ジゴワットレポート

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感想『アベンジャーズ / インフィニティ・ウォー』MCUが繰り出すエンターテインメントの新たな形と、その反証としてのサノス

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MCUシリーズ1作目の『アイアンマン』を劇場で観てから、早くも10年。

 

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あの頃、下宿で暮らす大学生だった自分も、気付いたら結婚して子供までいるアラサーになっていた。短いようで早い10年間、絶え間なく新作を世に送り出し、そのクロスオーバーに余念のなかったMCUが、ついに「終わり」に向かって明確な舵を切った。ここまで膨れ上がったコンテンツがその決断を下す素晴らしさといったら。感無量である。

 

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『アベンジャーズ / インフィニティ・ウォー』(以下『IW』)は、08年の『アイアンマン』からの累計18作品が濃密に絡み合う集大成的作品である。

 

これまでも、『アベンジャーズ』やその続編『エイジ・オブ・ウルトロン』でヒーローたちの共演は描かれてきたが、そのユニバース全体で裏を引くラスボス・サノスが表舞台に登場することはなく、舞台も常に地球であった。

 

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三度目のアベンジャーズこと『IW』は、既存のアベンジャーズ土壌と連作で温めてきた『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の設定を遂にドッキングさせ、全世界が待ち望んでいた宇宙規模の決戦が繰り広げられることになる。そこに、近年の大型新人「ブラックパンサー」「ドクター・ストレンジ」「スパイダーマン」らが参戦するというのだから、この衝撃はどれだけ頭を捻っても言葉では言い表せない。

 

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何よりまず、MCUというユニバースがこの規模で成立していることそのものが、この映画の最大の魅力だ。

 

映画の続編やスピンオフというアプローチの、もう一段階上へ。共通する世界観で連作が紡がれ、それが時に濃密に交わるというユニバース構想。上手くいけば根強いシリーズファンを獲得できる安定感を生み出し、失敗すれば一見さんお断り状態で自滅してしまう。そんな映画史に残る挑戦にマーベルが乗り出し、見事に成功。今では、DCEU、ダークユニバース、モンスターユニバースと、映画シリーズの作り方として新たなトレンドを確立させるまでに至っている。

 

『IW』のパンフレット内コラムにて、アメキャラ系ライター・杉山すぴ豊氏は、MCUについて以下のように語っている。

 

能力のみならず、考え方も価値観もバラバラな彼ら。でもその違いをのりこえて彼らは結集します。僕がマーベルの世界に魅了されるのは、まさにここです。 “この世界の中にはいろんな奴がいていい、そして誰に対しても活躍できる場所がちゃんとあるんだ” それがマーベル・シネマティック・ユニバースです。

 

MCUがここまで大きなコンテンツに成長するにあたって、ここにあるような多種多様なキャラクターの魅力が大いに貢献している。自己中心的だけど人間味あふれるトニー・スタークに、その真っ直ぐな眼差しが時に眩しすぎるスティーブ・ロジャースなど、個々のキャラクターの「良さ」がこれでもかと完成されている。

 

その個性的なメンバーが、各々の葛藤や課題を乗り越え、時に出会い・別れ・失い・団結し、成長を重ねていく。だから、アメコミ実写映画化という枠を超え、ヒューマンドラマ&映画作品としての「格」を感じさせてくれる。

 

 

しかし同時に、私はこのMCUにもっと広い意味でのテーマを感じている。それは単純に、「どこまでもエンタメたれ」という姿勢が常に維持されていることだ。

 

MCUは、キャラクターという取っつきやすい入り口を設定しつつ、作品ごとに作風や取り上げるテーマをコロコロと変えている。ファシズムをはらんだサスペンスとして描かれた『キャプテン・アメリカ / ウィンター・ソルジャー』では、等身大での生身アクションの最先端を魅せてくれたし、家族愛モノとしての『アントマン』、ティーンエイジな学園ドラマの『スパイダーマン / ホームカミング』、スペースオペラの『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』と、映画に限らずあらゆる映像作品がトライしてきたいくつものジャンルをひとつのユニバースにパッケージするかのような勢いがある。

 

 

その結果、どこまでもエンターテインメントとして洗練され、隙がない。単純に、追い続けるのが楽しい。キャラクター、テーマ、作風、映画としての構造。ここまであらゆるエンタメのエッセンスが投入されたシリーズは、過去にも無かっただろう。そしてそれは、元がコミックという土壌の深さや歴史の厚さがあるからこそ、なし得た奇跡なのだ。

 

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だからこそ、どこまでもエンタメとして、どこまでも観客が楽しめる映像作品を作る姿勢として、今作の『IW』はひとつの極致に達している。

 

みんなが大好きなキャラクター同士の掛け合いはもちろんのこと、VFXで作り上げられたサノスの造形や質感、異なる作品の衣装やセットがひとつの作品内で展開される美術のハイレベルさなど、どこを切り取っても「エンターテインメント」としてのパワーに満ち溢れている。

 

こんなにも洗練されたエンターテインメントが、この規模で成立している。ストーリーよりも何よりも、まずはここが最大の感動ポイントなのだ。よくぞこの10年間、積み上げた。そして自分よ、そくぞこの10年間、追い続けた。お前は映画史に残るプロジェクトを確実に目撃したひとりだ。そんな、ただ観ていただけの自分を誉めてあげたくなるほどに、偉大なるユニバースなのである。

 

といった辺りで、そろそろ具体的なストーリーについて言及していきたい。大々的に箝口令が敷かれている作品なので、以下のネタバレを含む感想については、ぜひ個々の責任で目にしていただきたい。

 

まずもって、本作の最大の特徴は、待ちに待ったヴィラン・サノスのキャラクター造形にある。「宇宙の半分を消して均衡を保つ」という動機は、その背景に人口増加や食糧難、ひいては有限なエネルギー資源を想起させることから、もはや手垢のついたものだとも言える。いつだってラスボスは、自分なりの理想のために世界を滅ぼそうとするのだ。

 

 

しかしサノスは、それを自らの使命として純粋に受け入れていること、家族を愛するという感情と完全に同居させていることなど、ソシオパスな性格を持ち合わせているのが興味深い。また、あふれる父性やいかつい体格に似合わないチャーミングな語り口など、ギャップが作り出す魅力にも隙がない。彼がなにを犠牲にしてでも己の理想を追求したいのか。物語は、まるでサノスこそが主人公であるかのように進行していく。

 

これまでMCUが培ってきた「キャラクター造形」というスキルがこれでもかと注がれたサノスは、極悪非道のアベンジャーズ最強の敵でありながら、多くの観客にどうにも憎めない印象を与えることに成功している。宇宙の半分を滅ぼすという壮大な目的と、いち個人としての感情の動き。そのアンバランスな強さが微妙に常識とズレたサイコな方向性でまとまっているのだ。人間味があるけれど、ギリギリで感情移入ができない。そんな、絶妙な味付け。

 

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物語は、サノス襲来に備えるアベンジャーズの面々という流れに加え、次々とインフィニティ・ストーンを手に入れるサノスの道中がメインとして描かれる。

 

アベンジャーズ側の20人を超えるメインキャラクターが誰一人その魅力を欠かすことなく共演しているのも驚異的だが、特筆すべきは、そこにサノスが全く埋もれないばかりか、サノスひとりの魅力が既存のキャラクター全員分のそれを上回りそうなところである。

 

動機や佇まいだけでなく、冒頭数分でハルクとインファイトで対決して完勝する圧倒的なパワーに、涙を流しながらガモーラを死に至らしめるそのストイックな情緒、ガントレットを用いて隕石を生成する攻撃方法から、ワンダが決死の覚悟で愛するヴィジョンをストーンごと殺めたのにも関わらず瞬時に時間を戻してそれを無に帰す圧倒的絶望演出にいたるまで、『IW』はサノスの見どころばかりを集めたサノスムービーとして完成されている。もはやタイトルが『サノス』で副題が『インフィニティ・ウォー』なのでは、と錯覚してしまうほどに。

 

これまでキャラクターの魅力をメインに作品群を構築してきたMCUが、最後に用意した大玉・サノス。そのキャラ造形テクニックがこれでもかと詰め込まれたサノスは、ドラマにおいても、アクションにおいても、モーションキャプチャーによる映像技術に至るまで、エンターテインメントの粋を結集した存在であった。その大きすぎない絶妙なサイズ設定ですら、愛おしい。

 

そんな彼が宇宙の半分を間引くというのだから、さあ大変。アベンジャーズは、決死の覚悟でそれを阻止しようとする。本作も「アメコミヒーローもの」という原典の魅力に忠実に、これでもかとヒロイックなシーンが詰め込まれている。

 

ワンダがピンチに陥ったタイミングで列車の向こうに黒い影が見え、待ってましたとばかりにキャプテン・アメリカが登場するあのカットは、思わず椅子から立ち上がってしまうところだった。また、あまりの大多数の敵の軍勢に押され気味だった終盤に、新たな武器を引っさげて宇宙から飛来するソーのこれでもかと劇的な登場シーン(しかもアベンジャーズのメインテーマが鳴り響く!)に、拳を握らなかった人はいないだろう。

 

「ワカンダフォーエバー!」からのマスクオンで戦闘開始するブラックパンサーに、爆撃で魅せるウォーマシン、オコエにナターシャといった女キャラクターのタッグなど、ヒロイックな見せ場やヒーロー共演物に期待したい要素が、これでもかとぎちぎちに詰め込まれていた。

 

スター・ロードがワイヤーの操演で宙にステップを踏むアナログな動きを見せたかと思えば、スパイダーマンは背中から脚を繰り出し、ドクターストレンジは千手観音からの分身でVFXを湯水のように活用する。重ね重ね、あらゆるエンターテインメントがトライしてきた映像演出(特撮技術)が詰め込まれてた本作は、フィクションの世界を愛好してきた私のような人間にはあまりにも豪華な褒美だ。こんな見本市があって良いのだろうか。感無量だ。

 

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しかしながら、本作の映画としての構成が優れているかといったら、私はそうは思わない。とはいえ、それはいわゆる既存の評価軸であり、正確には「それに類しない」と言った方が正しいかもしれない。

 

起承転結があり、それなりにテーマがあり、キャラクターの成長や変化がある。そんな、多くの映画が踏襲してきた方法論をかなぐり捨てるかのように、本作は最初から最後まで絶え間なく見せ場が続く。

 

それは当たり前で、18作品からの20を超えるキャラクターが登場するのだから、「共演」だけで盛り上がってしまうのだ。そこに彼らが居るだけで見せ場になる。そしてそれがずっと続く。だからこそ、いわゆる「映画的」な緩急や起承転結のレールに乗せる必要がない。びっくりするほどに割り切った作りである。しかも上映時間は150分の長丁場だ。

 

最初から、一見さんに各キャラクターの背景を説明することをかなりのレベルで放棄し、特定の主人公を設定することも、ましてや緩急をつけることにも消極的な作り方。引き換えに、「居るだけで見せ場」となるクロスオーバーの魅力そのものを立て続けに演出することで、既存の映画ジャンルの枠の、どこか外にあるかのような印象すら抱かせる。

 

上で、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』がスペースオペラ、『ホームカミング』が学園ドラマと書いたが、本作『IW』のジャンル(もしくは主題)は、間違いなく「クロスオーバー」だ。

 

マーベルが10年間やってきたユニバース構想の強みを使って何かを描くのではなく、その強み、そのものを、映画のテーマとして真っ正面から打ち出す。根底にある訳でも、それを応用する訳でもなく、それ自体を中心に据えるやり方。あのキャラクターとあのキャラクターが共に戦い、あの舞台とあの設定が交わっていく。その「交わり」をメイン格に据えた映画の作り方は、確かに、前人未到の10年間を築き上げたMCUにしかできないことだ。

 

大げさにいえば、この2018年春、ここに「クロスオーバー」という映画の新しいジャンルが確立されたのかもしれない。言い換えれば、「クロスオーバー」が方法論からメインジャンルへと晴れて羽化したのだ。そう叫びたくなるほどに、もはや既存の語り口では評せないショックを体感した。

 

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そんな未曾有のクロスオーバーを、ただとっ散らかった印象に薄めないために、魅力的なヴィラン・サノスを作り上げ、彼の魅力という串を映画そのものにしっかりと通す。これにより、「交わり」がそのままあらぬ方向に逃げることなく、常にサノスという中心軸に振り回される構図が完成しているのだ。だから、これだけの物量が、あろうことかちゃんとまとまっている。うるさくないし、散らかっていない。驚異的である。

 

サノスが目指す「均衡」は、「消滅」によってもたらされる。MCUも、数え切れないほどのキャラクターとぎちぎちに詰め込まれた設定の数々が、もはや飽和状態に達している。サノスの「間引き」は、作品内の物語だけでなく、10年かけて膨れ上がったMCUという巨大なコンテンツそのものへの、作り手によるセルフアンチテーゼにも思えてしまう。「本当にクロスオーバーで作品が成立するのか?」「キャラクターの共演という強みそのものを削いだらどうなるんだ?」などといった、制作陣の強気の自問自答。

 

そんなサノスにより訪れた、多くのキャラクターの消滅。ロキ、ガモーラ、ヴィジョンといった面々の死。これらをヒーローたちが乗り越え、サノスを打倒する時、それは、「クロスオーバー」というジャンルが辿り着かなければならない「収束」の過程を意味するのだろう。

 

増えすぎた物量と、それを使った新たなエンターテインメントの形の提示。そして、それらに反証をふっかける対の存在としてのサノス。アベンジャーズが次作『アベンジャーズ4(仮)』で彼を倒す時、我々は、エンタメを超えた新たな「なにか」を目撃できるのかもしれない。作り手自らが設定したサノスという高すぎるハードルは、既存のエンタメが束になっても本当に敵わないのだろうか?

 

まだ、引き続き、追いかけられる。その幸せを噛み締めながら、次回作を待ちたい。

 

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