ライダーと比べるとどうしても上映時間が短いので、しばしばネットでもオマケ扱いを受けてしまう戦隊夏映画。
しかし、ちょうど番組が中盤に差し掛かった頃に公開されるだけあって、「前半集大成」「番組コンセプトのおさらい」「根幹テーマの再描写」といったことをやれる強みがあり、毎年楽しみにしています。
そんな戦隊夏映画ですが、今年は『エグゼイド』と併映された『宇宙戦隊キュウレンジャー THE MOVIE ゲース・インダベーの逆襲』。
宇宙SFということで、『スター・ウォーズ』の『帝国の逆襲』のパロディタイトルということかな。
ゲース・インダベーの名前もそうですし、デス・スターならぬ惑星形の破壊兵器も登場しますしね。
結論から言ってしまうと、何というか、良くも悪くも「いつもの」でした。
これが『ジュウオウジャー』ならそれで良いのだけど、『キュウレンジャー』だと不満に繋がってしまう ・・・という辺りをぶつぶつと書いてみたいと思うんですけど。
というのも、『キュウレンジャー』、メインのTVシリーズがあんまり盛り上がっていないんです、自分の中で。
好きなんですけどね、とっても。
それが何故かというと、「シリーズ初の9人戦隊」「宇宙をまたにかけて戦う」「敵組織はすでに宇宙を征服済み」という前代未聞なスケールの設定を打ち出したにも関わらず、結局やっていることが「いつもの戦隊シリーズ」の枠からはみ出せていない、と感じるからなんです。
第1話放送直前の東映公式HPに、以下のような記載がありました。
キュウレンジャーとなる9人の救世主たちは、それぞれが星座の力を纏い、悪に支配された宇宙を解放するために戦う、宇宙各地から集まった宇宙を代表するスーパースターたちの集まりです。
スーパー戦隊は複数ヒーローですから、力を合わせて敵を倒すところにカタルシスがあることは間違いありません。しかし、<1人では倒せなくても、9人で力を合わせれば敵なしだ!>という戦隊にはしたくないと思っています。1人でも最強の戦士が9人集まった、宇宙最強のスター軍団、それが宇宙戦隊キュウレンジャー。そうでもないと、宇宙のほとんどを支配しているジャークマターには歯が立たないですしね(笑)
1人1人がスーパースター、9人揃ってオールスター。
とにかく強く、とにかくカッコよい戦隊、これを目指します。
このコンセプト自体はすごく好きなんですけど、結局この通りになっているかというと、自分の中では「否」なんですよね・・・。
結局は、毎年の「皆それぞれ弱い部分があるけど補い合って最強のチームだぜ!」という様式美に収まってしまっていて、「それ自体」は同シリーズの型として良いのだけど、『キュウレンジャー』としてはどうなんだ、と。
また、同じく放送前のHPの、これも引っかかってまして。
いつもは敵が侵略に来るのを受けて立つフォーマットが多いスーパー戦隊シリーズですが、
今作では侵略され済みの宇宙を自分たちから仕掛けて解放していく能動的なヒーローとして描いていきます。それも<強い戦隊>であるためにはどうすべきかを突き詰めた結果導き出されたギミックです。
ロケの都合だとかの制約があるのは重々承知の上で、やっぱり、地球に構いすぎなんじゃないですかね、いくらなんでも。
最近はもうめっきり「太陽系滞在の地球防衛軍」みたいな感じになっちゃってて、宇宙を能動的に解放していく姿がほどんど見られないという・・・。
だから、ラッキー以下が「宇宙を救うぜ!」と叫ぶたびに、地球に構いすぎている小規模さが浮き彫りになってしまうという、まさに自らの首を絞めている状況に思えてしまうんですよね。
ただ、互換性が驚異的なキュウレンオーや、個性が強すぎて面白いキャラクターの面々など、好きな部分(新鮮味を感じる部分)は沢山あって、だからこそ、結局「いつもの」に収まってしまっている現状が、いちファンとして歯がゆいというのが本音なのです。
前作の『ジュウオウジャー』は、40作記念を受けての「シリーズ王道を征く」というニュアンスが強かったので、『ジュウオウジャー』が「いつもの」をやるのには大いに意味があると思いますし、実際かなりの「いつもの」でした。
その中に卑屈系の追加キャラなどの目新しい要素を入れていくことで、王道ながらも小粒揃いのアプローチを仕掛ける、という感じ。
安易に前作と今作が云々、という比較論はしたくないのですが、スーパー戦隊シリーズという長い歴史を見てみた時に、『キュウレンジャー』はやはり「コンセプト負け」に片足突っ込んでしまっていると思うんです。
※以下、映画本編のネタバレがあります。
という感じでやっとこさ映画本編の話なのですが、そもそも論として、なぜ地球が危機に直面しているのかがよく分からない。
地球はすでにジャークマターの支配下にあるという話なのに、独立部隊長のゲース・インダベーがわざわざ巨大彗星兵器を衝突させようとするのって、なんの意味があるんでしょうか・・・。
地球はプラネジュームという資源が豊富で、しかもそれ以上の「何か」があるから、他の惑星に比べてジャークマターがやたら念入りに支配している、という話でしたよね。
わざわざ所属組織が支配している油田を粉みじんに破壊する隊長って、いるんですか?
まあ、あれですよ。
インダベーはショウ司令に対して個人的な恨みもあったので、もしかしたらジャークマターでもかなりの異端児だったのかもしれません。
組織の命とかクソ喰らえな立場だったのかもしれませんね。
とはいえ、とはいえ、ですよ。
TVシリーズでも散々地球を守っているのにせっかくの映画でもまた地球とか、幻の封印されしケルベロスが「なんの説明も無いけどキュウレンジャーのボイジャーと同型でした!」とか、9人以上のチームなのに意見やアプローチの違いが無く結局ラッキーの当てのない勢いで引っ張られて結果的に万事解決とか、そういうところなんですよ・・・。
悪い意味で「いつもの」、なんですよ。シリーズとしても、『キュウレンジャー』としても。
まあ、戦隊夏映画って難しいんですよね。
「映画ならではのスケール感」と「いつもよりちょっとだけしか長くない上映時間」が、単純に食い合わせが悪い。
だから、例えば、『ゴーバスターズ』の「実在するスケール感の建物を使ったロボ戦をやる」、『キョウリュウジャー』の「ミュージカルをやってみる」、古くは『デカレンジャー』の「TVシリーズ以上の大掛かりなアクションに挑む」といった、何らかの「フック」「売り」を設けるパターンが多い。
こうすることで、短い上映時間でワンポイントな強みを作れる訳ですね。(一概にそれらが成功しているとは言いませんが)
この点も、やはり今回の『ゲース・インダベーの逆襲』は「弱い」。
確かに3つの惑星に分かれてのケルベロス争奪戦というポイントはあるのだけど、そのうちのバイクチェイスくらいしか目新しさが無い。
チャンプの正真正銘「リングスター」が観られたのは良かったんですけどね。
地球がキュータマになって『妖星ゴラス』的なアレになるのも面白かったんですけど、地球規模の大決戦はどうせならTVシリーズの最終回に取っておいても良かったのでは、という余計な心配が拭えず・・・。
あ、でも、「超巨大戦」「巨大戦」「等身大戦」をひとつの画面で見せるカットとかはすごく好きでした。
なんかこう、とりとめのない感じになってしまいましたが、要は、「『キュウレンジャー』、応援してます!」というやつです。
個々のキャラクターはすごく好きなので、もっとラッキーやスティンガー以外の面々を深掘りしたり、それぞれの出身惑星をストーリーに絡めてみたり、そういう後半戦を期待したいと思います。
宇宙戦隊キュウレンジャー キュータマ合体01,03,05,07,09 DXキュウレンオー
- 出版社/メーカー: バンダイ
- 発売日: 2017/02/11
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