ブログを本格的に書き始めて、約4年になる。
高校時代から大学にかけてもFC2ブログを運営していたが、Twitterを始めたことでそれはインターネットの海に沈んでいった。
その後、gooブログを始め、昨年よりはてなに移転。先日は大変ありがたいことに「週刊はてなブログ」にも記事を書かせていただけて、おかげさまで楽しいブログライフを送れている。
このブログは、映画や特撮を中心とした映像作品への感想を主に扱っている。
半ば自分自身の鑑賞記録として書き残しているのだが、それが第三者に読まれ、あまつさえ収益を生み出す仕組みがあるだなんて、なんとも奇妙なことである。
そんなスタンスのブログだが、記事への反応として、「言いたいことを言ってくれた」という感想をいただくことが多い。ブコメや、コメント欄、シェアしてくれたSNS等で、そういった感想を目にする。とっても、嬉しいことである。
なぜかと言うと、それは私のブログの書き方にある。
私はブログの文章を書く時に、下書きをしないし、章立てや構成をあまり意識しない。結果的に段落を分けて見栄えを整える時はあるが、ほとんどが最後の校正段階である。
いつも、「〇〇について書こう」と思ったら、指が走るままに無計画に書き続けて、言いたいことが言いつくされたタイミングで指が止まる。それを微調整して記事にする。タイトルも、内容を読み返して最後に付ける。
だから、途中で下書きに保存した記事は、そのほとんどがそのままお蔵入りになる。
もちろん、「これを書いたらTwitterのフォロワーにウケが良いだろう」とか、「このタイトルの方が検索にヒットするだろう」とか、そういう狙いが無い訳ではない。
ただそれよりも、「何か形にしたい」と思った題材について吐き出すように文章を作るタイプなので、実は私本人でさえ書いている記事がどういうゴールに向かうのかよく分かっていない。一心不乱に走ったら見当違いの場所に立っていた、ということも、よくある。
そんな状態で映像作品の感想を書くのは、私が私自身に向けて、「言いたいことを言って欲しい」からなのだ。
頭の中でふわーっとしている感想を、文章にすることで整理して、紐づけて、形にする。そうして初めて、私が私に向けて、「言いたいことを言ってくれた!」と感動を覚える。
だから、誰が何と言おうと、このブログの一番のファン&熱心な読者は、私なのだ。気持ち悪いのは承知だが、自分で過去記事を読み返して「こいつ良いこと言ってんな~!わかる~!」というのを、よくやる。
組み立てはまだまだ下手だし、言葉の選び方も無茶苦茶な時が多いけれど、他でもない私自身が書いた文章だから、共感がすごい。
そりゃあ、当たり前だけど、何よりもそれが楽しい。だから、自分が最強に共感できるブログを作るために、ブログを書いている。
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そんな状態なので、私ではない第三者の方から「言いたいことを言ってくれた」という言葉を頂戴するのは、私自身のために作っていた共感が他の方にも当てはまった喜びに繋がるのだ。
「わかる~わかる~」とひとりでやっていたものが、側から「私もわかる!」と言われて、「あなたもわかるの!?」という嬉しさと驚きを覚える、というやつ。
驚くべきことに、本当に、「文章にすることで感想が明確になる」のだ。これは、万人に共通することではないかもしれないが、やっぱり「出力する」という行為は否が応でも「整理」の手順を踏むことになる。それが成せる技なのだろうか。
ふわっとしていた感想が、文章になって形になる。この快感があるから、飽き性のくせにブログだけはこうも続いているのだと思う。
今日もこうやって吐き出しながら思考を整理して、明日も明後日も、作品を観て面白かった部分、興味深く感じた部分、自分には合わなかった部分を、徒然と書き並べていくのだろう。
よく、ネットでPVを集めるためのポイントとして「共感できる文章を書こう」というアドバイスが並んでいる。私も同意見で、巡回リストのブログやホームページは私が共感してやまない文章ばかりだし、最強の「それ」を作るために「これ」を運営している。「共感」が数字を作るのは、自然なことだろう。
このブログは、これからも自分に向けた「共感」を書き並べていくが、それが誰かの「共感」にもなり得るのなら、これほど嬉しいことはない。
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
今後とも、どうかよろしくお願いいたします。
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