ジゴワットレポート

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『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』は、言うなれば「ディスニーの逆襲」である

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スター・ウォーズ/最後のジェダイ 2018年 カレンダー 卓上 CL-345

 

公開日は平日だったのに朝イチの回がかなり埋まっていたあたり、やはり『スター・ウォーズ』の文化的認知度の高さを思い知る。

まあ、かくいう私もこの日仕事を休むために約半年前から密かに調整していた。公開日に合わせて有給届を出した際に上司の含み笑いを目にしたような気もするが、フォースの素養が無い私は何も気づかなかった、と、いうことにしておきたい。

 

starwars.disney.co.jp

 

かくして2年ぶりの新作、『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』。

今年は何かと「最後の」が付くタイトルが多い気がするが、これは邦題でもなんでもなく、正真正銘『The Last Jedi』。何をもって「最後」なのか、それは一体誰を指すのか。実際に鑑賞してみると、非常に意味深なタイトルだったと身体に沁みてくる。

 

前作『フォースの覚醒』は、ディズニーが旗頭となって製作された10年ぶりの新作であり、そのクオリティについて全世界のファンが病的なまでに神経質になりながら注目していた感覚がある。

蓋を開けてみると、大まかなストーリーラインはシリーズ1作目『新たなる希望』を踏襲しながらも、シリーズファンへの目配せと、新しいキャラクターの魅力を、これ以上ないバランスで両立させた作品だったと言えるだろう。

しかも、単純明快にエンターテインメント作品として「面白い!」点がずば抜けており、老若男女がハラハラドキドキしながら楽しめるSF超大作として、私自身も映画館に通って何度も楽しんだお気に入りの一作だ。

 

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続いて、「旧三部作」「新三部作」に続く「続三部作」(と、ファンの間ではよく表現されている)の2作目、つまり、『帝国の逆襲』『クローンの攻撃』に相当する位置づけとして公開されたのが、本作『最後のジェダイ』である。

『フォースの覚醒』のほぼ直後から始まる物語で、レイは伝説のジェダイ・ルークに師事しながら己の運命と向き合い、対する暗黒面のカイロ・レンもまた光の誘惑と戦い、一方でレジスタンスは過酷な撤退戦を強いられる物語となっている。

 

率直な感想として、万人が好むであろうエンターテインメントとしての性格は、『フォースの覚醒』よりいくらか劣ると感じた。というより、これはむしろ、そのベクトルだと『フォースの覚醒』が「できすぎ」だったなと、今更ながらに痛感した面もある。

 

では、『最後のジェダイ』が持ってきたアプローチとは、果たして何だったのか。

私はこの部分に、いわゆる「続三部作」が提示した新しい価値観、『スター・ウォーズ』的に言うのであれば、まさに「ディズニーの逆襲」と言えてしまえるような、そんな大きな流れを感じてしまった。

 

 

※以下、映画本編のネタバレがあります。

 

 

結論から挙げてしまうと、本作の肝はついに明かされた主人公・レイの出自にある。

前作『フォースの覚醒』では「砂漠の惑星でずっと誰かを待っている」「置き去りにされて去っていく船を見上げた過去がある」という断片的な情報のみが描かれ、その真相そのものは全く提示されなかった。

しかし、並々ならぬフォースの素養があるなど、その出自にはどこか「ただ者ではない」という雰囲気が漂っていた。私を含む多くのファンが、まずは安直に「ルークの娘では?」と予想を頭に浮かべては打ち消し、その後様々な想像を膨らませたことだろう。

 

というのも、『スター・ウォーズ』と「血統」という要素は、これまで絶対に切っても切り離せなかった。

この壮大なサーガが「何の物語なのか」というのは度々議論される部分であるが、「アナキンの物語」であろうと、「ルークの物語」であろうと、そこには絶対的に「血統」もしくは「家族」というキーワードがあった。暗黒面に堕ちたダース・ベイダーは、最後の最後に息子を助け、その命を散らせる。そのゴールがあるからこそ、アナキンが闇に傾倒していく様にも一縷の光が残る。

「スカイウォーカー家」の、呪われた、しかし希望が垣間見えるその運命の螺旋が、『スター・ウォーズ』という世界観に縦筋を設けていた。

 

しかし、続く「続三部作」の主人公・レイは、その血統から外れることとなった。

スカイウォーカーでないばかりか、過去のどの登場人物とも関係ない、砂漠の星に住む名も無き登場人物の子供。しかも、あろうことか親に売られ、置き去りにされてしまった。

 

これはつまり、『スター・ウォーズ』という壮大な銀河の歴史絵巻に通っていた一本の筋を放棄する設定とも言える。

本作『最後のジェダイ』をもって、『スター・ウォーズ』は、「スカイウォーカーの物語」でも、ましては「血統の物語」でもなくなったのだ。

では一体、「何の物語」なのか。

 

これはエンドロール直前の少年が端的にそのテーマを体現している。

つまりは、「誰の物語でもない」ことが「物語」である、もっと言うと、皆が主人公であり、皆がフォースと共にあり、皆に各々の運命が待ち受けているという、非常に普遍的なテーマに帰結するのではないか、と思うのだ。

壮大な銀河の叙事詩の中で、『スター・ウォーズ』とはこれまで「スカイウォーカー家の視点から捉えた物語」だったが、これを更にもう一歩俯瞰する視点を提示したのが、本作『最後のジェダイ』なのである。

 

レイがスカイウォーカー家と何も関係なかったように、そして、最後の少年がまるでライトセーバーを構えるように夜空を見上げるように、我々は全員が主人公であり、個々に「物語」を持っている。

『スター・ウォーズ』というフィクション世界が「ひとつの血統の視点」を脱却したことで、相対的に、登場人物全員がその銀河の主人公であるという価値観が誕生したのだ。

 

そうして、「スカイウォーカー家の物語」に深く関わっていた人物は次々とその歴史を畳んでいく。ハン・ソロが死に、ルークは逝き、双方の属性を併せ持つ旧三部作の結集のような存在ことカイロ・レンは決定的に暗黒面に堕ちていく。

旧三部作の要素が次々と畳まれていく一方で、同時に展開されるのは、「スカイウォーカーの血統」でもなく、「新たな家系の物語」でもなく、「誰でもない誰か」の物語なのだ。そう考えると、昨年公開の『ローグ・ワン』も、まさに「誰でもない誰か」の物語だったと言えるだろう。

 

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この普遍的なテーマ、つまりは、全世界の誰もがその物語の視点に立つことを積極的に許すアプローチは、ディズニーが世界中から愛されながらはるか昔から用いてきた姿勢とも言える。

本作『最後のジェダイ』をもって、『スター・ウォーズ』は晴れて「みんなのもの」になった。レイの物語でも、フィンの物語でも、ポーの物語でも、それを観ている私の物語でも、これを読んでいる貴方の物語でもある。そこに、限定されるべき「家系」も「血統」も、存在しない。

 

だからこそ、現実は過酷だ。

「主人公家系」のような絶対的な「軸」が無くなったからこそ、レジスタンスはそのルークを持ってしてもファースト・オーダーを撃退することはできない。戦略的撤退が関の山である。

『スター・ウォーズ』が「血統」を脱し個々に帰属する物語になったのならば、その「個々」が集結して巨悪に立ち向かうしかなく、それはつまり文字通りの「レジスタンス」であるとも言える。愚直なまでにストレートな「みんなで」というメッセージは、これも全世界のエンターテインメントの頂点に鎮座するディズニーの十八番だろう。

 

しかしこの普遍的なテーマは、あえて意地悪に言うならば、ジョージ・ルーカスが作ってきた『スター・ウォーズ』に対するディズニーの「逆襲」でもある。

『最後のジェダイ』は、「ルーカスが作ってきた『スター・ウォーズ』」を懸命に崇めたまま葬るような作品であり、作中におけるルークの死はそのひとつの象徴とも言えるだろう。「どうぞご勇退ください」という案内板を、こともあろうかルーカスに向けて掲げたような印象すらある。「あなたの作ってきたサーガはこうやって終わっていきますからね」、と。

 

しかし、考えてみれば、アナキンだってその昔は「誰でも」なかったのだ。

長年その出自は噂されてきて、ミディ・クロリアンから生まれたのではなどとも言われてきたが、『最後のジェダイ』におけるレイを思うと、彼も実は思わせぶりだっただけで単なる辺境で父を亡くした少年だったのかもしれない、とも思えてくる。

もちろん真相は闇の中だろう。が、「誰でもなかった」少年がクワイ・ガンにその才覚を見出され、フォースを身に着け、銀河の光と闇のバランスを担う存在になる。そうして、「そこ」から、「スカイウォーカー家」の物語は始まったのだ。

言い換えれば、『スター・ウォーズ』の過去6作は、たまたま、スカイウォーカー家の物語に視点が合っていただけの話 ・・・なのかもしれない。「ここ」から、また新たな視点が幕を開ける、のかもしれないのだ。

それこそ、「遠い昔、遥か銀河の彼方で」の本懐だろう。

 

そう考えてしまうと、『最後のジェダイ』は、新しいアプローチを持ってきつつも過去6作とテーマを円環構造にして帳尻を合わせるというウルトラCに挑戦した野心作、だったとも、言えるのではないだろうか。

 

まあ、「フィンとローズの作戦は最終的に完全失敗だったのにそこに当てた尺が長すぎるのでは」とか「レイアの後任のホルド提督は輸送船で脱出する作戦を皆にあらかじめ周知しておけば良かったのでは」とか、色々、「ええ!??」となるところは、正直少なくなかった。

やはり『フォースの覚醒』に比べて、その辺りの交通整理というか話運びのスマートさは、いくらか劣っていたと言わざるを得ない。

しかし、仲間を逃がすためにファースト・オーダーの圧倒的兵力に単身で立ち向かう伝説の老兵=ルーク・スカイウォーカーという、あまりにも強烈すぎる絵面を提供されてしまっては、頭が上がらないのも事実である。あの一連のカットの「圧」は、やはり尋常ではなかった。

 

結論として。

タイトルにも書いたような「ディズニーの逆襲」とも言える普遍的テーマへのアプローチは、やはり『スター・ウォーズ』という歴史の中では革新的であり、そこへの挑戦や野心という点で、私はこの『最後のジェダイ』を支持したいと思うのである。

 

 

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