ジゴワットレポート

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創作者(作者)と作品は分けて考えるべきなのか、に関する雑感

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SNS等で定期的に回ってくる話題として、「創作者(作者)と作品は分けて考えるべきなのか」というものがある。例えば人気漫画家がSNSで炎上した際に、ハリウッド役者のスキャンダルが報じられた際に、毎度のように挙がる話題だ。

 

先に私の中での結論から書いてしまうと、「作者と作品は分けて考えるべきである」。しかし、そう簡単にいかないよね、という話を脈略なく書いておきたい。

 

先日、漫画家・アシスタントの賃金問題がネットを騒がせた。詳細は本題でないのでここでは省くが、その一連の流れに登場した某漫画家が作品をWeb連載中だったこともあり、直後に公開された最新話の公式コメント欄がものすごく荒れる、という出来事があった。

「作者と作品は分けて考えるべき」に準じるならば、そのコメント欄での出来事そのものがナンセンスであり、誰かが「悪い」とするならば、「分けて考えることができないコメント投稿者(読者)」と言えてしまうだろう。

 

本来、作者の人間性と作品のクオリティに相関を見い出すのは、非常に困難である。性格がクソな人からも傑作は生まれるだろうし、逆に、万人から愛される人が万人から愛される作品を作れるとは限らない。作品を製作する技巧やセンスは持ち主の人間性に関係なく、磨かれ・高められるものだろう。

 

しかし人間とは不思議なもので、頭では分かっていても心が上手く判断を下せないことが、頻繁にある。

まだ高校生の頃、母親と大喧嘩した後に食べた母親の手料理は、いつも通り美味しいのにそれを絶対に認めたくなかった。職場にはあまりに高圧的で性格が難ありに思える同僚がいるが、彼の仕事の正確さと発想の柔軟性は社内でもずば抜けている。

 

結局、「作者と作品は分けて考えるべき」だと頭では分かっていながら、作者の人間性や日常の発言に「引きずられない」ことは、実質不可能なのだと思う。人間、そんなに白か黒かハッキリと毎日生きられるものではない。

ただしこれは、だからといって、「本来作品を語る場で作者の人間性について言及しても良い」といった免罪符を主張するものではない。「引きずられてしまう」ことと「実際に言及する」ことはイコールではないからだ。

 

つまりは、こういった「作者と作品は分けて~」などと語り出すオタクが実は少数派という現実があり、多くのファン(もしくは読者・視聴者)は何も考えずに素直に引きずられてしまうのだろう。そうでなければ、「この作品は作者がクソだからクソ!」なんて公式のコメント欄に書き込む人間はこの世にいるはずがないのだ。「オタク分別」のある人間は、仮にそう思っていても、第三者に伝わる場所でそれをそうとは書かない。

 

スマホの普及にあわせてインターネットの敷居(誤用)が加速度的に低くなってきた昨今、「オタク分別」を会得する機会に全く出会わない人も増え、その現象は作者(作り手)自身にまで広がっている。

否が応でも「引きずられる」ことは誰しも感覚で分かっていることなので、仮にモノ申したいことがあっても、「炎上しそう」「これは自分が作った作品にとってマイナスになりそう」と察してその発言を控える「分別」のある作者も、大勢いるだろう。しかし、そうでない作者も沢山いる。

 

汚い部分を持っていない人間なんてそういないし、脳内で毒づくことも、内心で舌打ちすることも、誰だってあるだろう。どんなに素晴らしい作品を作る作者だって、普通に、そういうことはあるだろう。

ただし、それをそのまま第三者に向けてSNS等で出力してしまう判断基準(分別)については、作者個人の創作とは全く違ったスキルが必要になる。それは、往々にして経験則によって積み上がるものだが、我々オタクが常に消費者の立場でネットに浸ってその分別を身に着けることを、作者に押し付けるのも難儀なことだとは思う。

しかし、今や一度の炎上が命取りとも言えてしまう時代になってしまった訳だが、経験則が積み上がり「オタク分別」が育つ前の段階として脳内とSNSがホットラインになってしまうパターンは少なくない。それは一種の事故とも言えるが、分別を身に着けたオタク(≒ネット強者)はそれを簡単には許せない。

 

最初に書いたコメント欄が荒れた出来事も、そういったコメントを書く消費者に「分別」が身に着いていないだけの話だ。とはいえもっと言うと、その「分別」を持つことが必ずしも「善い」ことだとも思えない。「作者と作品は分けて考えるべき!」と叫びながらも、有名アーティストが多額の寄付をしたら「さすが!あの曲を作る人は違う!」などと賞賛が集まる。そんな「分別」は、ディスプレイの向こうでしか活用できないのかもしれない。

 

結局、「作者と作品は分けて考えるべき」と頭でブツブツと念じながら「分別」を実行していくしか、我々に残された術はないのだろう。

自分の大好きな作品の作者が犯罪を犯して逮捕されたとしても、それでも、我々に残された対応は、「作者と作品は別… 作者と作品は別…」と目標をセンターに入れてスイッチすることなのだ。そうやって言い聞かせて、引き続き作品を愛でることしかできない。

 

先人が残した偉大なる格言「半年ROMれ」は、そういった清濁様々な「オタク分別」を身に着けるに一役買っていたのだろうね。

 

 

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