ジゴワットレポート

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感想『すべての人類を破壊する。それらは再生できない。』 マジック:ザ・ギャザリングこそにノスタルジーを感じてしまうあなたへ

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『マジック:ザ・ギャザリング』には、心のどこかで負い目のようなものを感じている。

 

というのも、世界初のTCGとして93年に発売された『マジック:ザ・ギャザリング』に、ご多分に漏れず当時の私も熱中していたのだ。世代的に、93年ドンピシャではなく、少し遅れたタイミング。あの独特のインクの香りと、果てしない世界観の広がりを感じさせるテキスト。好きな色を選んでデッキを組む楽しさと、「速さ」「パワー」「除去」「妨害」等々の性格と好むプレイングが直結するかのようなゲーム性。

 

そして、99年にはコロコロコミックで松本しげのぶによる漫画版『デュエル・マスターズ』が連載開始。これにも当然のようにハマった。今でも、本棚にはコミックスが置いてある。

 

デュエル・マスターズ(1) (てんとう虫コミックス)

デュエル・マスターズ(1) (てんとう虫コミックス)

 

 

しかし、やはりと言うべきか、同じく99年に発売されその後未曾有の大ヒットを飛ばすTCG『遊戯王オフィシャルカードゲーム』に、次第に興味は移っていった。元々原作『遊戯王』や東映アニメ版、カードダス版も遊んでいたので、待ちに待って登場した「本格!遊戯王!」に、当時の私は一気に夢中になった。周囲の友人も同様で、「カードゲーム=遊戯王」の図が完成するのにそう時間はかからなかった。

 

先の漫画版『デュエル・マスターズ』も、いつしか『マジック:ザ・ギャザリング』を扱わなくなり、マジックは気付けば「昔やったカードゲーム」というノスタルジックな代物に分類されてしまったのである。

 

かくして『マジック:ザ・ギャザリング』は、私にとって、まるで付き合っていたけど疎遠になった元恋人のような、妙な罪悪感を覚えるカードゲームになっている。未だに現役のTCGなのは百も承知だが、どうしようもなく「懐かしいもの」と認識してしまうのだ。

 

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といった前置きの後に感想を書きたい漫画、『すべての人類を破壊する。それらは再生できない。』(略称は『すべそれ』とのこと)。伊瀬勝良(原作)&横田卓馬(漫画)という、かの『オナニーマスター黒沢』を手掛けた、ある種の層には「伝説的コンビ」である。

 

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横田先生の作品は結構小まめに追っている。

 

YOKO名義の『オナニーマスター黒沢』や『痴漢男』は言うまでもなく当時から更新を楽しみに全裸待機していたし(本当は全裸ではない。様式美である)、『戦闘破壊学園ダンゲロス』はこちらも私が大ファンの架神恭介先生原作で垂涎ものであった。『背すじをピン!と』『シューダン!』あたりになると、週刊少年ジャンプで連載していたので、グッと知名度が上がるのだろうか。

 

戦闘破壊学園ダンゲロス(1) (ヤングマガジンコミックス)

戦闘破壊学園ダンゲロス(1) (ヤングマガジンコミックス)

 
シューダン! 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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「90年代MTG青春グラフィティ」と銘打たれた『すべての~』は、世紀末が迫る98年が舞台。マジックに熱中する男子中学生と、その熱中ぶりを学校ではひた隠しにする女子中学生の、ボーイ・ミーツ・ガールである。黒単色な中二イズム全開の主人公と、大量除去を得意とする白の女の子。マジックを愛好するふたりがコツコツと関係を育んでいく様子は、読んでいてニヤニヤものである。

 

マジックのルールについて、根本的な説明はない。その代わりか、用語の解説は注釈がかなり大量についているので、「一度でもやったことがある人」ならスイスイと読めるはずである。

 

そして何より、『遊戯王』が決定的に確立させた「カードゲーム漫画」の最新作として、「脳内でのビジュアルが実演される」「ダメージがあれば痛がる」「手元にモンスターが現れる」「手をかざしてカードを発動する」といった演出手法が惜しみなく披露される。それが『戦闘破壊学園ダンゲロス』で異能力バトルを描き切った横田先生の絵で展開されるのだから、もうこれ以上にない満足度である。素晴らしい・・・。美麗なコマの数々。

 

また、やはり語らずにはいられないのが、ヒロイン・沢渡慧美である。「黒髪ロング」「キツめの美少女」「成績優秀の才女」「背は高めでスタイルが良い」「学校では圧倒的模範生」「実はマジックがめちゃくちゃ強い」「学校ではマジックのことをひた隠しにして良い子に振る舞っている」「それがバレそうになると赤面してアタフタしちゃう」「私服はアムラー」「中身は割とお茶目で朗らか」。なんてこったい・・・刺さる・・・刺さりすぎる・・・・・・。ひどいぜ。またこんなキャラクターを世に送り出しよって・・・。やりやがった・・・やりやがったな・・・・・・。もう多くは語らない・・・。「好きな人はめっちゃ好き」なやつ・・・。くぅ~~~~ なんだこの・・・ くそっ・・・くそっ・・・!原作の伊瀬先生によると沢渡慧美は「ゴリゴリのヒロイン」とのことで、いや、もう、まさに、なんというか、もはや「くそっ!」としか言いようがないのだが!!

 

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そんな同作は、至る所に「90年代ネタ」を配置している。ノストラダムスの大予言はタイトル『すべての人類を破壊する。それらは再生できない。』にもかかっているし(言うまでもなくマジックのテキストパロにもなっているのが最高)、フカキョン、長野オリンピック、『タイタニック』、GLAY、ポリンキーのCM等々、あの世紀末独特の空気感を噛みしめられるネタが盛り沢山だ。同世代を生きた人は、読みながら「あ~」と声を漏らしてしまうことだろう。

 

しかしその肝にあるのは、『マジック:ザ・ギャザリング』という題材そのものである。日本において、TCGという市場は『遊戯王オフィシャルカードゲーム』を抜きに語ることはできない。前述のように、他ならぬ私もマジックから遊戯王に鞍替えしてしまった人間だ。同じように、「一時期マジックもやったけど結局遊戯王の方に熱中していた」という人は、プレイ人口から考えても少なくないのではないだろうか。

 

つまりは、アムラーやGLAYのような「懐かしの90年代文化」のひとつに、私の中では残念ながら『マジック:ザ・ギャザリング』がカウントされてしまっている。マジックそのものが、ポリンキーのCMよりも、『タイタニック』よりも、フカキョンよりも、「90年代ノスタルジー」の象徴なのだ。

 

罪悪感が入り混じったそんな感覚が脳裏をよぎる、『すべての人類を破壊する。それらは再生できない。』。ぜひ、私のような、「昔マジックをやっていた人」にこそ手に取っていただきたい作品である。

 

すべての人類を破壊する。それらは再生できない。 (1) (角川コミックス・エース)

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すべての人類を破壊する。それらは再生できない。 (1) (角川コミックス・エース)

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キャッチャー・イン・ザ・トイレット! (双葉文庫)

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