今、『仮面ライダーエグゼイド』が面白い!…という三流文句を叫びたくなるほどに、今、『仮面ライダーエグゼイド』が面白い。自分の中では「絶賛大ヒット!」という声が毎週鳴り響いている状態だ。『クウガ』から観てきた平成仮面ライダーシリーズも遠いところまできたなあ、と感じつつ、『ディケイド』までのいわゆる“一期”の造り方と、『ダブル』以降の“二期”の造り方、その双方を上手くハイブリッドにしたのが『エグゼイド』なのではないか、という感慨深さを覚えている。
というのも、あくまで個人的な視点だと前置いた上で、『エグゼイド』を語る上で『仮面ライダー鎧武』という存在は外せないと考えている。(『電王』の下敷きを受け)『ダブル』以降確立した「2話前後編ゲストお悩み相談手法」を打破しようと、そこに“一期”の連続ドラマ性を盛り込み、裏切り・裏切られの群像劇を描いた『鎧武』。その挑戦の全てが上手くいったとは今でも決して思っていないが、“一期への目配せ”がスパイスとなったその造り方は、“二期”において今でも強い異彩を放っていると言えるだろう。ネット上でも清濁盛り沢山の意見が未だに交わされるほど、この作品は色んな意味で面白かった。
そんな『鎧武』が「1年間走り切れた」という実績、また、年間プロットをしっかり整備して部分的に逆算して謎を蒔いていく造り方は、私は確実に『エグゼイド』に引き継がれていると見ている。主義主張の違いで争い合う仮面ライダーたちと、その影でうごめく巨大な陰謀。
そして、更にはここに「平成ライダー要素のハイブリッド構成」を感じられるから面白いのだ。例えば、スマートブレインやボードやユグドラシルのような立ち位置のゲンムコーポレーション、そして前作『ゴースト』が1クール目で目指した「1話完結と縦軸連続ドラマの同時進行」。“一期”でよく見られたライダー同士のすれ違いや仲違いに、それと同時に描かれる“二期”の代表的要素と言える驚異的な新アイテム登場ラッシュ(ノルマクリア)。前述した「2話前後編ゲストお悩み相談手法」は一見「1話完結と縦軸連続ドラマの同時進行」と矛盾するようにも思えるが、「ライダーたちのストーリーを1話単位で完結させる一方で患者のドラマだけを2話前後編でクリアする」という離れ業。
はっきり言ってしまうと、私は『エグゼイド』そのものに“目新しさ”はあまり感じられない。つまり、これまでの平成ライダーが確立or挑戦してきた様々な要素をパズルのように組み合わせた「ハイブリッドな魅力」という印象が、非常に強いのだ。「これは『〇〇(クウガ~ゴースト)』っぽい」とついつい言いたくなる要素が散りばめられており、しかし断じて「寄せ集めの継ぎ接ぎだ」と感じる訳でもない。とにかく、足し算・掛け算、そして引き算が上手いなあ、という感嘆の声を漏らしてしまう。
メインライターの高橋悠也氏が17話現在全話ひとりで書き切っており、だからこそ「1話完結性」と「縦軸連続ドラマ」の絶妙な配分が途切れなく継続されるという、もはや感動の域に入り始めた『エグゼイド』。まあ、ここまで陶酔しつつも全部が全部完全無欠だとは思っていないが(未だに「この俺をゲームエリアに転送したか」のぶっとび展開を忘れない)、そんな部分も含めて大好きな作品になりつつある。永夢のゲーム病は、果たして“どこまで”“どの時点まで”“誰に”仕組まれたものだったのか。仮面ライダークロニクルとは一体何なのか。九条貴利矢が知ってしまった真実とは、一体何だったのか。物語の行く末が、毎週楽しみで仕方がない。
そんなこんなで前置きが長くなったが、そう、九条貴利矢である。「何らかの真実」を知ってしまったがためにその命を落としたキャラクターだが、いやはや、本当に“やられた”存在だった。まさかこんなに上手くやってくれるとは…。この『エグゼイド』がいかに計画的に九条貴利矢を散らせたかを改めて考えていくと、大森敬仁プロデューサーや高橋悠也氏の計算高いパズルの全貌が見えてくる。
何度も話が戻ってしまうのだけど、「話の序盤で命を散らすことで物語の過酷さを体現するキャラクター」という意味では、近年ではやはり『鎧武』の初瀬亮二を挙げない訳にはいかない。ヘルヘイムの実が持つ特性、そしてユグドラシルが無慈悲に計画を進める組織だという“次なる展開”を表現するために、初瀬亮二は怪物と化した後に絶命した。葛葉紘汰が初瀬を殺すことができず、水際で苦悩の声を漏らしたあのシーンは未だに脳裏に焼き付いているし、彼が無残に死んだことが『鎧武』の作品カラーを決定付けたのだと思っている。しかし同時に、私は初瀬というキャラクターに大きな“惜しさ”も覚えているのだ。最初からこういう役回りのキャラクターであったのであれば、もっと主人公と関わらせておけば、もっと物語の中央寄りにいれば、狙った効果は何倍にもなっただろうに、と。
初瀬は主人公である紘汰の携帯電話番号まで知っていた訳で、例えば「チーム鎧武とレイドワイルドがひょんなことから共同戦線を張る話」とか、そういう類のストーリー展開が事前にあとひとつでもあれば、もっと彼の死は意味を強めたと思うのだ。要は、視聴者が肩入れするには正直まだキャラクターが若干浅かったかなあ、と。初瀬という存在が『鎧武』において大好きだからこそ、ここにずっと(勝手に)心残りがあったのだ。
そしてもうお察しだと思うが、初瀬亮二からの九条貴利矢である。本当に私の勝手な注文だと何度もことわっておくが、私にとっての九条貴利矢は、「最高の形で命を散らした初瀬亮二」なのだ。OP映像から何から完全なメインキャラクターとして登場し、専用アイテムも専用武器もしっかり与えられ、主人公と一番早く近付きながらもまた離れ、彼の過去を下敷きにした信頼のドラマをしっかり積み重ねた後に、物語の縦軸が持つ謎を最高に煽りながら敵に殺される。なんというパーフェクト初瀬亮二…!!
散々言われていることだが、共通のゲーマドライバーは九条ひとりがリタイアしたからといって出番は減らないし、バイクそのものは歴代でもトップクラスの強烈な個性を帯びたまま物語に残り続けるし、ガシャコンスパローはゲンム(ゾンビゲーマー)がまるで「死神の鎌」のように継続して使い続けるし、「物語的な意味」でも「販促上の事情」でも、九条貴利矢が持っていた要素はほぼ全てが無駄なく“今もなお”機能しているのだ。それでいて、もはや言うまでもない「これは命がけの戦いなんだ」という作品カラーへの影響もこなしている訳で、いやはや、よくこんなにも“しっかり用意してしっかり殺した”なあ、と。
加えて、演じる小野塚勇人氏が本当に素晴らしかった。「嘘つきで軽い監察医」というチャラけながらも腹の底が読めない人物を、絶妙に演じ切ってみせた。もう既にそうなっているが、ファンに末永く愛されるキャラクターとしてずっと語り草になっていくだろう。第7話「Some lie の極意!」は特に秀逸で(タイトルからして最高!)、「嘘を付く行為そのものが彼の他人への優しさであり、しかしそれが肝心な場面で仇となる」という展開は、神の視点で彼の過去をも観ている我々視聴者が主人公を差し置いて真っ先に感情移入してしまう見事なキャラクターを造り上げた。しっかり感情移入させて、しっかり退場させる。これから、劇中でバイクが登場する度に心のどこかがチクリと痛んでいくのだろう。
『エグゼイド』の魅力は「平成ライダーあるあるが盛り沢山のハイブリッドな構成」、そしてそれを構築する「計算高いパズル」だと書いたが、その象徴的な存在が九条貴利矢だと思えてならない。彼と彼の死のおかげで、謎は謎のまま更なる重要性を帯び、ゲームオーバーの恐怖と常に隣り合わせで、主人公はとっても思い出深いバイクを乗り回しつつ、犠牲を出してしまったという後悔と復讐の念をはらみながら物語は進行していくのだ。ありがとう、九条貴利矢。本当にありがとう。そして、彼を見事に散らせた製作陣が描く“パーフェクトパズル”を、最後までしっかり見届けていきたい。
※当記事は引っ越し前のブログに掲載した内容を転載したものです。(初稿:2017/2/10)