラストシーンが1話冒頭と対になっていたり、ミコトが美味しそうに食事をするシーンがしっかりと描かれるなど、細かな配慮と要素の回収が丁寧な最終回だった。

特に「食事」は、「生」の象徴だ。我々はたまたま生きているからこそ、美味しいご飯を食べられる。

 

加えて、最後までミコトの家族の一家心中未遂について彼女の口から語られることはなく、それを周囲が知ってショックを受けるといった「ありがち」な展開も無かった。「過去に縛られる」役割は中堂が一手に引き受け、ミコトは「過去(=不条理な死)と戦う」賢明な姿のみを見せ続けてくれた。

まさに、中堂とミコトがコインの表と裏。ミコトは中堂が抱える「大切な相手の不条理な死」に彼と一緒に立ち向かうことで、間接的に、自分の過去とも向き合っていたのかもしれない。終わってみればその対比や全体像が見えてくるあたり、本当に造詣が細やかだ。

 

改めて、本当に素晴らしいドラマだったと思う。今後の野木亜紀子氏のご活躍が楽しみでならない。また、キャストの皆さん、スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。

悲しみの涙の最高潮が9話で、最終回は涙があふれるというより、じんわりと潤んで少し笑顔になれる。そのバランスは、まさに「未来を生きる」という希望に満ちた本作のメッセージそのものであった。

 

今日も明日も、一生懸命、生きましょう。

 

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