ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

「小林靖子脚本の魅力」を考える。別に必ずしも陰惨で残酷な展開になる訳ではなく、それは深く人を描いた末の結果論

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第四十八幕「最後大決戦」

 

なんだか「小林靖子脚本の魅力とは?」が話題なので、私もひとつ思うところをブログに書いてみようかな、と。

 

小林靖子氏といえば東映特撮を中心に多くの作品を手掛けられていることで有名で、『星獣戦隊ギンガマン』『侍戦隊シンケンジャー』『仮面ライダー龍騎』『仮面ライダーオーズ』など、作品名を挙げれば本当にきりがない。その他に、『進撃の巨人』『ジョジョの奇妙な冒険』などのアニメ方面でもシリーズ構成を務められている。

 

私の世代でいくと、東映版『遊☆戯☆王』の映画で脚本を書かれていたり。

 

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あと、実写版『美少女戦士セーラームーン』も小林さんなんですよね。懐かしい。

 

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で、直近のお仕事として『仮面ライダーアマゾンズ』のシーズン2があったんですけど、これがまあ、また衝撃的な作品で。もちろんここにオチを書いてしまうという野暮なことはしないけれど、いわゆる「小林節」がこっちの方向に振り切れるとこうなるのか・・・ といった感じ。最終回は本当に、なんというか、語り草ですよね。

 

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そんな『アマゾンズ』の印象が強いからか、一見すると「登場人物たちに酷な運命を背負わせがち」という印象に傾く人が少なくないと思うんですけど、これは私としてはあくまで結果論だと思うんですよ。(『アマゾンズ』はそもそも白倉プロデューサー率いる製作陣による「テレビではやれないこと」への挑戦が目的のひとつだったので、必要以上にそういう性格が付与されたのでしょうけど・・・)

 

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ずっと前に引っ越し前のブログにも書いたのですが、私は小林靖子脚本の魅力は「油絵の絵の具をはがす」だと思っているんです。

 

油絵って上から何度でも色を重ねて塗れるんですけど、小林靖子脚本の登場人物(主に主人公)は、絵の具が何層にも塗られてそれなりに綺麗に仕上がった状態で初回を迎えることが多いようなイメージがあって。その絵の具が、物語が進んだある時にポロっとはがされて、そしてその後にまたボロっとはがれて。登場人物が持っていた思いや、背負っていた運命が、いつの間にか露見していく。果てには、キャンバスの布地まで丸裸になる。その布地は結構傷ついていたりして。

 

最終的に、そこにどんな新しい絵の具を塗るのか、それはひとりで? もしくは誰かと協力して? ・・・という感じで、そうして主人公がなにかの儀礼を通過していく様を描く、とでもいうのか。

 

その絵の具のはがし方、はがすタイミング、それによって発動するドラマが、小林靖子脚本の真骨頂だと思うんですよ。登場人物を新しい世界や人間環境に飛び込ませて「設定」で物語を組み立てるのではなく、世界や他者が主人公に影響を及ぼしていく「人物」ありきの物語構成。

 

彼女の描く物語はいつも中心に「人物」がしっかりと置かれている感覚があるんですね。

 

だから、登場人物の感情や機微をおろそかにはしない。演者とのシンクロを常に意識しながら、変に説明的にならないように、そのキャラクターが自然に言ってくれそうな台詞を描く。会話劇のナチュラルな感じが魅力ですよね。

 

私はあまり「当て書き」ということは意識しないのですが、役者さんが演じやすいセリフを心掛けています。

それはイコール、感情が乗せやすいということです。「自分のキャラがなぜこのセリフを言っているのかわからない」と役者さんが悩んでしまうのではまずい。

出来上がった映像を見て、「この役者さんはこういう表情をするんだな」と思ったら、その魅力を強調したりすることもあります。

その結果として、視聴者の皆さんに「キャスティングがハマっているな」と思っていただけるのであれば、ありがたいですね。

 

小林靖子 さんのような脚本家、特撮ライターになるには | シナリオ・センター

 

「絵の具をはがす」というのは一度積み重なったものを撤廃していくことなので、その結果として、登場人物は酷な運命を背負わされることが多い。陰惨で、残酷で、この上ない辛い仕打ちを受けることもある。でもその中に何らかの光明が用意されていて、主人公が悲惨な運命を辿ったとしてもある意味での救いがそこにあったり、もしくは、他者の存在そのものが主人公の光になってくれたりする。

 

つまりは、安易な表現でいくならば、とても「人」を描く方なんですよ。人を描くということは、そこを深堀りすれば当然のように「業」が顔を出すよね、と。

 

別に「上げるために下げる」ということではなく、時には「下げるために下げて下がりっぱなし」な時もあって、辺り一面に色んなものが転がるけども、それでも、そこには「人」を描いた末の納得のいく答えのようなものが用意されている。当然、観ている側は同じ「人」として心がざわざわしっ放しになる。ギュッと締めてくるあの感覚、まさに「小林節」としか言いようがない。

 

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あと、とてもロジカルにお話を構成される方で、俗にいう「破綻」とか「伏線の放置」みたいなものがかなりの確率で起こらない人だとも思っています。上から目線のようで大変恐縮なのだけど、つまりはとても「打率が高い」。

 

例えば興味深いのは、以下のインタビュー。

 

―― 時代劇とか刑事ドラマとか見る時って、繰り返し見るほうですか?

 

小林 そうですね。でも、私が初めてビデオを買ったのは就職してからなので録画機器が当時まだなくて。なので、テープレコーダーで音を録ったりしてました。

 

―― それを聞き直す?

 

小林 聞き直してセリフを書き起こしたりとかして。その当時は『必殺仕事人』シリーズに夢中になってたので、『仕事人』をワンシーズン全部書き起こしました。テープは使い回しなんですけど、そのたびにセリフ全部書き起こして、あらすじとセリフと、あと、何人殺したかみたいな。

 

―― データを取って(笑)。

 

小林 そしたら、書き起こした範囲ではですが、中村主水(藤田まこと)が女を一人も殺してないことに気づいたりとか。

 

―― ええ、そうなんだ! もう研究ですね。

 

小林 そうですね。あれもすごくブームになった時があって、三田村邦彦さんとかが出たときに、若い子にも人気が出て。なので、その頃に夢中になってた感じですね。当時は大阪にいたので、南座に舞台を見に行って。京本政樹さんもレギュラーで出てらしたんですよ。何回か行って、帰ってきてからその舞台を全部書き起こして。

 

―― やっぱり書き起こすんですか!

 

小林 なんか記録に残したいという思いがあったんでしょうね。今じゃ考えられないんですけど、全部覚えてるんです。一字一句じゃないんですけど、展開とセリフを。

 

―― すごい! じゃあ、知らず知らずにシナリオを書くトレーニングみたいになっていたんですか。

 

小林 そうですね。新展開のリズムとか。

 

・ (2ページ目)特撮とアニメの大脚本家 小林靖子が語る「杉良と藤田まこと」への愛 | 文春オンライン

 

あと、引用続きでスミマセンが、アニメ『進撃』『ジョジョ』等のシリーズ構成について語られているこの部分も。

 

小林 実際に絵コンテを描いている人でさえ気づいてなかったりするんですけど、マンガを映像にすると“疑似三次元”になる。たとえばですね、「時間」が生まれるんですよマンガからアニメに映像化した時に。

 

―― 「時間」が生まれる?

 

小林 マンガをページをめくりながら読んでると、時間経過とか距離移動とかあんまり気になりませんよね。でも映像にした途端、画の中に奥行きが出るのと、映像なので時間がどうしても流れるわけです。それが実はコマとコマの間ですごく重要な細部になったりする。例えば『ジョジョ』なんかだと、ジョジョがいつまででも走りながら、ずっとしゃべってるんですけど、実写では「この人、どこを走ってるの?」ってなってしまうから映像的な処理が必要になるんです。ちゃんと映像に翻訳して落とし込まないといけない。この人はどれくらいの距離を走っているんだろうと測ったりもします。ホントに細かい設定なんですけど、そういうところからキャラの心情描写を書きこまなければならないんです。

 

―― 基本的なことで恐縮なんですけど、小林さんはアニメの「シリーズ構成」をたくさんされています。この「シリーズ構成」というのはどういう仕事なんですか?

 

小林 例えば今回1クールでこの原作のこの回からこの回までをやりますって決まったら、「じゃあ第1話に原作のどことどこをどう入れていくか」という割り振りを決めます。たとえば週刊誌連載の漫画3週分を、実質20分のアニメ1話分にそのまま収めると、20分の中で3回はヤマ場ができちゃうんです。なぜかというと、週刊誌連載は1回ごとにヤマ場があるから。これだと、グチャグチャの落ち着きのないアニメになっちゃうので、連載3週分の話をうまくクライマックス1回の話に調整する――そんなふうに頭をひねるという仕事ですね。

 

―― 平均化するような作業なんですね。

 

小林 いくら原作ファンに「あのセリフを落としやがって」とか「変えやがって」って言われようが、やっぱりアニメとして面白くするというところに専念します。

 

「変身しないものは書けない」脚本家・小林靖子が語る特撮と時代劇の未来 | 文春オンライン

 

とても理知的というか、論理的というか。「物語を構成する」という作業をひとつの数式のように捉えられている印象があって、分析と調整に余念がない方なのかな、と。

 

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そんな整備された土壌に、先に書いたような「人とその業を描く」という作家性が乗っかってくるので、結果的にはあまり計算高さを感じさせないドライブ感すら醸し出していたり。この両輪のバランスが本当に絶妙というか。

 

先日、ドラマ『アンナチュラル』の脚本についての記事で、「野木亜紀子氏の脚本は何重にも意味が重なってくる複雑なパズルだからすごい!」という感想を書いたんですけど、小林靖子氏も割とこれに近いと思うんですよね。観終わってみると、あれとあれが、それとそれが、関係ないと思われた要素が実は綿密に計算されて重なっていたことに気づく。あの快感は本当にたまらないです。そしてその重なった全てが、見事に主人公の背中にのしかかっていたり。

 

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「人に苛酷な運命を背負わせる」というより、「その人が背負っていた苛酷な運命を明らかにする」。「人が陰惨な状況に出会う」というより、「陰惨な状況がその人を取り囲んでしまう」。

 

そうやって描かれる「人」の物語は、ものすごく計算された土壌の上で語られていく。観る者は、自然と身を任せ、いつの間にか心が締め付けられていく。そして最後には、なにか救いのようなものを見い出して涙する。「人」を描くということは「掛け合い」を描くということでもあるので、生きた人間同士の人間味あふれるやり取りも面白い。

 

「脚本 小林靖子」の6文字は、いつだって我々に安心感と期待と覚悟を3:3:4で抱かせてくれる。そんな小林さんの脚本に、これからも、大いに踊らされ、これでもかと翻弄されることを、望んで止まないのだ。

 

(ちなみに、井上敏樹脚本は、油絵の上に新しい色の絵の具がどんどん塗り足されていって、いつの間にかやたら芸術的な完成物が出来上がっているイメージです。)

 

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